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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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77.二手

 突然ペンダントから現れた少年は、驚く人々の目の前で立ち上がり、冷ややかな声で言いました。

「何を考えているんだ、フルート。ぼくなしでデビルドラゴンに対抗できると思っているのか?」

「金の石の……精霊ですか……」

 とユギルは信じられないようにつぶやきました。精霊を見たのは初めてだったのです。メーレーン王女も、突然現れた小さな少年に、びっくりして目を丸くしています。

 けれども、精霊は周りを無視して、フルートだけに話していました。

「病気のラヴィア夫人を助けたい君の気持ちはわかる。でも、ぼくを連れずにザカラス城に向かうのは、あまりにも無謀だ。あそこで待っているのはデビルドラゴンだぞ。それに、君は闇の怪物たちからも狙われている。ぼくがいなかったら、とてもザカラス城までたどり着けない」

「それでも行くさ」

 とフルートは静かに答えました。

「どんなに困難に見えたってたどり着いてみせる。だから、君はユギルさんやオリバンたちと一緒にディーラに行って、ラヴィア夫人を助けてあげてくれ。頼むよ――」

「断る。大砂漠やシェンラン山脈でどんな目にあったか忘れたのか? 怪物たちが君を食おうといっせいに襲ってくるぞ。君から離れるわけにはいかない」

 精霊の声は冷静です。フルートは声を強めました。

「お願いだよ、精霊。ラヴィア夫人を助けてくれ」

「嫌だ」

 精霊は頑として受け付けません。

 フルートはにらみつける目になりました。つい命令口調になります。

「ロムドへ行け、金の石! ラヴィア夫人を治すんだ!」

 とたんに、精霊の少年は顔つきを変えました。鋭く言い返します。

「誰も石に命じることはできない! 君がどうしてもぼくを手放すと言うなら、ぼくはもう眠りにつくぞ! ぼくは勇者と世界を守る石だ。それ以外の役目は負っていないんだ!」

「精霊――!」

 

 まったく譲り合わないフルートと精霊のやりとりを、ゼンがそばで見ていました。やれやれ、とつぶやくと、おもむろに近づいていって、二人の足下に落ちていた金のペンダントを拾い上げてしまいます。

「何をする!?」

 と精霊が今度はゼンをにらみました。ゼンは、ちょっと肩をすくめ返しました。

「俺が運んでやるよ、金の石。まずディーラのラヴィア夫人のところまで。で、夫人が治ったら、すぐにフルートのところに。おまえ、本当に自分がフルートのところに戻れるかどうかわからないから嫌なんだろう? 俺が責任もって連れてってやるって」

「ゼン――」

 フルートは親友を見つめてしまいました。

 精霊の少年が反論を続けます。

「それだけじゃない。フルートは闇の怪物たちからも狙われているんだぞ。ものすごい数がいる。ぼくもなしに、どうやって切り抜けるつもりだ」

「私がフルートと一緒に行こう」

 と口を開いたのはオリバンでした。

「私は聖なる剣を持っている。これでフルートを闇の敵から守ってやる」

 お兄様!? とメーレーン王女が驚きました。真っ青になっています。

 そんな妹の両肩に手を置いて、オリバンはかがみ込みました。オリバンは大柄で長身、メーレーンのほうはとても小柄だったので、そうしなければ顔をのぞき込むことができなかったのです。

「私はフルートと共にザカラス城へ行く。メーレーンはユギルたちと一緒にロムド城に戻るんだ。そして、父上にこのことをお話ししろ。ザカラス城に巣くっていたのは、闇の権化のデビルドラゴンだった、とな――」

 王女は両手で口をおおってしまいました。声も出せなくなって、ただ兄やフルートを見つめてしまいます。紺色の侍女のドレスを着ているせいか、王女の姿は何故かポポロに似ているように見えました。

 

「おまえらはどうする?」

 とゼンはメールとポチに尋ねました。ひとりと一匹はまだペガサスの背中に乗っています。

 メールが即答しました。

「あたいも一緒に一度ロムドへ行くよ。ルルの上にフルートとあたいがのったら、重くて遅くなるもんね。あたいはロムド城の花で花鳥を作らせてもらう。それでザカラス城に飛ぶよ」

「ワン、ぼくもロムド城に行きます。そして、ピランさんに首輪を見てもらいます。ピランさんは魔石の鍛冶屋だから、風の首輪を直せるかもしれません――」

 とポチも言います。彼らは、今の自分たちに戦闘能力がほとんどないことを承知していたのです。

「よし。それじゃ行くぞ、金の石!」

 と言いながらゼンはペンダントを自分の首にかけ、またペガサスに飛び乗りました。

 精霊の少年がフルートの前から叫びます。

「勝手に決めるな、ゼン!」

「ばぁか。おまえもフルートの石なら、こいつの性格はわかってんだろ?」

 とゼンが言い返しました。

「こいつはどんなことをしたっておまえをディーラに行かせるぞ。石より頑固なヤツなんだからな。ポポロたちが危ねえんだ。こんなことでぐずぐずしてられるか。ペガサスはディーラから一時間でここまで飛んできたって言ってたよな? 往復とラヴィア夫人を助ける時間で、二時間半――いや、三時間だ。三時間持ちこたえろ、フルート。そしたら、俺たちが金の石と一緒に駆けつけてやる」

「あたいも花たちを連れて行くからね!」

 とメールが言い添え、ワンワン、とポチも吠えます。

 フルートは笑いました。泣き笑いの顔です。仲間たちの顔を見つめながら、はっきりと言います。

「わかった。先に行くよ」

 ふいっと金の石の精霊が顔をそむけました。何も言わずに姿を消してしまいます。ゼンは小さく笑って自分の胸の上を見ました。ペンダントの先で金の石が揺れながら光っています。

「心配すんなって。必ず間に合ってみせるからよ」

 とゼンが石に話しかけると、ふん、とすねた声が聞こえたような気がしました――。

 

 一同は二手に分かれました。ユギルとメーレーン王女、ゼン、メール、ポチはロムド城のあるディーラへ、フルートとルルとオリバンはザカラス城のあるザカリアへと、それぞれ正反対の方向へ向かうのです。

 すると、メーレーン王女がふいにユギルの隣から飛び出しました。また風の犬のルルに乗ろうとしていたフルートに駆け寄り、後ろから腕にしがみつきます。

「行かないでください、フルート!」

 と王女は叫びました。

「ザカラス城にはデビルドラゴンという怪物がいるのでしょう? 途中にも、怪物がたくさん出てきますのでしょう? メーレーンやポポロを襲ったような、怖い怪物が……! いけませんわ、勇者様。危険です! 一度ロムド城にまいりましょう! メーレーンは、お父様にお願いして、強い軍隊を出していただきますわ! お願いです、勇者様、そういたしましょう!」

 フルートはびっくりして王女を振り返りました。他の者たちも驚いて見つめてしまいます。王女は必死でした。今にも泣き出しそうな顔で、懸命にフルートを引き止めようとしています。その姿はなんだか本当にポポロによく似て見えました――。

 フルートは王女にほほえんで見せました。優しい笑顔が広がります。王女が、ほっとした表情になると、フルートは静かに言いました。

「それはできません、王女様。たとえロムド軍でも、デビルドラゴンにはかないません。ぼくたちしか奴とは戦えないんです。それに、時間もありません。早く助けに行かないと」

 王女は真っ青になりました。フルートの腕にいっそう強くしがみつきながら尋ねます。

「そんなに――そんなにポポロが大切なのですか? ポポロを助けに行きたいのですか? ものすごい危険が待っているとわかっているのに――!?」

「メーレーン」

 とオリバンがたしなめました。あまりにぶしつけな質問をする妹をフルートから引き離そうと手を伸ばします。

 すると、フルートは笑顔のままで答えました。

「そうです、王女様。とても大切です。――ぼく自身の命よりも」

 一同は、はっとしました。

 フルートの声は本当に穏やかです。その穏やかさの中に、強い強い想いがありました。

 

 メーレーン王女はうつむきました。足下の地面を見つめ、やがてそっとフルートの腕から手を放して、代わりにドレスを握りしめます。

「わかっていました……。フルートは、ポポロがお好きなのですよね……。本当に、とても大切に想ってらっしゃるのですよね……」

 オリバンは妹を見つめました。かけてやることばが思いつきません。

 フルートも何も言いませんでした。ただ優しい目で王女を見ていましたが、王女が顔を上げると、黙ってうなずき返しました。

 メーレーン王女は一瞬目を細めました。次の瞬間には、わっと泣き出すだろうと、見ている誰もが考えました。

 けれども、王女はフルートを見つめ直すと、にっこりと笑って見せました。かわいらしい笑顔が広がります。そうして、王女は言いました。

「わかりました。メーレーンは勇者様をあきらめます。ポポロを助けてあげてくださいね。絶対に、助け出してくださいね。トウガリも……。お願いですわ」

 人々は何も言えませんでした。王女はほほえみ続けています。相変わらず無邪気なほどに見える明るい笑顔ですが、その瞳だけは、深い悲しみの色を浮かべていました。それでも、王女はフルートに笑いかけていました。

 フルートも、にっこりと笑い返しました。

「必ず――。ありがとうございます、王女様」

「ご武運をお祈りしてますわ」

 とメーレーン王女が言います。

 フルートはまたうなずき、黙ってその様子を見ていたルルに飛び乗りました。一言、はっきりと言います。

「行こう、ルル! ポポロたちのところへ!」

 ごうっと音を立てて風の犬が空に舞い上がりました。背中に乗せた金の鎧の少年と共に、たちまち空を遠ざかっていきます。

 

「メーレーン」

 とオリバンが声をかけました。

 兄を見た王女から笑顔が消えました。たちまちその顔が歪み、大粒の涙をこぼし始めます。

「お兄様ぁ……」

 胸の中に飛び込んで泣きじゃくる妹を、オリバンは抱きしめました。

「いい子だ、メーレーン。本当にいい子だ――」

 

 けれども、王女でさえ、ゆっくりと失恋の悲嘆にひたっている時間はありませんでした。事態は一刻を争うのです。

 オリバンはメーレーン王女をユギルの手に渡すと言いました。

「では、私も行く。メーレーンを頼むぞ」

「オリバンも気をつけて」

「フルートを頼む。あいつ、絶対無茶するからな」

 とメールとゼンが口々に言います。

 オリバンを乗せたペガサスが空に舞い上がりました。その白い姿も、フルートとルルの後を追ってたちまち見えなくなっていきます。

「わたくしたちも急ぎましょう」

 とユギルは言い、自分の乗ってきたペガサスの上へ、メーレーン王女と共に乗りました。いつもならペガサスに驚いて大喜びしそうな王女でしたが、さすがにこのときには何も言わずに、ただ涙をこぼし続けていました。

 そんな王女をオリバンに代わって優しく腕に抱えながら、ユギルは言いました。

「ディーラへ!」

 二頭のペガサスが大きな翼を広げました。次の瞬間、彼らも空の上を駆けていました。

 暗い夜空をペガサスは飛びます。勇者の子どもたちと占者と王女を乗せて。先にザカラス城を目ざした仲間たちを案じながら、東のロムド城目ざして、ひたすらに急ぎます。

 暗く曇った夜の空は、見通すことのできない闇が渦巻いているようでした――。

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