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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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41.丘の上

 一行はザカリア入りする前に、丘の麓(ふもと)で昼食にすることにしました。トウガリが途中で買い込んだ弁当を全員に配ります。けれども、ルルはまだ腹を立てていて、馬車の近くに戻ってきませんでした。それに付き添っているポチも同様です。フルートも、今はお腹がすいてないから、と食事を始めた人々から離れて、一人でもう一度丘の頂上へ上っていきました。

 季節は冬の始まりでしたが、今日は天気が良く、晴れた空から日差しが暖かく降ってきます。コートやマントをはおらなくても充分戸外にいられる陽気でした。丘の上を吹く風はひやりと冷たいのですが、寒すぎるほどではありません。フルートはドレスの裾を風になびかせながら、眼下の都と、山の中腹にそびえるザカラス城を眺めました。

 丘の下へ目を移せば、そこで仲間たちが昼食を取っています。ゼンとメールはなにやら賑やかに話しながら弁当をほおばっていました。ちょっと見るとまるで口喧嘩をしているようなのですが、実際には遠慮のないことばをぽんぽんとやりとりして楽しんでいるのが、フルートにはわかります。時折メールの笑顔がこぼれ、それを見てゼンも嬉しそうに笑っていました。

 ポポロはそこから少し離れた場所に、ひっそりと座り込んでいました。いつもなら、ポポロはフルートの後を追って丘の上まで来ていたかもしれません。「食べなくてお腹すかない……?」と、控えめながらフルートの心配もしてくれたかもしれません。けれども、ポポロは前の晩に宿の部屋でフルートの気持ちを傷つけてしまったと思いこんでいます。フルートのそばに行く勇気も出なくて、ただ一人でぽつんと食事をしているのでした。

 トウガリは御者のコラムと一緒に、馬車のすぐ近くで食事をしています。ルルとポチは馬車から離れた草むらの中で、二匹寄り添うようにして座っています。一人きりなのはポポロだけです。小さな姿がとても淋しそうに見えます。

 フルートは思わず溜息をつきました。ポポロのそばに行ってやりたい、と考えてしまいます。けれども、それはできないのです――。

 

 切ない気持ちから目をそらすように、またザカリアの都へ目を向けたとき、フルートの後ろでふいに声がしました。くぐもるような、濁った低い声です。

「いたいた、見つけた……」

「金の石の勇者……」

「本当だ。女の格好をしていたなぁ……」

 フルートは、ぎくりと振り向きました。すぐ後ろの地面から、枯れ草と土をかき分けながら、何かが出てくるところでした。痩せた手が長い爪で地面をひっかき、やがて、土の中から頭が現れます。黒い老人の顔です。長いかぎ鼻の後ろから、ぎょろぎょろと皿のように大きな目玉を動かして、フルートを見つめています。そんな頭が、二つ、三つと地中から出てきます。

 フルートは大きく飛びのいて身構えました。これは怪物です。闇の魔物に違いありませんでした。

 すると、怪物たちが頭だけを地上に出してまた言いました。

「金の石の勇者……」

「中に願い石を持っている……」

「し、し、し。食えば石はわしらのもの……」

 フルートはさらに後ろに下がって身構えました。青ざめながら怪物を見つめ、やがて急に構えを解いて体を起こしました。

「ぼくを食べて願い石を奪うつもりか。でも、残念だったね。ぼくを食べられるのは一匹だけだ。君たちは三匹もいるじゃないか」

 フルートの中に眠る願い石。それは、持ち主のどんな願いでもかなえる魔石で、不可能を可能にしたい者たちが、こぞって探し求めています。以前、闇の怪物たちが信じられないほどの大群で押し寄せたとき、フルートはわざと怪物を挑発するようなことを言って、怪物たちに自分の奪い合いをさせ、同士討ちに仕向けたのでした。

 すると、地中の怪物たちが、また、し、し、し、と笑いました。大きな目玉をぎょろぎょろさせながらフルートを見つめます。

「わしらに仲間割れをさせるつもりか……?」

「おまえは一人。だから、おまえを食べられるのも一人だけ。確かにそうだ……」

「だが、わしらには、おまえ一人で充分なのさ……」

 土をはね飛ばし、枯れ草をちぎって、地中から怪物が飛び出してきました。その全身を見たとたん、フルートは思わず唇をかみました。真っ黒い人のような姿をした怪物は、一つの体の上に三つの頭がのっていたのでした。

 立ちすくむフルートに、怪物の頭がいっせいにまた笑い声を上げました。

「残念じゃったなぁ、金の石の勇者……」

「わしらは文字通り一心同体だ。仲間割れなぞありえんわい……」

「わしらに食われろ。金の石の勇者……!」

 黒いコウモリのような翼が広がり、怪物が宙に舞い上がりました。長い爪の手を伸ばしてフルートに襲いかかってきます。侍女姿の勇者は武器を持っていません――。

 

 すると、フルートの声が響き渡りました。

「金の石!!」

 少年のドレスの胸元から澄んだ金の光があふれて怪物を照らしました。

 とたんに、どさりと音を立てて怪物が地面に落ちました。三つの頭がそれぞれに悲鳴やうめき声を上げています。光に目を焼かれたのですが、二本しかない手ではすべての目を押さえられなくて、転げ回って苦しんでいます。

 フルートはその前に立って首の鎖を引っ張りました。ドレスの中からペンダントを引き出して怪物に突きつけます。かろうじてまだ目が見えていた怪物の頭が悲鳴を上げました。

「や――やめろ! よせ――!!」

 再び強烈な金の光が怪物を照らしました。まるで黒い蝋細工の人形が溶けるように、怪物の体がどろどろと溶け出し、光の中で消えていきます……。

 

 黒い怪物が跡形もなく消え去り、ペンダントが金の輝きを収めても、フルートはまだそのまま動かずにいました。怪物が溶けていった場所を見つめ続けます。

 と、フルートは金の石を放しました。ゆっくりと体を起こし、大きな溜息をつきます。聖なる魔石は、また静かな金色に戻ってフルートの胸の上で揺れています。

 フルートはまた、目を丘の麓に向けました。仲間たちがそれぞれの場所で昼食を取り、話をしています。フルートに闇の怪物が襲いかかってきたことには誰も気がついていないようです。フルートは目を細めました。その優しい顔が、今にも泣き出しそうな表情になります――。

 

 すると、背後からまた別の声が聞こえてきました。

「みんな冷たいよねぇ。金の石の勇者が闇の怪物に襲われて、食べられそうになったっていうのに、知らん顔でさぁ。あーんな薄情な連中とは、さっさと縁を切った方がいいんじゃないのぉ、勇者くん」

 若い男の声が、場にそぐわない、のんびりした口調で話しかけてきます。フルートは驚いて振り向きました。

「ランジュール――!?」

 刺繍のある赤い上着を着た痩せた青年が、ポケットに両手を突っ込んで立っていました。にやにや笑いながらフルートに言います。

「はぁい、こんにちは。お久しぶりだねぇ、勇者くん。シェンラン山脈の魔王城で魔王と対決したとき以来だから、うーん、半月ぶりくらいかなぁ? すごくお久しぶりってわけでもないねぇ」

 青年はとぼけた口調と顔つきをしていますが、その細い目だけはいやに冷たく光っていました。冷酷と言ってもいい目つきです。そして、その全身は、向こう側が透けて見えるほど薄くはかない色をしていました。この青年は生身の人間ではありません。死者の魂――幽霊なのです。

「なんの用だ!? またぼくを殺しに来たのか!?」

 とフルートは強い口調で尋ねて、胸の金の石をまた握りました。ランジュールは、以前フルートやロムドの皇太子の命を狙った魔獣使いなのです。敗れてこの世から消えていったのですが、目的をあきらめられず、フルートたちを抹殺するために、幽霊になってまたこの世に舞い戻ってきたのでした。

 すると、ランジュールは、くすくす笑い声をたてました。

「殺しに来た。うん、いいねぇ。この世に戻ってきてから、ボクはもう何匹も魔獣を捕まえたからね。それをキミにけしかけたら、今度こそキミを殺せるよねぇ。それに、勇者くんったら、そんな素敵な格好をしてるんだもの。ものすごい美人だから、さすがのボクも惚れちゃいそうだなぁ」

 そして、フルートが思わず顔を真っ赤にするのを見て、うふふっ、とまた笑いました。まるで女のような笑い方をするのが、この幽霊の青年の癖です。

「綺麗なものには血の色がよく似合うんだよぉ。その綺麗な顔や姿が血で真っ赤に染まったら、本当に素敵だろうねぇ。想像しただけでうっとりしちゃうなぁ――」

 笑う顔の奥で、細い目だけは冷酷に光り続けて少しも笑っていません。フルートは背筋にぞっと冷たいものを感じながら身構え続けていました。この青年は軽薄に見える外見の内側に、油断ならない危険なものを秘めています。フルートは即座に金の石に呼びかけて、聖なる光を浴びせかけようとしました。

 そのとたん、幽霊の青年がすっと身を引きました。残酷な笑顔がまた元のとぼけた顔つきに戻ります。

「でもね、今回はやめておくよぉ。キミ、その格好じゃ戦うこともできないもんね。戦えない人間を魔獣で殺したって、つまんないんだよねぇ。皇太子くんもここにはいないし。どうせなら、二人まとめて殺したいんだなぁ。ボクの繰り出す魔獣と華々しく戦ってもらって、さ。魔獣使いの殺しの美学ってところかなぁ」

 一人でそんなことを言って、またくすくすと笑います。

 フルートは思わずあきれてしまいました。ランジュールは危険な敵ですが、どうも調子を狂わされてしまうようなところがあるのです……。

 

 すると、ランジュールが言いました。

「今日はねぇ、ボクはキミに忠告に来たんだよ、勇者くん」

「忠告?」

 とフルートは眉をひそめました。この男から忠告と言われても、素直に受けとることはできません。思いきりうさんくさい顔になりますが、ランジュールは少しも気にしませんでした。

「そう、忠告。闇の怪物たちが、キミの中の願い石を狙って襲ってくるよ、ってねぇ……。あの宣伝屋の闇ガラスがまた、キミのことを吹聴してるんだよ。願い石は金の石の勇者の中にある。勇者を食べれば願い石を手に入れることができる、ってね。キミはそんな格好をしていたから、さすがの闇ガラスもすぐにはわからなくて、しばらくキミを見失っていたんだよ。でも、闇ガラスはキミの正体に気づいた。これからは、また次々と闇の怪物が来るだろうねぇ。特に、キミが金の石を持っているってことの意味がわからないような、馬鹿な連中がね――」

 そこまで話して、ランジュールはフルートの表情に気がつきました。美しい娘の姿をした勇者は、ただ視線を足下に落としただけで、驚いた様子もあわてた様子も少しも見せていなかったのです。

 なぁんだ、とランジュールは言いました。

「キミ、もう気がついていたんだ。ははぁ、それでキミ、仲間のそばにいないで、こんな離れた場所にいたのかぁ。闇の怪物が襲ってきても巻き添えにしないようにしてたんだ。相変わらずだなぁ」

 半ばあきれ、半ば感心した声でランジュールは言いました。フルートは何も答えませんでした。ランジュールが言っているとおりだとしても、それに同意してやる必要はなかったからです。

 すると、幽霊の青年は、またくすくすと笑い声をたてました。

「気をつけるんだねぇ、勇者くん。ボクとしては、キミにつまらない怪物なんかに食われてほしくないんだよ。キミはこのボクが殺すんだから。それまで、しっかり生きててくれなくちゃ」

 フルートは顔をしかめただけで、やっぱり何も言いません。

 ランジュールは笑い声を残しながら、薄れるように消えていきました。日が差し、風が吹き抜ける丘の上に、フルートだけが残されます――。

 

 フルートは黙ってまた丘の麓を眺めました。仲間やトウガリたちを見渡し、一人ぽつんと座っているポポロを見つめます。その淋しげな姿に、フルートはまた顔を歪めました。唇をかんで、うつむいてしまいます。

 その胸の上では、守りの石が静かに光り続けていました。

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