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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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80.夜空

 風の犬になったルルは、背中にフルートを乗せて空を飛び続けていました。一面雲におおわれた暗い空をひゅうひゅうと切り裂きながら、まっしぐらに西を目ざします。その彼方にはザカラス城があります。

 そうしながら、ルルはフルートに話していました。

「一年前にポポロが修業の塔に入ってから、天空王様がお父さんをお呼びになったことがあったのよ――」

 ポポロと姉妹のように育ったルルは、自分の本当の父親を知りません。ポポロのお父さんが自分の父親でした。

「私もお父さんたちの話を一緒に聞いているように、って言われたわ。とても大事なことだから、って――。ポポロは北の大地の戦いの時に、魔王に魔力を奪われたでしょう? そのせいで、北の大地が溶け出して、世界中を異常気象が襲ったんだけれど。天空王様はね、そのうちに魔王じゃなく、デビルドラゴン自身がポポロの力を狙うかもしれない、っておっしゃっていたのよ。ポポロを魔王にしようとするかもしれない、って」

 フルートはルルの背中で真っ青になりました。そんな! と声を上げてしまいます。ポポロはデビルドラゴンが潜むザカラス城にいます。だとすれば、ポポロは今頃――と考えてしまいます。

 ルルは猛スピードで空を飛びながら話し続けました。

「ポポロが一年間かけてしてきたのは、自分の魔力を敵に奪われないようにする修業よ。それは闇に抵抗する心を強める修業なんだ、って天空王様はおっしゃっていたわ。あの子、見た目は以前とあまり違わないと思うけど、中身は本当に変わったのよ。私たち、天空の者にはわかるの。だから、きっとザカラス城でも、あの子は一生懸命戦っているんだと思うんだけど――」

 ルルは、ふいに口をつぐみました。不安を感じているのが、フルートにもはっきり伝わってきます。しばらくの沈黙の後、犬の少女は今度は怒ったような口調で言いました。

「あの子、自信がなさ過ぎるのよ!」

 風の目が西の彼方を見ます。精一杯思いを伸ばせば、はるか遠くにポポロの存在を感じます。まだ無事でいることは、それでわかります。けれども、どんなに呼びかけても、ポポロから返事はありませんでした。まるで何かが間をさえぎっているように、ルルの声を跳ね返してしまうのです。デビルドラゴンに捕まったのに違いない、とルルは考えていました。

「あの子は前よりものすごく強くなってるのに――誰にも負けない力を持っているはずなのに! 全然それを信じられないでいるのよ! それじゃ、せっかくの修業も役に立たないわ! デビルドラゴンは本当に怖い怪物よ! 絶対に心の弱さを見逃さないんだもの! あの子、きっと追い詰められてる――デビルドラゴンに、魔王になれって迫られてるのよ! 闇の声に負けて、魔王になってしまうかもしれない――!」

 自分自身がデビルドラゴンの闇の声に負けて魔王になった経験のあるルルです。恐怖と不安と怒りで、全身を激しく震わせます。風の目から、青いものが散っていきます。涙です。

 

 フルートは両腕をいっぱいに伸ばして、ルルの首を抱きしめました。ルルは風の犬になっていますが、フルートの手には柔らかな毛並みも、暖かい体温も感じ取ることができます。

「大丈夫だよ、ルル」

 とフルートは静かに言いました。

「ポポロは確かにおとなしいし、とっても泣き虫だけれど、本当に大切なことだけは、いつだって絶対に忘れないんだ。自分が魔王になってしまったら、どんな恐ろしいことが起きるか、ポポロはちゃんと知ってる。ポポロはデビルドラゴンなんかに負けたりしないさ。それだけは確かなんだよ」

 ただ――とフルートは続けました。

「デビルドラゴンは、相手が自分の言うことを聞かないとわかると、今度は苦痛を与えることで相手を支配しようとする。それが危険なんだ。ポポロはきっと、デビルドラゴンに抵抗する。そのあまりに、あいつに殺されてしまうかもしれないんだよ――」

 フルートは唇をかみました。ルルも黙り込みます。二人は闇の声の戦いの際にデビルドラゴンに徹底的に抵抗して、もう少しで殺されそうになりました。その恐ろしさ、残酷さは身にしみてわかっているのです。

 ルルは精一杯飛び続けていました。それでもまだザカラス城は見えてきません。

 

 そこへ後ろから羽ばたきの音が聞こえてきました。ペガサスに乗ったオリバンが追いついてきたのです。

「フルート!」

 と呼びかけます。

「行く手に闇の気配が集まってきている! ペガサスがそう言っているぞ!」

「デビルドラゴンが私たちに気がついたの!?」

 とルルが振り向きました。ペガサスが青い瞳を光らせて答えます。

「違う。もっと小さな闇だ。だが、数が多い。抜けていくのに苦労するだろう」

 ペガサスは天空の国の聖なる馬です。闇の気配を敏感に感じ取ることができるのでした。

「闇の怪物たちだ……ぼくが金の石を手放したのに気がついたな」

 とフルートがつぶやきました。背中へ手を伸ばし、炎の剣を引き抜きます。

 オリバンも腰から聖なる剣を抜きました。怪物の姿を見極めようと、行く手へ目をこらしますが、ふと、並んで飛ぶフルートへ目を移しました。暗い夜の中、ペガサスが放つ光が、金の鎧兜の少年を淡く照らしています。その横顔は怖いほど真剣な表情を浮かべていました。

 

 オリバンはペガサスをルルに寄せて言いました。

「敵を全部自分で引き受ける顔をしているぞ、フルート。そんなに気負うな。ザカラス城にたどり着く前に疲れ果てるぞ」

「でも――!」

 とフルートは声を上げ、それ以上は続けられなくなってまた唇をかみました。行く手から迫る怪物たちは、フルートを狙ってきます。願い石を手に入れるために、フルートを食おうとしているのです。

 すると、オリバンが太い腕を伸ばして、フルートの頭を小突きました。

「だから、何でもひとりで引き受けようとするな、と言っているのだ。私もルルもいるのだぞ。おまえひとりで戦うわけではない」

「そうよ。それにペガサスだっているわ。天空の聖なる馬は、闇相手にはとても勇敢なのよ」

 とルルも言いました。同意するように、ブルルッと天馬が鼻を鳴らします。

 フルートはとまどった顔になると、ペガサスとオリバンを眺めました。厳しかった顔が、急に少女のような優しさに戻ってしまいます。

 ふん、とオリバンは笑いました。からかうようにフルートの頭を兜の上から押さえ込んで言います。

「まったく相変わらずな奴だな。メーレーンにもう少し頑張ってもらいたかったぞ。おかげで、おまえを本当の弟にしそこねた」

「あら、なにそれ、オリバン! ダメよ、そんなの! フルートをロムドの王族なんかにはさせないわ!」

 とルルが抗議の声を上げます。えっ、とフルートが真っ赤になります。

 オリバンは笑いながら答えました。

「わかっている。フルートの姫はメーレーンではなくポポロだ。姫君を救いに向かっているんだ。ザカラス城に着く前に力尽きたら、どうしようもないのだぞ、フルート」

 フルートは、ますます赤くなりました。何も言えなくなってしまいます。

「見えてきたぞ。闇の怪物の群れだ――」

 とペガサスが言いました。暗い行く手の空に、もっと暗い影が集まっていました。

 オリバンはうなずいて聖なる剣を構え直しました。

 フルートも炎の剣を握り直しました。ルルはためらうことなく怪物に向かって飛び続けます。

「よろしく――お願いします」

 風の中に言ったフルートのことばに、ルルが笑いました。

「やぁだ。フルートったら、ホントに水くさいんだから」

「まったくだ」

 とオリバンも笑います。

 迫り来る闇の敵に向かいながら、なんとなく照れたように顔を赤くしていたフルートでした。

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