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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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33.浴場

 湯気風呂というのは、文字通り、湯気を浴室に充満させ、その熱気で汗をかいて体内の老廃物を外に出す、というものでした。いわゆるサウナ風呂です。

 大浴場と言っても、実際には大きめの部屋を二つつなげた程度の広さしかなく、そこにむっとするような蒸気と熱が立ちこめていました。蒸気は浴場の片隅でかんかんと赤くなっている石積みから立ち上っています。床下でたかれている火の熱で、上の石が熱くなる仕組みで、そこへひしゃくで何杯も水をかけ、シュワーッと新たな湯気を立ち上らせながら、女中が説明しました。

「ツムルの湯気風呂は、この湯気の中に寝ころぶんでございますよ。服は全部お脱ぎになって、そちらの脱衣所の方へ置いてくださいませ。ここの石のベッドが暖かくなってますんで、ここに寝ころんで、全身にたくさん汗をかいたら、そちらの水風呂に入って汗を流すんです。水風呂には薬草が溶かしてございますから、お肌もすべすべになりますよ」

 フルートとメールとポポロは顔を見合わせました。どの顔も真っ赤になってしまっています。それを見て、女中がせかしました。

「さあさあ、暑うございましょう、お嬢様方。遠慮なくお入りくださいませ。何かわからないことがあればお呼びください。すぐ参りますので」

 そう言い残して女中が浴場から出て行ったので、フルートたちは心底ほっとしました。出入り口のある脱衣所に鍵がかかることを知って、また安心します。さっそくメールが鍵を下ろして、フルートとポポロを振り向きました。

「ねえさあ、どうする?」

「どうするって――」

 フルートはますます赤くなって口ごもりました。どんなに見た目は美しい女性そのものでも、フルートは男です。少女たち二人と女湯に閉じこめられてしまって、焦らないはずはありませんでした。

「ぼくは部屋に戻るよ。一晩くらい風呂に入らなくたって平気さ。聞かれたら、もう入ったとかなんとか、適当にごまかすよ」

「それ、無理だと思うよ」

 とメールは脱衣所に続く大浴場を顎で示して見せました。

「この風呂、かなり薬くさいだろ? 薬草の匂いさ。本当に風呂に入ったかどうか、匂いですぐわかっちゃうよ」

「でも――どうしてそんなにあたしたちをお風呂に入れたがるわけ?」

 とポポロが言いました。小柄な少女は、もう湯あたりしてしまったように、顔中真っ赤になっていました。

「なんだか、あの人、無理やりあたしたちをお風呂に入れようとしているみたいだったわよ。何が目的なの?」

「フルートが男なんじゃないか、と疑ってるんだろうね」

 とメールが溜息混じりに答えました。侍女のドレス姿で腕組みをしています。

「で、あたいたちと一緒に風呂に入れるかどうかで確かめようとしてるんだろ。えげつないよねぇ」

「そんな――そんな確かめ方――!」

 とフルートは思わず叫んで、そのまま絶句してしまいました。うろたえるあまり、出口に向かって後ずさりを始めてしまいます。

 すると、メールがきっぱりと言いました。

「しょうがない。腹をくくって風呂に入りなよ、フルート」

「え!!?」

 とフルートとポポロは同時に声を上げました。どちらの顔も、これ以上できないというほど真っ赤になっています。

 そんな二人を見てメールは目を丸くすると、次の瞬間、吹き出してフルートの肩をたたきました。

「やだなぁ、何考えてんのさ! 交代で入るのに決まってるじゃないか! まずフルートが入って、その後であたいとポポロが入るの!」

 なんだ、とフルートは本気でほっとしました。ポポロも胸を押さえて安堵しています。

 すると、メールが、にやっといたずらっぽく笑って言いました。

「それとも、あんたたちが二人で入る? あたいはそれでもかまわないけど」

「メールッ――!!!」

 フルートとポポロは同時にまた叫んでしまいました。

 

 はぁ、やれやれ、とフルートは大きく溜息をつきながら浴場に入っていきました。もちろん、一人きりです。

 フルートは脱衣所で侍女のドレスを脱ぎ、金髪の付け毛も体型補正のための胴着も外して、袖無しのシャツに半ズボンという格好になっていました。その上にドレスを着ていたのです。窮屈な女の格好から解放されたのが嬉しくて、フルートは大きく伸びをしました。なんだか、やっと生き返ったような気がします。

 浴場は白い湯気とゆらめくかげろうのような熱気でいっぱいでした。ただそこに立っているだけで、あっという間に汗ばんできてしまいます。フルートは急いで衣類を脱ぐと、脱衣所から持ってきた布を腰の周りに巻きました。脱衣所にいるメールやポポロが絶対にのぞいたりしないのはわかっていましたが、それでも素っ裸はなんとなく落ち着かなかったのです。服を浴場の隅にまとめておくと、中央の石のベッドの上に座りました。なんの飾りもない、ただの四角い黒い石の板です。座ると、そこもかなり熱くなっていて、たちまち体全体から汗が噴き出してきました。

 フルートの裸の胸の上で金の石のペンダントが揺れていました。むっとするような熱気の中、金の石だけはひんやりと冷たく光って見えます。石のベッドに座ったままそれを見つめていたフルートは、やがて、そっと呼びかけました。

「精霊……金の石の精霊……」

 けれども、精霊の少年は姿を現しません。

 フルートは、ふう、とまた溜息をつくと、片膝を抱えてそこに顎をのせました。

 金の石はまだ眠っていないのです。闇の敵がフルートたちを見張っているのだと、金の石の精霊は夢で言ったのです。けれども、闇の気配はまだ近くに感じられません。

 どこに潜んでいるのか。何が待ちかまえているのか。

 ザカラス城にさらわれたメーレーン王女ももちろん心配でしたが、フルートとしては、闇の敵の正体のことも気がかりで、何とも落ち着かない気分になるのでした。

 闇の敵に大切な人たちを奪われるのは、もうたくさんなのです。先の黄泉の門の戦いのように、闇に友だちを殺されそうになる想いはもう二度としたくありません。

 金の石……! とフルートは心で呼びかけ続けました。

 お願いだ、みんなを守ってくれ。絶対にもう誰も失うことがないように、みんなを守り続けてくれ……。

 抱えた片膝に額を寄せて目を閉じた少年は、まるで天に祈りを捧げているように見えました。

 

 脱衣所でフルートが上がってくるのを待ちながら、メールがポポロと話をしていました。

「えぇと、あたいたちが入るときには、服を脱ぐ間、フルートにちょっとだけ外に出ていてもらおう。いくら後ろを向いてるからとか言われたって、さすがに気になるもんねぇ。で――あたいたちが上がるときにまた外に出てもらって、着替えがすんだら一緒に部屋に戻る、と。こんな感じだろうね」

 ポポロは脱衣所の床に座り込んでいましたが、ちょっと考え込んでから、メールを見上げました。

「ねえ、メール……どうして侍女の中に男が混じってるって気がつかれたのかしら? フルートはあんなに女らしく見えてるのに」

 と真剣な口調で尋ねます。不思議でたまらなかったのです。

 うーん、とメールはうなりました。

「それなんだよねぇ。関所の時もそうだったんだけど、なんか、あたいたちのことがザカラス側に漏れてるような気がするんだよね。まあ、行く先々で見張ってるヤツはいるんだろうけどさ」

「でも、あたしたちはともかく、フルートは一番侍女らしく見えてるのよ。絶対に男だって疑われるわけないのに」

「案外、ヤツらはあたいの方を疑ってたりしてね」

 とメールが笑って肩をすくめました。細身で長身の彼女は、動きも直線的で、あまり女らしくは見えないのです。

 でも……とポポロはまた考え込みました。一年前のメールなら、確かに少年が少女の姿に変装していると勘違いされたかもしれません。けれども、今のメールは、年頃の娘らしく、ぐっと女らしい姿に変わり始めています。どんなに少年のようにふるまっていても、今のメールはもう、どうしたって女性にしか見えないのです。

 かといって、それではポポロが男と疑われたのかと考えれば、それもやっぱり、ちょっとありえない話でした。いつも泣き出しそうな顔をした頼りなげな少女をつかまえて、実は男だろう、などと考える人がいるのでしょうか……?

 考え込んで黙ってしまったポポロにつられて、メールも何も言わなくなりました。脱衣所が沈黙につつまれます。

 

 すると、いきなり脱衣所の出入り口のノブが外から回されました。ガチャガチャと乱暴な金属音が響きます。メールとポポロは思わず飛び上がって出入り口を見ました。扉には鍵がかかっています。

「つ、使ってるよ! 貸し切りさ!」

 メールがあわてて扉の外の人物へ声をかけると、ノブを回す音が止まりました。代わりに聞こえてきたのは、外から鍵穴に鍵を差し込んで回す音でした。扉の掛け金が跳ね上がって、扉が開きます――。

 

 外から入ってきたのは、でっぷりと太った中年の女性でした。一枚布の袋のような服をすとんと着て、腰のところで紐でしばり、手には大きな海綿を二つも持っています。ずかずかと脱衣所に入ってくると、驚いて声も出せずにいるメールとポポロに言います。

「なぁんだい、もう上がっちまったのかい? あたしの出番がないじゃないのさ。商売あがったりだよ」

 メールとポポロは、ますます目をぱちくりさせました。この女の人は誰だろう、と考えます。

 その時、浴場からザーッと水の流れる音が聞こえてきました。フルートが水を使ったのでしょう。太った女がそちらを見ました。

「ああ、まだ入ってる人もいるんだね。どれ」

 女が大浴場に入っていこうとしたので、少女たちは仰天しました。

「な、何をするつもりさ、おばさん!?」

「何って、あたしゃ流し屋だよ。風呂に入ってるお客さんの体をこすって、洗い流してやるのが仕事なんだ」

 言いながら、太った女は遠慮もなく浴場の引き戸に手をかけました。メールとポポロは焦りました。必死で叫びながら止めようとします。

「いいよ! いいってば、おばさん――!」

「あの! あの――!!」

 けれども、女はガラガラと勢いよく浴場の戸を開けてしまいました。

「どぉれ、お客さん。垢を流してあげようね! さっぱりするよ!」

 と大声で中に呼びかけます。

 フルートが飛び上がって振り向きました。ポポロは次に起きる場面を見ていられなくて、思わず悲鳴を上げて堅く目を閉じてしまいました。その声に別の悲鳴が重なります。フルートです。

 

 ところが、続けて、驚くほど鋭い声が浴場に響き渡りました。

「あなた、誰!? 失礼でしょう! 出て行って!!」

 女性の口調ですが、確かにフルートの声でした。うそ……とメールが信じられないようにつぶやく声が聞こえてきます。ポポロは思わずまた目を開け、そのまま目を見張ってしまいました。

 湯気が立ちこめ、熱気がかげろうになって揺れている浴場の中、黒い石のベッドの上にフルートが座っていました。腰に布を巻き付けています。上気して桃色になった肌が湯気の中に浮かび上がって見えます。

 その体は驚くほど丸みを帯びて見えました。肩も背中も手足も、布越しに見える腰の形も、本当に優しく美しい曲線を描いています。そして、その両腕が抱えるフルートの胸は、大きく丸くふくらんでいたのです――。

 メールとポポロは呆然と立ちつくしてしまいました。目の前の光景が信じられません。

 フルートは、女性の体型に変わっていたのでした。

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