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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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65.つりあい

 フルートがメーレーン王女やポチと一緒にモミの木の下に戻ると、ゼン、メール、ポポロ、ルルの三人と一匹の仲間が起きて動き出していました。王女が片手を大きく振って呼びかけます。

「皆さまぁ、フルートがいましたわよぉ!」

「おう、いたか。どこ行ってたんだ。もうすぐ朝飯だぞ」

 とゼンが言いました。その目の前では、火にかけた鍋がぐつぐつ音を立てています。

「ちょっと、散歩をね」

 と言いながらフルートは皆の中へ戻りました。とたんに、メールとルルは、あらっという顔になり、ポポロははっとしました。フルートの隣にメーレーン王女がぴったりと寄り添い、その片腕にしがみつくように腕を絡めていたからです。

 王女が嬉しそうに笑いながら言いました。

「フルートは周りに敵がいないか見回っていたんですわ。でも、敵はいませんでしたわよね、フルート?」

 見上げてきた灰色の瞳に、フルートはうなずき返しました。

「ええ、大丈夫ですよ、王女様。今のところは心配ないです」

 フルートに優しくほほえみ返されて、王女はぽっと顔を赤らめました。いつもあれほど屈託なく話しているのに、急に口ごもってうつむいてしまいます。バラ色のコートを着た体を、フルートの腕にいっそう寄り添わせます。

 メールはあっけにとられてそんな王女とフルートを見比べました。フルートはゼンと話を始めています。堅い鎧を着ているので、王女にしがみつかれても、とりたててどうと言うこともないようです。ルルはフルートと王女を眺め、それからポポロを振り向きました。

 ポポロは青ざめた顔をしていましたが、ふいにうつむくと、唇をかみました。見開かれた瞳に涙はありません。そのまま背中を向けると、その場から離れていこうとします。

 すると、フルートが呼びかけました。

「あ、ポポロ」

 ポポロは立ち止まりました。その後ろ姿にフルートは言いました。

「ザカラスの方角に追っ手の気配はないんだけれど、山が重なっているから、遠くまでは見通せないんだ。食事の後で、魔法使いの目を使ってもらえるかな?」

 ポポロは振り向きませんでした。背中を向けたままでうなずきます。

「うん……」

 

 フルートは、おや、という顔になりました。ポポロの様子が変なことに気がついたのです。

 ところが、そのとき王女が急に声を上げました。話しかけた相手は、フルートではなく、料理をしているゼンでした。

「おいしそうな匂い! 何を作ってるんですの、ゼン?」

「ただの団子入りスープだ」

 とゼンが答えます。一国の王女相手にぶっきらぼうな口調ですが、メーレーン王女はまったく気にしません。

「まあ、それってどういうお料理ですの? 『ただの団子』って、どういうものなのですか?」

「なんだ。王女様は団子も知らねえのかよ? 粉をこねて、こうスプーンですくってな――」

 料理の実演をしてみせるゼンに王女が身を乗り出します。興味津々ですが、その腕はやっぱりフルートにしがみついたままです。

「まあ、面白そう! メーレーンもやってみたいですわ! ねえ、よろしいでしょう?」

「え……」

 フルートは思わず不安な顔になり、ゼンも思いきり疑わしい表情をしました。

「お姫様、あんた、料理したことあるのかよ?」

「一度もありません! だからやってみたいんですわ」

 まったく悪びれる様子もなく、王女が答えます。とても楽しそうな声です。大丈夫かよ、とゼンはぶつぶつ言いながら、それでも王女に料理を手伝わせました。ようやくフルートの腕が解放されます。

 やれやれ、とフルートは笑顔で王女とゼンを見守りましたが、やがて、その場からポポロがいなくなっていることに気がつきました。メールとルルは王女を見ています。王女の料理の手つきがあまりにも危なっかしかったからです。でも、やっぱりポポロは見当たりません。いつの間にかポチも姿を消しています。

「ポポロ、ポチ……?」

 フルートは不思議そうにあたりを見回しました。

 

 ポポロは一人で山の斜面を下っていました。空は一面の雲におおわれていて、冷たい風が山の下の方から吹き上げてきます。ドレスの裾をあおられてポポロは思わず立ち止まり、あわててマントを体に絡めました。

 とたんに、ポポロの瞳から透明なものが落ちました。我慢に我慢をしてきた涙が、とうとうこぼれだしたのです。ポポロは立ちすくみました。涙は次々にこみ上げてきて止めようがありません。ポポロはそれ以上歩けなくなってしゃがみ込み、声を殺して泣き出してしまいました。なんだか自分がとても小さくみじめなものになってしまった気がします。

 すると、その背中にそっとすり寄るものがありました。ポチです。ポポロを追いかけてきたのでした。

「ワン、泣かないで、ポポロ……。フルートは王女様のことはなんとも思ってないじゃないですか。それは見ればわかるでしょう?」

 ポポロは首を振りました。涙はまったく止まりません。ポポロは両手で顔をおおい、膝にかがみ込んで泣き続けました。

 ポチは、ふう、と人間のように溜息をつきました。少し考えてから、口調を変えてこう言います。

「フルートに告白したらいいじゃないですか、ポポロ。好きなんだ、って。もういいかげん言ってもいい頃だと思いますよ」

 お互い好きな気持ちがはっきりしている二人です。本当は相思相愛なのに、お互い遠慮深くて言い出せなくて、ずっと堂々巡りを続けているのです。どちらかが一歩相手に歩み寄れば、それでもう悩みは解決するのに。

 すると、ポポロがまた首を振りました。懸命に涙をこらえようとする気配が伝わってきて、やがて、くぐもった声が聞こえてきました。

「だめ……だめなの……」

 それだけを言って、またすすり泣いてしまいます。

「どうして!? どうしてだめだって決めつけちゃうんです!?」

 とポチは思わず強い口調で聞き返してしまいました。おびえた気持ちが匂いになって伝わってきます。いつもポポロが漂わせている匂いです。その臆病さは同時にポポロの優しさも形作るのですが、こういう場面では、やっぱりひどくじれったく感じられます。

 すると、ポポロはすすり泣きながら言いました。

「だって……あたし……あたしは、ついこの前まで、あんなにゼンを好きでいたのよ……。それなのに、今度はフルートだなんて……あんまり虫が良すぎるわ……」

 そんなこと! とポチは思わずまた叫びそうになりました。ポポロがゼンを好きだったことなんて、フルートはいやと言うほど承知しているのです。それでもポポロが好きで、あきらめきれなくて苦悩していたのです。

 

 すると、ポポロが言い続けました。

「それに……全然つりあわないもの……フルートとあたしでは……」

 ポチは目を丸くしました。つりあわない? と思わず聞き返してしまいます。初めて聞いたポポロの本音でした。

 ポポロはうなずきました。すすり泣きの声は止まっていましたが、それでも頭は膝に伏せたままです。両手の中に顔が隠れてしまって、表情はまったく見えません。

「だって、そうでしょう……? フルートは金の石の勇者よ。とても強くて勇敢で……それに本当に優しくて……。自分の命までかけて世界を救おうとしてくれて……。あんなに優し人、世界中探したって他にいないと思う……。それに比べてあたしは……魔法を使えば、いつだって暴走して周りを巻き込んじゃうし、全然勇気なんてないし、泣いてばかりいてフルートを困らせてるし……。今回だって、あたしの魔法のせいでユギルさんたちから占いの力を奪って、ロムド城の守りをめちゃくちゃにして、王女様をさらわれて……こんなことになって……。いつだってそうなの。あたしのやることは、いつだってろくでもない結果にばかりなるんだもの……」

 ポポロは強すぎる自分の魔力に振り回されて、周りの人々からずっと叱られ続けてきました。ポポロのお父さんも学校の先生も、ポポロのためを思ってこそ叱ってきたのですが、それは傷つきやすいポポロの心から勇気と自信を奪ってしまいました。今、どんなにフルートたちのために役に立つようになっても、やっぱりポポロは自分の魔力を恐れ、自分に自信を持つことができないでいるのでした。

 声もなく見上げてしまったポチの前で、ポポロは低く続けました。

「わかってるの。あたしは、できそこないなのよ……。間違って天空の国に生まれてきてしまった怪物なの……。こんなあたしが、世界を救う金の石の勇者を好きだなんて……そんなの、あんまりおかしいわ。全然ふさわしくない……だから……」

 ポチは思わず飛び跳ねました。人間たちのことは人間たち自身に任せよう、犬の自分は口出ししないようにしよう、とずっと考えてきたのですが、もう限界でした。本当のことをポポロに告げようとします。フルートが好きなのはポポロなんですよ! ずっとポポロだけを好きでいたんですよ! ――と。

 

 ところが、そのとき、いきなりすさまじい感情の匂いが伝わってきました。悪意と殺意です。ポチは一気に全身の毛を逆立て、振り向いて身構えました。ポポロを後ろにかばって、ウゥーッとうなり出します。

「ポチ?」

 ポポロは驚いて顔を上げました。涙がいっぱいにたまった目を見開きます。その前に、ゆっくりと実体化していくものがありました。

「ウィーウィー、見つかったか。勘がいいぃな、犬ころ」

 何もなかった空間から姿を現したのは、人のような怪物でした。豚に似た頭をしています。ポチの後ろで立ちすくむポポロを見ると、にやぁと笑って言います。

「いたなぁぁ、金の石の勇者。貴様を食わせてもらうぞ」

 にたにた笑いながら、豚の怪物は言いました――。

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