「光ノ障壁ヲ作ッタカ、ぽぽろ。今日ノ魔法ハ使イ切ッタノデハナカッタノカ?」
とデビルドラゴンが羽ばたきながら言いました。目の前にはバラ色の光の壁があります。その中央に、バラ色のドレスを着たポポロが立っていました。今にも泣き出しそうな顔をしていますが、それでもデビルドラゴンをにらみ続けています。
「あ――あたしは、一年間天空の国の塔で修業してきたの――!」
とポポロは震える声で答えました。
「あたしの力を絶対に闇に渡さないための訓練よ――。ここはおまえの創った世界。心がそのまま実体化する場所なんだもの。魔法なんか使わなくたって、心で強く念じれば、願うものは姿を現すわ――!」
「ナルホドナ」
と言って、闇の竜は笑い声を上げました。
「ダガ、コノ程度ノ壁デ私ヲ防ゲルト考エルトハ、愚カナモノダ。アノ王女ハ、オマエノ仲間デモナンデモナイノダゾ。オマエハ王女ノ家来デモナイ。オマエガ王女ニ尽クス理由ハナイノダ。ソンナ心ガ創ル壁ナド、ドレホドノチカラヲ持ツトイウノダ」
ところが、デビルドラゴンが壁を飛び越えようとすると、突然バラ色の光が伸びて、炎のようにドラゴンを包み込もうとしました。ドラゴンがあわてて後ずさります。いぶかしそうにポポロを見つめ直します。
「本当ニアノ王女ヲ救オウトシテイルノカ? アノ娘ハ、オマエノ恋敵デハナイカ。救エバ、オマエノ大切ナふるーとヲオマエカラ奪ウノダゾ」
光の中心でポポロは首を振りました。その顔色は真っ青です。
「フルートは……フルートは誰のものでもないわ!」
と震える声で言い続けます。
「最初から、あたしのものでもないんだもの! それなのにあたしから奪うなんてこと、できっこないわ!」
言いながら涙があふれてきました。どんなに自分のものだったらいいだろう、と思ってきたフルートの笑顔です。フルートは誰にでも親切だから、自分だけが特別なわけじゃない、とわかっているのに、フルートににっこりほほえまれると胸が高鳴りました。そのたびに、フルートはみんなの勇者なんだから、と自分自身に言い聞かせてきたのです。
フルートは、高い場所に一輪だけでりんと咲く花でした。その清らかな優しさで人々の心を照らし、平和と安らぎをもたらすのです。ポポロなど、どんなに手を伸ばしても届かない、高い場所にある存在でした。
「イワユル高嶺ノ花トイウモノダナ」
とデビルドラゴンがポポロの心を読んで言いました。面白がるような声でした。
「ソレナラバ、オマエモふるーとト同ジ場所マデ上ッテイケバ良イデハナイカ。オマエモ世界ニ類ヲ見ナイ素晴ラシイ魔法使イダ。ソノチカラニ見合ウ自分ニナレバ、金ノ石ノ勇者ニ見劣リシナクナルダロウ。強ク美シク輝カシイ魔法使イニナレバ良イノダ」
今度はデビルドラゴンは動きませんでした。同じ場所に留まって羽ばたいているだけです。
ポポロは、自分が誘いかけられているのを感じました。ソコカラ出テコイ、とデビルドラゴンが呼びかける声を心で聞きます。
ポポロはまた頭を振りました。赤い髪が、周りのバラ色の光を返していっそう赤く輝きます。
「だめよ!」
と叫びます。
「あたしの魔力はどうしようもなく強いわ! それがおまえのものになったら、絶対に世界中が不幸になる! 何十万、何百万って命が奪われてしまう! フルートたちだって、絶対にあたしに殺されてしまう――! そんなことは絶対にさせない!! 死んだってさせないのよ!!」
涙はとめどなくあふれ続けていました。ポポロが何より恐れているのは、自分自身が持つ魔力です。それが人々に害を及ぼすことです。それを防ぐためならば、本当に、自分自身が死んでもいいとさえ考えていました。
バラ色の光の壁は薄れることなく存在し続けていました。その中央で少女が顔をおおい、声を上げて泣いています。デビルドラゴンとの距離は少しも縮まりません。
ナルホドナ、とデビルドラゴンがまた言いました。
「ヤハリ、オマエモ勇者ノ仲間カ。自分ノ願望ノタメニハ動カナイノダナ。カトイッテ、肉体的ナ苦痛ヲ与エテモ、ヤハリ効果ガナイノハワカッテイル。本当ニ、金ノ石ノ勇者タチトハ、ヤッカイナ存在ダ」
何かを考えるような束の間の沈黙が流れました。闇の中に、ドラゴンの羽ばたきとポポロの嗚咽だけが聞こえます。
フルート……とポポロは泣きながら考えました。
お願い、フルート、逃げてちょうだい。デビルドラゴンが攻めてくる前に、みんなでロムド城に集結して戦うための守りを固めて。
あたしはデビルドラゴンのものなんかにはならないから。絶対に――殺されたって絶対に――魔王になんかならないから――。
すると、デビルドラゴンが何もない闇へ向かって呼びかけました。
「来イ!」
声に応えて、闇に一つの光景が現れます。
ポポロはどきりとして顔を上げました。手で顔をおおっていたのに、光景が見えたのです。
それは夜空を飛ぶフルートとオリバンの姿でした。二人を乗せているのは風の犬になったルルと白いペガサスです。彼らの周りに、無数の怪物たちが群がっていました。空飛ぶ闇の怪物です。夜の色の翼を打ち合わせ、牙や爪をむき出しにして、四方八方から彼らに襲いかかっています。
フルートの剣がひらめくと怪物の体が炎を吹き上げました。オリバンの剣が切り裂くと、鈴のような音がリーンと響き渡って、怪物が消滅していきます。けれども、怪物は切られても、消されても、次々と新たに襲いかかっていきます。それをルルが風の刃で切り裂き、ペガサスが翼の起こす風で追い返します――。
目を見張って闇の中の光景を見つめるポポロに、デビルドラゴンが言いました。
「ふるーとタチハ、コチラヘ向カッテイルトコロナノダ。ソノ前ニ闇ノ怪物タチガ立チフサガッテイル」
ポポロは息を呑みました。何故フルートたちがザカラス城を目ざしているのかわかったのです。
「だめ、フルート! 来ちゃだめ!!」
と闇に映った仲間たちに叫びます。けれども、向こうの声や物音は聞こえても、こちらにいるポポロの声はフルートたちには届かないようでした。
「闇ノ怪物タチハふるーとノ中ノ願イ石ヲ手ニ入レヨウトシテイル」
とデビルドラゴンはポポロと同じ光景を眺めながら言いました。ほんの少しの沈黙の後、こう続けます。
「怪物ノ数ガ足リナイナ」
ポポロは真っ青になりました。今でさえ、数え切れないほどの怪物がいるのです。倒しても倒しても、夜の空の中からわきだしてくるように、フルートたちに襲いかかっています。
デビルドラゴンがまた呼びかけました。
「闇ガラス!」
すると、光景の端にひとりの青年が姿を現しました。青年は夜空の中に浮かんでいました。その髪は夜よりもっと黒く、濡れたように光る黒い羽根の服を着ています。呼び声にぎょっとしたように振り返った顔は、意外なほど整っていて、入れ墨のような模様で彩られていました。
「ああ、驚いた。あんたか、デビルドラゴン」
と闇に映る夜空の中から、青年が答えました。人のことばを話しているのに、何故だか同時にカァカァというカラスの鳴き声が聞こえてくる気がします。
デビルドラゴンは青年に向かって言いました。
「モット怪物ヲ呼ビ集メロ。コレデハ勇者タチヲ殺スコトハデキナイゾ」
「ちぇぇ。俺様の楽しみをなくさないでほしいな。そんなことをしたら、金の石の勇者があっという間に食われちゃうじゃないか。これでも苦労してるんだぞ。あんまりあっけなく終わらないように、ぎりぎりの数を読んで呼び寄せているんだ」
「モット闇ノ怪物ヲ呼ベ」
とデビルドラゴンは繰り返しました。冷ややかな声です。
「残酷ニ殺セル奴ヲ集メルノダ。勇者ヲ生キナガラ引キ裂イテ、ソノ内臓ヲ引キ出シ、目ノ前で食ラワセロ。ココニイル娘ガ泣キ叫ンデ目ヲオオウヨウナ場面ヲ見セルノダ。デキルダケタクサンノ怪物ヲ呼ビ寄セロ」
「ちぇ。そっちはそっちでお楽しみ中なのかぁ?」
と黒い青年は口をとがらせました。空中で大きく両手を動かし始めます。
「逆らってもしょうがないかぁ。なにしろ、あんたは闇の権化。俺たちの総大将だからな。俺だって、まだ消されたくはない。ご命令には従いましょう。怪物をもっと連れてくりゃいいんだろう。呼んでくるさ。呼び集めるさぁ。――金の石の勇者はここだぁ! 願い石を持った勇者はここにいるぞ! しかも、金の石を持っていないぞ! 願い石をほしい奴は、今が勇者を食うチャンスだぞぉ! 早い者勝ち! 早い者勝ちだぁぁ! カァァァ――!!」
闇夜の中にカラスの鳴き声が響き渡り、青年の姿が一羽の黒い鳥に変わりました。濡れたような黒い翼を打ち合わせ、大声で呼びかけながら空の向こうへと飛んでいきます。
青ざめ、血の気を失ったポポロへ向かって、デビルドラゴンが言いました。
「聞イテノ通リダ。間モナク、数エ切レナイホドノ闇ノ怪物ガ、アソコヘ殺到スル。欲ニカラレタ連中ダ、止マルモノカ。奴ラハ、サラニ上ノ闇ノ命令ニシカ従ワナイノダ。――魔王ノ命令ニシカナ」
ポポロは思わず呼吸が止まりそうになりました。バラ色の光の中、両手で口をおおったまま、一歩二歩と後ずさってしまいます。
そんなポポロへ向かって、デビルドラゴンは言いました。
「闇ノ怪物ヲ止メラレルノハ、魔王ダケダ。ふるーとヲ助ケタケレバ、魔王ニナレ、ぽぽろ」
少女にささやきかけてくる闇の声は、ほくそ笑んでいるようでした――。