「王女様、メーレーン王女様」
揺すぶられるように起こされて、王女はようやく目を覚ましました。とたんに、朝の光が飛び込んできて、まぶしさに目をぱちくりさせてしまいます。王女は起き抜けにこんなふうに朝日に照らされた経験がありませんでした。びっくりして、あたりを見回してしまいます。
すると、四人の子どもたちの姿が目に入りました。すぐ目の前には緑の髪をした長身の少女、その後ろに侍女のドレスを着た小柄な少女と金の鎧兜の少年、少し離れた場所では、がっしりした体つきの少年が何か食べ物を刻みながら、横目でこちらを見ています――。
反対側の火のそばに白い子犬と茶色の雌犬がいるのを見たとたん、王女の目がはっきりと覚めました。たちまち歓声を上げます。
「まあ、ポチ、ルル! おはよう!」
「なんだよ、このお姫様は。いつも人より犬が優先なのか?」
ゼンは相手がどんなに身分ある人物でもまったく遠慮などしません。憮然とした顔になってそんなことを言います。
あら、と王女は顔を赤らめました。
「そ、そんなことはないです。ただ、ポチたちがいてくれて、メーレーンは嬉しかったものですから。――おはようございます、勇者の皆様方」
と王女は立ち上がると、コートの上からドレスの裾をつまんで優雅にお辞儀をしました。幼い姿ながらも王族の気品が漂い、木と岩に囲まれた谷間が急に華やかな雰囲気に包まれます。
「おはようございます、王女様。昨夜は寒くありませんでしたか?」
とフルートが尋ねました。いつもの穏やかな口調です。
王女はほんのりと頬を染めると、鎧姿のフルートを見つめながら言いました。
「お着替えになったんですね、勇者様。やっぱり勇者様はその姿が一番お似合いですわ」
ん? と仲間たちはいっせいに王女とフルートを見ました。王女の口調に、なんだか特別な響きを感じ取ったのです。王女は恥ずかしそうに、それでいてとても嬉しそうにフルートを見上げていました。背が低くて小柄なフルートですが、王女はそれよりもっと小柄で、ポポロとほとんど同じくらいの背丈しかなかったのです。
フルートがいつもの優しい笑顔で答えていました。
「ぼくもこの格好の方が落ち着きます。でも、勇者様って何度も呼ばれるのは、なんだか落ち着きません。フルートでいいですよ、王女様。オリバンも、そう呼んでくれているんです」
「フルート?」
王女はますます顔を赤らめながら繰り返しました。名前で呼ぶことには少し抵抗があるようでした。けれども、フルートにまたほほえまれると、真っ赤になりながらうなずきました。
「わかりました。そうお呼びしますわ――フルート」
「ありがとう」
フルートはまた、にっこりしました。
「おい」
そのやりとりに思わずゼンが声を上げましたが、フルートには届きませんでした。他の仲間たちが何とも言えない表情をしていることにも、ポポロがふいに泣きそうになってうつむいてしまったことにも、フルートはまったく気づかずにいました――。
メーレーン王女は改めてあたりを眺めました。針葉樹に囲まれた谷間です。むき出しの地面に火がたかれています。そのそばに積み重ねた枯れ草や枯れ葉が、昨夜の王女のベッドでした。布団もシーツも枕もない中、ドレスとコートを着たままで眠ったのです。日陰ではまだ霜が白く光っていましたが、たき火の炎と厚く重ねた枯れ葉のおかげで、昨夜は意外なくらい寒さを感じませんでした。
「メーレーンは昨夜、外で寝たのですね」
と王女が言いました。なんだか自分で感心しているような声でした。
フルートがちょっとすまなそうな顔になりました。
「王女様には寝心地悪かったでしょうね。怖くはなかったですか?」
「いいえ、全然」
と王女は答えました。笑顔になっています。
「メーレーンは初めて夜空の下で寝ました。布団もかけないで、寝間着にも着替えないで。そんなのは生まれて初めてだったから、なんだかとてもドキドキしました。ねえ、勇者様――あ、いいえ、フルート」
「はい?」
フルートが返事をします。楽しそうな王女につられて、また笑顔になっています。
「メーレーンは、昨夜、とっても綺麗な星空を見ました。寝ていると、自分の上に大きな夜空が広がっていて、そこに、大きな星がたくさん輝いていました。小さな星もたくさん見えました。空中が星でいっぱいで――メーレーンは、空にあんなに星があるなんて思ってもいませんでしたわ。お城のシャンデリアのろうそくよりたくさんあるような気がして、星を数えていたら、数え終わる前に眠ってしまっていました。でも、夢の中でも星を数えていたんです。全部数えたんですが、目を覚ましたらいくつだったか忘れてしまいました。すごく楽しい夢でしたわ」
夢と現実がごちゃ混ぜになった話を、王女は本当に楽しそうに、興奮しながら言っていました。ばっかみたい、とルルが小声でつぶやきましたが、フルートは優しい笑顔のまま言いました。
「良かったですね、楽しい経験ができて。初めての野宿だし、王女様が怖くて眠れないんじゃないかと心配してました」
「いいえ、いいえ!」
と王女はますます明るい笑顔になりながら言いました。
「メーレーンはとっても楽しいですわ。何もかも初めてで、すごく面白いです。今だって、朝起きても着替えなくていいんですもの、とっても楽で素敵です」
王女は城ではたっぷり一時間かけて朝の着替えと身支度をしていました。自分がそうしたいからではなく、侍女たちがそれだけの時間をかけて王女の身なりを整えてくれるのです。そういう毎朝の習慣から解放された嬉しさもあるのでした。
フルートは本当に笑ってしまいました。
「ゼンが朝ご飯を作っています。まもなくできますから、王女様は川で顔を洗ってきてください」
「まあ、川で顔を!? 本当に!?」
と王女がまた目を輝かせました。本当に、この素直な王女様は経験することすべてが面白くてたまらないようです。
「ポポロ、王女様を谷川に連れて行ってあげてくれる?」
とフルートに言われて、ポポロはうなずきました。
「こちらです、王女様。足下に気をつけて……」
と先に立って谷の奥へと王女を案内していきます。ポチがボディガード役を買って一緒について行き、ルルもすぐにそれを追いかけました。
「ポチは風の犬に変身できないじゃないの。私も行くわよ」
とルルがぶつぶつ文句を言う声が遠ざかっていきます――。
王女たちがその場から離れると、後に残った三人の少年少女は、誰からともなく笑いをもらしてしまいました。
「やぁれやれ。ホントに無邪気な王女様だぜ」
とゼンが言って、刻んだ材料を煮立った鍋の中に入れます。
メールが、ちょっと肩をすくめ返しました。
「野宿なんか絶対できない、なんて駄々こねられるよりずっといいさ。昨夜だって、文句も言わずにここまでちゃんと歩いてきたもんね。案外がんばってるよ」
「とても素直な方だよ。ぼくたちを信頼してくれてるんだ。かわいいよね」
とフルートが言いました。王女を見送った顔は、優しい笑顔のままです。それを見て、ゼンとメールは、また何とも言えない表情になりました。
「おい、フルート、おまえ……」
とゼンは言いかけ、不思議そうに振り向いたフルートを見て、急に口をとがらせました。
「おまえよぉ、誰にでもそう優しくするのはやめたほうがいいぞ。あんまり優しすぎるのも罪作りだからな」
はあ? とフルートは目を丸くしました。ゼンが言っていることの意味が全然わからなかったのです。
ゼンとメールは今度は思わず苦笑いしてしまいました。彼らのリーダーは、本当に頭の良い少年なのですが、肝心の自分自身のことは少しも見えていないことがよくあります……。
「ま、どうでもいいか、そんなことは。それより、この後どう動くんだ?」
とゼンは話題を変えました。火の上では、鍋がぐつぐつと音を立て始めていました。
フルートは青空を見上げながら言いました。
「天気も良さそうだし、このまま東へ進もう。街道には戻らずに山の中を通って……。関所を通ったらつかまってしまうから、関所の北側で国境を越えることにしよう」
「関所がなくても、国境って何かあるんじゃないの?」
とメールが尋ねました。
「うん。ほら、街道でも橋を越えてザカラスの関所に入っただろう? 深い谷川が国境線になっているんだ。普通は橋がなければ越えられないんだけど、ぼくたちにはルルがいるからね。そこだけ風の犬になったルルに飛び越えてもらえば大丈夫だよ」
「王女様は? ルルに乗れないんだよ?」
「ゼンに抱いて運んでもらうさ。それくらいの距離なら大丈夫だろう? 王女様は軽そうだから、ぼくが抱いていってもいいけどさ」
そんなことを言うフルートに、ゼンとメールはたちまちまた何とも言えない顔になりました。二人が同時に思い浮かべてしまったのは、王女を抱きかかえて風の犬に乗るフルートを、今にも泣き出しそうな表情で見つめているポポロの姿でした。
「馬鹿言え。そん時には俺が運んでやらぁ」
ぶっきらぼうに、そう答えたゼンでした。