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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第10章 疑惑

40.信頼

 宿に泊まったフルートたちが刺客と闇の怪物に襲われた翌日、一行はザカラス城のすぐ目と鼻の先までやって来ました。トウガリが御者に言って、馬車を街道脇の丘へ走らせます。そこからは、ザカラスの首都ザカリアがよく見えました。

 ザカリアは山の手前に広がる都市でした。背後を切り立った崖のような山肌に守られ、周囲を大きな運河にとり囲まれています。ザカラスは海洋貿易で栄えている国です。港から首都のザカラスまで、延々百キロ以上にも及ぶ運河が通っているのでした。

 運河のあちこちには大きな橋がかかっていました。跳ね橋です。戦いになって都市が敵に取り囲まれたら、橋を上げて都市を守れるようになっています。都市の背後の山は険しく、そこを敵が下ってくることは不可能です。そして、その切り立った山の中腹に、赤い石造りの城がそびえていました。暁城(あかつきじょう)の別名を持つザカラス城です。城の下から首都まで、つづら折りの道がずっと続いているのが見えます。

 

 丘の上に立って城を眺めながら、トウガリが子どもたちに言いました。

「本当にいよいよだぞ。俺たちはあの城の中に行くんだ。ザカラス王には俺がうまいこと話して信用させる。そうしたら、後はおまえたちの役目だ。隙を見て、メーレーン王女を城の外へ連れ出せ。王女には監視が山ほどついているはずだから、くれぐれも用心しろよ」

 トウガリは今日はまた赤や緑の道化の衣装を着て、青い鈴付き帽子をかぶり、化粧をしていました。平凡そのものの顔が、見た者に二度と忘れさせない派手な顔つきに変わっています。

 すると、護衛御者のロブ・コラムが言いました。

「私は皆様方を城まで送り届けたら、後はすぐにロムド城へ引き返します。ザカラス城にぐずぐずしていては、それこそ怪しまれますので。皆様方のご武運をお祈り申し上げております」

「いろいろありがとうございました」

 とフルートは丁寧に礼を言いました。ここから先、ザカリアに入れば、もうこんなふうに内輪話をすることもできません。礼を言うのはこれが最後の機会だったのです。

 フルートは、今日はいつも以上に念入りに身支度を調えて、完璧な侍女姿になっていました。どこから見ても、美しい女性にしか見えません。そんなフルートにロブ・コラムは目を細めました。

「いや、本当に見事ですな、勇者殿は。これならば、ザカラス王たちも、まさか男とは疑いますまい。きっとうまくいくでしょう」

 すると、トウガリは、にこりともせずに言いました。

「楽観は危険だな。向こうは俺たちの中に金の石の勇者が混じっているんじゃないかとまだ疑っている。昨夜の刺客が戻らなかったわけだから、なおさら疑いを深めているだろう。絶対に相手に疑う隙を与えるな。俺が言いたいのはそれだけだ」

 侍女姿のフルート、メール、ポポロ、下男姿のゼン、そして子犬のポチはそれにうなずき返しました。

 

 ところが、たった一匹、ルルだけはうなずきませんでした。トウガリを鋭く見上げながら、疑うように言います。

「私たちがどんなに用心したって無駄なんじゃないの? ザカラスには私たちのことがもう、ばれているんじゃなくて?」

 子どもたちは驚いてルルを見ました。トウガリも意外そうに聞き返します。

「何故そんなことを考える?」

「私たちの中にザカラスの間者がいるような気がしてしかたがないからよ。その間者は、私たちのことを逐一ザカラスに報告しているんじゃないかしら?」

「ルル」

 と引き止めるようにポチが言いました。あまりにも大胆なルルの指摘に密かに焦っています。

 トウガリはすぐには答えずに、じっとルルを見つめました。ルルもそれを見つめ返します。ルルの目はますます険しくなって、もうほとんどにらみつけるような目つきになっていました。

 トウガリは急に肩を大きくすくめると、芝居がかったしぐさで両手を開いてみせました。

「どうやらルルは、俺がザカラスの間者じゃないかと言いたいらしいな。根拠を聞かせてもらおうか」

「私やポチがつながれたり閉じこめられたりするたびに、みんなが襲撃されるからよ。部屋をのぞかれたこともあるわよね。その間、あなたはどこにいたの、トウガリ? 私たちが自由に動き回っていては、あなたの邪魔になったんでしょう?」

「おまえらを檻に入れろと言ったのは俺じゃないぞ。宿の方で、そうしなければ泊められない、と言ってくるんだ。襲ってきたのはみんなザカラス城の息がかかった奴らばかりだ。宿にももうザカラスの手が回っていたのさ」

 とりたて気分を害した様子もなく、淡々とトウガリが答えます。まるで、ルルに疑われることなど予想済みだというような態度です。

 

 ルルはますます怒った顔になりました。

「それじゃ、私たちの中に金の石の勇者がいるとザカラスが知っているのは何故よ? 侍女が偽物かもしれないってことまで漏れていたのよ。宿に入ってから、夜あなたがどこで何をしていたのか、まだ答えていないわよ、トウガリ」

「何故こっちの正体に勘づいたのかは知らん。だが、敵は、中央大陸ではエスタに次ぐ大国のザカラスだ。情報収集力だって半端じゃないってことだよ。俺がどこに行っていたのかは、言う必要を感じないな。おまえらにそれを教えろ、という命令は受けていない」

 化粧をした道化の顔から出るトウガリの答えは、なんだか相手をからかってはぐらかしているようにも聞こえます。

 ルルがとうとう大声を上げようとしたとき、護衛御者のロブ・コラムが言いました。

「そう興奮なさらずに、ルル様。疑うのならば、この私だって怪しいことになるでしょう。私こそがザカラスの間者なのかもしれないんですから」

 そういうコラムの口調は穏やかでした。驚く子どもたちに言い続けます。

「私は御者なので、誰からもノーマークです。夜、宿に入ってから、ザカラスの手の者にあなた方の情報をこっそり伝えているかもしれないのですよ。トウガリ殿だけを疑って、私を疑わないというのは不公平でしょう」

「不公平って」

 とメールがあきれました。

「敵の間者が、自分から『自分は間者かもしれませんよ』なんて言うのかい? なんかありえないなぁ」

 ルルもとまどったようにトウガリとコラムを見比べてしまいました。今の今まで、御者にはなんの疑いも持っていなかったのですが、言われてみればまったくその通りだったのです。

 すると、トウガリが皮肉っぽく笑いました。

「疑えばネズミも天下の大泥棒、というやつだな」

 とことわざを口にします。怪しいと思えば、どんなことでも疑わしく見えてくる、という意味です。

 ルルは、またかっとした顔になりました。

「それじゃ、誓ってちょうだいよ、トウガリ、コラム! 正義と真実を司る天空王の名において、自分は敵の間者じゃないって! 私たちの声は天空王にも届いているわよ。嘘をついたら、必ずあなたたちは天空王の罰を受けるんだから!」

 いかにも天空の国の者らしい迫り方でした。やれやれ、と言うようにまたトウガリが肩をすくめて、御者のコラムと顔を見合わせました。

 

 すると、フルートが静かに言いました。

「トウガリもコラムさんも、ザカラスの間者なんかじゃないよ、ルル」

「どうしてそう言い切れるの!? 怪しいじゃないの! だいたい、トウガリはもともとザカラス人なのよ! 宮廷道化としてメノア王妃と一緒にザカラスから来たんだから! いったいどこで間者の訓練を積んだのよ! ロムド城に来てから!? 王妃様の道化をしながら!? 答えなさいよ!」

 ルルはまたトウガリに迫っていきました。歯をむき出してうなります。

 トウガリは後ずさり、また大げさに肩をすくめて両手を開いて見せました。

「怖いな、かみつくなよ。それは企業秘密だ。言うわけにはいかんさ」

 肝心なところで肝心なことをはぐらかすトウガリでした。

 けれども、そこへゼンが口をはさんできました。

「おれもフルートに同感だぜ。トウガリはザカラスの間者なんかじゃねえだろ。もしそうだったら、俺たちを襲ったヤツと戦って死にかけるなんてドジは踏まねえはずだもんな」

「悪かったな。護衛は専門じゃないから勝手が狂ったんだ」

 とトウガリが、むっとしたようにゼンをにらみます。その様子に、疑われないために芝居をしているような雰囲気はありません。

 フルートは、まだ怒った顔をしているルルに静かに言い続けました。

「トウガリもコラムさんも、ぼくたちのことを本当に何度も助けてくれたよ……。それに、もし敵の回し者なら、関所を越えるところで、とっくにぼくたちを敵に引き渡していたさ。ぼくは二人を信じる。二人とも、ぼくたちの味方だよ」

 穏やかなくせにきっぱりとした口調には、揺らぐことのない強さが秘められていました。フルートの本質は頑固です。フルートがこういう言い方をしたときには、誰がなんと言っても、絶対にその考えを変えることはできないのでした。

 トウガリは、ちょっと意外そうな顔をしましたが、やがてにんまりと大きな笑い顔になると、いかにも道化らしいしぐさでフルートに向かってお辞儀をして見せました。

「これはこれは。勇者殿にそこまで信頼していただけるとは、このトウガリと護衛御者のロブ・コラムは感激至極。胸は感動にうち震え両の目からは喜びの涙があふれてまいります。ロムド城に戻りましたら、その旨、陛下にもしかとお伝えして――」

「そんな大げさなこと言わなくたっていいさ」

 とメールが笑いました。

「あんたたちが敵の間者なら、とっくにあたいたちは敵につかまってる。それはホントにフルートが言うとおりなんだからね。あたいたちもあんたたちを信じるさ。ねえ、ポポロ?」

 メールに同意を求められて、侍女姿の小さな少女がうなずきました。ためらいがちですが、やっぱり信頼の目をしています。

 さすがのルルも、圧倒的多数の前では黙るしかありませんでした。すねたように顔をつんとそむけると、一同から離れて向こうへ行ってしまいます。ポチがあわててそれを追いかけていきました。

 

 そんなルルを見送って、トウガリがフルートに話しかけました。背の高いトウガリです。細い体を曲げ、侍女姿の少年に、かがみ込むようにして言います。

「俺としては、ルルの言うことの方が非常にまともという気がするがな。こんなに怪しい人間たちを信用してしまっていいのか?」

「ぼくたちに疑ってほしいんですか?」

 とフルートは聞き返しました。穏やかな声でした。

「そういうわけではないが、お人好しなことだと思ってな」

 話し続けるトウガリの声は、皮肉に笑うような口調です。面白がっている響きもあります。

 フルートはほほえみ返しました。

「ぼくがお人好しだなんて、耳にたこができるくらい言われてます。それを変えるつもりもないですよ。ぼくらはあなたたちを信じる。ただそれだけです」

 本当に穏やかなのに、少しも揺らぐことのない微笑でした。トウガリはまた芝居がかった格好で肩をすくめました。本当にあきれた、というしぐさです。そうして、一言こう言いました。

「最後までそうやって信じていられたらいいがな」

「信じますよ」

 フルートは短く答えました。

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