ポポロが我に返ると、そこはザカラス城の中の一室でした。ジーヤ・ドゥに閉じこめられた部屋です。ポポロは壁際に立っていて、その向かい側の壁の前に、小鳥ほどの大きさの竜がいました。実体のない影の姿に戻っています。
すると影の竜が舞い上がり、小さな頭を上げて叫びました。
「私ヲ受ケ入レロ、ぽぽろ! オマエニ、チカラヲヤロウ! ふるーとダケデナク、誰カラモ好カレル魅力ヲ与エヨウ! スベテノ人間ガ、オマエニヒレフシ、ソノ素晴ラシサヲ讃エル世界ヲ実現スルノダ――!」
「い……いらない!」
とポポロは叫び返しました。涙は止まりません。言い返す声もとぎれがちです。それでも、ポポロはドレスの裾を堅く握り、必死で叫び続けました。――現実の世界でも、何故かコートは消え、ポポロはバラ色のドレス姿になっていたのです。
「なりたいけど……そんな素敵な人になれたらいいけど……でも……そんなの、あたしじゃないもの……! それは、あたしじゃないんだもの……!」
「イツマデモ、ふるーとタチノ荷物デイタイノカ? 仲間タチニ迷惑ヲカケテイタイノカ?」
デビルドラゴンは容赦がありません。ポポロはまた泣きました。悲しくて悲しくて、本当に涙が止まりません。むせび泣きながら、ようやく答えます。
「いいの――だって――それでも、フルートはあたしを助けに来てくれたんだもの――。こんなあたしだけど――フルートは、いつだってあたしにほほえんでくれたんだもの――」
優しい優しいフルートです。いつでも、誰にでも笑顔を向けてくれます。その笑顔は誰かひとりだけのものではありません。でも、ほほえんでくれたその瞬間だけは、フルートは確かにポポロを見つめてくれていたのです。
フルートのところへ行きたい! とポポロはまた強く想いました。
そうです。ポポロは行かなくてはなりません。闇の怪物たちがフルートたちに襲いかかろうとしているのです。助けに行かなくてはなりません。自分は魔法使いです。金の石の勇者の一員なのです。
デビルドラゴンの闇の世界に捕らわれている間には一度も思い出さなかった自覚と勇気がわき起こってきます。
ポポロは涙をぬぐうと、デビルドラゴンの隣に見えている扉へ駆け寄りました。
ところが、いくらノブを回しても扉は開きませんでした。鍵穴はどこにもないのに、どんなに押しても引いてもびくともしないのです。
デビルドラゴンが言いました。
「無駄ダ。コノ部屋ハ特殊ナ魔法デ閉ジラレテイル。チカラデモ魔法デモ、ココカラ脱出スルコトハ不可能ナノダ」
ポポロは首を振りました。迫るように近づいてくる小さな竜に叫びます。
「あっちへ行って! 寄らないで!!」
たちまちまた竜が押し返されます――。
ポポロは扉に両手を押し当てました。魔法の抵抗を感じます。デビルドラゴンが言うとおり、相当強力な魔法で閉じられています。壁も床も天井もひとつながりになって、ポポロを中に閉じこめているのです。
ポポロは思わずまた泣き出しそうになりました。ポポロは今日の魔法をメーレーン王女に化けるために使い切っていました。もう魔法が残っていないのです。
けれども、寸前でポポロは涙をこらえました。今は泣いているときではありません。フルートのところへ行かなくてはならないのです。
ポポロはもう一度、扉に両手を当てました。自分の内側に力を求めながら、精一杯に念じます。お願い、魔力。あたしの中によみがえって――!
ポポロは知りませんでした。そこはザカラス城の一番中心に当たる部屋です。窓が一つもないので外の景色はまったく見えません。ですが、ポポロが強く念じたその時、城の外では白んだ空に朝の光の一筋が走り、東の地平から太陽が昇り始めていたのです。
夜明けと共にポポロの魔力が復活してきました。ポポロの中に大きな力があふれ出します。ポポロは一瞬あえぎました。わき上がってくる力は、ポポロの想いの強さに応えるように強く激しかったのです。あまりに強力な魔力に目眩さえ感じながら、ポポロは一言唱えました。
「ケラーヒ!」
それは扉を開ける呪文でした。集まってきた緑の光が、ポポロの華奢な手を伝わって扉に広がっていきます。扉が一瞬で砕け落ち、後にぽっかりと出口が開きます。
けれども、ポポロの魔法は扉だけに留まりませんでした。ものすごい勢いで部屋の壁を伝わり、天井に伝わり、さらに壁や柱伝いに周囲へと伝わっていきます。やがて、魔法はザカラス城全体を包みました。壁に、床に、天井に閃光が走り、それが亀裂に変わります。不気味な地鳴りの音を立てながら、城がゆっくりと崩れ始めます――。
「馬鹿ナ!」
とデビルドラゴンが叫びました。
「コノ部屋ニハ、私ノ闇魔法モ組ミ込ンデアッタノダゾ。ソレヲ何故破レル! オマエノチカラハ、ドレホドノモノダトイウノダ、ぽぽろ――!?」
部屋の壁が大きな音を立てて崩れ落ちました。砂埃がわき起こり、ポポロのドレスの裾を激しくはためかせます。ポポロは思わず顔をそむけました。また顔を上げたとき、部屋の中から影の竜は姿を消していました。
フルートの目の前で闇の怪物たちは渦を巻くようにうごめいていました。互いに牽制し合いながら、じりじりとフルートとの距離を詰めてきます。フルートの後ろではトウガリが身動きできずに横たわっています。フルートはその場を動くことができません。
すると、足下から不気味な振動が伝わってきました。地響きが聞こえてきます。怪物たちが驚いたようにあたりを見回し始めます。
と、地下牢の天井に緑の閃光が走りました。音が激しくなり、天井に亀裂が走っていきます。そこから朝の光が差し始めました。光を浴びた闇の怪物たちが、悲鳴を上げて逃げまどい始めます。
天井が大きく裂けました。大小の岩の塊になって怪物たちの上に落ちかかってきます――。
轟音と砂埃がおさまったとき、怪物たちは崩れ落ちてきた天井の下敷きになっていました。
フルートは目を見張りました。何がどうなっているのか、すぐにはわかりません。茫然と立ちつくしてしまいます。
あたりを揺るがす振動は続いていました。朝日が差すようになった地下牢も大揺れに揺れています。残った天井や壁に亀裂が広がっていきます。
「危ない!」
フルートは、とっさにトウガリの上へ身を投げ出しました。その鎧の背中に、天井から落ちてきた岩が当たって跳ね返ります。地下牢は、闇の怪物たちだけでなく、フルートとトウガリまでも生き埋めにしようとしているのです。
崩れ落ちた天井から、外の景色が見え始めました。ザカラス城の赤い岩壁が、地下牢と同じようにひび割れ、崩れていくのが見えます。
すると、突然フルートの頭の中に少女の声が響きました。
「フルート!!」
「ポポロ!!」
フルートは歓声を上げました。少女の姿は見えません。魔法使いの声で話しかけてきているのです。
フルートは崩れていく城を見ながら言いました。
「どこにいるの、ポポロ!? 無事かい!?」
「あたし――あたし、城の中よ――」
ポポロの声が答えました。
「お城がどんどん崩れていくの――あたしの魔法――どうしよう――」
激しいすすり泣きの声が聞こえてきます。フルートは悟りました。これはポポロの魔法の暴走です。捕らわれている場所から脱出しようとして、城全体を崩壊させてしまっているのです。
城が崩れていきます。地下牢でも天井や壁が落ち続けています。またフルートの上に岩が落ちてきて、トウガリをかばう背中に当たりました。
フルートは叫び返しました。
「止めるんだ、ポポロ! 城が崩れるのを止めるんだ!」
遠い場所でポポロが首を振った気配がしました。泣き声が答えます。
「だめ――だめなの! できないの――! 規模が大きすぎて、どうしても止められないのよ――!!」
部屋を脱出してフルートの元へ行きたい! 強い想いと共に使われた魔法は、予想をはるかに超えた激しさで城全体に広がり、強固な城を壊していました。あまりにも魔力が強すぎて、ポポロ自身にももう止めることができなくなっていたのです。
少女のすすり泣きを聞きながら、フルートは崩れる城を茫然と見つめてしまいました――。