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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第8章 敵国

30.間者(かんじゃ)

 「本当に間者なの……?」

 夜に包まれた荒野の中、子どもたちは遠くから届く馬車のランプの光に淡く照らされている道化を見つめました。派手な化粧をした顔が、闇の中に白く浮き上がって見えます。

 すると、ポチがワン、と吠えて言い続けました。

「そうとしかしか考えられないんですよ。トウガリは宿に着くと、よくどこかへいなくなっちゃってたし、化粧を落として普通の人みたいになって大勢の中に紛れてるところも、ぼくは見かけました。いつの間にかフルートたちを見張ってたこともあるらしいし、それに、さっきの戦いぶり……。正式な戦士の戦い方とは違うけど、すごく訓練を積んでますよね。そういうのをいろいろ考えると、間者だって考えるのが、一番ぴったり来るんです」

 ぴゅう、とゼンが口笛を鳴らして、ポチの頭をぐりぐりとなでました。

「この生意気犬! おまえはホントに賢いよな!」

「本当に間者なんだ。……ロムドの間者なんですね?」

 とフルートが確かめるようにトウガリを見上げます。

 トウガリは道化の顔を歪めて、いっそうはっきりと苦笑いの表情になりました。

「そう何度も間者、間者と言うなよ。こういう仕事をしていることは、親きょうだいや友人にも秘密にするのが鉄則なんだからな」

「じゃ、本当に……」

「まあな。表向きはメノア王妃に仕えて人々を笑わせる宮廷道化、その裏の顔はと言えば、ロムドの敵を密かに探る王直属の間者。ハルス・トゥーガリンってのが、俺の本名だ」

 そう言ってトウガリは子どもたちに向かって一礼しました。大げさなほどに見える、道化のお辞儀でした。

 

「今回の俺の役目は、変装した金の石の勇者の一行を無事にザカラス城まで送り届けることなんだ」

 とトウガリは話し続けました。

「ザカラス城に着いたら、おまえらと協力してメーレーン様を救出する。さらに、おまえらの道中の護衛も言いつかってる。まあ、護衛の方は慣れない仕事だからな。このざまだが」

 と剣に刺されて血に汚れた道化の服を示して見せます。服の半分以上が血の色に変わっていますが、その下にもう傷はありません。フルートが金の石で癒したからです。

「無茶すんなよ。俺たち、自分で自分の身くらい守れるぜ」

 とゼンが言うと、トウガリが、じろっとにらんできました。

「何度言ったらわかるんだ。侍女が戦ったら一発でおまえらの正体がばれるんだぞ。いや、もうばれたかもしれん。金の石で俺を治したりするから――」

 とたんに、フルートが厳しい調子でさえぎりました。

「なんと言われたって、絶対にあなたを怪我させたままになんかしておきません。死なせるなんてのは論外です。これ以上とやかく言うなら、本当に今度はゼンに殴らせて、縛り上げて、ザカラス城に着くまで何もできないようにしますよ」

 どう見ても美しい女性の姿で、なかなか過激なことを言います。トウガリは思わず首をすくめると、後はそれに関しては何も言わなくなりました。

 すると、話を聞いていた御者が笑い出しました。

「さすがのトウガリ殿も、金の石の勇者の一行にはかないませんね。言うとおりにした方が良さそうですよ」

「あんたは? やっぱり間者なの?」

 とメールが御者に尋ねました。御者の男は穏やかに首を振りました。

「いいえ、私は本当に御者です。ただ、護衛御者とか馬車衛兵とか呼ばれておりまして――馬車に乗ってお出かけになる王族の皆様方の護衛を務めるのが役目なんです。私はもともと御者として城に仕えるようになった人間で、剣術に心得があったので、この職務に回されたんですが、軍人が護衛御者になることも多いんですよ」

 ああ、そういえば、とフルートはうなずきました。以前、願い石の戦いの時に、そんな軍人上がりの護衛御者の馬車に乗ったことを思い出したのです。その時の御者と比べると、今回の御者はもっと礼儀正しくて穏やかな雰囲気です。フルートは、にこりとほほえみかけました。

「ぼくたちを守ってくださってありがとうございます。お名前はなんておっしゃるんですか?」

 護衛御者はフルートから直々に感謝されたことに驚き、名前を聞かれたことに、さらに驚きました。子どもとはいえ、相手は天下の金の石の勇者です。ただの護衛兵にこんなふうに丁寧に話しかけてくることが信じられなかったのです。

「コラム――ロブ・コラムです、勇者殿――」

 と、とまどいながら名乗ります。

「まったく変な連中だな」

 とトウガリが大きく肩をすくめました。あきれたような声でしたが、どこかそんな子どもたちを面白がる響きもありました。

 

 荒野の上では星がまたたいていました。冷たい風が吹き抜けていきます。木枯らしです。ずっと黙って話を聞いていたポポロが、ぶるっと身震いしました。

 それに気がついて、トウガリが言いました。

「とにかく、ここから出発しよう。敵が確かめに戻ってくるかもしれないしな。もっと知りたいことがあるなら、馬車の中で話してやる」

 そこで、一行は街道に戻り、風をさえぎる馬車の中で冷え切った体を寄せ合いました。御者のコラムが鞭を鳴らして馬車を走らせ始めます。

 ランプに明るく照らされる車内で、彼らはさらに話し続けました。

「なあ、間者ってのはたくさんいるのか?」

 とゼンがトウガリに尋ねます。

「いるな。みんな表向きは普通の人間のふりをしているから、周りが気がつかないだけだ。ロムド城だけで、ざっと百人以上の間者がいるぞ。城の外へ偵察に行く者もあるが、城の内部を見張っている役目の奴も多いんだ」

 百人以上! と子どもたちは目を丸くしました。そんなにいるならば、彼らだって知らない間に城内で出会ったり、すれ違ったりしているのに違いありません。すると、トウガリが続けました。

「これでもロムド城は間者の数が少ない方なんだ。なにしろ非常に優秀な占者殿がいるからな」

 ユギルのことです。

「だが、どんなに占者がすばらしい目をしていても、事実を確認したり、裏付けを取ったりすることは必要になる。そこで俺たちの出番になるんだ。ユギル殿ほどの占者はめったにいないから、他の国では、もっと大勢の間者を抱えているのが普通だな」

 ふーん、と子どもたちは感心しました。目に見える城は立派で大きく、どんな敵にもびくともしないように感じられますが、その裏でとても多くの人たちが城を守り続けているのだと、改めて考えます。占者、魔法使い、そして、トウガリのような間者たち。彼らは城にいる王や王族、国の要人たちを守ります。そして、その王たちは、国に住む大勢の国民たちを守っているのです……。

 

 夜も更けてから、馬車はようやく次の町に到着しました。

 急いで宿を取り、荒野で夜盗に襲われたことを知らせるために、御者のコラムが警備隊の屯所へ走ります。

「もっとも、あの夜盗はザカラス城で送り込んできたものだから、知らせたって、ザカラス警備隊は形ばかりの対応しかしないだろうがな」

 というのがトウガリの話でした。そんなトウガリは、血に染まった服を途中の沼の底に沈め、新しい道化の服を身にまとっています。やっぱり赤や緑や黄色の、派手な色合いの衣装です。ゼンも、トウガリの血がついた服を別のものに替えていました。

 

 子どもたちの先に立って宿に入っていくトウガリの後ろ姿を、ルルがじっと見つめていました。ポチがそれに気がついて話しかけます。

「ワン、どうしたんです、ルル? なんか、怖い目をしてますよ?」

「ちょっとね」

 とルルが低い声で答えました。どこかとがった響きの声です。

「みんな、すっかりトウガリを信用してるけど、本当に大丈夫かしらって考えていたのよ」

「どうして?」

 とポチが驚くと、ルルの声はますます厳しくなりました。

「あのトウガリは、メノア王妃が嫁いできたときに一緒にロムドに来た人なんでしょう? ってことは、もともとはザカラス人だってことよね。ザカラスにいた頃、あの人は何をしていたのかしら? その頃には、まともな道化だったのかしらね?」

 ポチは一瞬きょとんとなり、その意味を理解して、ぎょっとしました。いっそう声を低めて言います。

「トウガリは、本当はザカラスの間者じゃないか、って言うんですか? まさか!」

「どうして、まさかと思うのよ。怪しいじゃないの。ザカラス人のくせにロムドの間者になるだなんて」

「ワン、間者にだっていろんな人がいると思うけど……。それに、あの人からぼくたちをだましてる匂いはしませんよ」

「あなたは、相手が徹底してごまかせば、見破ることができなくなるじゃないの」

 とルルは容赦なく言いました。ポチがしょげて耳と尻尾をたらしても、まったく気にしません。

「とにかく、あの人を信用してしまうのはまだ早いと思うわ。用心しましょう」

 

 すると、宿に入ったゼンが顔を出して呼びました。

「おぉい、ポチ、ルル。どうしたんだ? 早く来いよ!」

「行きましょう」

 とルルが先に立って歩き出しましたが、ポチはすぐには動けませんでした。宿の入り口越しに見える、痩せた背高のっぽの人影を見つめてしまいます。

 何を信じ、何を疑ったらいいのか。

 賢い子犬は、すっかり困惑してしまっていました。

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