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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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39.窓辺

 その瞬間、フルートとゼンとメールは幻を見ました。

 刺客の剣が振り下ろされてきます。研ぎ澄まされた刃が、白く光りながらフルートの手首を断ち切ります。

 フルートの右手が血をまき散らしながら床に落ち、金の石のペンダントが手の中から飛び出します。男がそれに飛びつき、風のような素早さで奪い取って、窓の外へ姿をくらませていきます――。

 それは幻でした。次の瞬間に起こる出来事を、少年少女たちは幻覚で見たのです。刺客が本当に剣をフルートの手に振り下ろそうとしています。息の止まるような光景が、そのまま現実のものになろうとしています。

 

 ところが、そこへ澄んだ少女の声が響きました。一言、鋭く叫びます。

「セエカ!!」

 とたんに、フルートもメールもゼンも、刺客の男も、いっせいにその場から飛ばされました。まるで見えない爆発が起きて、その爆風にはじき飛ばされたようです。それぞれに部屋の床にたたきつけられてしまいます。

 きゃっ、とポポロが小さな悲鳴を上げて立ちすくみました。これはポポロの魔法でした。フルートを襲う剣をとっさに返そうとしたのですが、勢いが強すぎて、その場にいた全員をはじき返してしまったのです。

 けれども、危険な場面を切り抜けるにはそれで充分でした。たちまちゼンが跳ね起き、刺客の男へ飛びかかっていきます。フルートはメールに飛びつき、金の石を押し当てます。メールの腕の傷がたちまち治っていきます……。

 

 刺客が剣を振り回しました。ゼンを追い払うようにしながら床から跳ね起き、窓へと向かいます。今度こそ本当に逃げ出そうとしているようでした。

「待て、この野郎!!」

 とゼンは追いかけましたが、また剣がうなりを上げて飛んできたので、とっさにのけぞってかわしました。

 男が壊れた窓に手をかけました。外には夜の闇が広がっています。

「逃がしちゃダメだよ!」

 とメールが叫びました。たった今まで怪我をしていたのに、もう敵に向かって駆け出しています。

「フルートの正体を知られたんだ! つかまえるんだよ!」

 フルートも走り出しました。金のペンダントをまた首にかけます。右手を切り落とされたと思った衝撃で、心臓はまだ早鳴っています。右の手首がうずくような気がします。けれども、フルートは恐怖を押し殺し、落ちていたショートソードを拾い上げて、さらに走りました。ゼンの前に飛び出し、刺客の剣をショートソードで受け止めます。

 刺客の動きが止まった瞬間、ゼンがさらに前に飛び出しました。男の腹に拳の一撃を食らわせます。男の小柄な体が吹っ飛び、窓のすぐ下の壁にたたきつけられます。

 けれども、すぐにゼンは舌打ちしました。

「なんか下に着てやがるな……」

 まともに食らえば内臓も破裂するほど強烈なゼンの一発なのに、男はまたすぐに跳ね起き、窓枠に飛びついたのです。そのまま飛び上がり、逃げだそうとします。

 メールが振り返って叫びました。

「ポポロ、魔法! あいつを止めるんだよ!」

 ポポロはまだ部屋の入り口のところで立ちすくんでいましたが、そう言われて我に返りました。あわてて両手を窓辺に向かって突きだし、今日二つめの呪文を唱え始めます。

「レマートヨキーテデバノ……」

 

 とたんに、男が窓の上で止まりました。げっ、と短い声を上げ、黒い覆面からのぞく目をいっぱいに見開いて、ぎょろぎょろと動かします。それは恐怖の目つきでした。

「やった!」

 と子どもたちは歓声を上げました。笑顔で魔法使いの少女を振り向きます。

 ところが、少女は男に負けないほど大きく目を見開いたまま、驚いた顔で窓辺を眺めていました。

「違う……あたしじゃないわ……。呪文はまだ完成してないのよ……」

 魔法にかかったわけでもないのに動かなくなった男を、信じられないように見つめます。

 子どもたちは、そんなポポロと窓辺を見比べました。何がどうなっているのかわかりません。

 すると、ふいにフルートの胸の上で金の石が光り始めました。きらり、きらりと石の奥から金の光を明滅させ始めます。それに気がついて、フルートが叫びました。

「闇の敵だ――!」

 

 ずるり、と窓の外の暗がりで、何かがはいずるような音がしました。

「金の石の勇者だァ……? 確かにそう言ったな、聞いたぞォ……」

 地の底から響くような不気味な声が、窓の外から話しかけてきます。

 窓枠の上で、刺客の男が突然がたがたと震え出しました。目をむいたまま、喉の奥から絞り出すような声を上げ始めます。仰天した子どもたちの目に、突然、男の背中が見えました。そこには、黒い太い管のようなものが何本も突き刺さっていました。

「闇の触手!」

 とポポロが悲鳴を上げました。闇の怪物が生き物の生気と体液を吸い取るための器官です。刺客の男が震え続けます。服を着たその下で、急速にその体が痩せ細っていくように見えます――。

 と、男は窓の向こうに落ちました。まるで何かに力ずくで引き寄せられたような動きです。どさり、と窓の下に落ちる音に、ばりんぼりん、とかみ砕くような音が続き、男の絶叫が響き渡ります。

 部屋の中の子どもたちは思わず顔を歪めました。ポポロが耳をふさいで悲鳴を上げます。全員が立ちすくんでしまって、その場を動けません。

 

 すると、窓枠に黒いものがせり上がってきました。ずるり、ずるりと這い上がってくる音が響きます。蛇のようにくねる太い触手が何本も宙を揺れているのが、夜を背景に浮かび上がって見えます。それに続いて姿を現したのは、真っ黒な怪物でした。丸い頭にいくつも光る目があり、その両脇から、長いひげのように触手が揺れています。

 光る目は部屋の中を見渡し、やがて、一人の子どもに注目しました。フルートです。ひ、ひ、ひ、と笑う声が不気味に響きました。

「金色の石……おまえが金の石の勇者だなァ。探した探した。ずいぶん探した。やっと……食えるなァ」

 フルートは、はっとしました。闇の敵が狙っているのは自分だ、とはっきり悟ったのです。とっさに駆けつけようとする仲間たちに鋭く叫びます。

「動くな、みんな! そこにいろ!」

 仲間たちは思わずまた立ちすくみました。フルートの声にはそれだけの強い響きがあったのです。

 黒い生き物が窓枠から飛び出しました。部屋の中を大きく飛び、まっすぐフルートに襲いかかっていきます。それは頭が丸く、カエルのような吸盤の手を持った怪物でした。後足はなくて、蛇のような尻尾になっています。顔の両脇からひげのように突きだした触手をいっぱいに伸ばして、侍女の格好をしたフルートをとらえようとします。

「フルート!!」

 と仲間たちは悲鳴のように叫びました。

 すると、そこに強い少年の声が重なりました。

「金の石――!」

 たちまちフルートの胸の上で金の石が輝きだし、強い光で部屋中を照らしました。目もくらむような金の輝きです。

 とたんに、黒い怪物がどさりと床に落ちました。まばゆい光を浴びて、のたうち始めます。その体がみるみるうちに溶け出します。

 魔法の金の石は聖なる石です。その光は闇のものの体を溶かす力があるのでした。

 

 怪物が部屋から消えても、子どもたちはしばらくの間、身動きすることができませんでした。部屋の中にもう敵はいません。刺客の男も、闇の怪物も――。壊れた窓から冷たい北風が吹き込んできて、窓枠をがたがたと鳴らしています。

 すると、そこへ通路から人が駆けつけてきました。短い茶色の髪をした、背の高い中年の男です。入り口から部屋の中をのぞき込み、子どもたちに叫びます。

「何があったんだ!?」

 それはトウガリの声でした。子どもたちはびっくりして中年男を見つめました。トウガリの素顔を見るのは初めてだったのです。道化の化粧も衣装も身につけていないトウガリは、普通の人とまったく変わらないように見えました。

 

 トウガリは壊れた窓、床にこぼれた血、立ちすくんでいる子どもたちと次々に眺め、全員が青ざめているのを見て、また尋ねました。

「何があった?」

「殺し屋が来た。俺を金の石の勇者だと思ったみたいだ」

 とゼンが答えました。そのまま壊れた窓を眺めてしまいます。

「で、逃げていったのか」

 とトウガリは言いました。何故だか、殺し屋の襲撃があったことには顔色ひとつ変えません。ゼンは低く答えました。

「いや。闇の怪物に食われた」

 とたんにトウガリは驚いた顔になりました。すぐさま壊れた窓に歩み寄り、ランプでその下の地面を照らします。

「血が残っている……だが、それだけだな。食われた? 綺麗なものだな」

 と言って、考え込むような顔になります。

 

 開け放した扉の外で、遠くから人が近づいてくる気配がしていました。さすがに騒ぎを聞きつけたのでしょう。大勢の人がこちらに向かってきていました。

 トウガリは顔を上げると、服の袖を血で染めているメールを見ました。

「怪我をしたのか?」

「ううん。フルートが金の石で治してくれたから大丈夫だよ」

「では、部屋に戻って服を着替えろ。ポポロもだ。隣の部屋に行っていて、こっちに来るんじゃないぞ。そら、おまえもいい加減、その剣を放せ」

 最後のことばはフルートに言ったものでした。ずっとフルートが握りしめていたショートソードを取り上げます。

 とたんに、フルートはその場に座り込みました。立っていられなくなったのです。金の石のペンダントを握りしめたまま、唇をかんでうつむいてしまいます。ゼンが心配そうにその脇に立ちました。

「それでいい。おまえらはその格好でいろ」

 とトウガリはフルートとゼンに言いました。

「部屋に来たのは強盗だ。窓を壊して入り込んできたが、ゼンが撃退した。床や窓の外に落ちているのは、強盗が流した血だ。怪物のことは何も言うな。――いいな」

 通路を向かってくる人の声は、もうすぐそばまで近づいていました。メールとポポロを隣の部屋に追い出して、トウガリはまたフルートとゼンを見ました。強盗に襲われて呆然と座り込んでいる侍女と、それを慰めている下男の少年にしか見えません。

 フルートは真っ青でした。何も言わずにうつむき続けています。いつになく本当にショックを受けている様子のフルートに、トウガリが言いました。

「芝居というわけではなさそうだな……。闇の怪物は何故襲ってきたんだ?」

 けれども、フルートはやはり黙ったまま首を振っただけでした。唇をさらに強くかみ、そっと金の石のペンダントを服の胸元に隠します――。

 

 壊れた窓の外で風がうなっていました。夜の闇は暗く深く、どんなに目をこらしても見通すことはできませんでした。

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