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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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37.鏡の窓

 メールが隣のゼンの部屋へ行ってしまって、フルートとポポロは焦りました。

 侍女の中でも、王女付きの侍女は特別な存在です。礼儀作法、芸事のたしなみなど、普通以上のことがこなせなければなりませんし、王女の側近として慎み深いことが要求されます。メーレーン王女はまだ子どもなので、侍女たちも若い娘が多いのですが、誰もが交友関係には侍女長から厳しく言い渡されていました。城内で働く男性と、仕事以外のことで話をしたり個人的に会ったりすることは厳禁です。下男になりすましているゼンの部屋を訪ねるなど、もってのほかだったのです。

 あわてて追いかけて連れ戻そうとしたフルートの目の前で、ゼンの部屋の扉が閉まりました。フルートは立ちすくみ、やがて、困ったように引き返してきました。実際には、ゼンとメールは婚約者同士です。扉をたたいて無理やりメールを連れ戻すような無粋な真似はできませんでした。

「大丈夫かしら?」

 とポポロが心配します。

「うーん」

 フルートはうなりました。まさかメールが自分たちを二人きりにするために隣の部屋へ行ったとは思わないので、なんとなく遠慮する気持ちになって、知らないうちにゼンの部屋との境の壁から遠い位置に立ってしまいます。部屋の中が沈黙になりましたが、その静けささえ、なんだか落ち着きませんでした。

 

 すると、同じように沈黙に気詰まりになったらしいポポロが、珍しく自分から口を開きました。

「あの、フルート……」

 フルートはポポロを見ました。小柄な少女は紺色の侍女の服を着て、ひっそりと椅子の中に座っていました。赤いお下げ髪をほどいてたらし、化粧もしているので、いつもより大人びて見えていますが、やっぱり話す声は控えめですし、視線もおどおどと伏し目がちです。

「なに?」

 とフルートは静かに聞き返しました。決して答えをせかさない、優しい口調でした。

 それに後押しされたようにポポロが思い切ってことばを続けました。

「あのね――ごめんなさい」

 フルートは驚きました。何を謝られたのかわからなくて、なんのこと? と聞き返してしまいます。

 ポポロはいっそううつむきながら言いました。

「フルートに……そんな格好させちゃって……。わかってるの。本当は、フルートはそんな格好、死んだって嫌なのよね。どんなに綺麗だってほめられたって、フルートは男なんだもの……。だけど、あたしたちがいるから、女の格好をしてくれてるのよね……あたしたちを守るために」

 フルートはさらに驚きました。確かに、ポポロの言うとおりです。けれども、フルートはポポロやメールを守るために自分も女装しているのだ、と口に出したことはなかったのです。

 どうしてそう思ったの? と尋ねると、ポポロは答えました。

「だって、フルートはいつだって、あたしたちの前に立ってくれてるんだもの……。男だとばれないようにするには、黙って後ろにいるのが一番いいはずなのに、人に質問されたときに答えてくれるのは必ずフルートだし、関所で疑われたときだって……。そんなふうに徹底して侍女らしくしてるのも、あたしたちが疑われないためなのよね。あたしもメールも、あんまり侍女らしくないから……」

 ポポロ、とフルートはつぶやきました。いつも引っ込み思案で、何も言わないポポロです。けれども、その宝石のような緑の瞳は、いつだって仲間たちの言動を見守り、その裏側の仲間たちの気持ちにまでそっと想いを至らせているのです。

 そんなポポロの控えめな優しさが嬉しくて、フルートはにっこりしました。

「大丈夫だよ。この格好にももう慣れたからね。それに、ザカラス城は本当にもうすぐそこさ。いよいよメーレーン王女のそばに行って、王女を助け出すんだから、絶対に侍女に見えてなくちゃ困るんだ。幸い、金の石の精霊が女のぼくに化けてくれたから、あれがだめ押しになったと思うんだけどな」

 そんなふうに語るフルートは、本当に美しい姿をしています。付け毛で長くした金髪を結い上げてネットをかけ、化粧をしているので、実際の年齢よりずっと大人びて見えます。補正した服を着ているので体つきも女性らしいのですが、それ以上に物腰や雰囲気が優しげで、とても少年の変装だとは思えません。

 

 そんなフルートを見上げて、ポポロが言いました。

「フルートって、本当に強いわね……。どんなに優しく見えたって、絶対に何にも負けないんですもの。本当にすごいと思う……」

 緑の瞳が素直に賞賛していました。

 フルートは思わず顔を赤らめました。

「それは――こう見えたって、ぼくは金の石の勇者だから――」

 照れながら、そんなことばで本当に言おうとしたことをごまかしてしまいます。

 フルートは、本当はこう言おうとしたのです。

「ぼくが強いのは、君たちがいるからさ。君たちを守りたいから、その一心で強くなれるんだ」

 そして、胸の中だけで答えたことばの一部が、ひとりでに入れ替わっていました。「君たち」が「君」と。ポポロ、君を守りたいから、その一心で強くなっているんだよ――と。

 ますます赤くなったフルートは、その顔を隠すように、ポポロに背を向けました。夜の色に変わった窓を見るふりをします。

 ところが、そんなフルートの様子をポポロが誤解しました。フルートの気持ちを損ねてしまったと思ったのです。柔らかな微笑を浮かべていた顔が、たちまち不安そうな表情に変わり、大きな目がなおさら大きく見開かれました。緑の瞳が、あっという間に潤み始めます――。

 

 夜に裏打ちされた窓は鏡のようでした。明るい部屋の中の様子を、そのガラスの表面に映しています。フルートはそこにポポロを見ていました。今にも泣き出しそうになっている少女の姿に、内心あわててしまいます。違うよ、怒ったわけじゃないよ、と言おうとします。

 ところが、とたんに、ことばにできない想いが胸一杯にあふれました。

 女装をしているフルートに、つらいでしょう、なのにそれに負けないんだもの強いわ、と言ってくれるポポロ。引っ込み思案な彼女にとって、想いをことばにするのはとても大変なことです。それなのに、精一杯の声でフルートをほめてくれるポポロの思いやりが嬉しくて――今また、フルートの気持ちを思って泣き出しそうになっているポポロが、なんだかたまらなくいとおしくて――フルートは立ちすくんでしまいました。振り向き、駆け寄って両腕の中に彼女を抱きしめてしまいたい衝動にかられます。

 そして、そのとき、窓の鏡に映るフルートは、美しい娘の姿なのに、まぎれもない男の表情をしていたのでした。

 

 ポポロと二人きりになるな、と言っていたトウガリの声が頭の中によみがえってきました。彼女と二人でいると、あんたは男そのものだぞ、とトウガリは警告したのです。

 フルートは唇をかみました。正体を怪しまれるようなそぶりを見せるわけにはいきません。部屋の中にいたって、どこで誰が見張っているかわからないのです。昨日の朝のように、誰かがこっそり窓から部屋の中の様子をのぞいているかもしれませんでした。

 フルートは、見通しのきかない夜の中を見つめました。いるんだろうか? と考えます。自分たちを見張る目。結い上げた金髪の侍女を、男ではないか、金の石の勇者ではないか、と疑う目。フルートが、いとおしい気持ちに負けてポポロを抱きしめてしまう瞬間を、待ちかまえている目の持ち主が。

 けれども、窓にカーテンを引いてしまえば、そんな監視の目もさえぎってしまうことができます。もう夜です。窓にカーテンを引いたって、少しも怪しまれることはありません。

 カーテンを引いて。

 隙間もなく、ぴったりと二枚のカーテンを閉じて。

 そうして、涙ぐむ少女にそっと歩み寄り、優しく抱きしめることができたら。

 半月が照らす夜の庭でゼンがメールにそうしたように、ポポロのかわいらしい唇にキスをして、胸の中の想いを告げることができたら――。

 目眩のするような想像に、フルートは息を止めて立ちすくんでいました。夜の窓に映る自分は、美しい侍女の姿をしています。こんな格好でポポロを抱きしめたって滑稽なばかりです。とても正気の沙汰ではありません。

 でも――。

 窓にカーテンを引いてさえしまえば、そんな自分たちを滑稽だと見る目もなくなるのです。

 フルートは夜の窓を見たまま迷い続けていました。そこに映る部屋の中で、ポポロがしょんぼりうつむいて座り続けています。フルートの瞳が、切なさといとおしさに細められました。白い侍女の手袋をはめた手が、窓のカーテンを握りしめたまま震えます――。

 すると、窓の鏡の中で、ポポロが顔に両手を押し当てました。華奢な背中が小刻みに揺れ始めます。ポポロはとうとう泣き出してしまったのです。

 フルートの胸が震えました。あふれる想いに圧倒されて、ついにカーテンを引こうとします――。

 

 ところが、そのとき。

 

 鏡のようになった窓の向こうで、何かがちらりと動きました。窓に面した中庭の、暗がりから暗がりへ、影のようなものが走っていった気がします。

 はっとフルートが目をこらす中、それは壁の作る濃い闇を伝って隣の部屋の窓に駆け寄ったようでした。ゼンとメールがいる部屋です。

 と、次の瞬間、ガラスの割れる激しい音が隣の部屋から聞こえてきました。どなるような男の声も聞こえてきます。なんと言っているのかはわかりません。

「ゼン!! メール!!」

 フルートは窓辺から身をひるがえすと、侍女のドレス姿のままで部屋を飛び出し、隣の部屋の扉に飛びつきました――。

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