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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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29.トウガリ

 トウガリは腹に剣を突き刺したまま倒れていました。道化の服がどんどん血に赤く染まっていきます。濃い化粧で顔色はわかりませんが、それも蒼白になっているのに違いありませんでした。ゼンはトウガリを抱きかかえたまま、必死で呼び続けていました。

「トウガリ! おい、トウガリ! しっかりしろったら!!」

 すると、トウガリが目を開けました。激しい苦痛に顔を歪めながら言います。

「俺を放せ……服が汚れるぞ」

 ゼンは驚きました。何を言ってやがる! と思わずどなってしまいます。

 トウガリは苦しそうに溜息をつきました。

「おまえらは……これから王女の前に出なくちゃならないんだ……血のついた服などとんでもない……」

「着替えなら別にまだあらぁ!」

 とゼンはどなり返しました。絶対にトウガリを放すつもりはありませんでした。剣は微妙な角度でトウガリに刺さっています。体の向きを変えただけでも、剣が動いて傷を広げそうに思えます。

 向こうで御者が最後の敵と戦っていました。剣と剣がぶつかり合う音が何度も響き、ついに悲鳴を上げたのは敵の方でした。よろめきながら離れ、馬に飛び乗って逃げ出します。

 すると、荒野に倒れていた他の敵たちも、後を追うようにして逃げ出しました。ゼンが殴り倒した男も含めて、皆、致命傷ではなかったのです。じきに荒野から敵の姿が消えました。

 

 そこへ、ポチの後について侍女姿のフルートが駆けつけてきました。邪魔なドレスの裾を大きくたくし上げて、全速力で走ってきたのです。ゼンの隣に飛び込むように座り込み、傷ついたトウガリを見つめます。

「待ってて。今すぐ治してあげますから」

 と握りしめていた金の石を押し当てようとします。

 すると、その手をトウガリがつかんで抑えました。うめくように言います。

「よせ……俺に手を出すんじゃない」

 少年たちは驚きました。トウガリは命に関わる深手を負っています。それなのに、トウガリは言い続けました。

「俺をここに置いて……馬車で行くんだ……。襲ってきたのは夜盗たちだ。同行していた道化が、やられてしまった。おまえらは、命からがら逃げてきた……次の町に着いたら、警備隊にそう言うんだ……」

「馬鹿野郎! おまえ、死んじまうぞ!!」

 とゼンがどなりつけると、トウガリは、脂汗の浮かんだ顔でにやりと皮肉に笑いました。

「俺が死ねば、気にくわない旅仲間がいなくなって、せいせいするじゃないか……? いいな。絶対に、奴らに見破られるんじゃないぞ……」

 と手に力を込めてフルートを押し返します。行け、というのです。

 フルートはその手を振り切りました。トウガリをにらみつけるようにしながら、きっぱりと言い切ります。

「嫌です。絶対に、あなたを置いていったりしません」

 誰がなんと言っても絶対に自分の考えを曲げないときの、あの強い口調でした。魔法の金の石をトウガリの体に押し当ててしまいます。

 とたんに、トウガリの細い体が、びくりとのけぞるように震えました。大きなうめき声が口からほとばしります。ちょうどそこへ駆けつけてきた少女たちが、真っ青になって立ちすくみました。

「だ、大丈夫なのかい?」

 とメールが心配します。

 トウガリのうめき声と共に、体に突き刺さった剣がじりじりと動き出しました。腹から背中の方へと押し出され、やがて、完全に抜けてぽろりと地面に落ちます。同時に、うめき声も止みました。子どもたちが道化の男を見守ります。

 すると、トウガリはゼンの腕の中でまた目を開けました。何度も、ぱちぱちとまばたきをして、そっと、自分の腹に手を当てます。

「痛くないぞ」

 と驚いたように言って自分から体を起こし、背中にも手を回します。道化の衣装には剣が突き刺さった痕が残り、信じられないほどの血で赤く染まっています。それなのに、トウガリは痛みも苦しみもまったく感じていないのでした。

 フルートは、ほっとした顔になると、またペンダントを首にかけました。透かし彫りに囲まれた金の石をドレスの下に隠します。

 

 トウガリは立ち上がりました。本当に、もうどこもまったく何でもありません。あれほど深かった致命傷が、跡形もなく消えています。トウガリは深い溜息をつきながら、足下に落ちていた剣を拾い上げました。

 とたんにフルートが叫びました。

「何をするんです!?」

 とトウガリの腕をとっさに抑えます。トウガリは剣を自分で自分の腹にまた突き立てようとしたのでした。

 驚く子どもたちに向かって、トウガリは言いました。

「俺を治すなと言ったんだ。もう一度、剣を刺さなくちゃならない」

「どうしてだよ! そんなに死にたいのか!?」

 とゼンがどなりつけます。さっきから、ゼンはトウガリ相手にどなりっぱなしです。

「死にたくはないが、つじつまが合わなくなる。あいつらは、おまえらの正体を確かめるために送り込まれてきた敵だ。いやにあっさり引き上げていったからな。俺が深手を負ったのも、あいつらを通じて報告される。それなのに俺が怪我もなくぴんぴんしていたら、それこそおまえらの正体を怪しまれることになる」

「そうだとしたって、あんたを死なせるわけにはいかないよ!」

 とメールが声を上げました。ゼンもうなずきます。確かにトウガリは気に入らない仲間でしたが、それとこれとは別のことです。

 すると、トウガリがはっきりとからかうような笑い顔になりました。

「これだから、おまえらは馬鹿だと言われるんだよ。相手はあのザカラス王だ。尻尾を捕まれたら一巻の終わりなんだぞ。どうすればいいかなんて、ちょっと考えただけですぐにわかるだろう」

 さあ、放せ、とトウガリは自分の手を抑えているフルートに言いました。トウガリが握る剣の刃は、彼の血に紅く濡れています――。

 

 すると、突然トウガリが悲鳴を上げました。

「い、痛ッ、いたたた……!!」

 フルートがトウガリの右手を思いきり強く握りしめてきたのです。とても少年とは思えない力に、トウガリの手首の骨がへし折られそうになります。剣が地面に落ちます。

 それを靴先で遠くへ蹴飛ばしてから、フルートはトウガリを見上げました。青い瞳の中に、鋭い怒りが稲妻のようにひらめいています。そのまま今度は強く手を引き、前のめりになったトウガリの顔に右の拳をたたき込みます。まともに殴られて、トウガリが音を立てて地面にひっくり返り、少女たちが思わず悲鳴を上げます。

 あいたた……と頬を抑えてまたうめいたトウガリへ、フルートは強く言いました。

「まだ同じことをすると言うなら、今度はゼンに殴らせるからな! 怪しまれないために、もう一度剣を刺す? つじつまを合わせるために? 冗談じゃない! そんなことをしたって、何度だって金の石で治してやる!!」

 フルートは完全に少年の口調に戻っていました。美しい娘の姿をした全身からすさまじい気迫を放っています。大の大人のトウガリでさえ、思わず何も言えなくなるほどでした。

 すると、ゼンが腕組みして、へっと笑いました。

「まったくだ。無駄だぜ、トウガリ。こいつは仲間が傷ついたり死んだりするのを絶対に許さねえんだからな」

「そうそう。普段はめちゃくちゃ優しいくせに、こういうことになると、とたんにフルートはおっかなくなるんだよねぇ」

 とメールも肩をすくめて笑います。

 トウガリはまだ何も言えません。

 

 そこへ、ずっと成りゆきを見守っていた御者が口をはさんできました。

「やめましょう、トウガリ殿。勇者の皆さんの言うとおりだ。それに、あなたがいなくなったら、敵の追及をかわせる人間がいなくなります。私一人では、とても皆様方を守れる自信がありませんよ」

 そう言う御者は、手にまだ自分の剣を握っています。

 ゼンは腕組みしたまま、じろりと御者とトウガリを眺めました。

「だいたいよぉ、おまえらいったい何者なんだ? 絶対にただの御者や道化じゃねえだろ。正体を言えよ!」

 とたんに、トウガリは急にすましたような表情に変わりました。地面から立ち上がり、ズボンについた土埃を払い落としながら言います。

「本当にただの道化だよ。護身術はたしなみさ」

「嘘つけ! 絶対にそんなレベルの戦い方じゃなかったぞ! おまえら、ホントは戦士なんだろう!?」

 トウガリはそれには何も答えません。肩をすくめただけで、そのまま馬車に戻っていこうとします。

 すると、ポチが急に言いました。

「ワン、トウガリは間者なんですよ。そうでしょう?」

 間者? と子どもたちは驚きました。間者とは、敵の情報をこっそり入手したり、敵の様子を偵察したりする職業、いわゆるスパイのことです。

 トウガリは足を止めました。少しの間、迷うように立ちつくし、やがて、子どもたちをまた振り返ります。子どもたちは食い入るように見つめています。

「やれやれ……。勇者の一行というのは、犬も頭がいいもんだな」

 そう言ったトウガリは、派手な化粧の道化の顔に、はっきりと苦笑いを浮かべていました。

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