昼過ぎ、少年少女の一行は、低い山の頂上を越えたところで食事にしました。ゼンが手早く作った料理を食べ、水を飲み、思い思いに休みます。冬の空は相変わらずよく晴れていて、林の中に日の光が暖かく降りそそいでいました。林の中に降り積もった落ち葉が、乾くにつれて風もないのにかさこそと音を立てます。
仲間たちが落ち葉の中に座ったり寝転がったりして休んでいるのを眺めてから、フルートは一人で山の斜面をもう一度上って頂上に戻っていきました。そこから周囲を見回します。
丘陵地は低い山や丘がいくつも連なっている場所でした。一つの山の斜面が浅い谷間をはさんで次の山の斜面につながっています。山の木の大半は落葉樹なので、今は枯れ木と落ち葉のけむるような灰茶色に包まれています。所々で、冬にも葉を落とさない常緑樹や針葉樹が、黒っぽい緑の茂みを作っているのが見えます。邪魔な下草もほとんどないので、越えて行くには楽な山道でした。
山の上を風が吹いていきます。なびいたマントを鎧の上に絡め直しながら、フルートはさらに遠くへ目を向けました。追っ手を示す黒い鎧や武器のきらめきが、山の林の中に見えないかと注意深く眺めます。今は、それらしいものは見当たりません。――が、山や丘は一つ一つが小さいので、体力のある者であれば簡単に越えることができます。逆に山が視界をさえぎって、追っ手が迫ってきても見ることができないのです。
またポポロに魔法使いの目で周囲を探ってもらわなくちゃならないな、とフルートは考えました。王女が一緒なので、フルートたちは素早く行動することができません。敵の先手を打って進むしか、逃げのびる方法はないのでした。
すると、フルートのかたわらで、急に声がしました。
「はぁい、やっほう、一日ぶり。元気だったぁ、勇者くん?」
のんびりした調子の青年の声です。フルートは、はっと声のした方を見ました。案の定、そこにいたのは幽霊のランジュールでした。長い赤い上着のポケットに両手を突っ込み、にやにやして立っています。その体は半分透き通っていて、向こう側の景色が見えていました。
フルートが身構えたまま何も言わないので、ランジュールがまた言いました。
「あれぇ? 驚いてくれないの、勇者くん? 『ランジュール!?』とか、『貴様、また出てきたのか!』とか言ってくれないと、なんか張り合いないんだけどなぁ」
幽霊のランジュールは今回も魔獣を連れてはいませんでした。けれども、前回、丘の上で会ったときと違って、フルートは勇者の姿に戻っています。ランジュールが、戦えない人間は面白くない、戦えるようになったら魔獣を繰り出す、と言っていたのを思い出して、フルートはいっそう身構えました。少しでも魔獣を呼び出す気配がしたら背中から剣を引き抜こうとします。
「なんだかいちいち驚くのも馬鹿らしくなってきたんだよ。今日は何の用さ?」
と口では平然と言い返すと、ランジュールは唇をとがらせました。
「うーん、ますます張り合いがない! ねぇ、もうちょっと驚くか怒るかしてよ、勇者くん。せっかくこっちは幽霊で登場してるだからさぁ」
本当に、死んでからもとぼけた調子は変わらないランジュールです。その痩せた長身が、ふとフルートにトウガリを連想させました。ザカラス城に残ったトウガリは今頃どうしているだろう、とまた心配になってきます……。
そんなフルートを見て、幽霊の青年は、はぁん、と肩をすくめました。
「どうやら、勇者くんはそれどころじゃないみたいだねぇ……。ま、いっか。驚いてもらうのは、そのうちとびきりの魔獣を連れてきたときにしてもらうことにして、と、今日はねぇ、また忠告に来てあげたんだよ」
「忠告?」
フルートは聞き返しました。どうやらランジュールは今回も魔獣を送り込む気はないようです。
「そ。闇がらすがキミを追いかけているよぉ、ってね。彼、さすがに学習したらしくてさ、キミの見えるところでは大騒ぎしなくなったんだよね。でも、闇の国に行っては、せっせと闇の怪物たちをあおってキミを襲わせようとしてる。馬鹿な怪物ほどキミを食べようと夢中になってるし、そういうヤツらは頭が悪いから見境なく襲いかかってくるよ。気をつけなくちゃねぇ、勇者くん」
フルートは黙ったまま目を伏せました。口を真一文字に結びます。
そんな様子に、ランジュールが笑いました。
「うふふ。やっぱり、そんなのは承知の上だって顔してるねぇ……。だからまた、こんなふうに仲間たちから離れているんだろう? 仲間たちが闇の怪物に一緒に襲われないように。ほぉんと立派な勇者なんだから」
林の中を、また気持ちのよい風が吹き抜けていきました。冬の太陽は、相変わらず明るく輝いています。日差しは木々やフルートの影を地面にくっきりと描きますが、幽霊のランジュールの足下だけには影はありません。つかみどころのない、それでいて不思議な存在感のある格好で、ランジュールはのんびりと話し続けていました。
「ねえ、勇者くん、覚えているかい? 前回ボクが出てきたときに、キミに忠告したこと。闇がらすはキミが女装してたことに気がついた、って教えたよねぇ……? 今、キミはもうこうして勇者に戻った。かっこいいよね。ドレス姿も綺麗だったけど、やっぱりこっちのほうがいいと思うよぉ。で、闇がらすもやっぱりそれに気がついた。でもねぇ、先にカラスがキミのことを教えた闇の連中は、まぁだそのへんがよくわかってないんだよねぇ」
くすくす、と意味ありげにランジュールが笑いました。フルートは眉をひそめました。なんだか嫌な雰囲気です。
「どういう意味だ!?」
と強く聞き返すと、ランジュールが、おや、と肩をすくめました。
「なんか皇太子くんにちょっと似てきたんじゃないの、勇者くん……? その格好のせいかなぁ。前より男っぽくなった気がするね? んー、でも、わかんないかなぁ、ボクが言ってる意味。キミはもうドレスを着ていない。だけど、闇の怪物たちは、金の石の勇者がまだドレスを着て女装してると思いこんでる。しかも、金の石にどんな魔力があるか理解できないような、頭の悪い連中だよぉ。何が起こるのか……全然想像がつかない? 勇者くん」
そう言って、ランジュールはまたニヤニヤしました。両手は上着のポケットに突っ込んだまま、わざとらしく視線を転じて見せます。その先には、山の斜面の途中で座って休んでいるポポロとメーレーン王女の姿がありました。ポポロは紺色の侍女のドレス、王女はバラ色のドレスとコートを着ています――。
フルートは真っ青になって飛び上がりました。ランジュールが何を言っているのか、ようやく理解したのです。
そして、それと同じ瞬間に、ポポロと王女が悲鳴を上げました。二人の目の前に、落ち葉を跳ね飛ばしながら、突然怪物が姿を現したのです。人間の大人ほどの大きさで、真っ黒なサルに似た姿をしています。
「ポポロ! 王女様――!」
フルートは駆け出しました。少女たちに向かって全速力で斜面を駆け下ります。その後ろでランジュールがくすくす笑い続けているのが聞こえました。
「ほぉらね。ドレスを着てる方を勇者だと思って襲いに行った。ほぉんと、馬鹿な連中なんだから」
フルートは唇をかみました。ランジュールが自分をからかっているのだと、はっきりわかったからです。ぎりぎりまで闇の敵の襲撃を教えずにおいて、フルートがあわてている様子を見て楽しんでいるのです。
少女たちの悲鳴に、ゼンとメールが飛び起きました。昼寝をしていた犬たちも跳ね起きます。
「闇の怪物!」
とメールが叫んで駆け出しました。今、林の中に彼女が使える花は咲いていません。黒いサルの背中にいきなり飛びつき、全身をおおう毛をつかんで、力ずくで引き止めようとします。
ところが、メールはたちまち悲鳴を上げて飛びのきました。怪物の体に触れたとたん、両手に鋭い痛みが走り、手のひらがまるでやけどを負ったようにただれたのです。
その前にゼンが飛び出してきました。
「馬鹿野郎、無茶するな!」
と、どなりながら、腰からショートソードを抜いて怪物に切りかかります。黒いサルの背中に傷が走り、赤黒い血が吹き出してきます。
その血を浴びたとたん、ゼンも叫び声を上げました。強い酸を浴びたように、血のかかった顔や手に熱と痛みが走り、目が開けられなくなったのです。顔をおおって地面を転げ回ります。
「ゼン!」
メールが真っ青になってゼンに飛びつきます。
ポポロとメーレーン王女の前に犬たちが飛び込みました。背中の毛を逆立てながらうなります。
「ワン、毒の血と毛を持つ怪物だ。ルル、気をつけて」
「風の刃で切りつけたら、また血が飛び散るわね――引き離さないと」
ルルは風の犬に変身するタイミングをつかみかねています。
すると、サルのような怪物が突然動きました。牙をむく犬たちではなく、その後ろで立ちすくむ二人のドレス姿の少女へ襲いかかっていきます。
「ヒャッホホ、二人いる。ドレスが二人いる。勇者はどっちだ?」
そんなことを言いながらポポロと王女を見比べ、すぐに両方へ両手を伸ばしました。
「えぇぇい、面倒。一緒に食べよう。そうすれば、どっちかのドレスが当たりだ」
メーレーン王女が悲鳴を上げました。怪物の黒い鋭い爪が迫ってきます。
そこへポチが飛びつきました。毒を承知で怪物の手にかみつきます。とたんに、ギャン、と悲鳴を上げてポチは地面に転がりました。焼けただれた口から泡を吹いて転げ回ります。
「ポチ!」
「ポチ――!」
ルルと同時に叫んだのはメーレーン王女でした。たじろいでいる怪物の前から、ポチを助けようと駆け出します。
「王女様!」
とポポロは仰天して叫びました。あまりにも無謀な行動です。怪物がまた王女に向かって手を伸ばしていました。
「ヒャッホホ、自分から来た。まずは、こっちからいただこうか――」
とたんに、ごうっと風がうなりました。激しいつむじ風が怪物の手をはじき飛ばします。風の犬に変身したルルが怪物を跳ね返したのです。
その間に王女がポチを抱き上げました。泡を吹いて苦しんでいるポチに、涙を浮かべて呼びかけます。
「ポチ、ポチ、しっかりして――!」
そんな王女へルルはどなりました。
「いいから逃げなさいよ! 早く!」
闇のサルが頭上の風の犬をじろりとにらみました。
「おまえ、邪魔」
と言うと、口をかっと開けます。とたんに、ルルの風の尾が、ばんと音を立てて破裂しました。怪物は闇の魔法攻撃が使えたのです。
ルルは青い霧の血を吹き出しながら墜落し、そのまままた犬の姿に戻りました。後足に深手を負って立てません。それを見て、王女がまた悲鳴を上げました。
「ルル!」
今度はルルに向かって走り出します。
ルルは叫びました。
「馬鹿――! 来ちゃだめ、戻りなさい!」
けれども王女は立ち止まりません。片腕にポチを抱いたまま、ルルも抱き上げようとします。
そこへ、闇のサルが襲いかかってきました――。