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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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36.二人きり

 フルートたちの一行は、ついにザカラス城まであと一日の場所までやってきていました。いつものように宿を取り、夕食をすませると、トウガリが一室に全員を集めて言いました。

「いよいよだ。明日にはザカラス城がある王都のザカリアに入る。何か感じるか?」

 と侍女姿のフルート、メール、ポポロ、下男姿のゼン、そして二匹の犬たちを見渡します。メールが答えました。

「あたいたちの方の監視は、昨日から急になくなったみたいだよ。ずっと誰かに見られてる感じがしてたんだけどね、昨日の朝、あたいたちが着替えをしてるところを誰かが窓から見ててさ、その後からはぱったりさ」

「のぞきか!?」

 とゼンが顔色を変えると、フルートが答えました。

「ザカラスの監視だよ。ぼくが女かどうかは確かめられたから、今度はメールとポポロを確かめようとしたんだよ」

「その時、フルートは?」

 とトウガリが真面目な顔で聞いてきたので、フルートは肩をすくめ返しました。

「一緒に着替えてるわけないじゃないですか。別の部屋にいましたよ。窓のない部屋だったから、見られてはいないはずです」

「で、のぞいてたのは? 男か、女か?」

 とゼンが気にし続けます。メールがあきれたように言いました。

「そんなのわかんないよ。のぞかれてるって気がついたときには、もう逃げてたんだもん。ただ、その後は監視がなくなったところを見ると、あたいとポポロが正真正銘女なのは確かめてったみたいだね」

 海の王女は戦士の強さも持ち合わせているので、誰かに着替えをのぞかれたくらいではびくともしません。さすがにポポロの方はそこまで割り切れなくて、涙ぐんで赤くなっていました。

「監視は確かに減っている」

 とトウガリが言いました。顔や姿はいかにも楽しげな道化ですが、派手な化粧をした顔が本当はどんな表情をしているのか、今では子どもたちにもすぐわかるようになっていました。トウガリはたいてい大真面目な顔をしているのです。

「だが、完全になくなったわけじゃない。向こうがこっちの正体を完全に信用したわけじゃないんだ。用心は続けろよ」

「誰に対する用心かしら」

 とルルが鋭くつぶやきました。トウガリを見つめるルルの目は、全然好意的ではありません。宿場町で泊まるたびに檻に閉じこめられたり、鍵をかけた部屋に閉じこめられるようになったので、トウガリに対する疑惑をますます強めているのでした。自分たちは自由に動き回れないのに、トウガリはいつだって、いつの間にか自分の部屋から抜け出して、どこかへ姿を消しているのです……。

 けれども、犬のつぶやきは人には聞こえませんでした。

「一昨日ゼンを襲った奴ら、結局正体はわからなかったんだね?」

 とフルートが言い、今度はゼンが肩をすくめ返しました。

「宿の主人や警備隊は強盗だって言ってたけどな。絶対にザカラスの回し者だぞ。そういや、そっちのほうも、あれ以来ぱったりだ。俺が金の石の勇者じゃねえってのもわかったんだろうな」

「こんなのが金の石の勇者だったら大変だよねぇ」

 とメールがすかさず言い、なんだよ!? とゼンが怒り出します。

 トウガリは目を閉じるような顔をして、何も言いませんでした。

 

 話を終え、それぞれの部屋に入ると、メールは大きく伸びをしました。侍女にしてはちょっと行儀の悪いしぐさです。

「あーあ、ホントにしんどいよねぇ、この格好。ザカラス城に入ったら、ますますおしとやかにしなくちゃならないんだから、まいっちゃうよなぁ」

「そのことばづかいも気をつけないとね」

 とフルートが言いました。メールの口調はどう聞いても城の侍女のものではありません。メールは溜息をつきました。

「しゃべらないようにしてるしかないよね。ポポロ並みにおとなしくしてなくちゃ。フルートはよくそこまでちゃんとできるよねぇ」

 フルートは相変わらず、どこから見ても女性にしか見えない外見をしていました。ドレスに慣れたせいもあって、しぐさも自然で女性的になっています。人前で話すことばづかいも完璧です。

 フルートが苦笑を漂わせました。

「調べられたら一発でばれるんだもの。怪しまれないように必死でやってるんだよ」

「それにしたってさぁ。本物の女のあたいたちより女らしいんだもん。ちょっと自信喪失しちゃうなぁ」

 フルートは、はっきり苦笑しました。窓を眺めるふりをしながら、二人の少女に背を向けます。窓の外では、そろそろ日が暮れようとしていました。美しい女性そのもののフルートの姿を夕日が赤く染めています。そんなフルートをポポロが心配そうに眺めていました。

 

 すると、メールはちょっと考え込んでから、急にこう言い出しました。

「ねえ、あたいさ、ゼンのところに行ってくるよ」

 フルートとポポロは驚いて振り向きました。

「だめだよ、それは」

「トウガリに怒られるわよ」

 王女の侍女と下男が一緒の部屋にいるなどあり得ないのだから、宿に入ってからは絶対にゼンの部屋を訪ねるな、と彼らはトウガリから堅く言い渡されていたのでした。

 メールは口をとがらせました。

「いいじゃないか。明日にはもう城に入っちゃって、こんなふうに自分たちだけで気楽に話すこともできなくなるんだからさ。じゃ、ちょっと行ってくるね」

 止める間もなく、あっという間に部屋から出て、隣のゼンの部屋をノックします。扉を開けたゼンが目を丸くしました。

「おう。どうした、メール?」

 そのわきをすり抜けるようにして部屋に入ったメールは、驚いた顔をしているゼンに、舌を出して笑って見せました。

「ちょっとね……フルートとポポロを二人きりにしてきたのさ」

 ああ? とゼンはいっそう驚き、思わず隣の部屋を眺めてから、あわてて自分の部屋の扉を閉めました。

「なんでまた? まだ見張ってるヤツがいるかもしれねえってのによ。まずいぞ、それ」

「だぁってぇ。すっごくじれったいんだもん、あの二人!」

 とメールは声を上げてベッドの上に座りました。ちょっとふくれっ面になっています。

「お互いにさ、言いたいことはあるんだよね。なのに二人とも絶対それを言おうとしないんだ。お互いに気をつかい合ってるのが、こっちにまでびんびん伝わって来るんだもん。正直やってらんないよ。フルートもポポロも、はっきりしなっ! って言いたくなっちゃうね」

「あいつはあの格好だぞ。できるかよ」

 とゼンが苦笑いします。部屋にポポロと二人きりにされてとまどっている親友の姿が見えるような気がしました。侍女のドレス姿の二人です。それで想いを打ち明けたとしても、どうしたって喜劇にしかなりません。

 すると、メールはますますむくれました。

「そんなの関係ないじゃないか。どんな格好してたって、フルートはフルートなんだし。そりゃ、はた目から見たら美女二人なんだから、まずいって言えばまずいけどさ、部屋の中なら誰かに見られるわけもないんだから」

「おまえなぁ」

 ゼンはあきれてしまいました。そんなことを今ここで危険を冒してまでたきつける必要はありません。けれども、メールは短気です。自分のことにしろ、他人のことにしろ、ただじっと待っているだけのような状況は、とても我慢できないのでした。

 

 二人が口をつぐんだので、部屋が静かになりました。

 それで、メールがようやく気がつきました。

「あれ? ポチとルルは?」

「この宿でもやっぱり外に出せって言われたんだよ。二匹とも不満たらたらで裏庭につながれてらぁ」

「あらら。かわいそうに」

 口ではそう言いながらも、実際にはあまりかわいそうにも思っていない様子のメールでした。隣の部屋のフルートとポポロが気になってしかたがないのです。隣からなんの物音も聞こえてこないのに業を煮やして、とうとう立ち上がって壁に耳を押し当てようとします。

「こら、よせよ」

 とゼンがあわてて引き戻しましたが、メールはやっぱり隣室を気にしています。ゼンはメールをまたベッドに座らせました。

「いいからおとなしくしてろ。他人のことに首をつっこむんじゃねえや」

「だってさぁ! あの二人が全然進展しなくても、ゼンは気になんないのかい? それとも、やっぱりフルートにポポロを取られるのは悔しいわけ?」

 たちまちゼンは顔をしかめました。

「なんでそうなるんだよ。あんまり馬鹿なこと言ってると殴るぞ」

 もちろん、それはゼン流の冗談だったのですが、メールはあっという間に負けん気の強い顔に変わりました。

「殴るんなら殴りなよ。そんなことであたいがおそれいると思ったら大間違いだよ。図星さされて頭に来たわけ? ふぅん、やっぱりあんた、今でもまだポポロが好きだったんだ」

 すねた鬼姫は目に涙をにじませてゼンをにらみつけました。話がおかしな方向へ暴走を始めているのですが、自分ではそれに気がついていません。怒った顔をするゼンに、さらにまくしたてます。

「ほぉんと、馬鹿みたい! 本当に好きな子を友だちに譲る真似なんかして! それでもまだポポロを想ってるんだもん、とんだ嘘つきだよね! そんなだからポポロもフルートも遠慮するようになるんだよ――!」

「メール!」

 とゼンがどなりましたが、メールはやっぱり黙りません。

「わかってるさ。あんたが欲しかったのは、戦力としてのあたいだろ? それならそうと、はっきり言やいいのさ。婚約のまねごとなんかしないで。なにが三年待て、さ! あたいのことなんか好きでもないくせに――!」

「いいかげんにしろ!!」

 と、ついにゼンが右手を振り上げました。メールは反射的に目をつぶって体を硬くしました。飛んでくる平手打ちに身構えます。

 すると、ゼンの右手が動きました。メールの頬をたたく代わりに、細い顎をつかんで顔を上向かせ、その頬にキスをします――。

 メールはびっくりして目を開けました。思わず真っ赤になってうろたえます。

 すると、ゼンがメールの瞳を真っ正面からのぞき込んできました。低い声で言います。

「俺はもう決めたんだ――。もう迷わねえよ。だから、おまえも変な勘ぐりはしねえで俺を信じてろ」

 いつも悪口や冗談ばかり言うゼンが、意外なくらい真剣な顔をしていました。メールはますます赤くなると、ほてった頬に片手を当ててゼンを見つめてしまいました。

 

 すると、ゼンが急に苦笑しました。意味ありげにこう言います。

「だいたい、他人をたきつけて心配してる場合か。おまえ、自分がどういう状況にいるかわかってんのかよ?」

 え? とメールはいっそう目を見張り――突然言われている意味を理解して焦りました。

 ここはゼンの一人部屋です。ポチとルルは裏庭につながれてしまっています。フルートとポポロは隣の部屋ですが、この部屋をのぞくようなことはまずありません。トウガリだって、部屋に引っ込んでしまってから子どもたちの部屋を訪ねることはしません。メールはフルートとポポロを二人きりにしてきたつもりでしたが、そんなメール自身が、今、ゼンと部屋に二人きりになっているのでした。

 窓の外は日が暮れ、夕闇があたりを包みこんでいます。ゼンがメールを見つめ続けています――。

「あ、あたいさ、やっぱり自分の部屋に戻るよ」

 急にどきどきしてきたメールは、あわてて部屋を飛び出そうとしましたが、すぐにゼンにつかまり、またベッドに座らされてしまいました。

「ばぁか。せっかく二人きりにしてきてやったんだろ? 邪魔するんじゃねえや」

 言いながら、ゼンもメールの隣に座り、細い肩に腕を回してきます。ちょっぴり荒っぽいしぐさですが、優しさが伝わってきます。

 メールは真っ赤になりながら、ゼン……とつぶやきました。

「なんだよ」

 とゼンが答えます。笑うような目で、またメールの青い瞳をのぞき込んできます。メールは爆発しそうなほど心臓が脈打つのを感じながら目を伏せ、そっと額をゼンの胸にもたせかけました。ゼンがいっそう嬉しそうな笑顔になって、それを抱きしめます――。

 

 そのとき、かたん、と窓辺で音がしました。外から何かがガラスに当たったのです。

 ゼンが思わず振り向いた瞬間、ガラスが割れる激しい音が部屋中に響き渡りました。

 ぎょっと飛び上がったゼンとメールの目に、窓から躍り込んでくる人影が映りました。覆面をした男です。

「覚悟しろ、金の石の勇者!!」

 抜き身の剣を光らせながら、男はそうどなりました――。

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