山間の浅い谷に朝の光は降り注ぎ続けていました。
十二月の山は木々がすっかり葉を落とし、林の奥まで光が差し込んできます。意外なくらい明るく感じられる朝です。
川へ顔を洗いに行った王女やポポロたちは、なかなか戻ってきませんでした。ゼンが、料理の煮えるのを見守りながら、また話し出しました。
「そういや約束だったよな。トウガリのことを聞かせてくれるって。あいつ、何者だったんだよ?」
ずっと味方だと思っていたのに、突然裏切ってザカラスにゼンたちを引き渡し、その後また助けに駆けつけてくれたトウガリです。彼は味方なんだ、と聞かされても、その行動の意味がゼンにはわからなくて、どうしても納得できないでいたのでした。
フルートは静かに答えました。
「トウガリは二重間者だよ。もともとはザカラスからロムドに送り込まれた間者だったんだけど、ユギルさんと国王陛下に見破られて、説得されてロムドの間者になったんだ。ザカラス側には自分の方の間者だと思わせておいて、ザカラスの情報を集めたり、ロムドに都合のいい情報をわざと流したりしていたんだよ」
「ロムドに都合のいい情報をわざと流す?」
とゼンはけげんな顔をしました。情報操作と呼ばれる攪乱(かくらん)ですが、単純なゼンには具体的に想像することができなかったのです。
フルートは穏やかな声のまま説明を続けました。
「たとえば、今回みたいに、金の石の勇者が来ることだけをザカラスに教えておいて、他の大事なことは全部秘密にしておくようなことさ。ぼくが侍女に化けていたことも伝えていなかった。だから、ザカラス王はゼンを金の石の勇者だと思いこんだのさ」
「でも、侍女も怪しいってことには、ザカラス王も気がついてたよね?」
とメールが口をはさみました。
「それは別口。トウガリ以外にも間者が動いていたらしいんだ。ザカラスの皇太子は、それもトウガリの情報だと思っていたけどね。……ゼンが敵に襲われるようになったのは、関所を越えてからだ。侍女は疑われていたし、ぼくはトウガリを助けるのに荒野で金の石を使ってしまった。トウガリは、ぼくから疑いの目をそらすために、わざとゼンが金の石の勇者に見えるように、ザカラスに情報を流していたんだよ」
ははぁ、とゼンはうなずきました。
「それでやっと合点がいった。いや、宿屋の裏庭で突然二人組の男に襲われた後の夜によ、あんまりトウガリのヤツが心配しやがらないから、文句をつけたんだ。人が殺されそうになったってのに、なに涼しい顔してやがる、ってな。そしたら、トウガリが言ったんだ。『あんな奴らに殺されるようなおまえじゃあるまい』って……。あいつ、俺ならフルートに間違われても大丈夫だと踏んでたんだな」
なんとなく、子どもたちは黙り込みました。メールが、自分のはおっていたトウガリの上着にそっとふれます。トウガリが薄着のフルートに渡し、さらにそれをメールが借りたのです。背の高いトウガリの上着は丈が長くて、長身のメールが着てもコートのようでした。そして、とても暖かいのです……。
「トウガリは今、別の間者の正体をつかむのに城に残っているんだ。無事でいるといいんだけど」
とフルートは心配そうに言いました。ゼンも真剣な顔になります。
「だな。そうなると、あいつはザカラスの裏切り者だ。ばれたら命が危ないぞ。――なんであいつはそんな危ない真似をしたんだ? いくら間者だからって、今は状況がやばすぎるだろうが。絶対にザカラスから疑われてるぞ」
すると、メールが考え込むように言いました。
「必死で守ろうとしてるんだろうね、トウガリは」
「守る? ロムドをか? それとも、あの王女様を守ろうとしてるのか? それにしたって危険すぎる――」
と言いかけたゼンに、メールは首を振って見せました。
「違うよ。トウガリが守ろうとしてるのは、メノア王妃なんだよ」
少年たちは思わず目を丸くしました。何故ここで急にロムドの王妃の名前が出てきたのか、わけがわかりません。
すると、メールは、ふっと大人のような溜息をついて続けました。
「ゼンがトウガリを殴ったときに、トウガリがペンダントを落としただろ? あの中にさ、肖像画が入ってたんだよ。メーレーン王女によく似た顔をしてたけど、もっと大人の女の人だった。やっぱりバラ色のドレスを着ててさ、金色の髪をしてた。あたいは王妃様を大広間でちょっと見かけたことがあるけど、あれは間違いなくメノア王妃の肖像画だよ」
「でも、それがどうかしたのか? メノア王妃はトウガリの直接の主人だろ? その肖像画くらい持っていたって」
とゼンが言うと、とたんにメールは天を振り仰ぎました。
「ああもう、これだから男の子ってのは――! フルートも意味わかってないだろ?」
と、やっぱり要領を得ない顔をしている鎧の少年をにらみつけます。
「いい? いくら自分の主人だからってさ、その肖像画をわざわざペンダントに入れて、こっそり持ってたりすると思う? それに、入っていた肖像画はすごく丁寧に描かれてた。本当に生きてる人を写し取ったみたいにさ。あれは一流の画家に、ペンダント用にわざわざ描かせた絵だよ。そこまでしたものを肌身離さず持ってる意味、本当にわかんないの?」
けれども、ゼンはやっぱり納得がいかない顔でした。
「そう言うけどよぉ。たとえばメノア王妃が自分の絵を描かせてだぞ、それを入れたペンダントをトウガリに与えたとかいうのは考えらんないのかよ? 北の峰の洞窟のドワーフたちが作るのは、もっぱら武器や防具だけど、たまに人間の注文でそういう記念品みたいのも作ることがあるんだぜ。絵やら記念の印やらを仕込んだ細工品だ。そういうのはだいたいプレゼントに使うらしいけどな。王妃にもらったもんなら、トウガリが持っていたって不思議じゃないだろ」
ああ、もうやだ! とメールはまた声を上げました。片手で額を押さえてしまっています。
「メノア王妃は、ロムド王のお后なんだよ? いくら自分の道化だからって、国王の奥さんが異性に自分の肖像画が入ったペンダントを与えるような馬鹿な真似するもんか! それこそ宮廷中で大騒動になるじゃないのさ! あれは間違いなくトウガリが自分で画家に作らせたもの。それにもう一つ。トウガリは間者なんだろ? 道化の化粧を落として、普通の人間のふりをして調べてることもよくあるわけだろ? その格好のときにまで王妃様のペンダントを持っているなんてこと――普通、考えられるかい?」
これには、ゼンとフルートもようやく、あっと気がつきました。正体を隠さなくてはならない間者が、自分の正体を示すようなものを持ち歩くというのは、確かに普通では考えられないことです。
「ってことは……」
と見つめてくる少年たちに、少女は大人のように肩をすくめ返しました。
「トウガリは、メノア王妃が好きなんだよ。たぶん、ずっと好きだったんだ。王妃付きの道化としてロムドに来た頃から、ずっとね……。だから、ザカラスを裏切ってロムドの間者なんかになったんだ。王妃を守ろうとして、さ。今回だってそうさ。トウガリは王妃のためにメーレーン王女を助けに来たんだよ」
フルートは、ザカラス城でメーレーン王女に再会したときのトウガリを思い出していました。いつも無愛想でそっけないはずのトウガリが、王女にだけは本当に優しく、そっと接していました。いとおしい気持ちを隠すように。
メーレーン王女は母のメノア王妃によく似ています。トウガリは、王女の中に、王妃の面影を見ていたのかもしれません……。
少年たちが何も言えなくなっているところへ、谷川から少女と犬たちが戻ってきました。バラ色のコートを着た王女がフルートへ駆け出します。
「メーレーンは川で顔を洗ってきましたわ! 水が氷のように冷たかったけれど、とっても気持ちよかったです! それに帰りに大きな鹿を見かけました! とっても立派で素敵でした――!」
王女の無邪気な声が響きます。
フルートはそんな王女を見つめました。王女を頼む、守れよ、と言っていたトウガリの声を思い出します。
道化の化粧をした派手な顔、無愛想で平凡な顔、そんなトウガリの顔の向こうに、もう一つ、隠された素顔が透けて見えたような気がしました。それは、何も語らない、静かな優しい横顔でした――。