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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第16章 勇者

64.闇の目

 明け方、フルートは山の中で一人で見張りに立っていました。足下でポチが丸くなって眠っています。さっきまで一緒に見張りをしていたのですが、危険な気配もなく夜が明けてきたので、ポチは安心して、いつの間にか寝入ってしまったのでした。

 かたわらでは大きなモミの木が枝を広げ、その下でたき火が燃えていました。火のぬくもりが届く場所に落ち葉を敷き詰めて、仲間たちが横になっています。ゼン、メール、ポポロ、メーレーン王女、ルル……みんなよく眠っています。

 白んできた空は、前日の晴天が嘘のように、どんよりと曇っていました。寒々とした風が吹いてきますが、フルートは魔法の鎧を着ているので寒さは感じません。仲間たちのためにたき火に薪をくべると、またあたりを見回します。

 明るくなるにつれて、林の中は小鳥のさえずりでいっぱいになってきました。餌を探してねぐらを飛び出し、翼を広げて、枝から枝へ渡り歩いていきます。それは、近くに危険が迫っていないことを知らせてくれる、安心の歌でした。

 

 すると、ふいにフルートの胸の上でペンダントが光りました。キラキラッと二、三度強く輝くと、正面の林の中へひときわ強い金の光を投げかけます。まるで行く手を光で示しているようです。フルートは驚いてペンダントと光を見比べていましたが、やがて、何も言わずに光を追って歩き出しました。林の奥へと進んでいきます。

 なだらかな尾根を越えて斜面の向こう側へ行くと、そこに大きな黒い岩がありました。岩の上に小さな少年が片膝を抱えて座っています。異国風の服を着て、鮮やかな金色の髪と目をしていました。

 フルートは岩の前に立って少年を見上げました。

「いつもの格好に戻ったんだね、金の石の精霊」

 小さな金色の少年は、肩をすくめるようにしてフルートを見返しました。

「ご希望なら、今すぐにでも、また女の子になってあげるけど?」

「いいよ。こっちのほうが落ち着くから」

 とフルートは苦笑いをして答えました。宿の浴場で、精霊が自分と同じ顔をした裸の少女に変身したのを思い出したのです。精霊の方は、にこりともしませんでした。

「見た目なんて、ぼくたちにはまったく関係ないんだけどね。大人にだって怪物にだって、なんにだって形を変えられるんだから――。でもまあ、それこそ、そんなのはどうでもいいことだな。君と話したいことがあって呼んだんだ」

 金の石の精霊は、フルート以外の者の前に姿を現したがりません。仲間たちの目の届かない林の奥までフルートを呼び出したのでした。

「闇の怪物のこと? ランジュールが言ってたよね」

 とフルートは言いました。静かな声でした。

 すると、その前に金の少年が飛び降りてきました。あきれるほど鮮やかな金の目で見上げてきます。

「そう。闇の怪物たちは君を見つけようと血まなこなっている。闇がらすも、ともするとすぐに君を見失う。奴が君を見つけられなかったのは、君が女装していたからだけじゃないよ。ぼくが君の周りに聖なる結界を張っていたからだ。闇のものがどんなに透視力を働かせても、その中を見通すことはできない。自分の目や鼻や耳で実際に君の姿をとらえることでしか、君を見つけることができないんだ」

 フルートはうなずきました。昨日の日中、彼らはサルの怪物を倒しています。フルートがこうして山中を進んでいることはもう闇がらすや怪物たちにばれているはずなのに、大群で襲ってこないことが、逆に不思議だったのです。彼らの姿は、闇の目からは隠されていたのでした。

「ぼくを絶対に手元から離すな。ぼくを手放せば、とたんに君の姿は闇の奴らから丸見えになってしまう。願い石を狙う怪物たちがいっせいに襲いかかってくるぞ。それが言いたくて、君を呼び出したんだ」

 と精霊は続けました。整ったその顔は、怖いくらい真剣な表情を刻んでいました。

 

 フルートは少しの間、何も言いませんでした。足元を見ながら考え込み、やがて口にしたのは、精霊に言われたのとは全然別のことでした。

「ねえ、考えていたんだけどさ。トウガリが言っていた謎のザカラスの間者って、闇の怪物じゃないのかな? たとえば闇がらすとか――」

 証拠があるわけではありません。けれども、ずっとフルートを狙ってつきまとっている闇がらすならば、フルートが侍女に化けていたこともザカラス王に教えられた気がするのです。

 すると、精霊は首をかしげ、おもむろに腕組みをしました。

「時期が合わないだろう」

 と冷静に言います。

「ザカラスに向かう一行に偽の侍女が混じっているらしい、ということは、君たちが国境の関所を越える前からザカラスに漏れていた。でも、闇がらすが君の正体に気がついたのは最近のことだ。――いつのことだか自分でわかっていたかい、フルート? 宿の部屋でポポロと二人きりでいたときだよ。窓辺に立っていた君を、闇がらすは夜の中から見ていたのさ。あのとき、君はまるっきり素顔に戻っていたからな」

 泣き出しそうになったポポロにフルートが心揺さぶられて、窓のカーテンを握って葛藤したときのことです。フルートは思わず真っ赤になってしまいました。

 けれども、精霊は相変わらず冷ややかなほど平静でした。

「闇がらすはすぐに近くにいた闇の怪物に君のことを教えた。だから、怪物が君に襲いかかってきたんだ。――闇の怪物の心は闇さ。自分自身を楽しませて満足させることしか考えていない。闇がらすは闇の怪物たちが君を奪い合う場面を見たいんだから、人間のザカラス王に君を教えて、君を殺されてしまうような真似はしないだろう」

「そうか……」

 とフルートはまた考え込みました。ザカラス城に残ったトウガリは、謎の間者の手がかりをつかんだだろうか、と考えます。――そのトウガリが間者に正体を見破られて拷問にあっているとは、フルートも金の石の精霊も、知ることはできなかったのでした。

 

 あたりはすっかり明るくなっていました。空は一面雲におおわれていますが、その隙間からもれる朝日が、隣の山に当たって、斜面と林を輝かせています。小鳥のさえずりはますます賑やかです。

 金の石の精霊が、念を押すように言いました。

「いいね、フルート。ぼくを絶対に手元から離すんじゃないぞ。君の胸の上にあれば、ぼくは君たち全員を闇の目から守り続けることができるんだから」

 フルートはうなずきました。鎧の胸当ての上で輝くペンダントを見つめます。

 金色の少年の姿が薄れ始めました。吹いてくる風にちぎれるように、見えなくなっていきます。そうしながら、精霊の少年は言いました。

「それからもう一つ――ポポロを泣かせるなよ、フルート」

 フルートは、びっくりしました。消えていく寸前の精霊と目が合います。その金色の瞳は、なんだかいやに人間じみて見えました。

「ど、どういう意味さ?」

 フルートはうろたえながら胸のペンダントに尋ねましたが、魔石はただ金に輝くだけで、もう何も話そうとはしませんでした。

 

 そこへ、明るい少女の声が響いてきました。

「フルート! フルート、どこにいますの――!?」

 メーレーン王女の声でした。ワンワンワン、とポチが吠える声も聞こえてきます。

 なだらかな尾根を越えて、バラ色のドレスの少女と白い子犬が駆けてきました。フルートを見つけて、王女が満面の笑顔になります。

「こんなところにいらっしゃった! やっと見つけましたわ!」

 と嬉しそうに声を上げて、フルートの腕に抱きつきます。

 その足下から子犬が尋ねてきました。

「ワン、こんなところで何をしていたんですか、フルート?」

 王女とポチは、いつの間にかいなくなっていたフルートを探しに来たのでした。

 フルートは、思わず大きな黒い岩を眺めました。そこにはもう精霊の少年はいません。

「別に……。明るくなったから、ちょっとあたりの様子を見て回っていただけだよ」

 フルートは、静かにただそう答えました。

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