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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第15章 丘陵地

60.山道

 ザカラス城からメーレーン王女を連れて逃げ出したフルートたちは、朝食をすませると、低い山の中を歩き出しました。林の中に入り込み、東の方角を目ざします。ザカラスの首都ザカリアからロムドへ続く街道は東へ延びています。街道に平行する形で丘陵地を進むことにしたのです。

 一行の先頭に立ったのはゼンです。下男の格好のままで、また背中に大きなリュックサックを背負っていますが、今度の中身は、ほとんどが食料品と調理器具です。冬の山では食べられる野草や果実の類はほとんど見つかりません。ゼンはエルフの弓矢をロムド城に置いてきてしまったので、鳥や獣を狩ることもできません。持てる限りの食料を持ち歩くしかなかったのです。

 それに並んで進むのはメールでした。いつもの花柄の袖無しシャツとウロコ模様の半ズボンの上に、トウガリの上着を着込み、足には町のよろずやで買ったブーツをはいています。後ろで一つに束ねた長い髪は、初夏の梢の色です。細い体で軽々と山の斜面を上り、ゼンの前になったり後になったりしながら先へ進んでいきます。時々林の奥に姿を消して、先の様子を偵察して戻ってきます。

 そんなメールにゼンが笑いました。

「ったく。ホントに野生の鹿かキツネみたいなヤツだな。山に入ったとたん生き生きしやがって」

「そんなのあたりまえだろ。あたいは半分森の民だもん。でもさ、ゼンだってそうとう元気じゃない?」

「当然だ。俺は北の峰の猟師だからな。馬車でずっと揺られてるより、自分の足で山を歩く方が百万倍楽しいぜ」

「あ、それは同感」

 二人の自然児は、上り道に息を切らすこともなく、そんな会話を楽しげにかわしています。

 

 その後ろについて歩くのはフルートです。ゼンが町で買ってきた服に着替え、その上に金の鎧兜を装備し、銀のロングソードと黒い炎の剣を背負い、左腕には盾をつけています。鎧の上からマントをはおっていますが、それは寒さを防ぐためではなく、金の鎧が光って人目を惹くのを防ぐためでした。しょっちゅう振り向いては、自分の後を歩くメーレーン王女を見ていました。

「大丈夫ですか、王女様? 上りがきつくなってきましたけど」

「だ、大丈夫です」

 と王女は息を弾ませながら答えました。その顔は真っ赤で、冬だというのに額に汗をかいています。王女は今まで山歩きなどしたこともありません。おぼつかない足取りで、それでも一生懸命後をついていきます。裾の長いバラ色のドレスとバラ色のコートは、山を歩くのにはかなり不自由そうでした。

 王女の足下を前に後ろに走りながら、白い子犬のポチが声をかけていました。

「ワン。がんばって、王女様。この山の峠を越えたら、ひと休みしますからね」

「はい、メーレーンはがんばります」

 本当に、とても素直な王女でした。

 

 ふん、と鼻を鳴らしてルルが王女から顔をそらしました。面白くなさそうな表情のまま、一番最後を行くポポロのそばへ戻ってきます。ポポロは紺色の侍女のドレスを着て、その上にマントをはおっていましたが、こちらは王女ほどには歩きにくそうではありませんでした。ドレスの裾をたくし上げながら、器用に斜面を上っていきます。

 そんなポポロにルルが話しかけました。

「ねえ、ポポロ、あれでいいの?」

「いいのって?」

 不思議そうにポポロは聞き返しました。ルルは怒った顔をしていましたが、何に腹を立てているのかわからなかったのです。

「フルートよ。王女様にべったりじゃないの。あんなに接近させといて大丈夫なの?」

「接近って……だって、王女様は山歩きになれてないんですもの。しょうがないじゃない?」

「ああもう!」

 ルルは思わず叫んでしまいました。それでも、先を行くフルートたちには聞こえないように、声は抑えます。

「ポポロ、そんなことを言ってると、そのうち王女様にフルートをとられちゃうかもしれないわよ」

 たちまちポポロは真っ赤になりました。あわてたように首を振ります。

「そんな……フルートは誰のものでもないのよ。そんな言い方って……」

「ポポロの馬鹿! ホントに王女様にフルートをとられて泣いたって知らないから!」

 ルルはすっかり怒って、ポポロからも離れてずっと後ろに下がってしまいました。

 ポポロは困った顔をしましたが、ルルがすねているので、しかたなくまた顔を前に向けました。ちょうど小さな岩場を越えようとして、フルートが王女に手を貸しているところでした。フルートの手が王女の白い手を優しく握るのを見て、ポポロはどきりとしました。思わず目を伏せると、ふいに涙がこみ上げてきます。……王女にフルートをとられなくても、もう泣きそうになっているポポロでした。

 

 やがて、フルートが急に足を止めました。王女を立ち止まらせ、仲間たちに呼びかけます。

「ゼン、メール、ちょっと待って……! 王女様、座ってください。靴を脱いで足を見せて」

「え?」

 メーレーン王女はたちまち真っ赤になりましたが、フルートが真面目な顔をしているので、言われたとおり靴を脱ぎました。恥ずかしそうに素足を見せます。

 とたんに、おっ、とゼンが声を上げ、あらら、とメールも言いました。

「これは痛かっただろ? 王女様」

 メーレーン王女の両足は、靴ずれのまめがつぶれて、かかとが血だらけになっていたのです。本当に、王女はこんな長距離を自分の足で歩いたことがなかったのでした。

 フルートが言いました。

「痛かったら痛いって言っていいんですよ。こんな状態で無理をしたら歩けなくなってしまうから」

 と自分の首から鎖を外してペンダントを取り出し、金の石を王女に押し当てます。とたんに、王女の足から痛々しそうなまめが跡形もなく消えました。

「まあ」

 と王女は目を丸くしました。噂には聞いていましたが、魔法の金の石が傷を癒す様子を見たのは生まれて初めてです。すっかり感心して声を上げました。

「すごいですわ! なんだかフルートが魔法使いに見えます!」

「金の石の力ですよ。ぼくは何もしてません」

 とフルートは笑って答えました。

 

 まだ上り斜面の途中でしたが、一行はそこで小休止することにしました。進路を打ち合わせるためにフルートとゼンは行く手がよく見える場所へ移動し、代わりにメールが来て、王女に水筒の水を勧めます。王女は素直にそれを飲みました。

 フルートが楽しそうな顔でそれを眺め続けていたので、ゼンがにらみつけてきました。

「なにニヤニヤしてやがんだよ、おまえ! 王女に鼻の下のばしてんじゃねえぞ」

 とたんにフルートは赤くなり、むっとしたように答えました。

「なんだい、それ? ぼくはただ、ちょっと思い出してただけだよ」

「思い出してた? 何を?」

「風の犬の戦いで、初めてポポロと一緒に旅したときのことだよ。やっぱり追っ手がかかってたのに、全然先に進めなくて困ったっけなぁ、とか、金の石を初めて使って見せたときに、ポポロもぼくを魔法使いなのかって言ってきたなぁ、とか……。ポポロの方こそ、本物の魔法使いだったのにさ。王女様もがんばるけど、あのときのポポロのは本当に必死なくらいだったもんな。ものすごく泣きながら、それでも一生懸命、ぼくたちと一緒に来たんだ――」

 そんなふうに話すフルートは、いつの間にかまた穏やかな声に戻っていました。その瞳がいやに遠いところを見ているような気がして、ゼンは思わず眉をひそめました。フルート、おまえ……と言いかけますが、なにを言いたいのか自分でもわからなくなって、また黙ってしまいます。

 すると、フルートが続けました。

「あれからもう二年半がたったんだよ。ずいぶんいろんなことがあったよね。いろんな場所に行って、たくさんの人に会って、数え切れないくらい戦って……そして、今ぼくらはザカラスにいる。なんだか、本当に遠くまで来た気がするよね」

 そして、フルートは林の梢越しに青空を見上げました。その瞳は、空を映したような鮮やかな青です。空の彼方へ遠いまなざしを向けています。

 とたんに、ゼンは胸騒ぎを覚えました。なんだか妙に落ち着かない気分になって、親友の横顔を見つめ直してしまいます。けれども、フルートはいつものように穏やかにほほえんだまま、黙って空を見上げているだけでした。空はよく晴れ渡っていて、危険なものも怪しいものも、何の気配も感じられません。

 すると、山の林の奥で、鳥がチッチッピルルル、とさえずり出しました。小さな笛を鳴らすような声です。フルートは、我に返ると、ゼンを見直しました。

「さ、これからのルートを打ち合わせよう。王女様はあんまりきつい山道は歩けないからね、どんなふうに進んでいったらいいと思う?」

「お、おう」

 ゼンはとまどいながら返事をしました。フルートはやっぱりいつもと変わりません。考え深い目で行く手の低い山を眺めています。

 気のせいか? とゼンは心の中で首をかしげました――。

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