侍女を一人部屋によこすように、と突然言い出したザカラス皇太子に、トウガリがあわてたように口を開きました。
「これはこれは、賢くもお優しい皇太子殿下、大変お久しぶりでございます。わたくしどもはロムドのメノア様のご命令でここまで参りましたが、あまり急いで出てまいりましたので、うっかり陛下にも殿下にもお土産をお持ちするのを忘れてしまいました。追ってロムド王からは感謝の品々が届くと存じますので、今はわたくしどもの失礼をどうぞお許し願いたく――」
とても遠回しな言い方ですが、ここにいる侍女たちは王女の家来なので、皇太子のところへ行かせるわけにはいかない、と伝えているのです。
皇太子が部屋によこせ、と言っているのは、間違いなくフルートのことでした。信じられないくらい美しい娘の姿をしています。ポポロが思わずフルートの腕にしがみつき、メールとゼンも心配そうにフルートと皇太子を見比べてしまいます。
皇太子が、むっとしたようにトウガリに言いました。
「な、何もずっとよこせと言っているわけではない。こ、今夜一晩でかまわんのだ。わ、私の部屋で話をさせろ」
「話だけですむわけねえだろ、馬鹿やろ」
とゼンが聞こえないほど低い声でうなります。
フルートは困惑していました。この状況から逃れる鍵を握っているトウガリを、思わずすがるように見てしまいます。
ところが、トウガリが答えるより先に、ザカラス王が口を開きました。頼りなさそうな自分の息子を見据えながら、冷ややかに言います。
「おまえがそのようなことを言い出すのは珍しいな、アイル。そなたが所望するのはどの娘だ。ロムドの話を聞かせてもらうのは、どの娘でもかまわんのであろう?」
王の声には威圧感があります。たちまち皇太子は青ざめ、顔を伏せて弱々しく答えました。
「そ、そ、それは……その、は、はい……」
「では、その赤毛の小さな娘でよかろう。その娘を連れて行け」
他国の家来もまるで自分の所有物であるような傲慢な口調でした。美しい金髪の侍女を息子に与えるのを惜しむ様子も、ありありと見えます。代わりに連れて行け、と言われたポポロが真っ青になり、他の仲間たちも顔色を変えました。
「陛下、それは……」
トウガリが困惑して取りなそうとしても、王は相手にもしません。
「そなたは他の者たちをメーレーン姫のところへ連れて行け。アイルも、さっさと行かんか」
と命じます。ポポロはフルートにしがみついたまま震え出しました。大きな瞳をいっぱいに見開いて、今にも泣き出しそうになっています。
すると、フルートが一歩前へ進み出ました。自分の後ろに小さなポポロをかばうようにしながら、ドレスの裾を広げ、優雅にザカラス王と皇太子に向かってお辞儀をして見せます。
「おことばでございますが、陛下……この者は侍女になってまだ日が浅く、話も芸事もまだまだ未熟で、皇太子殿下をお喜ばせするには経験不足と存じます。殿下は最初、私をご指名くださったように拝見いたしました。もし殿下がお許しくださいますなら、私が殿下のお部屋にうかがって、殿下のご所望になる話をお聞かせしたいと存じます」
おい、と思わずゼンは声を上げてしまいました。メールとポポロも、トウガリも、フルートを見つめてしまいます。美しい金髪の侍女は、ゆったりと頭を上げ、臆する様子もなく王と皇太子を見上げます――。
「よかろう。そうまで言うなら、そなたが行け」
とザカラス王は面倒くさそうに言いました。こんなことはもうどうでも良い、と考えているようでした。実際、王の前にいるのはただの侍女なのです。王があれこれ考えるほど大切な客人ではありません。
皇太子の後について広間を出て行くフルートを、仲間たちは声もなく見送ってしまいました。どうしていいのか、これからどうなるのか、誰にもわかりませんでした。
そんな一同に、ザカラス王がまた命じました。
「さあ、そなたたちはメーレーンのところへ行くのだ」
ぐずぐずするな、と言っているのが声の調子でわかります。トウガリはあわててまた頭を下げました。
「承知つかまつりました、陛下――」
フルートが連れて行かれたのは、皇太子の私室でした。広々とした立派な部屋には、ロムド城でも見たことがないような美しい家具や美術品が並び、綺麗な侍女たちが何人も控えていました。綺麗です――が、女装したフルートほどには美しくありません。侍女たちは皆、驚いたようにフルートを見ていました。
ザカラスの皇太子は侍女たちを部屋から下がらせ、さらに警備の者も部屋から出してしまいました。
「だ、誰もこの部屋に近づけるな」
と部屋の外に立たせます。
皇太子と二人きりになったフルートは、困惑して部屋を見回してしまいました。さすがに天下のザカラスだけあって、皇太子の部屋は豪華です。続きになった奥の部屋には、天蓋のついた立派なベッドも見えています。
うーん、とフルートは心の中でうなってしまいました。ポポロを行かせるわけにはいかなくて、こうして部屋までついて来ましたが、さて、この状況からどうやって無事に抜け出そうか、と考えます。
部屋の真ん中の椅子に座った皇太子は、神経質そうな目で、フルートを上から下まで眺めていました。まるで品定めするような目つきです。テーブルに肘をついた体はとても痩せていて、それを隠すように豪華な衣装を着ています。決して強そうには見えません。いざとなったら、フルートでも皇太子を殴り倒して逃げ出すことはできるかもしれませんが……。
すると、皇太子が突然言いました。
「おまえ、な、名前はなんという?」
姿に劣らず神経質そうな、甲高い声です。フルートは静かに頭を下げて答えました。
「オリビアでございます、殿下」
「オ、オリビアか――。で、では、オリビア、そこで服を脱げ」
えっ、とフルートは思わず目を丸くしてしまいました。さすがに、いきなりこう言われるとは思わなかったのです。
皇太子が催促します。
「どうした。は、早く服を脱がないか」
フルートは真っ赤になってしまいました。決して演技ではありません。どうしよう、どうしたらいいだろう、とうろたえながら考えます。
皇太子を殴り倒して逃げるのは可能です。でも、まだ彼らはメーレーン王女を助け出していないのです。ここで騒ぎを起こしたら、とんでもないことになるかもしれません。かといって、皇太子の要求に応じるわけにもいきません。何かうまい言い逃れはないか、と必死に頭の中で考えます。
すると、そんなフルートを見て、ふいに皇太子が、にぃっと笑いました。何かの発作を起こしたように見える、引きつった笑い顔でした。
「そ、そう言われると困るのだろう、おまえは――? なあ、金の石の勇者よ」
フルートは愕然としました。
驚きのあまり、とっさに知らん顔をすることさえできませんでした。うかがうような目でこちらを見る皇太子を、思わず見つめ返してしまいます。
とたんにザカラスの皇太子は笑い声を上げました。耳障りな甲高い笑い声でした。
「やっぱりな! そ、そうだろうと思ったのだ。金の石の勇者はそれは綺麗な少年だと聞いていたのに、あ、あっちの少年はそれほど美しくなかったからな」
フルートは身構えました。神経質で弱々しそうな皇太子が、見た目ほどたやすい人物ではないことに気がついたのです。同時に、皇太子が父王から何も知らされていないらしいことも察しました。もし、父王から教えられていれば、フルートが宿の浴場で女と確認されたことも伝えられていたはずです。それを知らされずにいたために、皇太子は逆にフルートの正体を見抜くことができたのです。
あれこれと思いめぐらすフルートを、皇太子は驚きに立ちすくんでいるものと考えたようでした。優越感にひたる顔になって、また話しかけてきました。
「な、何故ばれたのだろう、と思っているのだろう……? か、簡単なことだ。おまえたちの中に我々の手の者が混じっていたからだよ。おまえたちの一行の中に金の石の勇者がいることは、お、おまえたちが出発したときから、こちらに伝えられていたからな」
フルートはまた皇太子を見つめてしまいました。それは誰です!? と思わず尋ねてしまいます。もう女の口調で話すことも忘れていました。
すると、皇太子がまた、にんまりと笑いました。ちょっと病的な、得意そうな笑顔です。
「ぜ、全然気づいていなかったのだな、愚か者どもめ。ど、道化だよ。あの男が、我がザカラスからロムドへ送り込まれた間者なのだ」
フルートは本当に驚き、立ちすくんでしまいました。トウガリ! と心の中で叫びます。トウガリ、本当に? 本当に君はザカラスの間者なのか……!?
そう繰り返す心の中に、道化の服を着て派手な化粧をしたトウガリの姿が浮かんできました。背高のっぽの道化は、フルートに向かって芝居がかったしぐさでお辞儀をすると、内緒話をするように手を広げ、ささやき声で言いました。
「最後までそうやって信じていられたらいいがな――」
とたんに、フルートは、はっとしました。ゼン、メール、ポポロ。仲間たちの顔が次々に思い浮かびます。あの三人はまだトウガリと一緒です。トウガリの案内で、メーレーン王女の元へ行くことになっていたのです。
とっさに部屋を飛び出そうとすると、皇太子に手をつかまれました。
「ど、どこへ行く、金の石の勇者。ここから無事に出られるとでも思っているのか?」
ほくそ笑みながら、皇太子はフルートに言いました――。
ゼンとメールとポポロは、トウガリと一緒にザカラス城の中を歩いていました。
先頭にはザカラスの家来が案内に立っています。彼らはメーレーン王女の部屋へ向かっているのです。ザカラスの皇太子に連れて行かれてしまったフルートが気がかりでしたが、今は本当にどうすることもできません。ただ、フルートの実力を信じるしかありませんでした。
長い通路と階段をいくつも下りていって、やがて彼らは一つの部屋に通されました。豪華なザカラス城には珍しく、絵も飾りも一つもない殺風景な部屋です。部屋の中にぽつんとテーブルがあって、その周りに椅子が四つ置かれていました。
「こちらで少々お待ちください」
と道案内の家来が言って、一同にうやうやしく頭を下げました。王女の部屋に行くはずが待ったをかけられて、子どもたちは驚きました。ゼンがいぶかしい顔になります。
すると、トウガリが家来に食ってかかりました。
「どういうことだ? 我々は急いでいるのだぞ。早くメーレーン姫に合わせてくれ」
「いえその、これは陛下のご命令でして――」
家来が歯切れの悪い返事をします。
「陛下は我々にメーレーン様の元へ行けと言われたのだぞ!」
「ですが、陛下のご命令では――」
言い争いになった家来とトウガリを、子どもたちはひとかたまりになって、心配そうに見守りました。
すると、急にトウガリが彼らを振り向きました。その顔が、にやりと意味ありげな笑いを浮かべた気がして、ゼンは、はっとしました。嫌な予感が突然首筋から背中へ走ります。とっさに飛び出していこうとすると、トウガリが言いました。
「いいぞ。閉めろ」
言い争っていたはずの家来が、部屋の出口の外へ手を伸ばしました。上下に動かすような手つきをします。とたんに、何かが天井から下りてきて、ゼンの鼻先をかすめるようにして、ガシャーンと激しい音を立てました。部屋を二つに分けるように、間に鉄格子が落ちてきたのです。
子どもたちは驚きました。彼らのいる方に出口はありません。鉄格子の向こう、トウガリとザカラスの家来がいる方に、部屋の扉があります。ゼンが格子に飛びつきました。
「トウガリ! これはなんだよ!?」
と声を張り上げると、トウガリが首をかしげました。道化の化粧の顔がまた、にんまりと笑ったように、子どもたちには見えました。
「なんだよと言われてもね。見ただけでわからないか? おまえらは捕まったんだよ」
その声に含まれる冷たい響きに、子どもたちは立ちすくみました。メールが叫びます。
「トウガリ! あんた、まさか――!」
「そう。そのまさか。俺はザカラスの間者だったのさ。ずっとだましてて悪かったな。これも仕事なんだ。悪く思うなよ」
そう言って、トウガリは肩をすくめ、馬鹿丁寧なほど深々と子どもたちにお辞儀をして見せました。青い道化の帽子の先で、鈴がリンリンと音を立てます……。
「トウガリ! トウガリ、こら待て――!!」
ゼンがどなって格子の間から手を伸ばしました。トウガリの細い体を捕まえようとします。が、トウガリはするりとその手の先から逃げると、ザカラスの家来に向かって言いました。
「陛下に大切な報告がある。お会いできるか?」
「トゥーガリン殿の報告であれば陛下はいつでもお聞きになるでしょう。どのようなお話です?」
と家来が答えました。トウガリ相手に、うやうやしいほどのことばづかいです。
「ドバの宿場町で行方不明になった刺客のことだ。ぜひ陛下のお耳に入れねばならん――」
家来と話しながらトウガリは部屋を出て行きました。もう鉄格子の向こうの子どもたちには目も向けません。
「トウガリ! トウガリ、嘘だろ……!?」
「この野郎! 戻ってこい、トウガリ! ぶっ殺してやる!!」
「トウガリ! トウガリ――!」
子どもたちは叫び続けました。メールは呆然とし、ゼンは怒り、ポポロは涙を流しています。必死でトウガリを呼び続けます。
トウガリは部屋を出て行きました。
音を立てて閉まった出口の外で、さらに扉に鍵をかける重い音が響き渡りました。