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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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70.交換

 その気配は、突然子どもたちに迫ってきました。

 山の中を歩き続けるフルートたちの最後尾で、急にポポロが声を上げたのです。

「追っ手が来るわ! ザカラス兵よ!」

 まだ夕暮れには早い時間でした。空は相変わらず曇り、寒々しい風が吹いています。裸の木の枝が揺れ続けています。

 フルートは即座にポポロのところへ引き返しました。

「ポポロ、ずっと魔法使いの目を使ってくれていたんだ……」

 うん、と少女が小さくうなずきました。遠いまなざしを、自分たちが来た方角へ向け続けています。

 フルートは何も言えなくなりました。魔法使いの目はポポロが望みさえすればどこまでも見通すことができますが、それだけにポポロを疲れさせます。歩きながら魔法使いの目を使い続けるのは大変だったはずなのに、ポポロはひとこともそれを言わずに、自分から追っ手の様子を探ってくれていたのです。フルートの胸がいっぱいになり、思わずポポロを抱きしめたくなって、あわててこらえます――。

「追っ手か!? どのあたりまで来てる!?」

 とゼンとメールが引き返してきました。王女や犬たちもやってきます。ポポロが言いました。

「後ろの山まで近づいてるわ……。あたしたちがこっちへ向かってるのを知っているみたい。まっすぐ追いかけてくるわ。かなりの数……三十人くらい」

「一個中隊か」

 とフルートは言って考え込みました。屈強の戦士たちとフルートたちとでは、歩く速度からして、まったく違います。しかも、自分たちはメーレーン王女を連れているのです。追っ手を振り切って逃げるのはきわめて困難でした。

「王女様だけでも逃がさないとね」

 とメールが言い、犬たちを見ながら続けました。

「ねえさあ、あたい、ずっと考えてたんだけどね……ポチの風の首輪が故障してるんなら、ルルの首輪を借りて風の犬になることはできないのかい? そうすりゃポチが王女様を乗せて、ロムド城まで一気に送り届けられるじゃないのさ」

「ワン、それはだめなんですよ」

 とポチが困ったように答えました。

「風の首輪には風の魔石が使ってあるから、基本的に持ち主の言うことしか聞いてくれないんです。確かに、昔ルルがぼくの首輪を使って風の犬に変身したことはあったけど、あれはよほどのときだけです。お互いに――そう、命を交換してもいいと思うくらい、本気でお互いに納得したときでないと。あのときはフルートの命がかかっていたからできたけど、今は、ぼくがルルの首輪を借りたって、風の犬には変身できないんです」

 とたんに、つん、とすねたようにルルがそっぽを向きました。王女様を乗せられなくて悪かったわね、と言いたいのは、見ただけでわかりました。

「だが、それじゃどうする? 追いかけてきた奴らを撃退するしかねえのか?」

 とゼンが言うと、思わず全員が考え込んでしまいました。フルートだけは鎧兜に身を包み、二本の剣を背負って完全装備ですが、ゼンはショートソードを持っているだけで防具もエルフの弓矢も手元にはありません。冬の山中なのでメールは花が使えませんし、首輪に傷がついたポチも、風の犬に変身することはできません。ポポロも星空の衣を着ていないので、強力な攻撃魔法を使うと自分自身まで巻き込まれてしまう危険があります。しかも、戦うことも身を守ることもまったくできないメーレーン王女が一緒にいるのです。

 どこかに隠れて、ザカラス兵をやり過ごすことはできるだろうか、とフルートは考え続けました。それしか打つ手はない気がします……。

 

 すると、ふいにポポロが向き直りました。遠い魔法使いの目から、また仲間たちを見る目に戻って言います。

「一つだけいい方法があるわ。聞いてくれる――?」

「いい方法?」

 仲間たちは驚きました。

 ポポロは、おとなしい顔に強い決心の色を浮かべていました。緑の宝石の瞳に涙はありません。フルートは、ふいに不吉な予感にかられました。ポポロがこんなふうに涙もなく話し出すときには、いつだって、彼女はとんでもないことを思いついているのです。

 ポポロが言いました。

「あたしが王女様に変装するの。そして、わざと追っ手に捕まるのよ――」

 

 仲間たちは仰天しました。さすがの王女も声を上げます。

「メーレーンになるのですか!? ポポロが!? どうやって!」

 確かに、ポポロとメーレーン王女は背格好がよく似ています。ポポロの方が二つ年上なので、それらしく体つきが大人っぽくなっているところはありますが、それでも身長や体格はほとんど同じです。ただ、髪の色がまったく違いました。ポポロは鮮やかな赤毛、王女は銀色に近いプラチナブロンドです。顔立ちも全然違います。いくらポポロが王女の服を着ても、王女になりすますことは不可能でした。

 すると、ポポロが言いました。

「魔法を使うのよ。変身の魔法――。それから、王女様と服を交換するの。王女様が侍女のドレスを着ていれば、きっとあたしだと思って、敵は追ってこなくなるわ。ザカラス兵は王女様を取り戻すのが目的なんだから」

「だめだ、ポポロ!」

 と思わずフルートは声を上げました。

「危険すぎる! 変身の魔法が解けたらどうするつもりだ! あっという間にザカラス兵に――」

「大丈夫よ。継続の魔法も一緒に使うから」

 とポポロは答えました。

「あたしの姿は、明日の夜明けまでメーレーン王女のままでいるわ。夜が明けて魔法が解けたらまたかけ直すし、それができないようなら、魔法を使ってザカラス城から脱出してくるもの……。大丈夫よ、心配しないで」

 そう言って、ポポロは笑って見せました。フルートは、はっと胸を突かれる想いがしました。ポポロはとても泣き虫な少女ですが、何か大きな決心をしたときには、決して涙を流しません。そのかわりに、こんなふうに笑ってみせるのです。にっこりと明るく――。

 仲間たちが何も言えなくなっている中、ポポロは王女に手を差し伸べました。

「さあ、早く王女様。追っ手が迫ってきています。あと三十分もしないうちにここに到着するわ。急いで服を交換しましょう」

 と王女と近くの茂みの陰に入っていきます。

 やがて、呪文と共に淡い緑の星が散りました。

「レワーカニョジウオヨタガスノシターワ」

 さらにもう一つの呪文。

「ヨーセクゾイーケ!」

 

 茂みの影からメーレーン王女が出てきました。紺色の侍女のドレスを着ています。ついさっきまでポポロが着ていたものです。ポポロに合わせて仕立てられたものですが、ほんの少しゆるそうなだけで、本当にあつらえたように王女にぴったりでした。

 王女はとまどったように茂みを見ていました。そこから、もう一人の少女が出てきます。バラ色のドレスにバラ色のコートをはおり、やっぱりバラ色の帽子をかぶっています。髪はプラチナブロンド、大きな瞳は灰色、無邪気なほど素直な顔で、全員に向かってにっこり笑って見せます。――それもまた、メーレーン王女の顔でした。

 同じ王女が二人並んだので、仲間たちはあっけにとられて眺めてしまいました。どこか見分けのつくところはないかと目を皿のようにして眺めますが、一人が紺色のドレス、もう一人がバラ色の服を着ているだけで、本当に寸分の違いもありません。

 すると、侍女の姿の王女が頬に両手を当てて言いました。

「まあ……まあ! 本当にメーレーンにそっくりですわ! お父様やお母様でも、どっちが本物のメーレーンかわからないだろうと思います!」

「そうだね」

 とメールもあきれて二人を見比べながら言いました。メールにも、どちらがポポロなのか見ただけではわかりません。

 すると、バラ色の服を着た王女がまたほほえみました。

「ね、これなら大丈夫でしょう? ザカラス兵たちは絶対にあたしを王女様だと思いこんで、ザカラス城に連れ戻すわ。あたしを取り戻せば、ザカラス兵はみんなを追いかけなくなるだろうし、もし追いかけそうなときにも、別の方向を教えることができるわ――」

 声も完全にメーレーン王女ですが、言っている内容とことばづかいがポポロでした。本当に心配そうな顔をする仲間たちへ、また笑って見せます。

「大丈夫だったら。あたしは大事な人質だもの。ザカラス兵だって、手荒なまねはしないわ。あたしをここに置いて、早く王女様と先へ逃げて。見つかったら大変よ」

 ゼンは、ぎゅっと口をへの字に曲げました。しかめた顔で、うなるように言います。

「そうするしかねえな。行くぞ、みんな……。ポポロ、気をつけろよ」

 うん、とバラ色の方の王女がうなずきます。それを、メールが涙をこらえる顔でぎゅっと抱きしめました。

「無茶するんじゃないよ、ポポロ。危なくなったら、敵を自分に引きつけておこう、なんて考えないで、すぐに逃げ出すんだよ」

「うん、わかってる。ポチも――ルルも、そんなに心配しないで」

 ルルはポチと一緒にポポロを見上げていましたが、そう言われてバラ色のドレスに自分の体をすり寄せました。王女の姿になったポポロを守るように一回転してから、離れて言います。

「がんばるのよ、ポポロ。泣いちゃだめよ。敵にあなただとばれるから」

「うん、うん、わかってるわ。だから早く行って。敵が追いついてきちゃう」

 ポポロは最後までほほえんだままでした。

 いくぞ、とゼンがまた言い、全員が後に残るポポロを振り向きながら歩き出しました。

 

 すると、フルートがポポロの目の前に立ちました。王女の姿になっている魔法使いの少女を、声もなく見つめ続けます。

 ポポロはまた、にっこり笑いました。

「行って、フルート。あたしは大丈夫よ」

 顔や姿はメーレーン王女でも、表情はやっぱりポポロです。フルートは胸の詰まる想いがして、何も言うことができませんでした。ぼくもここに残るよ、と言いたいのですが、それができないことも、フルートにはわかってしまっていました。

 すると、ポポロがまた言いました。

「王女様を守って、フルート。無事にロムドまでたどりついてね」

 さあ、もう行って、と少女はまた言いました。華奢な手が、とん、とフルートの金の胸当てを押します。優しい優しい手つきでした。

 フルートは顔を歪めました。何かを必死でこらえるように、両手を拳に握りしめます。そうして、フルートは唇をかみ――くるりとポポロに背を向けました。そのまま何も言わずに他の仲間たちの後を追います。

 バラ色のドレスの少女は、それを見送りました。仲間たちは林の中の斜面を下っていきます。その最後尾をフルートが行きます。もうポポロを振り向きません。金の鎧兜が斜面の陰に見えなくなっていきます。

 それでも、ポポロは見送っていました。見えなくなった仲間たちを、心の中の魔法使いの目で、ずっとずっと見守り続けていました――。

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