丘陵地につらなる山の中を、フルートたちは王女を連れて歩き続けていました。
そろそろ日暮れが近づいていました。雪のやんだ空はまだ曇っていて、林の中もかなり暗くなってきています。足下も見えにくくなっていましたが、それでも一行は足を止めようとしませんでした。ザカラス兵が後ろの山まで来ているのです。後を追ってくる可能性があるので、行ける限り先へ逃げたかったのです。
一行は極端にことば少なくなっていました。先頭をゼンとメールが黙々と歩き、その後ろをフルートと王女が進み、最後をポチとルルの二匹の犬たちがついていきます。ときどき足場が悪くなるとフルートが王女に手を貸しますが、そこを過ぎると、また手を放して前に向き直ってしまいます。そのたびに、メーレーン王女はしゅんとした顔になっていました。
ポポロと交換した紺色の侍女のドレスは、小柄な王女に意外なほどよく似合っています。その姿でしょげる王女は、今までよりもっと頼りなく、慎ましく見えましたが、それでもフルートが王女を振り返って見つめることはありませんでした。
そんな二人の様子にメールが肩をすくめ、並んで歩くゼンにそっと話しかけました。
「フルートも極端だよね。いくら今まで王女様の気持ちに気がついてなかったからって、あそこまで露骨に態度を変えることないだろうにさ」
ゼンは、じろりとメールを見ました。
「おまえ、王女とポポロのどっちの味方なんだよ?」
「そりゃもちろん――。でもさぁ、あの王女様もなんか憎めないんだよね。ホントにかわいいんだもん」
メールは意外と姉御肌な性格です。小さくて頼りないメーレーン王女に、ポポロと同じようなかわいらしさを感じてしまっているのでした。
すると、ゼンはぶっきらぼうに言いました。
「フルートは王女を避けてるんじゃねえよ。頭ん中ポポロのことでいっぱいで、それ以外のことを考えてる余裕がねえんだ。あいつ、よくあそこでポポロを残らせたと思うぞ。絶対に無理やりにでも一緒に引っ張っていくかと思ったのに」
メールは思わずまた肩をすくめてしまいました。
「そんなに大切に想ってるんなら、それをちゃんと伝えればいいんだよ。そこんとこを言わないから、ポポロはずっと泣いてたし、王女様だって変な期待をしちゃったんだ」
「そう言うなって……あいつだってつらいところなんだからよ」
「どこが。あたいから見れば、フルートは優柔不断もいいとこさ。いくら優しいからって、それで女の子たちを泣かせるようじゃ、どうしようもないじゃないか」
メールの口調は辛辣です。ゼンは、またじろっとにらみつけました。
「そう言うおまえはどうだったんだよ?」
と聞き返します。
「おまえが俺を好きでいてくれたなんて、金の石の精霊に教えられるまで、俺はずっと全然知らずにいたんだぞ。そんなこと、おまえはひとことだって俺に言わなかったからな」
話が思いがけず自分自身に返ってきて、メールは真っ赤になりました。
「あ、あれは……だって……。あれで気がつかないんだもん、ゼンが鈍すぎるんじゃないのさ――!」
「俺のせいかよ!」
ゼンは憮然としましたが、すぐにまた考える顔になりました。少し遅れてついてくるフルートを振り向きます。
「あいつは覚悟を決めてやがんだよ……。デビルドラゴンと最後の決戦になったとき、かなわないと思ったら、願い石に願ってデビルドラゴンを倒すつもりでいるんだ」
メールは目を見張りました。思わずゼンと一緒にフルートを振り向きましたが、フルートは足下を見つめながら歩いていて、二人の視線には気がつきませんでした。
「どうしてそんなこと。そんなの願ったら、フルートは……」
「ああ。デビルドラゴンを倒す引き替えに、あいつ自身も消滅して死んじまう。でもな、デビルドラゴンと戦って、いよいよ俺たちが危なくなると思ったら、あいつは迷わず願い石を使うつもりでいるんだ。――だからなんだよ。だから、あいつはポポロに告白できねえんだ。最後にポポロを泣かせるかもしれないと思うから――」
「君に何がわかる!?」と叫んだフルートの声を、ゼンは思い出していました。「ぼくがどんなにこらえてるか、想像もできないくせに!!」と、爆発するように言いながら、フルートは今にも泣き出しそうな顔をしていたのです。
馬鹿だよな、おまえ、とゼンは心の中で話しかけました。ホントに、どうしようもない大馬鹿だよな――。
やれやれ、とメールは溜息をつきました。
「どうしてそういう発想になっちゃうのかなぁ。あたいたちが必ずデビルドラゴンに負けるなんて限らないのに」
「俺がそう言わなかったと思うか? それでも考えを変えようとしねえから、あいつは頑固だ、って言ってんだよ」
思わずまた大きな溜息をついてしまったメールでした。
やがて、日はすっかり暮れて、山の中は真っ暗になりました。月もない夜です。足下がまったく見えなくなったので、一行はそこで野宿することにしました。枯れ枝や落ち葉を集めてたき火を起こします。
ザカラス兵が追ってくる気配はありませんでした。山の中は静かです。どうやらポポロを王女と思いこんで追跡をあきらめたらしい、とフルートたちは考えました。
闇に沈む林の中、灯りは燃えるたき火の光だけです。赤く広がる光の輪の中で、ゼンは簡単な夕食を作って全員に配りました。子どもたちは相変わらず静かです。フルートは深く考え込んだまま口を開きませんし、いつも屈託のないメーレーン王女でさえ、そんなフルートを見て、ほとんど何も言いませんでした。ゼンとメールが時たま低くことばを交わし、ポチとルルの二匹の犬が、身を寄せ合うようにして自分たちだけで話をしていました。
「ワン、でもちょっと意外だったな」
とポチが言ったので、ルルが聞き返しました。
「何がよ?」
「ルルがけっこう落ち着いているってことがですよ。ポポロが敵の中にひとりで行ったっていうのに――。以前だったら、もっとものすごく心配しましたよね?」
ああ、とルルは言いました。犬の顔で笑って見せます。
「私は知ってるから……。あの子、見た目はあまり変わってないようだけれど、実際にはものすごく成長したのよ。修業の塔の中で一年間も厳しい修行を積んできたんですもの。大人の魔法使いだって耐えきれなくて逃げ出すような修業なのよ。なのに、あの子は最後までやり遂げたわ。ザカラス王がどんな悪だくみしたって、あの子が負けるわけないのよ」
そんなふうに言うルルは、とても誇らしそうで、同時にちょっぴり淋しそうな匂いをさせていました。ずっとルルが守り続けてきた、小さな弱いポポロ。妹のような彼女が、いつの間にか強くたくましくなって自分の守りの中から飛び出していったのだ、とルルはわかっていたのでした。
ポチは顔を寄せると、ルルの顔をぺろりとなめて言いました。
「やっぱりルルは優しいな」
と言います。ルルは面食らった表情になると、照れたように言い返しました。
「ま、なんだか生意気よ、ポチ。あなたこそ、意外じゃないこと? 風の首輪が壊れて変身できなくなってるっていうのに、ずいぶん落ち着いているじゃない。悔しくないの?」
「そりゃ、悔しいですよ。でも、人間にされていたときよりは、ずっといいもの――」
ポチは黄泉の門の戦いのときに、魔王から人間の少年の姿に変えられてしまいました。風の犬に変身することはおろか、耳や鼻を働かせることも、牙で攻撃することもできなくなって、本当に泣くほど悔しい想いをしてきたのです。そのときと比べれば、犬の姿でいる今の状態のほうが、よほどましでした。
ふぅん、とルルはつぶやき、改めて目の前の子犬を見つめました。確かにルルより二回りも小さな体をしています。けれども、以前は丸くていかにも子どもっぽかった顔や体つきが、いつの間にか少したくましくなっていました。四本の足も以前より長くなってきています。ポポロだけでなく、ポチも確実に大人になってきているのだと、再確認したルルでした。
すると、ふいにポチがぴくりと耳を大きく動かしました。暗い林の中、曇った夜空を見上げます。
「ワン、羽音だ……」
ルルの耳にも同じ音が聞こえてきました。鳥が翼を打ち合わせて空を飛ぶ音です。たちまちそれが近づいてきます。
二匹の犬は飛び起きました。羽音が異常に大きなことに気がついたのです。普通の鳥ではありません。しかも、何羽かいるのです。
「ワン、気をつけて! 空から何か近づいてきますよ!」
ポチが警戒の声を上げたとたん、子どもたちは跳ね起きました。フルートは背中の剣に手をかけ、ゼンは腰からショートソードを抜き、メールはたき火に駆け寄って火を蹴散らそうとします。炎を目印に空から攻撃されることを恐れたのです。
とたんに、ゼンがどなりました。
「待て、メール! あれは――違うぞ!」
夜目の利くゼンは、林の梢越しに夜空を見上げていました。一面雲におおわれ、真っ暗闇になっている空に、淡い光に包まれて近づいてくる白い鳥たちがいました。近づくにつれてその姿がはっきりしてきます。それは、鳥ではありませんでした。白い大きな翼を持つ馬たちです。
「ペガサスだわ!!」
とルルが叫びました。自分たちの国に住む天の馬が、どうして地上にいるのかわからなくて驚きます。
すると、空の上から声が聞こえてきました。
「メーレーン! メーレーン――!」
青年の声です。とたんに、立ちすくんでいたメーレーン王女が、はっと空を見上げ直しました。たちまち顔を輝かせると、両手を広げて暗い林の中を駆け出します。
「お兄様! オリバンお兄様ぁ!!」
夜空から駆け下りてくるペガサスの背中には、ロムド皇太子のオリバンと、占者ユギルが乗っていたのでした――。