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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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87.侵入

 デビルドラゴンが作る闇の世界の中で、ポポロは周りにバラ色の光の壁を作って、自分を守り続けていました。闇の竜に心を明け渡してしまわないように、必死で抵抗を続けます。

 デビルドラゴンは、影の姿から実体に変わっています。闇の中でも黒々とウロコを光らせ、コウモリのような四枚の翼を羽ばたかせて、ポポロを見つめ続けます。決してポポロに近づこうとはしません。光の壁に触れれば深刻な痛手を受けるとわかっているのです。ポポロのほうから近づいて、自分の心を差し出してくるのを待っています。

 

 闇の中にはフルートが映し出されていました。夜空の中、ルルに乗って飛び続けているのが、目の前の光景のように鮮やかに見えています。二人の会話も聞こえてきます。

 ルルが励ますように言っていました。

「オリバンは大丈夫よ、フルート。未来のロムド王がランジュールや闇の怪物なんかに負けるわけないじゃない。ペガサスだってついているのよ。さあ、気持ちを前に向けて。もうすぐザカラス城よ」

 わかってる、とフルートはつぶやくように答えました。唇をかんで手の中の剣を握り直しています。その青い瞳は夜の彼方を見つめています。そちらにポポロが捕らえられているザカラス城があるのです。――その様子を見ていたポポロの胸が、どきんと鳴りました。

 すると、ルルがまた言いました。

「私はあの子と心の中でつながっているから、近くに行けば、あの子がどこにいるのか感じられるの。ザカラス城に着いたら、私が先導するわ」

「うん、頼む。ポポロはきっとデビルドラゴンにつかまってる。絶対に助け出さなくちゃ」

 揺らぐことのないまなざしと声で言い切るフルートを、ポポロは見つめ続けました。フルートの顔は真剣そのものです。本気でポポロを助け出すことを考えてくれているのだとわかります。

 押さえた手の下で、ポポロの頬が赤くほてっていきました。フルートは自分を助けに来るのです。他の誰でもない、自分のために駆けつけてくれるのです……。

 

 そのとき、ルルがはっと振り向きました。後ろの闇を見透かしながら声を上げます。

「闇の怪物たちよ! 追いついてきたわ!」

 フルートも振り向きました。闇に目をこらして、確かめるように言います。

「かなり多いよね?」

「十数匹。でも、後ろから吹いてくる風が、もっとたくさんの怪物の匂いを運んできてるわ。たくさん――本当に数え切れないくらい、たくさんよ――」

 ルルは、ぶるっと身震いをすると、あわてて速度を上げました。追い風が運んでくる怪物の匂いは入り混じっていて、とても一つ一つかぎ分けることはできません。おそらく何百という数だろう、とルルは読みました。そんな数を自分とフルートだけで相手にすることはとてもできません。同時に、それだけの怪物と遭遇したはずのオリバンを思わず心配します。無事でいるとは思うのですが……。

 すると、フルートが声を上げました。

「見えた! ザカリアの灯りだ!」

 行く手に山がそびえ、その麓がぼうっと明るくなっているのが見えていました。ザカリアの街の灯りが、山の麓にたれ込めた霧に映っているのです。山の中腹にそびえるザカラス城も見え始めました。夜更けでも城には灯りがともり、かがり火に城壁が赤く照らされています。暁城の名前の通りの赤い城です。

 ところが、そのとたん、敵が襲いかかってきました。人の頭に翼が生えたような怪物です。夜の中を弾丸のように飛んできて、後ろからフルートの背中に激突します。不意打ちを食らって、フルートの体がもんどり打ってルルの背中から落ちました。

 

「フルート!!」

 とポポロは悲鳴を上げました。それが闇に映った映像なのを忘れて、両手を差し出して駆け出そうとします。

 が、次の瞬間、ポポロはあわてて立ち止まりました。バラ色の光の壁の際まで来ていたのです。そのすぐ向こう側には、黒い闇の竜が翼を打ち合わせて待ちかまえていました。

 青ざめるポポロに、デビルドラゴンが言いました。

「ドウシタ、ぽぽろ。ふるーとヲ助ケルノデハナイノカ? 墜落シテ地上ニ激突スルゾ」

 ポポロは真っ青になって、また闇の中の光景を見ました。フルートが空から落ちていきます。そこに群がるように、四、五匹の怪物が襲いかかっていきます。翼が生えた頭の群れです。

 すると、その中の一つが突然火を吹きました。フルートが落ちながら炎の剣で切りつけたのです。他の怪物たちが驚いたようにちょっと離れます。そこへ、風の犬のルルが飛び込んできました。風の刃で怪物たちをあっという間に切り裂いて、風の背中にフルートを拾い上げます。

「大丈夫、フルート?」

「平気だよ。でも、急がないと。他の怪物たちが追いついてくる」

 怪物に襲われても、空から墜落しかけても、フルートは少しもおびえた表情をしません。行く手だけを見つめ続けています。

 フルート……とポポロは心でつぶやきました。あっという間に緑の瞳が涙でいっぱいになってしまいます。

 そう、フルートはそういう人です。自分がどんなに危険な目に遭っても、自分のことなど気にせずに他人を助けようと一生懸命になるのです。

 

 ルルが話し続けていました。

「後ろから怪物の大群が追いかけてきているのよ。とても相手にしきれないわ。ザカラス城に着いたら、すぐ城の中に逃げ込まなくちゃ」

 フルートは一瞬ためらい、すぐに思い直したような顔になってうなずきました。

「そうだね……ザカラス城も常に魔法で城を守っているはずだから、怪物も侵入してこられないだろう。城が襲われることはないね」

 すると、ルルがあきれたように言いました。

「フルートったら。あなた、ザカラス城の人たちが怪物に襲われるのを心配してるのね? ザカラスは敵なのよ?」

「敵はデビルドラゴンだよ。ザカラスの人たちは関係ない」

「それじゃ、ザカラス王は? デビルドラゴンを城に招き入れた、ジーヤ・ドゥっていう魔法使いは? 彼らは悪人でしょうよ」

 とルルが追及します。フルートは何も言いません。

 ポポロは涙ぐんだ目で見つめ続けました。

 フルートの気持ちは痛いほどよくわかります。誰も死なせたくないのです。たとえ敵国の人間でも、悪人とわかりきっている王や魔法使いであっても、人が傷つくのは我慢ができないのです。

 ふいに、ポポロはとても悲しい気持ちになりました。

 いつでも他人を考え、他人を守ろうとするフルート。その気持ちが強すぎて、フルートはいつも自分自身の危険を考えなくなります。フルートは本当に優しい勇者です。その優しさはいつだって他人のためのもので、決して自分のためのものではないのです――。

 ポポロはいつの間にか、祈るように手を握り合わせていました。フルート、お願い、と声に出しますが、フルートに何をどうしてもらいたいのか自分でもわからなくて、それ以上ことばを続けることはできませんでした。ただ、胸のつぶれるような想いで、闇に映る少年の姿を見つめ続けます。

 

 フルートたちの後ろにまた新しい敵が追いついていました。鳥に似た怪物が口を開けて甲高い鳴き声を上げます。

 勇者の少年は振り向きざま魔法の剣を振りました。炎の弾が飛び出し、怪物が火に包まれて落ちていきます。

 フルートはそれを歯を食いしばりながら見ていました。本当に、まるで自分自身を焼かれているような苦痛の表情です。怪物が燃えながら遠ざかると、振り切るようにまた前に向き直り、ルルに言います。

「急いで! 早くザカラス城に入るんだ!!」

 フルート、とポポロはとうとう涙をこぼし始めました。フルートがふるう剣は、敵と一緒にフルートの心も切り裂きます。敵が受けているのと同じような苦しみを、自分自身にも感じてしまうのです。優しい優しいフルートです。

 だけど。

 とポポロは泣きながら考えました。

 なんだか、フルートの優しさは本当に悲しいのです。あまりにも優しすぎて、あまりにも綺麗すぎて、今にもフルートがどこかに消えていってしまいそうな気がします。ちょうど、願い石に世界の平和を願おうとして、フルート自身が消滅しそうになったときのように。

 フルート、来ないで、とポポロは心で言いました。あたしなんかを助けるために、そんなに傷つきながら来ないで……。

 けれども、ポポロはそれをことばにできませんでした。何をどう言ったって、フルートが助けに来ることがわかっていたからです。どんなに傷つこうと、フルートは来るのです。それがフルートという少年なのです――。

 

 デビルドラゴンが口を開きました。ポポロではなく、別の人物に向かって話しかけます。

「間モナクふるーとガ城ニ到着スル。城ノ結界ヲ解クノダ」

 すると、闇の中から年取った男の声が返ってきました。ジーヤ・ドゥの声です。

「勇者の後を追って怪物の大群が迫っているではないか! そんなことをしたら、城に怪物が入り込むぞ!」

 憤慨する魔法使いに、デビルドラゴンは繰り返しました。

「結界ヲ解クノダ。ふるーとハ必ズ人々ヲ怪物カラ守ロウトスル。自分カラ怪物ノ前ニ飛ビ出シテイクノダ。勇者ヲ自滅サセロ」

 ポポロは息が止まりそうになりました。フルートという人物を知り尽くしている闇の竜を、恐怖の目で見つめてしまいます。

「敵の城の人間を怪物から助けるというのか? そんな馬鹿な!」

 とジーヤ・ドゥの声があざ笑いました。信じられないのです。人は自分自身を基準にして他人を見ます。他者を蹴落とし陥れて自分の名声を得ようとする男に、フルートが理解できないのは当然のことでした。

 デビルドラゴンは四枚の翼を打ち合わせながら宙に浮いていました。少しの間、考えるように沈黙してから、冷ややかな声でこう言います。

「デハ、とうがりヲ使エ。ふるーとヲとうがりノモトヘ案内スルノダ。仲間デアレバ、ふるーとハ、ナオサラ必死デ守ロウトスルカラナ」

「なるほど」

 と別の場所にいるジーヤ・ドゥがうなずいた気配がしました。

「やめて!!」

 とポポロは叫びました。

 デビルドラゴンの言うとおりです。トウガリがつかまっている場所がわかれば、必ずフルートはそれを助けに向かいます。敵の罠にはまってしまうのです。

 すると、デビルドラゴンが赤い目を笑うように細めました。

「ヤメサセルコトガデキルノハ、オマエダゾ、ぽぽろ。魔王ニナッテ闇ノ怪物タチニ命ジロ。ソレガふるーとヲ救ウ唯一ノ方法ダ」

 ポポロは悲鳴を上げました。光り続けるバラ色の壁の中で、顔をおおって激しく頭を振ります。

 

 闇の中にフルートたちの姿が映り続けていました。

 ルルはもう空からザカラス城の裏庭に降り立っていました。犬の姿に戻り、あたりに警戒しながら、押し殺した声でフルートに言います。

「さすがに真夜中ね。警備が薄いわ」

「ポポロの居場所はわかる?」

 とフルートが尋ねました。やはり抑えたささやき声です。

「もちろん。城の一番真ん中あたりにいるようね。できるだけ敵の気配が薄い場所を探して行くわ。ついてきて」

 ルルが先に立って城の裏口へ走り出しました。フルートがそれに続きます。見張りの立っていない裏口から城の中に駆け込みます。

 城の通路には壁に一定間隔で松明がかかげられていました。炎が揺れるたびに揺らめく影を連れながら、ルルとフルートは通路を走り続けます。

 真夜中の城内は静かでした。人影もまったくありません。ただ、警備兵だけは夜通し城内を警戒しているはずでした。ルルは通路の角を曲がるたびに、耳を澄まし鼻を利かせて行く手の様子を探り、人がいないのを確認すると、次の角まで走っていきました。次第に城の中央付近へ近づいていきます。

 少し遅れてそれについていきながら、フルートは心の中で首をひねっていました。見張りが少なすぎるのです。ザカラス国は中央大陸ではエスタに次ぐ大国です。いくら真夜中でも、その城の警備がこんなに手薄でいいんだろうか、と考えます。

 すると、フルートのすぐ後ろで男の声がしました。フルートはぎょっとすると、曲がり角の壁にしがみつくようにして身を隠しました。やはり見張りはいたのです。

 声は横の通路に見える階段の下から聞こえていました。フルートたちが城に侵入したことには気がついていないようです。のんびりした口調で、一緒にいるらしい同僚に話しかけていました。

「とうとう地下牢のトゥーガリンに命令が出たな。夜明けと共に死刑執行だそうだ」

 フルートはまた、ぎくりとしました。ルルの後を追うのも忘れて、思わず聞こえてくる声に耳を傾けてしまいます。

「いよいよだな。張りつけか?」

「いいや。八つ裂きの刑だ。手足を縛った鎖を四頭の馬にくくりつけて、それぞれ別の方向へ引っ張らせるのさ。なにしろザカラスを裏切っていた間者だ。陛下のお怒りも尋常じゃないからな――」

 見張りたちが話し続ける声は階段の下でまだ続いていましたが、フルートはもう聞いてはいませんでした。足音をしのばせながら、今来た通路を引き返し始めます。城の裏庭に怪しい入り口があったのです。前を通り過ぎるとき、ルルが「なんだか血なまぐさいわ」と言っていました。地下牢に続く階段の入り口だったのに違いありません。

 ルルはもう通路にいませんでした。ポポロの気配を追って、先へ行ってしまったのです。フルートは、一瞬そちらへ目を向けましたが、黙って唇をかむと、たったひとりで通路を戻り続けました。

 その小柄な姿が通路の角を曲がって見えなくなると、見張りの話し声がした階段から、一羽の鳥が飛び出してきました。茶色の翼に黒っぽい体のツグミです。咽の奥から、くくく、と人の笑い声をたてます。

 それは人の声を遠い場所へ運ぶ伝声鳥でした。笑っているのはジーヤ・ドゥです。魔法使いは、声音を使い分け、伝声鳥を使って、偽の会話をフルートに聞かせたのでした。まんまとフルートを罠にはめたのです。

 

 闇の中にその光景を見ながら、ポポロは悲鳴を上げました。

「フルート! だめよ、フルート! 行っちゃだめ――!!」

 けれども、ポポロ自身はデビルドラゴンが作る世界に捕らわれています。どんなに大声で叫んでも、その声はフルートに届くことはありませんでした。

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