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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第23章 最終決戦・1

89.地下牢

 フルートは青ざめて牢の入り口を振り返りました。

 階段の上から大勢の兵士が下りてくる音がします。鎧兜がガチャガチャとぶつかり合う中に、剣を引き抜く音が混じります。

 トウガリは拷問に全身を痛めつけられて、牢のベッドで身動きもできずにいました。それでも、敵が迫る音を聞きつけて、かすれる声で言います。

「行け、フルート……ここから逃げろ……」

 フルートは頭を振りました。唇をかんで背中から銀のロングソードを引き抜き、後ろにトウガリをかばいながら身構えます。

 階段を駆け下りて、黒い鎧の兵士たちが飛び込んできました。ザカラス兵です。手に手に剣を振りかざし、牢の中に金の鎧兜の少年がいるのを見て叫びます。

「金の石の勇者だ!」

「仲間を助けに戻ってきたな――!」

 フルートはものも言わずに飛び出しました。先頭の兵士に向かって剣を振り下ろします。ガギン、とザカラス兵が剣で受け止めます。

 その隙にすぐ後ろの兵士がフルートに切りかかってきました。

「覚悟、金の石の勇者!」

 薄暗い地下牢の中、揺らめくろうそくの光を返して、剣の刃先が銀に光ります。

 フルートはすばやく剣を引くと、とっさに頭を下げました。すぐ上を敵の剣がなぎ払っていきます。

 先頭の兵士がそんなフルートの上に剣を振り下ろしてきました。兜ごと、頭をかち割ろうとする勢いです。

 フルートは左腕の盾を差し上げました。魔法の盾が敵の剣を真っ二つに折ってしまいます。フルートが勢いよく体当たりを食らわせると、仰向けに倒れた兵士が後続の兵士たちを押し倒して、入り口が大混乱になります。

 

 戦いながら、フルートは敵の人数を数えていました。

 裏庭を守っていた警備兵なのでしょう。七、八人います。

 フルートは剣を握り直しました。ぐずぐずしていると、さらに大勢の警備兵を呼ばれてしまいます。早く片付けなくてはなりません――

 

 とたんに、フルートは息が止まるような恐怖に襲われました。突然、身動きができなくなってしまいます。

 片付ける? 何を? と心の中で尋ねる自分の声が聞こえます。

 敵を。と心の中で自分が答えます。

 相手は人間なのに? とまた自分の声が尋ねます。

 フルートは全身が氷のように冷たくなっていくのを感じました。ザカラス兵に向かって剣を構えたまま、まったく動けなくなってしまいます――

「フルート……!」

 トウガリが苦しい息の下から叫ぶ声が聞こえました。ザカラス兵が吠えるような声を上げて剣を振り上げます。

 次の瞬間、フルートは猛烈な衝撃を左肩に食らって飛ばされました。床に勢いよく倒れます。ザカラス兵に切りつけられたのでした。

 フルートが着ているのは魔法の鎧です。フルートの体に怪我はありません。けれども、あわてて立ち上がろうとしたところへ、ザカラス兵たちがいっせいに襲いかかってきました。仰向けになった顔めがけて剣が突き出されてきます。フルートはとっさに盾で急所をかばいました。今度は、その胸に大剣が振り下ろされてきます。剣は鎧にはじかれて真ん中から折れましたが、フルートの方も胸に強い衝撃を受けて一瞬息が詰まりました。鎧には衝撃を和らげる魔法が組み込んでありますが、完璧に防ぐことはできなかったのです。

「に……逃げろ……早く……!」

 トウガリがうめくように言っていました。トウガリ自身は手足の骨を折られているので、起き上がることができません。牢のベッドに横たわったまま、顔だけをフルートに向けて必死で言い続けます。この勇者の少年が人間の敵には極端に弱くなってしまうことを、トウガリは知っていたのです。

 とたんに、ベッドのそばに立つザカラス兵がどなりました。

「うるさいぞ、黙れ!」

 握った剣の柄で、傷だらけのトウガリの腹を力任せに打ちます。トウガリが悲鳴を上げ、血を吐きます。

「トウガリ!!」

 フルートは跳ね起きました。自分に襲いかかってくる兵士たちを剣と盾で押し返し、ベッドに駆け寄りざま、トウガリを打ちすえた兵士を切り伏せます。兵士が仰向けに倒れます。黒い兜がはじけ飛び、黒髪に黒いひげの頭がむき出しになります。その男の顔はおびえながらフルートの剣を見つめていました――。

 フルートはまた顔を歪めました。ロングソードを握る手のひらが冷たい汗で濡れていきます。とどめを刺す絶好の機会です。けれども、フルートはやっぱり剣を振り下ろすことができません。

 一瞬のチャンスは通り過ぎ、男は跳ね起きて逃げました。代わりに新しいザカラス兵がフルートの目の前に飛び込んできます。

「勇者、覚悟!」

 剣がフルートめがけて振り上げられました――。

 

 ポポロは泣いていました。もう戦いの場面を見ていることができません。顔をおおって泣き続けます。

 けれども、これはデビルドラゴンが呼び寄せている光景でした。どんなに目をおおっても、堅く目をつぶっても、ポポロには敵と戦うフルートの様子が見えてしまいます。

 敵の剣がフルートに振り下ろされました。剣は鎧にはじかれますが、衝撃でフルートがよろめきます。思わず前のめりになったところへ、また別の兵士の剣が振り下ろされます。

 フルートの膝が、がくりと崩れました。剣を握った手が床につきます。剣では鎧に跳ね返されると知ったザカラス兵が、いきなりフルートを蹴り飛ばしました。小柄な体が吹き飛んで、地下牢の石壁にたたきつけられます。

「やめて……」

 とポポロは泣きながら言いました。

「やめて……もうやめて……」

 どんなに懇願しても、戦いは終わりません。目の前から光景も消えません。

 デビルドラゴンは、バラ色に光る壁の向こうで羽ばたいていました。ポポロが自分から外に出てくるのを、じっと待ち続けています。

 ポポロは泣きながら身震いしました。お願いフルート、逃げて……! と祈り続けます。

 

 ザカラス兵が声を上げました。

「今だ! とどめを刺せ!」

「兜をむしり取れ! 首を切るんだ!」

 数本のザカラス兵の手がフルートに向かって伸びてきます。金の兜をフルートの頭から奪い取ろうとします。

 フルートはそれに抵抗して剣をふるいました。血しぶきと共に何かが宙を飛びます。石の床の上に転がり落ちたのは、ひとりのザカラス兵の左手でした。研ぎ澄まされたロングソードは、兜を取ろうとした敵の手を手甲ごと切り落としたのです。

 血にまみれた手に、フルートは目を見張りました。すさまじい衝撃に息ができなくなります。全身が激しく震え出して、何も考えられなくなります――。

 その様子に、ザカラス兵が勝ち誇った声を上げました。

「無抵抗になったぞ! 殺せ!!」

 手を切り落とされた兵士は傷を押さえて転げ回っています。けれども、残りの兵士たちは、いっせいにまた腕を伸ばし、フルートの体を押さえ込み、兜をむしり取ろうとします。

「……フルート……!」

 咳き込み、血を吐きながらトウガリが叫び続けています。その目の前で、勇者の少年が凶刃に倒れようとしています。ついに金の兜が敵の手で外され、金髪の頭がむき出しになります。大剣がぎらりと光りながら振り上げられます。

 

 その時、手を切り落とされた兵士が、すさまじい声を上げました。

 悲鳴などという生やさしいものではありません。絶叫です。さすがのザカラス兵たちも、ぎょっとしてそちらを振り向きました。

 兵士は立ちつくしていました。黒い兜の下で、大きく目を見開いて、恐怖と驚愕の表情を浮かべています。仲間の兵士たちは、いっせいにその男が見ている先を振り向きました。が、そこには地下牢の石壁があるだけで、驚くようなものは何も見当たりません。

 再び兵士たちが男に目を戻したとき、男が突然また叫び声を上げました。白目をむき、口から血の泡を吐きます。

 と、その腹の鎧を突き破って、突然何匹もの蛇が飛び出してきました。ぬらぬらと光る黒い体を血に染めて、男の腹から外へとはい出してきます。

 兵士たちは愕然としました。思わず金の石の勇者を放して飛びのき、後ずさってしまいます。

 すると、彼らの目の前で音がし始めました。骨をかみ砕き、肉を食いちぎり、血をすする音です。その音は、立ちつくす男の背中から聞こえていました。

 ザカラス兵たちは顔色を変えました。目の前の男はすでに絶命しています。その後ろに怪物がいて男を背中から食っているのだと、彼らは悟ったのでした。いっせいに怪物へ剣を向けます。

 すると、男の腹から顔を出していた黒い蛇が、いきなり長く伸びました。周囲の兵士たちを、鎧の上から次々に串刺しにしていきます。

 死んだ男の腹を食い破り、突き抜けるようにして、怪物が姿を現しました。それは無数の蛇を体から生やした巨大なトカゲのように見えました。蛇と見えていたのは闇の触手です。それをザカラス兵たちの体に突き立て、生気を吸い取っています。

 

 フルートは愕然としました。これは闇の怪物です。ザカラス城の中にまで入り込んできたのです。思わず跳ね起きて飛び下がりましたが、とたんにトウガリのベッドに背中がぶつかりました。ベッドが大きく揺れて、トウガリがまたうめきます。

 すると、その声に闇の怪物がこちらを見ました。うごめく触手が、ぴたりと止まります。

 やがて、ク、ク、ク、と怪物は笑い声をたてました。

「いたナ。オマエが、金の石の勇者だナァ」

 無数の触手が、いっせいにフルートめがけて突き出されてきました――。

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