「メーレーン!!」
オリバンはペガサスが林の中に舞い降りるなり、背中から飛び降りて妹に駆け寄りました。たくましい腕の中に紺色のドレス姿の王女を抱きしめてしまいます。
「お兄様! お兄様!!」
メーレーン王女のほうもオリバンに抱きついていました。輝く笑顔で兄を見上げます。
「来てくださったのですね、お兄様! メーレーンはとっても嬉しいですわ!」
「無事でいたな! 本当に良かった」
とオリバンがますます堅く抱きしめたので、王女は兄の頬に自分の頬を押し当てて本当に嬉しそうに笑いました。すると、オリバンの後ろに降り立ったユギルが目に入りました。
「ユギルも来てくれたのですね。ありがとう。メーレーンは幸せです」
にっこりほほえんで礼を言う王女に、ユギルはいつもの穏やかさでほほえみ返しました。
「身に余るおことばです、王女様。ご無事で本当になによりでした」
「オリバン……ユギルさんも……どうしたんですか、これは?」
フルートが目を丸くしながら尋ねました。ゼンやメールや犬たちも、二人の青年と翼をたたんだ三頭のペガサスを、驚いた顔で眺めていました。
「天空王の力添えを受けたのだ。ペガサスがおまえたちの元へ運んでくれた。わずか一時間でここまで飛んできたぞ」
「天空王が!」
勇者の子どもたちはいっせいに驚きました。闇と戦う彼らをいつも見守り、力を貸してくれる正義の王です。どの子どもたちの胸も、たちまち感謝の気持ちでいっぱいになります。――世界の平和を守っているのだから天空王が助けてくれて当然だ、とはまったく考えない勇者たちでした。
すると、ユギルが言いました。
「ザカラス城で嫌な気配がうごめいております。皆様方、相乗りになりますが、ペガサスにお乗りください。急ぎロムド城に戻り、対策を練ることにいたしましょう」
暗い林の中、淡く輝くペガサスの光を返して、占者の長い髪も淡い銀色に光っています。
とたんに、メーレーン王女がオリバンの胸から体を引き離すようにして言いました。
「そうですわ! トウガリから伝言がありました! ジーヤ・ドゥという悪い魔法使いが、ザカラス城を乗っ取ろうと企んでいるそうです! 早くお父様にお知らせして、ザカラスのおじいさまをお救いに上がらなくては!」
いや、それは……と勇者たちの子どもたちは思わず口々に言いました。悪い魔法使いが云々という話は、自分が誘拐されているとまったく気がつかずにいる王女をザカラス城から逃亡させるために、トウガリが使った方便なのです。
ところが、ユギルは考え深い顔で言いました。
「トウガリ殿が……。では、それは事実かもしれません。トウガリ殿の情報は、いつも非常に正確なのです。本当に何かつかんでおられたのかもしれません。それで、トウガリ殿はどちらに?」
「ザカラス城には謎の間者がいるんです。その正体がわからないから確かめる、と言ってザカラス城に残りました」
とフルートは答えました。道化の格好をしながら、王妃を守るために二重間者として働いていたトウガリ――その安否を思って、気がかりな顔になっています。
すると、ユギルとオリバンが同時に顔色を変えました。
「ザカラス城に残った!? 馬鹿な!」
とオリバンはどなり、勇者の一行を見回して、やっとその人数が一名足りないことに気がつきました。
「ポポロもいないではないか! どこにいるのだ!?」
責める口調に、仲間たちは思わず返事ができなくなりました。代わりに王女が答えました。
「ポポロはメーレーンを逃がすためにザカラス城へ戻りました。魔法を使ってメーレーンに化けたのです。本当にそっくりでしたわ」
とたんに、二人の青年は絶句しました。その様子にフルートは突然不吉な予感に襲われ、思わずオリバンに飛びつきました。
「なんです!? ザカラス城に何かあるんですか!?」
自分よりはるかに背が高いオリバンですが、そのマントの襟元にしがみつくようにして尋ねます。
オリバンは深い灰色の瞳でフルートを見返しました。
「ザカラス王の陰には、おまえたちを亡きものにしようと考える魔法使いがいる」
ジーヤ・ドゥってヤツか、とゼンが口をはさみましたが、オリバンはそちらを見ようともしませんでした。いっそう深刻な表情を浮かべながら、こう続けます。
「だが、その魔法使いの後ろには、さらに大きな黒幕がいるのだ。占いで探りだそうとしたユギルを、そいつが捕まえかけた。――天空王が、その正体を教えてくれた。ザカラス城に潜んでいるのは、デビルドラゴンだ」
フルートはまったく声が出せなくなりました。ただ呆然とオリバンを見つめ返してしまいます。他の仲間たちも愕然とした顔をしています。その中でも真っ先に我に返って声を上げたのは、ゼンでした。
「ど――どういうことだよ!? 魔女のレィミ・ノワールがハルマスで敗れたときに、デビルドラゴンは逃げていったはずじゃねえか! ポポロの光の魔法に追い払われてよ!」
「こんなに早く魔王が復活してくるなんて、今までなかったじゃないのさ!」
とメールもわめきます。
ポチが、信じられないように言いました。
「ワン、オリバン、フルートの金の石は今まで一度もそんなことは言いませんでしたよ。デビルドラゴンが誰かに取り憑いて魔王になれば、金の石は必ず感じ取って、鈴みたいな音でフルートを呼ぶはずなのに……。何かの間違いじゃないんですか?」
すると、ユギルがそれに答えました。
「デビルドラゴンは誰かに取り憑いていたわけではないのです。わたくしの占いに現れた魔法使いは、トウガリ殿も言っていたように、おそらくジーヤ・ドゥでしょう。デビルドラゴンはその者に取り憑くのではなく、ただ力を貸し続けていたのです」
それに続けるように、オリバンも言いました。
「天空王の話と、さまざまなことを考え合わせると、こうだ。黄泉の門の戦いのとき、ハルマスでの決戦でポポロの光の魔法を浴びて、デビルドラゴンはレィミ・ノワールから離れていった。魔王から人間に戻った魔女は、シェンラン山脈でフルートたちに倒された。だが、その間、デビルドラゴンのほうはザカラス城に飛び、そこで魔法使いのジーヤ・ドゥと接触して、力を貸す契約を結んだのだ。ザカラス王に取り入るようなふりをしているが、本当の目的は違う。デビルドラゴンは、我々に逆襲しようとしているのだ――」
「トウガリ殿の言う謎の間者とは、デビルドラゴンのことでしょう」
とユギルがさらに続けました。
「だから、わたくしやロムド城の他の占者たちがこぞって占いの力を失っていたことも、四大魔法使いが城の守りから離れていたこともわかっていたのです。その隙をついてザカラス王に王女様を誘拐させ、殿下や勇者殿たちをザカラスへおびき寄せようとしたのです」
二人の青年のそばで、メーレーン王女はただただ目を見張っていました。兄たちのただならない様子はわかるのですが、話が込み入っていて、今まで何も知らずにいた王女には理解しきれなかったのです。祖父のザカラス王が悪者のように言われていることにすっかり驚いて、何も言えなくなっています。
「じゃ……それじゃ、ポポロは……」
とフルートは真っ青になりました。ルルが突然悲鳴を上げて飛び跳ねます。
「無理よ! いくら修業を積んできたって――相手がデビルドラゴンだなんて――そんな!!」
泣き叫ぶような声でした。
全員はいっせいにザカラス城のある方角を振り向きました。空は一面の雲におおわれ、夜の中には星明かり一つ見当たりません。暗い暗い夜でした――。
コウモリのような翼と牛の鳴き声の空飛ぶ馬は、ザカラス城の中庭に降り立ちました。そのまま馬車を引いて走り、城の裏口の前に停まります。
馬車の扉が開き、中隊長が先に降り立ちました。バラ色のドレスの少女が下りるのに手を貸します。プラチナブロンドの髪に灰色の瞳の姿は、メーレーン王女そのものですが、その正体はポポロです。ザカラス城に戻ってくると、なんだか背筋が寒くなるほど怖いような気がしましたが、正体を見破られないために、できるだけ明るく屈託のない様子で立ち続けます。
すると、城の中から男がひとり出てきて、ポポロに向かって言いました。
「遠足は楽しゅうございましたか、王女様……。陛下がたいそうご心配です。おいたはあまり感心しませんな」
魔法使いを表す黒い衣を着た、痩せた初老の男です。目に野心的な光を鋭く宿し、頭には一本の髪の毛もありません。魔法使いのジーヤ・ドゥでした。
「ごめんなさい」
ポポロはできるだけメーレーン王女らしく聞こえるように返事をして、魔法使いについて歩き出しました。
すると、すぐに魔法使いが振り向きました。
「おまえはもう良い。下がれ」
命じられたのは中隊長でした。魔法使いに取り入るために、どこまでもついていくつもりでいた男は、ぐっと詰まった顔になり、悔しそうにその場に残りました。ジーヤ・ドゥだけが、ポポロを連れて城に入り、長い廊下を渡り歩いていきます――。
やがて、二人は一つの扉の前にたどり着きました。なんの変哲もない普通の扉です。ところが、その前でポポロは足がすくんでしまいました。また、得体の知れない寒気が背筋を走り抜けていきます。ふいにこの場所から走って逃げ出したくなって、それを抑えるのに苦労します。
「どうぞ、王女様――」
とジーヤ・ドゥが扉を開けました。入るしかありません。ポポロは今、メーレーン王女なのです。
バラ色のドレスの裾を握り、おびえている様子を見破られないように必死で顔を上げながら、ポポロは入り口をくぐりました。
そこはごく普通の部屋でした。テーブルがあり、椅子があり、絵や彫刻が飾られています。
長椅子に老人が座っていました。雪のように白い髪とひげをして、恰幅のよい体に豪華な衣装をまとい、金と宝石でできた冠をかぶっています。ザカラス王でした。
ポポロは、ザカラス王に会ったら即座に駆け出し、その首に抱きつくつもりでいました。「ご心配おかけしてごめんなさい、おじいさま! でも、メーレーンはどうしても勇者の皆様方とご一緒したかったんですの」と、本物のメーレーン王女が言いそうなことばも準備していました。
ところが、王の前に立ち、王の薄水色の目で見つめられたとたん、ポポロは何もできなくなってしまいました。怖くて怖くてたまらなくなって、本当に声一つ出せなくなります。全身が震え出すのを、どうしても止めることができません――。
すると、王が冷ややかに少女を見つめてきました。そのまなざしには、これっぽっちの優しさも暖かみもありません。同じくらい冷酷に響く声で、こう言います。
「よく戻ってきた。待ちかねたぞ」
すると、突然ジーヤ・ドゥが、ぽん、とポポロの肩に手を載せてきました。ぎょっとするポポロに、にやりと笑って見せます。
「さあ、元の姿にお戻りを、王女様――いや、天空の国の魔法使い殿」
ポポロの全身から、たちまち魔法の力が消え始めました。プラチナブロンドの髪が鮮やかな赤毛に、灰色の瞳が宝石のような緑の瞳に、無邪気で明るい表情が、自信のなさそうなおびえた表情に変わっていきます。バラ色のドレスやコートはそのままです。けれども、ポポロはロムド国の王女から、元の自分の姿に戻ってしまっていました。
目の前に立つ赤毛の少女を見て、ザカラス王はにこりともせずに言いました。
「ようこそ、天空の国の魔法使い、ポポロ。ザカラスのために、そなたに役に立ってもらうぞ」
その声は、まるで氷のように冷たく少女の心臓にふれてきました――。