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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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26.関所

 ロムドとザカラスを隔てる国境は、二つの小高い山の間を流れる谷川でした。目もくらむほど深い谷の上に長い石造りの橋が架かっていて、その両端にロムドとザカラスの関所があります。

 ロムドの関所にはロムド城からの知らせが届いていて、役人たちの応対も丁寧でした。手続きもすんなりすんで、関所の門が開けられ、目の前に谷と石の橋が現れます。

 ところが、一行が橋を進み出そうとすると、見送りに来ていた関所の責任者が話しかけてきました。

「お気をつけください。ザカラスの関所で、このところなんとなく不穏な動きが見えるのです。特にロムドからザカラスに入ろうとする女性を厳重に調べているようです。侍女の皆様方も厳しく取り調べようとするかもしれません」

 フルートは思わずメールやポポロと顔を見合わせてしまいました。なんとなく、いよいよか、という気がします。

 すると、関所の責任者は、少し考えてから、こんなことを言ってきました。

「メーレーン様ですが……城からは確かにザカラスをご訪問中と伺いましたが、正直、我々は王女様がいつここをお通りになったのか存じ上げないのです。我々は夜となく昼となく、この関所を守り続けております。王女様がザカラスをご訪問になるのであれば、必ずこの道をお通りになるはずですが、我々がまったく気づかなかったというのはいったい……」

 国境を守る役人たちは、ザカラスの関所の不審な動きもあって、今回の件に非常に腑に落ちないものを感じていたのでした。

 けれども、道化のトウガリは馬車の中からすまして答えました。

「いやいや、関所の所長殿が不思議に思われるのも道理でございますね。メーレーン様は国境の関所を越えずにザカラスへ行かれた。これはいったいどんな魔法を使われたのだろう? 誰でもそうお考えになりましょう。答えは簡単。ザカラス王がメーレーン様を魔法の馬車でお迎えに上がったからでございますよ。あの有名な空飛ぶ馬に引かせた馬車です。それで空をひとっ飛びしてロムド城まで。メーレーン様もたいそう珍しがって、大喜びで馬車に乗って行かれたのですが、馬車が重すぎては空飛ぶ馬も飛ぶことはできません。かくて、私どもは姫様のお荷物と一緒に、地上をこうしてごろごろと姫様の後を追いかけているのでございますよ」

 例の流れるような調子でそんなことを言います。聞きようによっては実に怪しいザカラス王の動きなのですが、トウガリの話には妙な説得力があります。関所の所長は、たちまち納得した顔つきになりました。

「なるほど、ザカラスの空飛ぶ馬車ですか。それならば関所も越える必要はありませんな。――いや、昨年南のジタン高原で、国境線を越えてきたザカラス軍とロムド軍がこぜりあいを起こしたと聞いておりましたし、ひょっとしたら……と心配しておったのです。だが、考えてみればザカラス王はメーレーン様の実の祖父君だ。ザカラスに遊びに来るようにと気軽に誘いにこられるでしょうな。いやはや、心配性の親父の邪推でございました。ザカラス王にはどうか内密に」

 と頭をかきながら弁解してきます。トウガリは笑ったように化粧をした顔で、いっそうにっこりと笑って見せました。

「いやいや、国境の安全を守り、ロムドの平和を担っていらっしゃる皆様方です。一見些細なようでも怪しい動きには目を光らせておかなくてはならないのでしょうから、お仕事熱心なことには心から感服するばかりでございます。ロムド城にまた戻りましたら、国王陛下にも、皆様方の熱心なお仕事ぶりはしかと報告させていただきます。では、そろそろまいります。ご忠告、ありがとうございました――」

 トウガリの流れる演説を残して、馬車は石の橋の上を走り始めました。

 

 馬車の扉が閉まり、また自分たちだけになると、トウガリは言いました。

「ザカラスがこっちを疑っている。絶対にぼろを出すなよ」

 例によって、ぶっきらぼうなほどの口調です。

 けれども、今度はゼンもそれに文句はつけませんでした。子どもたちは、それぞれに変装をした格好をあわてて整えると、緊張した顔で行く手に近づくザカラスの関所を眺めました。

 

 ザカラスの紋章を描いた門がゆっくりと開き、馬車が関所の中に招き入れられました。

 そこは、ぐるりを柵で囲まれた広い敷地でした。中央に関所の建物があって、道がその前に延びています。橋を渡ってザカラス領内に入ろうとする者は、必ずその建物の前を通らなくてはならないのです。

 敷地のあちこちにはザカラスの警備兵が武器を手に立っていました。ロムドの関所もロムド警備隊が守っていましたが、なんだか、こちらのほうがずっと物々しい雰囲気です。

 馬車が関所の建物前に停まり、一行が馬車から降り立つと、その雰囲気はさらにはっきりしました。十数人の警備兵がいっせいに駆け寄り、剣や槍を彼らに向けて突き出してきたからです。

「これはこれは」

 と道化のトウガリは仰天したような声をあげました。

「な、なにごとでございましょうか? わたくしどもはザカラス城へ遊びに行かれた王女メーレーン様のもとへ行く家来たちで、怪しい者ではございません。その旨、陛下のお知らせも届いているはずでございますが」

「王女付きの侍女三人と道化一人、荷運びが一人、それに犬が二匹。確かにザカリアを通じて連絡は来ている」

 とザカラスの関所の責任者らしい男が言いました。ロムドの関所の責任者は、いかにも役人という風体の人でしたが、こちらは明らかに軍人です。おそらく、ここを守る警備隊の隊長なのでしょう。黒いロムドの鎧を身にまとい、一段高くなった関所の建物の中から目の前の一行を見下ろしています。その腰には大きな剣が下がっていました。

 侍女に化けた三人は身を寄せ合いました。関所の異様な警備ぶりに恐ろしがる様子を見せます。そうしながら、フルートは二人の少女にささやきました。

「あなたたちは何も言わないで。話すのは私に任せてね」

 もう完璧な女ことばになっています。メールとポポロは、黙ってうなずきました。

 すると、そんな三人に厳しい目を向けながら、ザカラス警備隊の隊長が言いました。

「だが、ザカラス城からは、ロムドから偽の侍女がザカラスに入り込んでくる可能性がある、という連絡も入っているのだ。その者たちは本当に侍女なのか? 確かめさせてもらうぞ」

 とたんに、フルートは悲鳴のような声を上げ、両手を広げてメールとポポロを抱きしめました。おびえたように、隊長に向かって叫びます。

「た、確かめるって、どうなさるおつもりですか――!?」

 すると、トウガリがのんびりと声をかけました。

「大丈夫、大丈夫、焦る必要はありませんよ、オリビア。ザカラスの警備隊の皆様方だって、まさまあなたたちを身体検査しようなんてまで考えちゃいませんって。王女様に仕える侍女にそんな失礼な真似をしようものなら、国家間の大問題ですからねぇ。警備隊長殿も、それはちゃんとご承知ですよ」

 ちくり、と皮肉の針が混じりました。案の定、たちまちザカラスの警備隊長が顔色を変えます。そこへたたみかけるように、トウガリは言いました。

「わたくしどもは国王陛下直筆のサインもある命令書をいただいてきております。ザカラスをご訪問中のメーレーン王女様のもとへ向かうように、という正式な書面でございます。それではわたくしどもを信用してはいただけないのでございましょうか?」

 素の時はともかく、こういう場面でのトウガリは本当に雄弁です。たくみにことばを紡ぎ出しながら、相手を自分のペースに巻き込んでいきます。

 警備隊長はトウガリの差し出した命令書を受けとり、目を通して苦い顔になりました。関所を守る彼らは、ロムド王のサインや王室の印を覚えさせられます。書面のサインと印は、確かにロムド王室からの正式な使者であることを証明していたのです。これがあるのに、それでも強行に取り調べたりすれば、本当に国家間の信用に関わる紛争に発展しかねません。

 

 すると、警備隊長の隣に控えていた副官が口を開きました。

「王族に仕える侍女たちは、容姿が美しいだけでなく、主君を楽しませるための芸事にも秀でていなくてはならないと聞いています。ここで侍女の方々に芸を披露していただく、というのはいかがでしょう?」

 歳は行っていますが、鋭いものを感じさせる副官でした。フルートとメールとポポロは思わず顔を見合わせました。彼らは芸事などまったく習ってきていません。海の王女であるメールでさえ、ずっと戦いの稽古の方に夢中になってきたので、楽器も踊りも何一つまともにできません。全員が思わず困り切ってしまいました。

 すると、トウガリがまた言いました。

「ここには芸を披露するための楽器も設備も何もございませんので、侍女たちが困っております。いかがでしょう。わたくしならば道化でございますので、準備などなくてもいくつか芸を披露して皆様を楽しませてさしあげることができますが」

「楽しみのために芸を見せろと言っているのではありません。ザカラスの安全を守るのが我々の仕事なのです。本物の侍女であれば、なにかしら才を披露してみせられるはずですぞ」

 と副官がトウガリ相手に迫ります。道化はあわてたように後ずさると、失礼いたしました、と深く頭を下げて見せました。その格好で、ちらりと侍女姿の子どもたちの方を振り返ります。その目は、なんとかしろ、と彼らに告げていました――。

 フルートは一瞬考え込んでから、前に進み出ました。

「あの……歌でよろしければご披露いたしますが」

「歌か?」

 と怪しむように警備隊長が聞き返しました。歌ぐらいではごまかされんぞ、と考えているのがわかりますが、フルートは知らん顔で言い続けました。

「はい。ロムドの子守歌でございます。庶民の間で歌われるものなのですが、メーレーン様はこのお歌が特にお気に入りなので、毎晩お休みの時に歌ってさしあげています。これならば、伴奏などなくてもお聞かせすることができます」

 すると、それにトウガリが大げさに手を打ちました。

「ああ、あの歌か。それがいい! わたしは荷物の中に笛を持ってきているから、あれで伴奏をつけてあげよう」

 と馬車に飛び戻って、すぐに銀の横笛を持って戻ってきました。フルートの隣に立ち、笛を構えながら言います。

「音を合わせるから、最初の一小節だけ歌って」

 フルートは歌の始まりを小さな声で歌って聞かせました。トウガリはうなずき、二、三度笛を鳴らして音程を調整すると、馬鹿丁寧なほどに警備隊長たちにお辞儀をして見せました。

「では、ご披露させていただきます。ロムド東部で歌われる『白い月の子守歌』でございます――」

 

 フルートは歌い出しました。トウガリの横笛の音がそれに重なります。澄んだ優しい声と音色が、国境の関所の中に流れ出しました。

 人々は驚きました。歌う侍女が非常に美しい声をしていたからです。歌も上手です。庶民の間で歌われる子守歌だけあって、旋律も歌詞もシンプルですが、それだけに胸に染みいるような優しさと切なさがあります。空に輝く白い月が、地上で眠る幼子たちを見守る歌です。おやすみ、おやすみ、子どもたち。白い月の光に守られて、今夜も安らかに眠りなさい……と穏やかに繰り返されます。

 フルートの後ろにいた仲間たちも、密かにびっくりしていました。もうずいぶんフルートと一緒に過ごしてきましたが、フルートの歌を聴くのは初めてだったのです。フルートはまだ声変わりをしていません。ボーイソプラノの声は、女性の声より伸びやかに澄んでいて、まるで天使の歌声のように響きます。そこにトウガリの笛の音が重なって、いっそう切ない美しさをかもし出します。

 ポチが、聴いているうちに急に泣き出しそうな顔になりました。フルートが歌っているのは、フルートのお母さんが彼らに聴かせてくれる子守歌でした。眠れない夜に、悲しみに沈んだ夜に、お母さんは彼らの枕元に来て、優しくこの歌を歌ってくれたのです。フルートのお母さんはとても綺麗な声をしています。フルートの歌声は、そんなお母さんの声にそっくりでした。

 関所を守る兵士たちの大半は庶民の出身でした。ロムドの子守歌は知らなくても、歌の中に流れる素朴な優しさにはなじみがあります。ひげ面のいかつい男たちの目に涙が浮かびました。遠い故郷にいる老いた母親や、家に残してきた妻と子どもたちを思い出して、関所全体がしんみりとした雰囲気に包まれます――。

 

 歌い終わると、フルートはドレスの裾をつまんで深くお辞儀をして見せました。完璧なまでの女性のふるまいでした。関所の兵士たちは、誰一人として、それが少年だとは気がつきません。

「よい歌だったな」

 と警備隊長が言いました。この人物もフルートの歌声には深く心動かされたようで、強面の奥で厳しい目が薄く涙を浮かべていました。副官もさすがにもう何も言いません。

「よかろう、通れ」

 と隊長は言いました。フルートたちは、改めて深く一礼すると、馬車に乗ってまた出発しようとしました。

 

 ところが、最後にゼンが馬車に乗り込もうとしたときに、また騒ぎが起きました。

「なんだよ! さわるんじゃねえ!」

 とゼンが関所の兵士相手にどなっています。ゼンが背負っていた荷物に、兵士がふいに手をかけたのです。

 そんなゼンをつかまえるようにしながら、兵士が叫びました。

「この者の荷物は大きすぎます! 怪しいです、中身を改めさせてください!」

 兵士は隊長に向かってそう叫びました――。

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