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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第17章 ポポロ

68.白い風・1

 金の石の勇者の一行と王女は、丘陵地を進んでいました。

 十二月の山は、落葉樹がすっかり葉を落とし、下生えも霜枯れして、ぐっと歩きやすくなっています。その中を二人の少年と三人の少女、そして二匹の犬たちは歩き続けます。

 時折、曇った空から風が吹いてきます。身を切られるような冷たい風です。風に吹かれるたびに、フルート以外の者たちはぶるっと身震いし、マントを着ている者は前をかき合わせました。

 メーレーン王女はずっとフルートの腕にしがみつきっぱなしでした。長距離を歩くのも寒風にさらされるのも、王女にはひどく辛いことのはずなのに、ずっとにこにこと笑顔のままです。

「フルート、空の雲がとても速く動いてますわ。何故でしょう? 見ていると、なんだかこちらの方が動いているような気がします」

 王女は上り坂に息を弾ませていましたが、それでも楽しそうに話し続けていました。フルートも空を見上げました。上空には強い風が吹いているようで、一面をおおった雲が、見る間に頭上を流れていきます。西からは後から後から雲がわき上がり、押し寄せてきて、雲が切れることはありません。それを立ち止まって見上げると、本当に自分たちの方が地面と一緒に動いているような錯覚にとらわれます。

「嵐が近づいてるのかもしれねえな」

 と先を行くゼンが、やはり空を見上げながら言いました。

「北の峰でこんなふうに雲が空を走るときには、決まって天気が崩れてくるんだ。しかも、風が湿っぽい。この気温だから、みぞれか、下手すると雪になるかもしれねえぞ」

「そうなったら避難しなくちゃいけないね。――ポチ、ルル」

「ワン、なんですか?」

「なによ」

 ポチはいつものように元気に返事をしますが、ルルはちょっと不機嫌な声です。

「先に行く手の様子を見てきてくれないかな。で、嵐を避けられそうな場所を見つけておいてほしいんだ。洞窟とか、岩陰とか」

「ワン、わかりました」

 ポチとルルはすぐに行く手の山の中へ走っていきました。そのとき、ルルがフルートと王女をにらみましたが、フルートはちょうど後ろを振り向いていて気がつかず、王女はただ、いってらっしゃい、と笑顔で犬たちに手を振っただけでした。ルルは、怒った顔をそむけると、ポチと一緒に駆けていってしまいました。

 

「あまり離れないで」

 とフルートは後ろをついてくる少女たちに呼びかけていました。最後尾のポポロが遅れがちで、それを見るように、メールも途中で立ち止まっていたのでした。

 メールは細い腰に手を当ててフルートをつくづく見ると、やがて、肩をすくめました。また歩き出すと、何も言わずにフルートと王女を追い越し、先頭のゼンのところまで行って何かを話し出します。二言三言、口喧嘩のようなやりとりがあった後、ゼンが意外そうな顔でフルートたちを振り向きます……。

 フルートはポポロが追いついてくるのを立ち止まって待っていました。ポポロの方でも、それに気がついて足を速めます。うつむきがちな顔は、フルートたちを見ようとしません。

「大丈夫?」

 とフルートは心配しました。

「疲れたかい? 休憩しようか?」

 ううん、とポポロは答えました。――なんだか、涙ぐんでいるような声でした。

 いっそう心配そうな顔になったフルートを、かたわらから王女がじっと見上げていました。

 

 昼近くになって、とうとう雨が降り出しました。風に混じって吹きつけてくる冷たい雨です。

 一行はポチたちが見つけてきた岩陰に防水布を張って、その奥に避難していました。自然に積み重なった岩がくぼみを作った場所に防水布で屋根をかけ、風に飛ばされないようにロープを張ったのです。風は真後ろから吹いてくるので、屋根はばたつくだけで、飛ばされるようなことはありません。防水布にばらばらと当たる雨の音を聞きながら、子どもたちは岩陰に身を寄せ合っていました。

 ゼンが全員に昼食を配りました。火をおこせないので、携帯用の焼き菓子と干し果実です。水筒も回します。

 雨は昼過ぎになってもいっこうに止む気配はありませんでした。ますます冷え込んできて、雨が白っぽく変わってきます。屋根の下の隙間から見える地面も白くなり始めたので、王女が声を上げました。

「まあ、雪ですわ!」

「みぞれですよ。完全に雪になるほどには冷え込んでないです」

 とフルートは答え、心の中で考え続けました。この雪まじりの雨はしばらく止みそうにありません。風もますます強まっています。この中を、王女をつれて進んでいくのはあまりにも無謀ですが、ザカラス軍は悪天候をついて彼らを追ってきているかもしれません。フルートは風の音にしばらく耳を澄ましてから、ポポロに声をかけました。

「ごめん。また魔法使いの目で探ってもらえるかな? 追っ手が近づいてないかどうか」

 ポポロは避難所の片隅でひっそりと膝を抱えていましたが、そういわれると、黙ったままうなずきました。顔を上げて、布の屋根へ遠い目を向けます。ポポロの魔法使いの目は、間にどんな物が存在しても、望むだけ遠くまで見通すことができるのでした。

 ルルはポポロのそばにうずくまったまま、怒ったようにフルートたちを見つめ続けていました。フルートの隣には王女がぴったりと身を寄せています。王女は時々フルートに話しかけ、フルートがそれに応えるたびに、嬉しそうににっこり笑っています。ほんとにもう! とルルはつぶやき、完全に腹を立てた様子で前足に頭をのせてしまいました。ポチが隣から、そっと何かを話しかけます。

 

 すると、急にフルートが体を起こしました。立ち上がりながら言います。

「今、屋根が大きく揺れたよね……。風向きが変わってきたのかもしれない。ロープがちゃんと止まっているかどうか、外を見てくるよ」

「あ、メーレーンも一緒にまいりますわ!」

 と王女がすぐに声を上げました。フルートの行くところならば、どこまででも一緒に行きたい、という気持ちを声ににじませています。ふん、とルルがいっそう怒った顔になります。

 フルートは首を振りました。

「だめですよ、王女様。こんな中に出ていったら、すぐに凍えてしまう。ぼくは魔法の鎧を着ているから平気なんです。ぼくだけで見てきます」

 優しい声ですが、きっぱりと言い渡されて、王女はしゅんとなりました。

「わかりました。メーレーンはここで待っています」

 けなげにそう言ってフルートを見上げる目は、まるで留守番を言いつけられてしょげている子犬のようでした。

 フルートが体をかがめて屋根の下をくぐり、みぞれの吹きつける外へ出て行きました。風はさらに強くなっています。

 すると、メールが隣のゼンに、どん、と肘鉄を一発食らわせました。驚くゼンに、早く行きなよ、と表情だけで伝えます。それでようやくゼンも気がついて、あわててフルートを追って外に出て行きました。

 

 寒さはますます厳しくなり、みぞれは本格的な雪に変わり始めていました。岩場も防水布の屋根も周囲の地面も、すっかり白くなってきています。

 ところが、フルートの姿が近くに見当たりません。ゼンは、うん? と首をかしげ、地面にフルートの足跡を見つけて追いかけました。フルートは、岩場からまっすぐ南の方角へ向かっていました。

 すると、間もなく行く手から奇妙な音が聞こえてきました。ヒィヒィと何かが吠えるような甲高い声です。ゴゴゥッと風が激しく吹くような音も聞こえます。ゼンは、はっとしてすぐに駆け出しました。今のは、フルートの炎の剣が炎の弾を撃ち出した音です。

 白いものが吹きつける風の中に、フルートが立っていました。抜き身の魔剣を手に、目の前で燃え上がる炎の柱を眺めています。まるで自分自身がその火の中で焼かれているように、苦痛の表情を浮かべていましたが、近づいてくるゼンを見ると、すぐに剣を納めていつもの顔に戻りました。

「ゼン」

 ゼンは足をゆるめ、燃えている炎を見ながら言いました。

「闇の敵が近づいてたのか……それで急に外に出たんだな」

「金の石が教えてくれたんだ。二匹いてね、一匹がもう一匹を盾にして金の石の光を防いだから、光が間に合わなくて剣を使ったんだ」

 そう話すフルートの口調は、本当に静かです。

 ゼンはフルートの隣に立ちました。急いで出てきたので、ゼンは下男の制服姿のままでした。上着の裾が風にあおられて、しんしんと寒さがしみ込んできます。フルートはすぐに自分のマントを外してゼンに渡しました。

「お、ありがとよ」

 ゼンはすぐにマントをはおると、あったけえ、と満足そうに言ってから、改めてフルートを見ました。

「なあ、フルート。メールたちがものすごく気をもんでるぞ。おまえがちっとも気がつかねえって」

 と真面目な声で話しかけます。フルートはちょっと笑いました。

「闇の怪物が次々襲いかかるのに、ぼくが悠長にしてるから? でも、金の石があるんだから別に――」

「そっちじゃねえよ。王女様の方だ。おまえ、王女様がおまえを好きだってことに気がついてるのか?」

 

 フルートは目を丸くしました。ぽかん、とゼンを見返します。

 やっぱりな、とゼンは苦笑いしました。

「女の子たちはみんな王女様の気持ちに気がついてるぜ。王女様だって、あんなにおまえに張り付いてるじゃねえか」

「だ、だって、あれは王女様が不安がってるから……山歩きなんか初めてしてるわけだし……」

 顔を赤らめながらそんなことを言うフルートを、ゼンはじろりとにらみました。

「不安がってるヤツが、あんなに楽しそうにしゃべったり笑ったりするかよ。ったく。おまえは、俺がポポロの気持ちに気がつかなくて鈍いって笑ったけどな、おまえだって相当なもんだと思うぞ」

 とはいえ、そう言うゼンも、メールに教えてもらうまでは王女の気持ちに気づかなかったのですから、実際には偉そうなことは言えません。こういうことは、やはり女の子たちの独壇場なのでした。

 そんな、とフルートはうろたえて目を伏せました。本当に、まったくそんなことは考えていなかったのです。ただ、頼られるし、本当に王女の足下が危なかったので、腕を貸していただけで。思わず顔が真っ赤になってしまいます。

 すると、ゼンが続けました。

「じゃあな、鈍感ついでにもう一つ聞いてやる。そんなおまえらを見て、ポポロが悲しんでるのには、気がついてたか?」

 とたんに、フルートは顔色を変えました。照れて赤くなっていた顔が、すっと青白くなっていきます。

 急にまた静かになってしまった表情で、フルートは答えました。

「そんなわけないよ」

 声も表情に劣らず静かです。が、何故だか、強く否定する響きがありました。ゼンは友人を見つめ返しました。

 二人の周りで風がうなっていました。雪をはらんだ、突き刺さるような白い風でした――。

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