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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第22章 罠(わな)

86.カラス

 夜空でファイヤードラゴンが闇の怪物相手に大暴れをしていました。大きな翼を羽ばたかせながら口から炎を吐くと、何十という怪物たちが一瞬で火だるまになります。不死身に近い闇の怪物たちですが、体を焼き尽くされてしまっては復活することができません。どんどん消滅して、その数が減っていきます。

 その様子を、ペガサスに乗ったオリバンが、あっけにとられて眺めていました。ファイヤードラゴンを操っているのは、幽霊になったランジュールです。自分の命を狙っているはずの男が自分を助ける光景に、目を見張ってしまいます。

 すると、ペガサスが鋭く叫びました。

「気をつけろ、王子! まだ怪物は来るぞ!」

 ドラゴンの炎を避けて、オリバンに襲いかかってくる怪物たちがいました。奴らはオリバンを金の石の勇者のフルートと勘違いしています。願い石を手に入れるために、オリバンを食べようとしているのです。

 オリバンは聖なる剣を握り直しました。迫ってくる敵へ、ペガサスと共に切り込んでいきます。リーン、リリーン、と涼やかな音色が響き渡り、怪物たちが黒い霧になって消滅していきます。

 

「だいぶ敵が減ってきたじゃなぁい?」

 とファイヤードラゴンがランジュールの声で話しかけてきました。

「こんなふうに皇太子くんと肩を並べて戦うってのも、けっこう楽しいなぁ。ねえ、皇太子くん、ボクってホントに優しいだろ? だから、これが終わったら最後にキミもボクの炎に焼かれなよ。怪物たちより丁寧に焼いてあげるからさぁ」

 オリバンは思わず顔をしかめました。

「……貴様、それを本気で言っているだろう?」

「当然。愛しい人は特に愛情を込めて、しっかり確実に殺してあげなくちゃ。ねぇ」

 うふふふふ、とドラゴンが女のように笑います。オリバンはさらに顔をしかめると、話を無視して敵と戦い続けました。ドラゴンも火を吐き続けます。いつの間にか、群がる怪物の数は半分ほどになっていました。

 

 すると、突然頭上から一匹の怪物がオリバンに襲いかかってきました。ばさばさと黒い翼がオリバンの顔を打ちます。オリバンがとっさに剣をふるうと、すぐにまた離れて、甲高いしゃがれ声を上げます。

「カァァ、違うぞ! こいつは金の石の勇者じゃない! 勇者は先に逃げたぞ、カァァァ!!」

 一羽の大きなカラスが怪物たちに向かって叫んでいました。闇がらすです。その声は意外なほどはっきりと夜空に通っていきます。怪物たちがいっせいに動きを止め、ざわざわと空の中で騒ぎ出しました。

「勇者じゃなイ……?」

「こいつは金の石の勇者じゃない?」

「勇者はドコダ?」

「願い石ハどこにある――!?」

 闇がらすがまた叫びました。

「逃げたのさ! 先に逃げたんだぁ! 行き先はザカラス城だぞ、カァァ!」

「ザカラス城!!」

 何百もの怪物たちが、いっせいに繰り返しました。その声が夜空に雷鳴のように響いていきます。

「ザカラス城――ザカラス城――」

「勇者はそこダ」

「願イ石はザカラス城だ!!」

 ザザザァッっと風か波のような音を立てながら、怪物の大群がいっせいに動き出しました。オリバンとドラゴンをその場に残して、西へ、ザカラス城の方向へと移動していきます。

「いかん!」

 オリバンは叫び、ペガサスと共に怪物たちの後を追い始めました。後ろから怪物の群れに切り込んでいきますが、猛烈な勢いで移動していく怪物たちを止めることはできません――。

 

 闇がらすは満足そうにそれを眺めていました。ザカラス城はここから間もなくの距離です。見境ない怪物たちは、きっと勇者をめぐって、すさまじい殺し合いを繰り広げることでしょう。ザカラス城の人間たちも、怪物の襲撃に巻き込まれるに違いありません。闇がらすが何より好きな大騒動が始まるのです。

 すると、突然後ろから話しかけられました。

「ホントに迷惑なヤツだなぁ、キミは。ボクの邪魔ばかりして。ちょっとひっこんでてくれないかな」

 ファイヤードラゴンでした。長い首の先の頭から、闇がらすをにらみつけています。

 とたんに、カラスは空中で人間に変わりました。夜より黒い髪に濡れたような黒い羽根の服を着た青年の姿です。整った顔に皮肉な笑いを浮かべてドラゴンを見ます。

「誰かと思ったら、動物の曲芸師かぁ。俺様に何か用か?」

 とたんに、ドラゴンの目が炎の色にひらめきました。それでも、いつもの口調で話します。

「怪物を送り込むのをやめろって言ってるんだよぉ。皇太子くんも金の石の勇者くんも、どっちもボクの大事な獲物なんだ。怪物なんかに食われちゃ迷惑なんだよ。あいつらを引き上げさせなよ、闇がらす。そうすれば見逃してあげるからさぁ」

「見逃してあげる?」

 闇がらすはせせら笑いました。

「身の程知らずはどっちだ。たかが幽霊の分際で。しかも、ファイヤードラゴンごときで闇がらす様に勝てるつもりかぁ? 馬鹿馬鹿しい!」

 いきなりカラスは上空高く飛び上がりました。青年の姿からまたカラスに戻り、ドラゴンの頭上で急転換すると、鋭いくちばしを下にして翼を閉じ、まっしぐらにドラゴンに降下していきます。黒い大きな弾丸のようにドラゴンの背中に突っ込み、そのまま腹を突き破って飛び出します。

 ファイヤードラゴンは闇の怪物のような驚異的な再生力は持ちません。傷口から大量の血を吹き出すと、すさまじい悲鳴を上げて空から落ち始めました。大きな翼を広げた体が、みるみるうちに地上へ遠ざかっていきます。

「カァァ、思い知ったかぁぁ」

 闇がらすが勝ち誇った声を上げます。

 ドラゴンは暗い地上に落ちて、完全に見えなくなりました。カラスはまた青年の姿に戻ると、ふん、と笑いました。

 

 すると、その背後からまた声がしました。

「誰が思い知ったってぇ? キミのことぉ?」

 のんびりした口調の中に鋭いとげがあります。カラスの青年は、ぎくりと振り向きました。

 夜の空の中に赤い長い上着を着た痩せた青年が立っていました。その姿は半ば透き通っていて、体の向こう側に星と雲が見えています。

 闇がらすは美しい顔をしかめて言いました。

「ファイヤードラゴンから離れたのかぁ。だが、おまえはただの幽霊だ。しかも悪霊にさえなっていない。そんなおまえに何ができるものかぁ」

 ランジュールはすぐには答えませんでした。空の中に立ったまま、両腕を組み、カラスの青年を見つめ続けています。その細い瞳が、やがて、笑うように細められました。

「ほぉんと。かわいいなぁ、このカァカァちゃんは」

 と楽しそうに言います。闇がらすは、むっとした顔になりました。

「幽霊の分際で闇の怪物にたてつくつもりかぁ。俺様に消滅させられたい――」

 突然、闇がらすの声が止まりました。空の中で目を白黒させながら、自分の咽に手を当てます。いきなり声が出せなくなったのです。

 ランジュールが細い右腕を伸ばして、カラスの青年に突きつけていました。細い目は、にやにやと楽しそうに笑い続けています。

「消滅させる? だぁれを?」

 とランジュールは歌うように言いました。

「ああ、わかったぁ。キミ自身のことだねぇ、カァカァちゃん。ふふふ、よぉくわかってるじゃない」

 ランジュールは魔獣使いです。魔法から生まれてきた生き物を、思いのままに操ることができます。闇の魔法から生み出された闇がらすも、ランジュールのその能力に逆らうことはできなかったのでした。

 ますます焦った顔で声を振り絞ろうとする青年に、ランジュールは言い続けました。

「無駄だよぉ、カァカァちゃん。キミはもうボクの術にすっかり落ちてるからねぇ。後はもう、ボクの言うことを聞くしかないんだよぉ」

 闇がらすが、かっとした表情に変わりました。声の出せない口を大きく開け、ランジュールにつかみかかろうとします。

 が、その腕はランジュールの体をすり抜けました。闇の生き物の闇がらすでも、幽霊の青年を捕まえることはできません。

 うふふふふ、とランジュールはますます楽しそうに笑いました。

「ほぉんと、かわいいカァカァちゃんだなぁ。本気でボクを消滅させられるなんて思ってたのぉ? ボクは最強の魔獣使いだよぉ。闇のカラスなんて、ちょろいちょろい。でもねぇ、キミ、魔獣としては弱いんだよねぇ。ボク、弱い魔獣は好きじゃないんだ。それに、キミ、ボクのことを侮辱したもんねぇ。だめだよ、ご主人様を怒らせちゃ。命がなくなっちゃうからねぇ――」

 ランジュールの瞳が、きらっと危険な光を放ちました。

 

 とたんに、闇がらすはいっそう顔色を変えました。自分の右手が意志に反して動き出したのです。必至で動きを止めようとするのに、じりじりと上がっていって、指を折り曲げます。つかみかかる形になった手の指には、鳥のかぎ爪のような、鋭い爪が生えています。

 黒髪に羽根の服の青年は、青ざめ、口をぱくぱくさせながらランジュールを見ました。うふん、とランジュールがまた笑います。

「なぁんにも聞こえないってのもつまらないね。しゃべってもいいよ、カァカァちゃん」

 そのとたん、青年の咽から声がほとばしりました。

「な、何をする気だ、おまえ!? 放せ――!」

「やだよぉ。生意気なカラスにはおしおきしなくっちゃね。そら!」

 ランジュールがちょっと指先を動かすと、カラスの青年は右手を自分自身の胸に突き立てました。鋭い爪のはえた手が、まるで粘土の中にめり込むように、体の中に入っていきます。黒い血がほとばしり、青年が悲鳴を上げて血を吐きます。

 と、その右手がまた外に出ました。手の中にびくびくと動く赤黒い塊を握りしめています。闇がらすの心臓でした。さすがは闇の怪物です。心臓を外につかみだしても、それでもまだ生きています。

 闇がらすは血に染まった顔でランジュールを見ました。美しく整った顔は恐怖に引きつっています。

「な――何をする気だ――何を――」

 うふふふ……とランジュールは笑いました。楽しそうな顔は、悪魔の笑顔そのものです。

「闇の怪物って普通なかなか死なないけどさぁ、面白いことに、同じ闇の怪物同士だと、ちゃぁんと殺されるんだよね。それって自分でも同じことだから、闇の怪物は自分で自分を殺せるんだよ――。さあ、生意気なカァカァちゃん。自分を殺すんだよぉ。手の中のものを握りつぶしちゃいな」

 カラスの青年は息を呑みました。夜の中でもはっきりわかるほど青ざめて叫びます。

「や――やめろ!」

 かぎ爪のついた手が次第に指を縮めていました。その中につかんでいるものを握りつぶそうとします。あわてて左手で右手を引きはがそうとしますが、右手はまったく言うことを聞きません。

「お――俺様を誰だと思ってる!? 天下の闇がらす様だぞ! その俺様にこんな――や、やめろ! やめろ! やめないかぁぁ――!」

 ぐしゃり、と音がして、カラスの青年は絶叫しました。その声がカァァァ――というカラスの声に変わり、青年が鳥の姿に戻ります。右足に、つぶれた赤い塊を握りしめています。

 悲鳴が止まりました。

 闇がらすは空の中で大きく傾くと、そのまま、夜の闇の中に吸い込まれていって、もう二度と姿を現しませんでした。

 

 ランジュールは細い腰に両手を当ててそれを見下ろしていましたが、やがて我に返ったようにあたりを見回すと、あーあ、と溜息をつきました。

「そらぁ、見てごらんよ。皇太子くんに逃げられちゃったじゃないさぁ。せっかく捕まえたファイちゃんもいなくなっちゃったし。これじゃあ、皇太子くんや勇者くんを殺せないよ。どうしてくれるのさぁ」

 もういなくなってしまった闇がらすに文句を言っても、返事はありません。ランジュールは肩をすくめました。

「しょうがない。また出直してくるとするか。その時まで、キミたちの命は預けておくからねぇ――」

 幽霊の青年はフルートやオリバンが飛び去った西の空へ投げキッスを贈ると、そのまま音もなく消えていきました。

 怪物のいなくなった暗い空には、ただ冷たい風が吹き続けているだけでした。

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