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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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62.闇のサル

 フルートは必死で山の斜面を駆け下りていきました。

 目の前に広がる林の中で、黒い怪物がポポロとメーレーン王女に襲いかかっていました。それを引き止めようとしたメールが悲鳴を上げ、怪物の背中に切りつけたゼンが、血しぶきを浴びて倒れたのが見えます。

 ポチが怪物に飛びかかっていって転がり、それを助けに駆けつけた王女を守って、ルルが風の犬に変身します。そのルルを、怪物が口から発射した魔法の弾で撃ち抜き、ルルが犬の姿に戻って地上に落ちます。それも助けに、王女がまた走ります。メーレーン王女は犬のためとなると本当に夢中です。王女に怪物の手が迫ります――。

 ふいに、紺色のドレスの少女が立ち上がりました。ポポロです。青ざめた顔のまま、怪物に片手を突きつけ呪文を唱え始めます。

「セエカオキテ……テーリタキヨリカヒ……!」

 フルートはぎりぎりのところでメーレーン王女の前に飛び込みました。聖なるダイヤモンドで強化された盾を構えて、後ろに王女をかばいます。王女は犬たちを抱きしめています。

 ポポロの指先から緑の光がほとばしり、爆発するように広がりました。あっというまに怪物を吹き飛ばし、周囲のものまで一気になぎ倒してしまいます。林の中の木々が傾き、枝が折れ、フルートや王女、ゼンやメールが倒れます。魔法を使ったポポロ自身も、光に吹き飛ばされて地面にたたきつけられます。ポポロはいつもの黒い星空の衣を着ていません。自分の魔法から身を守るものがなくて、魔法の威力をまともに食らってしまったのでした。積もった落ち葉が一気に宙に舞い、倒れた者たちの上に雪のように降ってきます……。

「ポポロ!」

 とフルートは叫んで跳ね起きました。フルートは魔法の鎧を着ているので、跳ね飛ばされてもまったく平気です。後ろにかばった王女たちも、聖なる盾が魔法を跳ね返したので、勢いが半減していて怪我はありません。

「おい、メール! メール!?」

 ゼンが毒に焼かれた目を必死でこらして、一緒に吹き飛ばされた少女を捜していました。メールは立木の太い幹にたたきつけられて、根本に倒れたまま動けなくなっていました。ゼンがようやくそれを見つけて、這うように駆けつけます。

 

 地面に倒れたポポロに、黒い手が迫ってきました。闇のサルの右腕です。

「ヒィホホホ……痛いよ痛いよ……早く勇者を食わなくちゃ。願い石に治してもらおう……」

 サルが半分吹き飛んだ頭でそう言っています。そんな状態でも、闇の怪物は死なないのです。一つだけになった黄色い目でポポロを見据えています。ポポロに向かって動く手は、途中でぷっつりと断ち切られていました。体からちぎれてしまっているのに、それでも怪物の意志に従ってポポロを捕まえようとしています。

 ポポロは真っ青になって跳ね起きました。とっさにまた手を突きつけて魔法を唱えようとします。

 すると、そのすぐ目の前に地面から飛び上がってきたものがありました。ちぎれて飛んだ怪物の頭の半分です。黄色い目を見開き、鋭い歯が並んだ口をかっと開き、ちぎれた咽からすさまじい声を上げます。

「勇者! 食うぞぉぉ!!」

 血をまき散らして宙に舞う半分だけの顔に、ポポロは魔法を使うことも忘れて悲鳴を上げてしまいました。

「きゃああ、いやぁぁ……!!!」

 その小柄な体をフルートはつかみました。右腕の中に抱きしめて左腕の盾で怪物の頭を防ぎます。怪物の歯が盾をかんで、ガリッと音を立てます。

 魔法でばらばらにちぎれた怪物の体が、毒の血をしたたらせながら、地を這い宙を舞って迫っていました。ポポロを執拗に捕まえようとします。ポポロは怪物の手に足をつかまれそうになって、また悲鳴を上げました。

 とたんに、フルートが叫びました。

「金の石!!」

 その声に応えて鎧の胸当ての隙間から金の光がほとばしりました。澄んだ光があたりを充たし、宙に浮いていた顔の破片が地面に落ちます。地面の上を這いずっていた腕と一緒に溶け始めます。

 体に残っていた頭の半分が金切り声を上げていました。

「な――なんだ――これは――!? この光はなんなんだ――!?」

 フルートは胸当ての中からペンダントを引き出しました。さらに強い光があたり一帯を照らします。怪物がまた悲鳴を上げました。

「体が溶ける――! 何故だ!? 何故だぁぁ!?」

 どろどろと溶けていく怪物に、ポポロは泣きながら顔をおおっていました。それを自分の体でさらにかばうように抱きしめながら、フルートは怪物に言いました。

「これが金の石の力だからさ。金の石の勇者は、このぼくなんだよ」

 けれども、返事はありませんでした。まばゆい金の光の中、怪物は跡形もなく消え去っていました――。

 

 金の石の輝きが収まりました。林の中から闇の敵は消えています。

 宙に舞い上がった落ち葉が地面に落ち、土埃もやがて落ち着いて、日差しがまた降りそそいできます。戦いの間、黙り込んでいた鳥が、また鳴き声をたて始めます。

 フルートは構えたままでいた盾を下ろして、ふうっと息をつきました。仲間たちを見回します。

 金の石の光は林中を照らし、傷ついた仲間たちも癒していました。また目が見えるようになったゼンが、起き上がったメールを抱き寄せています。怪我の治ったポチとルルが王女を見ています。王女は犬たちを腕の中に抱きしめて頬ずりしていました。

「無事でよかったわ、ポチ、ルル……本当によかった!」

 ポチが尻尾を振りながら王女の頬をなめました。ルルはちょっと迷惑そうに体を引くと、ぶつぶつ文句を言いました。

「ホントに馬鹿なんだから。王女様が怪我しちゃだめじゃないの。もっと考えなさいよ」

 けれども、それは怒った声ではなく、幼い妹に言い聞かせる姉のような口調でした。

 

 フルートの横でポポロがためらいがちに身じろぎしました。そっと言います。

「フルート……苦しい……」

 たちまちフルートは我に返りました。右腕の中にポポロをずっと抱きしめていたのです。ポポロを守ろうと必死になるあまり、ポポロの華奢な体を、苦しくなるほど強く鎧に押しつけてしまっていました。

「あ、ご、ごめん」

 とフルートはあわてて腕をほどきましたが、ポポロが離れていったとたん、何とも言えない想いに襲われました。離してしまいたくない、もっと抱いていたい、という気持ちです。思わずポポロの手をつかまえて、もう一度抱き寄せたくなります。フルートはとまどい、ポポロに背を向けて、赤くなった顔と本音を隠しました。

 ポポロはちょうど助けてもらった礼を言おうとしていたところでした。その目の前でフルートが背を向けたので、ポポロは大きな瞳をたちまちうるませ、何も言わずにうつむいてしまいました。大粒の涙が二粒、宝石の瞳から地面に落ちます。

 そして、そんな二人をメーレーン王女が少し離れた場所から見ていました。二匹の犬を抱いたまま、王女は、まあ、とつぶやきました。ちょっと驚いているような声でした。

 そこへ、ゼンがメールと近づいてきました。

「宿屋のときといい、ザカラスには闇の怪物が多いな。こんな明るい場所にも出てくるなんて、ちょっと驚きだぞ」

 フルートはそれには答えませんでした。怪物たちが願い石を持つ自分を狙っていることも、ポポロや王女を自分と間違えて襲ったことも話さずに、ただこう言います。

「また襲ってくるかもしれない。ぼくは金の石をいつも外に出しておくことにするから、ぼくからできるだけ離れないようにするんだ――」

 それしか闇の怪物への対抗方法が思いつかないフルートでした。

 

 その日、一行は山を一つ越え、次の山に入るのがやっとでした。大きなモミの木の下をその夜の宿に決め、よく乾いた落ち葉を集めてそれぞれの寝床を作ります。夕飯の後、フルート、ゼン、メール、そして二匹の犬たちは、火を囲んで、その夜の当直について話し合いました。闇の怪物がいつまた襲ってくるかわからないので、見張りを二人体制にすることに決め、その順番を決めます。

 その間、ポポロは王女と一緒に、寝床の最後の仕上げをしていました。積み重ねた落ち葉をたんねんに探って、ちくちくする葉や尖った小枝などが混じっていないか調べます。仲間全員の分の寝床まで調べてから、王女は自分の場所に嬉しそうに横になりました。うふふっ、と笑い声を上げます。

「素敵ですわ。今夜も落ち葉のベッドで眠れます。それに、今夜は大きな木の枝の天井ですわね。風が吹くたびに、上の方からごうごういう音が聞こえてきます。メーレーンはまだ海を見たことがないのですが、もしかしたら、海ってこういう音がするのでしょうか」

「うるさくて眠れないようですか、王女様?」

 とポポロは心配して尋ねました。彼女はまだロムドの侍女の格好のままです。本当に、そんなふうに二人でいると、王女の面倒を見ている侍女そのものにしか見えません。

 メーレーン王女は笑顔で首を振りました。

「いいえ。子守歌みたいです。ゆったりしていて、とてもいい音……。今夜は、メーレーンは海の夢を見るかもしれませんわ」

 楽しそうにそんなことを言う王女に、ポポロも思わずほほえんでしまいました。王女は本当に無邪気で、その素直さが相手を優しい気持ちにしてしまうのでした。

 すると、王女が急に起き上がってきました。

「ポポロ、メーレーンは質問があるんですが、聞いてみてもよいですか?」

 王女がいやに大真面目な表情をしていたので、ポポロはとまどいました。なんでしょう? と聞き返すと、王女は言いました。

「ポポロは、フルートが好きなのですか?」

 

 ポポロは真っ赤になりました。思いがけない相手から、思いがけない質問をされて、とっさには返事ができません。

 すると、王女は真剣な声で続けました。

「メーレーンは、フルートが好きです。一緒に旅をさせてもらってまだ二日目ですが、とても優しくて立派な方だと思います。本当の勇者様です。でも、見ていると、なんだかポポロもフルートが好きなような気がします。もしも本当にそうなら、メーレーンは邪魔をしてはいけません。勇者様のことはあきらめます。――ポポロはフルートが好きなのでしょうか? 教えてください」

 メーレーン王女は、オリバンによく似た灰色の瞳をしていました。まっすぐなまなざしもそっくりです。その目でじっとのぞき込まれて、ポポロは思わずたじろぎました。顔がますます赤くなりますが、夜の暗さがそれを隠してしまいます。

 メーレーン王女は落ち葉の上に座り込み、両手を膝の上で組んで返事を待っていました。でも、ポポロはなんと答えていいのかわかりません。とまどい、ついに王女から目をそらしてしまいました。

「あたしは……ただの仲間です、王女様……。いつも迷惑をかけていて、フルートに助けてもらってばかりいるんです……」

 王女は確かめるようにポポロを見上げ続けていました。そむけた顔の表情を見ようと首をかしげます。

「本当に、ポポロ?」

「本当です……」

 そう言ったとたん、ポポロは泣き出してしまいそうになりました。こみ上げてくる涙を懸命に抑えます。

 

 すると、王女は、ぱん、と両手を打ち合わせました。たちまち嬉しそうな笑顔が広がります。

「ああ、よかった!」

 と王女は晴ればれとした声で言いました。

「ポポロ、メーレーンは明日からがんばりますわ! できるだけフルートのそばにいて、フルートに気に入ってもらいます! フルートは今はまだメーレーンをなんとも思っていないと思いますが――必ず好きになっていただいて、メーレーンと結婚して、ロムドの皇族になってもらいますわ!」

 ポポロは完全にことばを失いました。結婚、ということばが驚くくらい強く心に響いたのです。フルートがメーレーン王女と結婚して皇族になり、未来のロムド王になるのではないか、という噂が、現実のものになってしまうのかもしれません。いえ、オリバンがいるのですから、フルートがロムド王になるはずはありません。でも、王女と結婚して皇族になることのほうは、充分ありえることだったのです。

 嬉しそうにほほえみ続ける王女を前に、ポポロは大きな瞳をいっそう大きくして、涙をこらえているのがやっとでした……。

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