ザカラス城の一室で、ポポロは立ちすくんでいました。目の前には、ザカラス王や魔法使いのジーヤ・ドゥがいます。ドゥがふれたとたん魔法が解けて、ポポロは元の姿に戻ってしまいました。そんなポポロを、王と魔法使いは驚くこともなく見つめています。最初からポポロが王女に変身しているのだとわかっていたのです。
すると、ザカラス王が言いました。
「そなたは強力な魔法が使えるらしいな、ポポロ。城の前庭でファイヤードラゴンや兵士たちを動けなくしたのは、そなたであろう。その小さななりでファイヤードラゴンを消滅させるとは驚くべきものだ。金の石の勇者を倒した後には、その力をザカラスに使ってもらおう」
ポポロは真っ青になりました。そんなこと死んでもいやです! と言い返そうとしますが、怖くて声が出ませんでした。ザカラス王の薄水色の瞳は、まるで氷のような冷ややかさです。これほど冷たいまなざしをした人を、ポポロは見たことがありませんでした。目の前にいるポポロを、思い通りにできる物か何かのように見下しています。
すると、魔法使いのジーヤ・ドゥが口を開きました。
「ポポロの懐柔は私めにお任せを。必ずや陛下の言うことを聞くようにいたしましょう。メーレーン王女は奪い返されましたが、この娘がいれば心配はございません。必ず金の石の勇者は助けにまいりますし、ロムド王もこの娘を見殺しにすることはできません。王女の代わりに、この娘を使えば良いだけのことなのです」
「よかろう。そなたに任せる、ドゥ。必ずかの山脈を我が国のものとするのだ」
と王は言って長椅子から立ち上がりました。太った体にまとった豪華な衣装が、重たい衣擦れ(きぬずれ)の音を立てます。そのまま部屋の出口に向かおうとしますが、ふと立ち止まると、魔法使いを振り返りました。
「そういえば、トゥーガリンはどうした。死んだか?」
ポポロは、はっとしました。トウガリも王たちに正体を見破られて捕まっているのだと気がつきます。
「まだ地下牢で生きております。動くことはできませんが」
とジーヤ・ドゥが答えました。王は不機嫌な顔になりました。
「この娘が手に入ったのなら、もうあれに用はない。さっさと始末しろ」
「おことばですが陛下――」
とジーヤ・ドゥは落ち着き払って言いました。
「あの男も生かしておいて損はございません。金の石の勇者は、この娘だけでなく、必ずあの男も助け出そうとしますので」
「間者をか? 何故そんなものを」
ザカラス王は本当に不思議がっていました。それを聞いたとたん、ポポロは改めて、この王の冷酷さを思い知りました。王にとって家臣は人ではありません。自分のために働く道具にすぎないのです。役に立たなくなった道具を処分するように、不要になった人々を切り捨てててきたし、これからもそうしていくのだ、とはっきり感じます。
そんな王に魔法使いはうやうやしく頭を下げました。
「金の石の勇者とは、そういう男でございます。とにかく、トゥーガリンに関しても、この私めにお任せを。生かしておいて役に立つ場面もございましょう」
ふん、と王は鼻を鳴らしました。不機嫌そうなままでしたが、それ以上は何も言わずに部屋を出て行きました。
扉が閉まり、王の足音が遠ざかっていくと、ジーヤ・ドゥは、にやりと笑いました。
「愚か者の王よ。ジタン山脈の魔金がザカラスを破滅に追い込むとは考えもせんのだからな。勝手にザカラスと心中するがいい」
手のひらを返したように主君をあざける魔法使いを、ポポロはびっくりして眺めてしまいました。
すると、ジーヤ・ドゥはポポロに向き直りました。王の前では隠していた野心的な目で、ポポロをじろじろと見回します。
「まったく、不思議な娘だな。こうしていると、魔法の気配がまったくないではないか。ただの普通の娘にしか見えないのに――」
すると、他には誰もいないはずの部屋に、突然返事をする声が響きました。
「ダガ、ぽぽろノ中ニハ絶大ナ魔力ガ眠ッテイルノダ。ソレガ二回ノ魔法ノ中ニ凝縮サレル。破壊的ナホド強力ナ魔法ガ発動サレルノハ、ソノタメダ」
足下の床からわき上がってくるような声です。ポポロは、ぞおっと身の毛のよだつような恐怖に襲われました。この声――この気配は――
「デビルドラゴン!!」
思わず悲鳴のように叫ぶと、何もなかった空間に黒い影がわき起こりました。寄り集まるように形をとり、四枚の翼を持ったドラゴンに変わります。
けれども、それは意外なほど小さな姿でした。大きな蛾か小鳥程度の大きさしかありません。実体のない影の竜です。そして、何故か両方の前足が、途中から断ち切れたように失われていました。
空中で羽ばたきながら、デビルドラゴンが言いました。
「私ガ小サイノデ驚イテイルノカ、ぽぽろ。オマエノ光ノ魔法デ身ヲ焼カレタカラナ。ダガ、ソレデモ私ヲ消滅サセルコトハデキナイノダ。我ハ闇。我ハ悪。コノ世ニ悪シキ想イガアルカギリ、我モマタ存在シ続ケルノダカラ」
ポポロは首を振りました。そんなことはありません。確かに、デビルドラゴンは人の悪意の中から生まれてくる怪物ですが、だからといって、決して倒せない存在ではないのです。例えば、フルートと金の石が共に願い石に願えば、デビルドラゴンはこの世から消え去っていきます――。
ポポロは急に胸が詰まるような想いに襲われました。何も言えなくなって、ドレスの上にはおったコートを握りしめてしまいます。それは夢見るようなバラ色をしていました。
デビルドラゴンが笑うように言いました。
「ソウ、私ヲ倒セルモノハ、タダ一ツ。恐レルノハ、勇者ト金ノ石ガ心合ワセテ願イ石ニ願ウコトダケダ。ダカラ、ソレニ対抗デキル『チカラ』ヲ手ニ入レル。勇者ヲ倒シ、願イ石ヲ打チ砕クコトガデキル魔力ノ持チ主ニ宿リ、最強ノ魔王ヲ生ミ出シテ、コノ世ヲ生キ地獄ニ変エルノダ」
ポポロは思わずジーヤ・ドゥを見ました。黒い衣の初老の男は、野心的な目のままで薄笑いを続けています……。
すると、ジーヤ・ドゥが言いました。
「魔王になるのは、わしではない。わしは魔王の主となり、大陸の――いや、世界の帝王となるのだ。そのためにデビルドラゴンと契約したのだからな」
言いながら、魔法使いは笑い出しました。低い含み笑いです。
「長年、ザカラス王の命令に従いながら、いつかこの時がやってくるのを待ち続けていた。人々が恐怖と畏敬を持って我が名を口にする、そんな世界を実現する時をな。わしは世界で最も偉大な魔法使いになるのだ。人々をうち従えた後は、天空王も海の王も闇の王も、ことごとくわしに従わせてみせよう。魔王さえ我がものになれば、それも夢ではなくなるのだ」
ポポロは、ますますことばを失いました。これまで何度も魔王と戦ってきたポポロには、魔王がそんな生やさしいものではないことがわかっています。けれども、このジーヤ・ドゥは本気で魔王を自分のものにできると考えているのです。自分の命令に従い、自分を世界の覇王にしてくれる下僕にできると……。
ジーヤ・ドゥは笑い続けていました。羽ばたきを繰り返すデビルドラゴンを、鳥のように肩の上に浮かべながら、ポポロに迫ってきます。
「わかったな、天空の国の魔法使いよ。わしを覇王にしろ。デビルドラゴンの依り代(よりしろ)になるのだ――」
ポポロはいっぱいに目を見開きました。思わず大きく後ずさります。
そこにさらに迫ってきたのは黒い影の竜でした。地の底から響く声で言います。
「我ノ知ル限リ、オマエハ最強ノ魔法使いダ、ぽぽろ。魔王ニサエ、ソノチカラヲ操ルコトハデキナカッタ。ソレナラバ、オマエ自身ヲ魔王ニ変エレバ良イ。オマエナラバ世界ヲ蹂躙(じゅうりん)スルコトガデキルシ、金ノ石ノ勇者ヲ無抵抗ノママニ殺スコトモデキル。ふるーとニハ、オマエヲ傷ツケルコトガデキナイノダカラナ」
ポポロは真っ青になりました。身をひるがえしてその場から逃げだそうとします。が、ポポロはすぐに奥の壁に突き当たってしまいました。部屋に一つしかない出入り口は、ジーヤ・ドゥとデビルドラゴンの向こう側です。
デビルドラゴンの小さな体がほどけ始めました。竜の形から暗闇になって、ポポロの目の前に広がります。その闇の奥で、赤く光る二つの目が開きました。
デビルドラゴンの声が言いました。
「我ヲ受ケ入レロ、ぽぽろ。オマエヲ魔王ニ変エテヤロウ――」
ジーヤ・ドゥは満足げに部屋の中を見ていました。
ポポロは目を見張ったまま、壁に張り付くようにして動かなくなっています。その前からデビルドラゴンの姿はもう消えていました。闇の竜はポポロの意識の世界へ飛んでいったのです。
ジーヤ・ドゥが少女に話しかけました。
「これほどうまくことが運ぶとは思わなかったぞ、ポポロ。メーレーン王女を誘拐すれば、必ず金の石の勇者が動くし、おまえも同行してくると思ったが、王女を見事におまえたちに奪われて、もう一度トゥーガリンを餌にやり直すつもりだったのだ。ところが、おまえは王女に化けて自分から城に戻ってきた。まったく、手間が省けたとはこのことだ」
けれども、ポポロは何も返事をしませんでした。身動き一つしません。バラ色のドレスとコートを身にまとった姿で、宙を見つめ続けています。
ジーヤ・ドゥはほくそ笑みました。ここは魔法を無効化する特別な部屋です。たとえポポロが我を取り戻して魔法で脱出しようとしても、魔法で部屋を破ることはできません。
「早く魔王に変わるがいい」
笑い声とポポロを残して、魔法使いは部屋を出て行きました――。