ザカラス城の皇太子の部屋で、フルートは皇太子に捕まっていました。
ザカラスの皇太子はロムド皇太子のオリバンとはだいぶ印象が違います。オリバンが若いながらも堂々と王者の風格を漂わせているのに、こちらはひどく神経質で、妙に陰険な雰囲気があります。ここから無事に出られるとでも思っているのか? とフルートに話しかけた顔は、優越感と暗い喜びで彩られていました。
フルートは唇をかみました。トウガリと一緒にいるゼンとメールとポポロを心配します。トウガリがザカラスの間者だったという話はまだ信じ切れませんが、仲間たちが容易ならない状況に陥っていることは予想がついたのです。助けに行かなくては、と焦る心で必死に部屋を見回し、皇太子をにらみます。
すると、皇太子がまたにんまりと笑いました。
「こ、困っているようだな、金の石の勇者。……ど、どうだ。手を貸してやろうか」
フルートは自分の耳を疑いました。敵国の王の息子が、こともあろうに、金の石の勇者に向かって助けてやろうか、と言っているのです。何故、と思わず聞き返すと、皇太子は答えました。
「は、鼻をあかしてやりたいからさ――父上のな」
そう答えた皇太子は暗くねじれた笑い顔をしていました。
「ち、父上にとって、私はただのゲーム盤のコマだ。自分やザカラスに不利な情勢になると見れば、い、いつだって私を切り捨てて見殺しにするのだ。――ち、父上は確かにメーレーン姫を人質に取っている。金の石の勇者も殺すだろう。だ、だが、その後始末はどうするのだ? き、金の石の勇者は、すでにロムドだけの英雄ではない。この世界の救い手だと、吟遊詩人たちが大陸中で歌い広めている。メ、メーレーン姫を誘拐した犯人は? そ、それを助けようとした金の石の勇者を殺した大罪者は? 人々がそう言って我が国に迫ってきたとき、父上が真犯人として人々の前に突き出すのは、間違いなく私だ――。じょ、冗談ではない。父上の身代わりに生け贄の羊にされるなど、ま、まっぴらごめんだ!」
興奮のあまり、何度も何度もことばにつまづきながら、ザカラス皇太子が叫びます。その声には長い年月をかけて積み上げられてきた、父への不信と恨みが充ちていました。
フルートは何も言わずに皇太子を見つめ続けました。一年あまり前、ロムド皇太子のオリバンが、やっぱり同じように自分の父王を疑っていたことを思い出します。フルートたちと旅をするうちに、オリバンは父王への誤解に気がつき、暗い不信のトンネルを抜け出しました。ロムド王は、本当は、手を尽くして息子の皇太子を敵から守り続けていたのです。
けれども、広間で会ったザカラス王は、ほんの短い間にも、その冷淡さをフルートたちに見せつけました。息子をゲームのコマのように扱っている、という皇太子の告発は、おそらく本当のことでしょう。ザカラスの国王と皇太子が父子として和解する日は永遠に来ないのだろう、とフルートにも想像することができました。
「し、城の中は警備の者でいっぱいだ。外に出て、無事にメーレーン姫のところまでたどり着くのは、ふ、不可能だろう」
と皇太子は話し続けました。痩せた両手の指を神経質に組んだりほどいたりしています。
「だ、だが、ここは古い城だ。こういう城には、脱出のための秘密の通路がたくさん隠されている。そ、そこを通って、おまえをメーレーン姫のところまで連れて行ってやる。姫を連れてこの城から逃げるんだ」
フルートはとまどいました。自分が助け出さなくてはならないのは、メーレーン姫だけではありません。ゼンもメールもポポロもです。どうしたらいいだろう、と一瞬考え、王女のそばにポチとルルがいることを思い出しました。あの二匹と合流すれば、手だても見つかるような気がします――。
フルートは皇太子にうなずきました。
「わかりました。メーレーン姫のところへ案内してください」
皇太子はすぐさま立ち上がりました。顔を歪めるようにして笑い続けています。今までずっと自分を抑圧してきた父王へ仕返しできることを喜んでいるのです。フルートを部屋の奥の暖炉の前に連れて行って、横の壁をまさぐります。
すると、燃えている暖炉が突然音もなく横へ動いて、壁にぽっかりと四角い穴が現れました。隠し通路の入り口です。暗がりに続く階段の下から、かび臭い湿った風が吹き上げてきます。
火のついたランプを手にして、皇太子が言いました。
「つ、ついてこい、金の石の勇者」
皇太子とフルートが暖炉の奥の階段を下りていくと、また音もなく暖炉が動いて元の場所に戻りました。皇太子の部屋には誰もいなくなります。ただ、暖炉の中でパチパチと音を立てて炎が燃えるだけでした。
牢屋になった部屋で、少女たちは座り込んでいました。
メールが悔し涙を流しながら、自分たちの前に下りてきた鉄格子を拳で殴り、ののしり続けています。
「馬鹿……! トウガリの馬鹿……!」
けれども、その声に力はありません。信じ切っていた相手から裏切られたショックが大きすぎて、怒り狂うことさえできなくなっていたのです。ポポロは嗚咽をあげながら泣き続けています。いくら泣いても、少女たちの涙は止まりません。
すると、しばらく何も言わずにいたゼンが話しかけてきました。
「いいかげんに泣きやめ、おまえら。こんなところで泣いてぐずぐずしてる暇はねえんだぞ」
いやに冷静な声です。メールは思わずかっとなりました。
「なに言ってんのさ! ここからどうやって外に出るって――!」
とゼンを振り向いたメールは、とたんに目を丸くしました。牢の奥に立っているゼンの姿をぽかんと見つめてしまいます。
「な……なにさ、その格好?」
それを聞いて、ポポロも思わず顔を上げました。ゼンを見て、やはりあっけにとられます。
そんな二人に、ゼンは、にやりと笑って見せました。
「どうだ? 似合うか?」
ゼンは鎧兜で身を包み、黒と金の二本の長剣を背負い、左腕には丸い大きな盾を装備していました。鎧兜は、輝く金の地に黒い石がちりばめてあり、石と石の間を黒い線が星座のようにつないでいます。金の石の勇者フルートの装備でした。
「ど、どうして……どこにそんなもん……」
とメールが驚いて尋ねると、金の兜の下から、ゼンがまたにやっとしました。
「あそこさ」
と指さした先に、下男に化けたゼンがずっと背負ってきた巨大なリュックサックがありました。周り中に王女のバラ色のドレスが放り出されています。大量の王女の衣類の下に、フルートの装備一式が隠されていたのです。普通なら、そんなものが入っていれば見た目でわかりそうなものですが、少年のゼンが軽々と背負っていたので、誰もその中に重い剣や防具があるとは疑わなかったのでした。
「ユギルさんに言われてたのさ。もし、こういう状況になったら、俺がフルートの格好をして敵を惹きつけろ、ってな。俺が華々しくここを飛び出してやる。その間に、おまえらは王女を助け出して城を脱出しろ」
ロムド城でメーレーン姫奪回の作戦を立てたとき、フルートに女装するように言ったユギルは、その後でゼンをこっそりと呼んで、そんな指示を出していたのでした。
メールが感心した顔になりました。
「ユギルさん、占いの力はまだ取り戻してなかったんだよね? なのに、それでもここまで先読みできてたわけ? すごいね」
やはり、天下に名だたる占者の実力は、計り知れないものがありました。
「で、でも、フルートはどうするの? それに、ここからどうやって脱出するの?」
とポポロが尋ねました。とたんに、ゼンとメールは笑いました。
「ポポロの魔法で」
と声をそろえて言います。侍女の格好をした小柄な少女は、たちまち顔色を変えました。青ざめながら、悲鳴のように言います。
「無理よ……! こんな狭い場所じゃ、あなたたちまで巻き込んじゃうわ……!」
ここを力ずくで脱出しようとすれば、魔法で牢を壊すしかありません。ポポロの魔法は力が強くてコントロールが悪いのが特徴です。牢の鉄格子を壊すだけでは留まらなくて、壁や、果ては天井まで崩してしまう気がしたのです。そうなれば、ゼンもメールも生き埋めです。
すると、ゼンがまた、にやっと笑いました。
「冗談だ。これくらい、俺にだって脱出できるぜ」
そう言うと、鉄格子に近づきます。後ろから見ると、金の鎧兜を着て剣を背負ったゼンの姿がフルートのように見えて、なんだかとても奇妙な感じがします。
ゼンは、無造作に鉄格子を握ると、両手に力を込めました。めりめりと鈍い音がして、太い鉄の棒がたちまち飴細工のように曲がっていきます――。
鉄格子に人一人が通れる穴を作って、ゼンは振り向きました。
「そら。行くぞ」
大人の手首ほどの太さのある鉄格子をへし曲げても、汗ひとつかいていません。
メールは思わず肩をすくめて笑いました。
「そんな格好したって、やっぱりゼンはゼンだねぇ」
「あったりまえだ。俺はドワーフだぞ」
「うん。すごくかっこいいよ」
さらりとメールからほめられて、ゼンは思わず赤くなりました。ば、馬鹿やろ、なに当たり前のこと言ってやがる、と照れ隠しに減らず口をたたきます……。
牢を出た先には、鍵がかかった分厚い扉がありました。
「これも破れそうかい?」
とメールがゼンに尋ねました。
「まあ、体当たりすれば開くだろうが、音がするから、敵が駆けつけてくるだろうな――。いいか、おまえら。扉が開いたらまず俺が飛び出す。俺が派手に戦うから、その間にここを抜け出して、王女のところへ行くんだぞ。フルートは気にするな。ああ見えたって、あいつは俺たちのリーダーだ。ちゃんと自分で切り抜けて駆けつけてくるさ」
フルートがいないときのサブリーダーはゼンです。そのことばには、少女たちを従わせるだけの説得力があります。少女たちは、こっくりとうなずきました。
ところが、ゼンが扉に突撃しようとしたとき、外から突然足音が聞こえました。扉の前に立ち止まり、ガチャリと鍵を外します。ゼンたちはいっせいに、はっとしました。この状況では何をすることもできません。ろくに身構える間もないうちに、扉が勢いよく開きます――。
開いた扉の向こうに、痩せた中年男が鍵を手に立っていました。壊された牢の外に金の鎧兜の少年と二人の侍女がいるのを見ると、薄青い目を見開いて声を上げます。
「これはこれは……。驚いたな!」
それは、トウガリの声でした。