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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第7章 国境

25.無愛想

 フルートたちがのった王室の馬車は、西の街道を隣国ザカラスを目ざして走り続けていました。王都ディーラを出発してからもう五日が過ぎようとしています。一行は時々宿場町で馬車の馬を替えながら、メーレーン王女がつかまっているザカラス城へ急いでいるのでした。

「ワン、もうすぐシルの町ですよ、フルート」

 と子犬のポチが話しかけてきました。馬車は街道を走り続けていますし、車輪の音が石畳の上にうるさく響くので、中をのぞかれたり外から話を聞かれたりする心配はありません。

「うん」

 とフルートは窓から外の景色を見つめながら静かに答えました。フルートも、今はもう薄青いドレスから紺色の侍女の制服に着替えています。長い金髪を結い上げて化粧をしているので、とても美しいのは相変わらずですが、貴婦人の姿のときよりは少し落ち着いて見えるようになっていました。

「シルって――フルートの町?」

「へえ、フルートの故郷を通るの?」

  と少女たちが驚いたように言いました。ゼンは以前フルートの家に泊まったときにシルの町に来たことがありましたが、ポポロやルルやメールは初めてだったのです。興味津々で窓の外をのぞいて行く手を眺めます。街道の先に、町の入り口を示す柱と町の名前を刻んだ横木が小さく見えています。あたりは一面、乾いた荒野です。色を添えるものは何もなく、ただ灰茶色に枯れた草が風にまばらに揺れているだけです。

「ねえ、フルートの家は見られる?」

 とルルが興奮して尋ねました。以前、フルートが熱を出したときに、ポポロと一緒にフルートの家を訪ねていたのですが、ゆっくりする暇がなかったのです。フルートの家族に会う機会もありませんでした。できたらフルートの両親も見てみたい、と考えているのがはっきりわかります。フルートは穏やかに首を振りました。

「ううん。ぼくの家は町外れにあるから、街道からは見えないんだよ」

 そして、フルートはまた、行く手に近づく故郷の町を眺めました。荒野の中の貧しい小さな町です。名所も、人を惹きつける楽しい場所もまったくありません。ただ牧場と畑が街道沿いに広がり、百軒あまりの家々が建っているだけです。それでも、そこはフルートが生まれ育ってきた場所でした。こんな形でもう一度見ることになるとは思わなかったな……と、ドレス姿の少年は苦笑いしました。

 「ワン、ぼくたちの家は見られないけれど、町の中にはフルートが通ってる学校がありますよ。ぼくは、学校がある日には毎日フルートを迎えに行くんです」

 とポチが話していました。

 へえ、学校? とメールが興味を惹かれて身を乗り出しました。海の王女の彼女は、学校というものを知りません。他の子どもたちも、フルートはどんな場所で暮らしているんだろう、と興味津々になって、馬車の窓に群がるようにして外を眺めました。

「フルートのおふくろさんが、町に買い物に来たりしてるんじゃねえか?」

 と期待するようにゼンが言います。

 

 とたんに、道化のトウガリが言いました。

「窓を閉めてくれ。風が冷たくてかなわない」

 トウガリは、相変わらず派手な道化の衣装を着て、化粧をしています。人前ではおしゃべりで滑稽な道化を演じますが、フルートたちだけになると、とたんに無愛想でぶっきらぼうになってしまいます。今も、ただそれだけを言うと、あとはまた黙り込んでしまいました。

「なんでだよ!?」

「いいじゃないの。フルートの町を見せてよ!」

 とゼンやルルが文句をつけても知らん顔です。

 けれども、フルートはすぐに馬車の窓を閉じると言いました。

「そっちも閉めて……。王室の馬車だもの、町のみんなに注目されるよ。ぼくだとわかったら大変だ」

 あ、そうか、と子どもたちも気がつきました。どんなに女らしく変装しても、フルートを小さい頃から知っている町の人たちならば、正体を見破ってしまうかもしれません。あわてて窓を閉めましたが、残念そうな表情は隠せませんでした。

 やがて、馬車がシルの町に入った気配がしました。石畳の上を行く車輪の音に混じって、町の音が聞こえてきます。人の声、馬の鳴き声、店先で客を呼ぶ店主の声……。ふいに、すぐ近くから鐘の音も響いてきました。とたんに、わあっと子どもたちの歓声が上がります。

「ワン、学校が終わったんですね」

 とポチが言いました。学校から飛び出してきた子どもたちが、馬車を見て驚いている声が聞こえます。

「すっげぇ! お城の馬車だぞ!」

「誰が乗ってんのかな?」

「どこに行くんだろう?」

 ポチは、ぴん、と耳を立てました。

「あれ、今のは……」

 フルートの同級生の少年の声だったのです。けれども、フルートは黙って首を横に振りました。馬車の座席の中で、手袋をはめた両手を組みます。その姿は、どう見ても、お城に仕える美しい侍女にしか見えません。そうして、フルートは目を閉じ、シルの町を抜けるまで、一度も目を開けようとはしませんでした――。

 

 その日の夕方近くになって、道化のトウガリが子どもたちに言いました。

「今夜はガタンという宿場町に泊まるが、その向こうは、一日走り続けてやっと次の宿場町にたどり着くような、本当の大荒野だ。明後日には国境の峠にさしかかる。そこの関所を越えたら、いよいよザカラス領内だ。これまでみたいな態度は取るなよ。ずっと見ていたが、おまえたちときたら本当にひやひやものだ。おまえらの巻き添えはごめんなんだからな」

 珍しく、子どもたち相手にけっこう長い話をします。言っていることはもっともなのですが、その言い方が気にくわなくて、ゼンが言い返しました。

「巻き添えはごめんだって言うけどな、危険は承知で俺たちと一緒に来るって決めたんじゃなかったのか? 俺たちは王女様を奪い返しに行くんだからな。危なくならないわけねえんだぞ」

「自分が置かれた立場をわきまえずに無用な危険を冒す奴を、馬鹿と呼ぶんだ。俺は道化だが、おまえらと違って馬鹿じゃない」

 とトウガリが答えます。馬鹿呼ばわりされて、ゼンが歯ぎしりします。

「ったく、ホントに気にいらねえヤツだな! 国王に言われてなかったら、馬車からたたき出すところだぞ!」

 けれども、トウガリはまた知らん顔をしていました。

 

 日が暮れる前に、馬車はガタンの宿場町に入りました。町の中でも一番大きな宿屋に部屋を取ります。最近は、フルートと二人の少女たちとルル、ゼンとポチという部屋割りで、トウガリはいつも一人部屋です。

「ゼンと一緒では騒々しくてかなわない」

 というのがトウガリの話でした。

 部屋に落ち着いて間もなく、ゼンが少女たちの部屋をのぞきました。

「おい、トウガリを知らないか?」

「ううん。部屋にいないの?」

 とフルートは聞き返しました。

「ああ。夕飯のことを宿のヤツにきかれたから探してるんだけどよ。宿の中を探してもどこにも見あたらねえんだ」

「夕飯がなんだって?」

 とメールがゼンに尋ねました。

「いや、食堂で食うのがいいか、部屋に食事を運ぶのがいいか、どっちにするって」

「部屋! 絶対に部屋で!」

 とメールが叫び、ポポロとルルも、うんうん、とうなずきました。侍女や普通の犬になりすましている彼らです。人目のあるところで食事をするのは気疲れするのでした。

「わかった。そう言っとかぁ」

 とゼンが戻っていきます。

 窓の外は日が落ちて、すっかり夜の色でした。トウガリはこんなに暗くなってから外に行く用事なんてあったんだろうか、とフルートは考えました。

 

 ポチは一匹だけで宿屋の廊下を歩いていました。

 この宿は犬が勝手に歩き回ってもあまりうるさく言われないようだ、と雰囲気で判断して、様子を見回りに出たのです。ザカラスとの国境が近づいてきていました。敵がどこかでこちらを見張っていても、少しもおかしくありません。

 夕飯の時間帯でした。食堂に向かう客、すでに食堂で賑やかに食べたり飲んだりしている客、その間をあちらこちらへ回っている従業員……。大荒野を目の前に控えた宿屋は、たくさんの泊まり客を抱えてとても忙しそうです。

 そこへ、一人の泊まり客が宿の外から中へ入ってきました。扉が開いたとたん、冷たい外気がロビーを越えて廊下まで流れ込んできます。

 その客とすれ違った瞬間、ポチは驚いて振り返りました。思わず声を上げてしまいそうになります。

 すると、客の方でもポチを振り返りました。背の高い中年の男で、短い茶色の髪と薄青い目をしています。笑うようにポチを見ると、痩せた体を折り曲げて、大げさな身振りで口に人差し指を当てて見せました。

「しーっ」

 それだけをささやいて、また体を起こし、宿の奥へと入っていきます。

 ポチはあっけにとられてそれを見送ってしまいました。どこにでもいそうな平凡な顔立ちの男性は、まぎれもなく道化のトウガリの匂いをさせていたのでした――。

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