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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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66.オーク

 「ワン、また闇の怪物だ! ポポロ、下がって!」

 突然姿を現した怪物を前に、ポチが言いました。うなりながらいっそう低く身構えます。

 ウィーウィー、と怪物が笑いました。何故だか、笑い声が豚の鳴き声にも聞こえます。体は人のようですが、灰色の肌をしていて、頭は豚にそっくりです。錆びてぼろぼろになった鎧の胸当てを付けています。

「ワン、オークか」

 とポチはまた言いました。頭の中で、オークの弱点はどこだっただろう、と考えます。同時に、周囲へも素早く目を向けました。オークはよく集団で行動するので、仲間が近くにいるかもしれない、と考えたのです。

 そのとたん、オークが動きました。手にしていた剣でいきなりポポロを突き刺そうとします。ポポロが悲鳴を上げて飛びのき、ポチは怪物に飛びかかりました。灰色の手首にがっぷりと牙を突き立てます。とたんに、すさまじい怪物の悲鳴が上がり、剣が落ちました。

「ワン、逃げてポポロ!」

 とポチは地面に飛び降りながら叫びました。敵がこの一匹だけなら、ポチにも撃退できるかもしれません。

 ポポロは身をひるがえして駆け出しました。斜面を仲間たちのいる方向へ上っていこうとします。が、とたんに何かに突き当たって、勢いよく地面に倒れました。その小柄な体を、ぐっと何かが押さえつけます。

 驚いたポポロは、とっさに魔法使いの目を使いました。何かがいます。それも一つ二つではありません。たくさんの見えない敵が、自分たちの周りを取り囲んでいます。ポポロはそのうちの一つに押さえ込まれてしまったのでした――。

 

 すると、ポチにかまれたオークが金切り声を上げました。

「手ぇを出すな! それは俺様が食うんだ!」

「貴様にやるかぁよぉ。こいつは俺様のだ」

 ポポロのすぐ上で返事がありました。みるみるうちに、別のオークが姿を現します。やっぱり灰色の肌をした豚の怪物です。さらに、その周りにもぞろぞろとオークたちが現れました。七、八匹もいます。

「金の石の勇者!」

 とオークたちは叫びました。

「ドレスを着ている! 金の石の勇者だ! さぁ、俺たちに食ぅわれろぉ!」

 ウィーウィーウィーと笑い声が響き渡ります。

 ポポロとポチは、はっとしました。怪物たちがポポロをフルートと勘違いしているのだと気がついたのです。

 ポポロの頭上では、ポポロを押さえ込んだオークと先のオークがにらみ合っていました。他のオークたちが、隙を見てポポロを奪い取ろうと目を光らせています。

 とたんにポチが叫びました。

「ワン、金の石の勇者を食べて願い石を手に入れられるのは、たった一人だけですよ! 早い者勝ちです!」

 ポポロが、ぎょっとしたように子犬を見ました。他のオークたちも同様です。

 すると、最初のオークが、ポポロを捕まえているオークにいきなり飛びかかっていきました。

「食わせぇるか! それは俺のだ!」

「なぁにお!? これは俺様の――」

「俺のだ! 俺のだぁ!」

「こっちによこせ――!」

 たちまちオーク同士がつかみ合いの喧嘩を始めました。

 いえ、喧嘩などという生やさしいものではありません。本当に剣を抜いて切りつけ合い、背後から飛びかかって肩や首筋にかみつきます。すさまじい悲鳴が上がり、血しぶきが飛びます。これは、仲間同士の殺し合いです。

 

 ポポロは悲鳴を上げました。その上にオークたちの血しぶきが飛んできます。

 すると、ポチが駆け寄ってきてポポロのドレスを引っ張りました。

「ワン、早く! 今のうちに逃げるんです!」

 ポポロはあわてて起き上がり、這うようにしてポチと逃げ出しました。戦うオークたちの下をかいくぐって、また斜面を駆け上がり始めます。

 走りながら、ポチは思い出していました。黄泉の門の戦いで、魔王を倒すために大砂漠を越えていたとき。あるいは、魔王の城に乗り込んでいったとき。闇の怪物たちは大群でフルートに襲いかかり、我先にフルートを食おうとしたのです。フルートの中に眠る願い石を手に入れるために……。

 そのときにフルートが使った手を思い出して、とっさに早い者勝ちだと言ってみたら、オークたちは見事に同士討ちを始めました。やっぱりオークたちは願い石を狙っていたのです。

「フルート、まさか……」

 とポチはつぶやきました。何故、闇の怪物たちが彼らに襲いかかってくるのか。フルートが何を警戒して一人であたりを見回っていたのか。賢い子犬はその理由を悟ったのでした。

 

「勇者が逃げたぞぉ!」

 と彼らの後ろで声が上がりました。斜面を駆け上がっていくポポロにオークたちが気がついたのです。殺し合いをやめ、いっせいに後を追ってきます。その後には、仲間に殺され引きちぎられた二匹のオークが転がっていました。

 ポポロは必死で逃げ続けました。ドレスで上り坂を駆け上がっていくのは大変です。何度も足が滑って転びそうになります。心臓が破裂しそうに激しく脈打ち、息が苦しくなって目の前がちかちかしてきます。

 と、先頭のオークが追いついてきました。ポポロの華奢な肩をつかみます。

 ポポロは息を呑んで振り返り、とっさに手を突きつけて呪文を唱えようとしました。

「ローデローデリナミカ――」

 ところが、いきなりその声がとぎれてしまいました。ぜいぜいと激しくあえぎます。全速力で逃げていたポポロは、息が切れて、呪文を一息で唱えられなくなっていたのでした。

「ワン、ポポロ!」

 とポチがまた飛びかかりましたが、今度はオークに払い飛ばされてしまいました。ギャン、と悲鳴を上げて、林の落ち葉の上に転がります。その背中から血が流れ出していました。オークの剣で切られたのです。

「ポチ――!」

 とポポロは叫びました。一声上げただけで、やっぱり息が続かなくなって、あえいでしまいます。魔法は呪文を一気に唱えなくては発動しません。ポポロは呪文を唱えることができないのでした。

 オークがポポロの肩をつかんだまま、にたりと笑いました。

「よぉし、勇者は俺様のものだ」

 よだれをたらしながら食いついてきた口には、豚の頭に似つかわしくない、鋭い牙が並んでいました。

 ポポロは悲鳴を上げました。その声さえ、あえぎですぐにとぎれてしまいます。

 

 とたんに、大きく開いた怪物の口に木の枝が飛び込んできました。

 いえ、枝ではありません。それは人の右腕でした。金色の籠手でおおわれています。

 柔らかな少女の肉の代わりに堅い籠手をかむことになって、オークは思わずのけぞりました。鋭い歯が一本残らず折れてしまいます。

 すると、右腕の持ち主は力任せにポポロをオークから奪い取りました。素早く体を反転させて、怪物からポポロをかばいます。そのとたん、マントが風をはらみ、大きな弧を描きました。雲の隙間から差し始めた日の光が、その人物を照らします。全身できらめいているのは金の鎧兜です――。

「フルート!」

 ポポロは目を見張って声を上げました。それきり、また何も言えなくなります。

 フルートは自分の右腕で怪物の牙を防ぎ、左腕と体でポポロをかばっていました。牙の折れたオークが口を抱えて転げ回り、他のオークたちがそれを乗り越えて迫ってくるのを見据えます。オークたちは手に手に抜き身の剣を握っています。

 すると、フルートはポポロを放しました。少女は地面に落ちましたが、下は降り積もった落ち葉なので痛くはありません。フルートは立ち上がると、怪物たちに向かって両手を広げました。背後にポポロを守りながら声を上げます。

「おまえたち、ぼくが誰かわかるか!?」

 少年の声がりんと響きます。オークたちは鼻を鳴らしながらわめきました。

「誰だろうと邪魔する奴は食ぅうぞ!」

「どけ、チビ助!」

「金の石の勇者をよこせぇぇ!」

 フルートは兜の奥で思わず目を細めました。笑うような、泣くような、不思議な表情が広がります。自分だけに聞こえる声で、そっとつぶやきます。

「ほんとだ。相手の見分けもできないほど馬鹿な連中なんだ」

 右手で胸のペンダントをつかんで突きつけても、怪物たちはまだその正体に気がつかずにいました。剣を振りかざし、牙のはえた口からよだれをたらして、ドレス姿の少女に殺到しようとします。

 フルートは叫びました。

「金の石!!」

 澄んだ光が林の中にあふれ、邪悪な者たちを跡形もなく消し去っていきました――。

 

「ワン、フルート……」

 ポチが落ち葉の上から起き上がって近づいてきました。背中の刀傷はもう消えています。金の石の光が癒したのです。ペンダントを手放してうつむいたフルートを、足下から見上げます。

「あの連中……フルートの中の願い石を狙って来ていたんですね? 黄泉の門の戦いのときみたいに。……どうして言わなかったんですか」

 ごめん、とフルートは言いました。静かな声でした。ポチにも、後ろに座り込むポポロにも目を向けず、ただ胸の上のペンダントだけを見ています。

 その淋しげな後ろ姿をポポロは見つめてしまいました。心優しいフルートです。仲間たちに心配をかけまいとして、自分を狙う敵のことを黙っていたのだと、ポポロにはすぐにわかりました。フルートが、人に似た怪物たちを倒すことに、自分の身を引きちぎられるような辛さを感じているのだと言うことも。たとえ自分の命を狙ってくる敵でも、やっぱりフルートは殺したくないのです。本当に、優しい優しい勇者なのです。

 すると、フルートがポポロを振り向きました。その顔はもういつもの穏やかな表情に戻っていました。

「ごめんね、ポポロ、怖い想いをさせて……。もうわかっただろうけど、あいつらはまだぼくが女装をしてると思いこんでいるんだ。それで、ポポロや王女様をぼくと勘違いして襲ってくるんだよ。だから――ぼくのそばから離れないでいてね、ポポロ。金の石の力が働く中なら、闇の怪物が襲ってきても大丈夫だから」

 そう言って笑って見せたフルートの顔が、なんだか泣くより悲しげに見えて、ポポロは何も言えなくなりました。せつなさに、自分の方が泣きたくなってきてしまいます。

 

 すると、斜面のずっと上の方から呼び声が聞こえてきました。

「フルートー! ポチ、ポポロー! 朝食ができましたわ! メーレーンも、ちゃんとお料理ができましたわよぉ!」

 ちぇ、どこが料理だ、ただ練り粉をすくって鍋に入れただけじゃねえか、とそばでゼンがぶつぶつ言っている声も聞こえてきます。それをたしなめるメールの声も……。

 フルートはまたほほえむような顔でポポロとポチを見ました。

「今の話は王女様には内緒だよ。怖がらせちゃうからね」

 しくん、とポポロの胸が痛みました。本当に、なんと言っていいのかわかりません。自分がどうしたらいいのかもわかりません。

 また上の方で王女が呼びました。フルートは返事をすると、先に立って斜面を上り出しました。坂道なのにポポロに手を貸してくれませんが、だからといってポポロから離れてしまうわけでもありません。それがどうしてなのかも、ポポロにはわかりました。フルートは守ろうとしてくれているのです。闇の怪物がまたポポロに襲いかかったときには、すぐ駆けつけられる距離。逆に本物の金の石の勇者に襲いかかってきたときには、ポポロを巻き込んでしまわないくらいに離れた距離を歩き続けることで。

 ポポロの瞳がうるみました。フルートの優しさがせつなくて――なんだか本当にせつなくて――とうとう涙がこぼれました。

 雲の切れ間から差してくるのは、淡くはかない冬の日差しでした。

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