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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第12章 水門

49.水路

 金の鎧兜を着てフルートの格好をしたゼンは、侍女姿のメールと一緒にじりじりと後ずさっていました。

 ザカラス城の前に巨大なファイヤードラゴンが現れていました。オレンジのウロコが光る長い首に、巨大な首輪がはめられています。ゼンたちにはわかりませんでしたが、それは支配の魔力を持つ首輪でした。城の入り口に立つ二人の魔法使いが、ゼンたちに向かって手を伸ばし、攻撃しろ、とドラゴンに命じています。

 城の前庭を埋め尽くしていたザカラス兵が、引き潮のように左右へ下がっていきました。ドラゴンが吐く炎に巻き込まれまいとしたのです。ドラゴンが、かっと口を開きます。

 そのとたん、ゼンの後ろでメールが叫びました。

「花たち!」

 ずっと彼らの周りを飛び回っていた花の群れが、いっせいに一カ所へ動き出しました。ザーッと雨のような音を立てながらひとかたまりになり、尖った針に似た鋭い形に変わっていきます。

 ザカラス城にはメールの予想通りたくさんの花が飾られていました。温室で育てられた花たちです。メールの呼びかけに応えて花瓶から次々に花首が飛び立ち、メールの元へと駆けつけてきたのでした。

「ドラゴンの目玉を突き刺しておやり!」

 とメールがまた叫び、花の針がまっしぐらにドラゴンへ向かっていきました。

 けれども、そのとたん、ドラゴンが火を吹きました。飛んでくる花の針を激しい火炎が巻き込み、たちまち燃やしてしまいます。燃えた花が火の粉になって、少年と少女に降りかかってきます。

 思わず真っ青になったメールへ、ゼンはどなりました。

「門へ走れ! おまえは火を防げねえ。早く逃げろ!」

「でも、ゼン――!」

「俺は大丈夫だ! 次が来るぞ、急げ!」

 けれども、そう言っている間にも、またドラゴンは子どもたちをにらみつけ、もう一度炎を吐こうとしました。それを防ぐ花は、もうありません。

 思わず悲鳴を上げたメールにゼンが飛びつきました。魔法の鎧を着た体で、長身のメールをなんとかかばおうとします。

 

 すると、突然目の前でドラゴンが動かなくなりました。

 口を大きく開いたまま、凍り付いたようにその場に立ちつくします。

 いえ、ドラゴンだけではありません。その周りに黒い雲霞(うんか)のように集まっていたザカラス兵たちも、いっせいに動きを止めてしまいます。剣を振り上げ、大きく口を開けて叫ぶ姿もそのままです。その上へ、きらきらと淡い緑の光が星のように散りかかります……。

 

 ゼンとメールは、はっと顔を上げました。

 彼らのはるか頭上の城の窓から、一人の少女が精一杯に腕を伸ばしていました。赤い髪と紺色のドレスの裾が風にあおられているのが、ベランダの柵ごしに見えています。

 ゼンたちは思わず歓声を上げました。

「ポポロ!!」

 間違いありません。ポポロが彼らを助けるために魔法で敵の動きを止めたのです。

 目の良いゼンは、ポポロの隣にフルートの姿も見つけていました。フルートは侍女のドレスを脱ぎ捨て、袖無しのシャツに半ズボンの少年の格好に戻っていました。背の高いトウガリや、ポチやルルも、同じベランダに見えています――。

 ゼンはメールを振り向きました。

「あいつら、王女の部屋にたどり着いたんだ! よし、俺たちも逃げるぞ!」

 ゼンたちの目的は、敵の目を惹きつけて、王女を助けようとする仲間たちから注意をそらすことです。城から敵をできるだけ引き離そうと、城の大門に向かって駆け出しました。その後を、ポポロの魔法を逃れた兵士たちが追いかけてきました。が、その数はほんのわずかです。追いついてきたところを、ゼンにつかまれ、あっという間に投げ飛ばされてしまいます。

 

 ところが、城の大門まで来たとき、ゼンとメールは思わず立ち止まりました。城を取り囲む城壁の外側には堀代わりに水路が巡らしてありますが、その上に架けられた橋が勢いよく上がっていくところだったのです。先に門にたどり着いたザカラス兵が、跳ね橋を引き上げたのでした。ザカラス城を囲む水路は山からわき出る水をためたもので、かなりの水量があります。幅も広くて、上を飛び越えることは不可能です。

 目の前で跳ね橋が完全に上がり、巨大な壁のように二人の前にそそり立ちました。そこへ、跳ね橋の操作所から数人の兵士たちが飛び出してきました。城の前庭からも、またすさまじい声が響いてきます。ドラゴンが吠える声も混じっています。ポポロの停止の魔法が切れたのに違いありません。

 立ちすくむゼンとメールに、操作所の兵士たちが迫ってきました。さらにその向こうからは、ザカラス兵が真っ黒な集団になって駆けてくるのが見えます。ファイヤードラゴンものそり、のそりと迫ってきます。いくらゼンやメールでも、とても防ぎきれません。

「飛び込め!」

 とゼンはどなり、剣を収めると、メールと一緒に水路にに向かって走りました。橋のたもとから水面まで十メートル近い高さがありますが、ためらうことなく身を躍らせます。ドブン、バシャン、と二つの水音が上がります。

「金の石の勇者が水路に飛び込んだぞ!」

 と兵士が叫びました。

 水路に駆けつけると、波紋の広がる水面へ槍を投げ込み、浮いてきたところを射ようと弓矢を構えます。

 ところが、いつまで待っても金の石の勇者とその仲間は浮いてきませんでした。緑色の水面がやがて静まりますが、それでもどこにも浮かんでこないのです。隠れる所も這い上がれる場所も、そのあたりの岸辺にはないはずなのに――。

 どこだ、どこへいった!? とザカラス兵たちは口々にどなりながら、水路に目をこらして探し続けました。

 

 緑に濁った水の中を、メールは泳ぎ続けていました。

 メールは海の民の血を引いています。どれほど長い時間水の中にいてもまったく苦しくなりませんし、魚のように自在に泳ぐことができます。見通しのきかない水の中を、ゼンを探して泳ぎ回ります。

 すると、水路の底の方を泳いでいるゼンを見つけました。海の民の目から見ればまったく下手くそな泳ぎ方ですが、それでも確かに水の中を進んでいます。メールはするすると流れるように近寄っていって話しかけました。

「ゼン――」

「おう、いたな」

 とゼンが答えます。ゼンも、二年ほど前の謎の海の戦いの時に、渦王から人魚の涙と呼ばれる魔法の真珠を与えられたので、水中で呼吸をすることができます。こんなふうに話をすることだってできるのです。

 メールが感心したような顔になりました。

「ハルマスの湖でアルバと戦ったときに気がついてはいたんだけどさ、ゼンったら泳げるようになってたんだね。前は全然泳げなくて、金づちだったはずだろ?」

「練習したんだよ、山奥の淵に通ってな。いつまた海や水の中で戦うことになるかわからねえと思ったからよ。……フルートもなんだぜ。あいつは魔の森の泉に通って泳ぎの練習をしたって言ってた。今じゃ、あいつもそこそこ泳げるようになってるはずだぞ」

 ゼンもフルートも運動神経は抜群です。ただ身近に泳げる場所がなくて、泳ぎを覚えることができなかっただけなのです。彼らが本気で練習をすれば、こんなふうに、たちまち泳げるようになってしまうのでした。

「ふぅん、二人とも熱心だね。偉いじゃないのさ」

 とメールがまたほめます。たちまちゼンが照れて、苦笑いのような顔になりました。

「泳げるったって、おまえには全然かなわねえよ。よくそれだけ自由に動けるよな。やっぱり海の民だぜ」

「それは当然。でも、さっきから動きにくくてまいってんだよ。ドレスがまとわりついちゃって、思うように泳げなくてさ――。ああもう、ホントに邪魔! いらいらするな!」

 そう言って、海の王の娘は紺色のドレスの裾を足で乱暴に払いのけました。水の中で、濡れた服がぴったり体に張り付き、足や腕に絡みついていたのです。払っても払っても、またすぐに絡まってきます。とうとうメールはかんしゃくを起こしました。

「もうやだ!! どうせ侍女のふりは終わりなんだ! こんなドレス、もう着てらんないよ!」

 いつかどこかで言ったようなことをまた口にしながら、メールは水中で服を脱ぎ出しました。ボタンを外し、体からドレスを引きはがします。

「お、おい……」

 うろたえるゼンを尻目に、あっという間に服を脱いでしまったメールは、その下にいつもの色とりどりの袖無しシャツとウロコ模様の半ズボンを着ていました。フルートがドレスの下に着ていたのと同じような格好です。

 安堵と落胆の表情をめまぐるしく入れ替わらせたゼンを、メールがじろりとにらみました。

「その顔。なに期待してたのさ、すけべ!」

「す――。お、おまえな!」

 ゼンが真っ赤になってどなり返します。が、実際ちょっと期待してしまったのは確かなので、強いことは言えませんでした。

 

「ああ、これでせいせいした!」

 とメールはドレスを水の中に放り出して笑いました。少年のような格好になった体をうぅんと伸ばして、水の中を素早く一周してきます。その動きは、本当にひれと尾を持つ魚のようでした。

 また近くに戻ってきたメールをつくづく眺めて、ゼンも笑いました。

「うん、やっぱりおまえはその格好が一番いい。一番似合うし――綺麗だぜ」

 メールは目を丸くして、たちまち赤くなりました。いつも乱暴で無神経なゼンですが、時々、こんなふうに思いがけずほめてくれることがあります。そして、そのほめことばは、ゼンらしくとてもストレートなのです。

 メールが思わずどぎまぎしていると、ゼンが手を伸ばしてメールを抱きしめました。

「ちょ……ね、ねぇ、こんなことしてる場合じゃ……敵があたいたちを探してるんだよ」

 とメールは焦ってゼンを振りほどき、頭上で天井のように鈍く光っている水面を示してみせました。水の中には上から時折、槍や矢が鋭く刺さってきます。潜っている二人を狙って、ザカラス兵が攻撃してきているのです。

 けれども、槍も矢も、水底近くにいるゼンとメールの所までは届きません。水に勢いを奪われて動きが鈍り、やがて完全に停まって水の中を漂ってしまいます。

「簡単に見つかるかよ。こんなに濁ってるんだからな」

 とゼンは笑いながら答えました。

 ザカラス城は山の中腹にあるので、山からのわき水も量はあまり多くありません。それを水路にためて利用しているので、水には自然と藻や微生物が多く発生して、緑色に濁っているのです。不透明な水に日の光が当たって、水中にいると、まるで翡翠(ひすい)の中に閉じこめられているようです。

 その緑の水の中で、メールの髪が次第に黒から緑色に変わり始めていました。変装のために染めた髪から色粉が落ちて、本来の色が戻ってきたのです。

 それを見て、ゼンはまた笑いました。

「そう、おまえはこっちの方が断然いいぜ。おまえのその髪は本当に綺麗だもんなぁ」

 ゼンはメールの髪の色が気に入っているのです。渦王の島では、青くない、海の民らしくない、とずっと言われ続けてきた緑の髪です。メールはますます赤くなると、やがて、そっとほほえみました。

「うん……ありがと、ゼン」

 一族の中で一人異質な存在でいたメールの孤独を、ゼンは丸ごと受け止めて癒してくれます。ゼンも、故郷ではたった一人の人間の血を引くドワーフで、長い間、他のドワーフたちから仲間はずれにされてきたのです。ことばに出さなくても互いの気持ちが伝わっていきます――。

 ゼンはメールをまた抱き寄せました。翡翠色の水の中で、海と森の姫の長い髪は、少しもくすむことなく鮮やかに揺れています。その髪に縁取られた顔に、ゼンはそっと顔を近づけました。メールが静かに目を閉じ、唇と唇とが重なろうとします……。

 

 そのとき、二人の体がふいに揺すぶられました。

 まるで激しい風にあおられたように、二人折り重なり、水の中で横転しそうになります。その拍子に二人の唇が本当にふれあいましたが、それにときめくどころではありません。ゼンとメールは驚いてあたりを見回しました。

 それまで静かだった水の中に流れが起きていました。水路の水が、まるで吸い込まれるように、一つの方向へ動き出したのです。二人はあわてて逃れようとしました。メールがゼンの手をつかんで泳ぎ、ゼンも必死で水を蹴って流れから抜け出そうとします。

 けれども、流れは速く強力でした。城を取り囲む水路の水全体が、一カ所に向かって流れ出していたのです。流れに逆らうことができなくて、たちまち押し流されてしまいます。

 水が流れていく先は、跳ね橋に近い場所にある水門でした。ザカラス兵は、いっこうに浮いてこないゼンたちにしびれを切らして、水路の水を水門から抜く強硬手段に出たのです。

 水門の外に水路や川はありませんでした。湖や池もありません。

 そこはただの切り立った岩壁でした。水路の水は、水門が開かれると、城のある山の絶壁の下へと放出されるのです。

 水門から地上までの落差は、実に百メートル以上もありました――。

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