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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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24.橋

 「フルート、フルート」

 小さな子どもの声が呼んでいました。フルートの体を揺すぶって起こそうとしています。フルートは、はっと眠りから覚めました。

 目の前に幼い少年がいました。黄金をすいて糸にしたような金髪に、同じくらい鮮やかな金の瞳をして、異国風の服を着ています。

「金の石の精霊!」

 とフルートは身を起こし、あわててあたりを見回しました。

 そこは彼らが泊まった宿屋の中ではありませんでした。一面、白い霧でおおわれた見通しのきかない世界です。仲間たちは誰もいません。ただ精霊の少年と薄青いドレス姿のフルートだけが向き合っていました。

「これは……夢だね?」

 とフルートは精霊に確かめました。彼らが見る夢は、こんなふうに霧に包まれた世界になって現れることが多いのです。

 精霊の少年は外見は四つか五つくらいに見えましたが、まるで何千年も生きた老人のような表情をしていました。にこりともせずにフルートに話しかけてきます。

「敵が君たちを見張っているよ。それも複数だ」

 フルートも真剣な顔になると、すぐにドレスの下に隠していたペンダントを引き出しました。聖なる守りの石は、花と草の透かし彫りの中で金色に輝き続けています……。

「闇の敵もいる。でも、闇のものじゃない敵もいる」

 と精霊の少年は続けました。

「ザカラスはぼくたちに気がついているのか!?」

 とフルートはまた尋ねましたが、少年は首を振りました。

「敵の正体までは、ぼくにはわからない。ただ、感じるんだ。複数の敵意を持った目が君たちを見つめているし、その中には闇の気配もある。油断するな、フルート。絶対にぼくを手放しちゃだめだぞ」

 それだけを言うと、精霊の少年はフルートの前から消えていきました。

 そして、そのまま霧に包まれた世界もちぎれて消えていき――

 

 フルートは、目覚めました。

 

 宿屋の一室は明るい光でいっぱいでした。東向きの窓からカーテン越しに朝日が差し込んでいるのです。

 フルートは青いドレスを着たままベッドに横になっていました。その上に毛布が掛けられています。フルートは、昨夜は女の子たちと一緒にこの部屋に入り、ベッドに座ったとたん、もう意識をなくしていたのでした。フルートは、ロムド城を出発するまで、三日三晩ろくに眠らずに女性らしいしぐさの稽古に取り組みました。部屋に入って安心したとたん、眠りに落ちてしまったのです。当然といえば当然のことでしたが、着替えることも、夕食を食べることも忘れて眠ってしまっていたことに、自分でびっくりしてしまいました。

 ベッドの脇の小さなテーブルに、フルートの夕食がちゃんと取ってありました。パンとシチュー、それに肉料理や野菜料理、デザートまであって、なかなか豪華な夕食だったようです。

 同じ部屋にはベッドが三つ並んでいて、隣のベッドではメールが眠っていました。柔らかな布団から、白い寝間着を着た細い肩がのぞいています。ぐっすりと眠っているのですが、ふと身動きをすると、急にくすくすと声を上げ始めます。夢を見て笑っているのです。

 フルートはつられるように、ほほえみを浮かべました。ゼンと将来の約束をしてから、メールは本当に幸せそうです。相変わらずゼンを相手に怒ったりわめいたりしているのですが、どこかでいつも笑顔でいる感じです。良かったね、メール、とフルートは心でつぶやきました。娘の姿をした少年の横顔が、いっそう優しくなります……。

 ところが、その隣のベッドに目を移したとたん、フルートは顔色を変えました。そこに寝ているはずのポポロがいなかったのです。

 ベッドに眠った痕はありました。けれども、布団や枕はきちんと整えられ、脱いだ寝間着もきちんとたたんでベッドの上に置いてあります。ポポロはもう目を覚まして、部屋を出て行ったのです。

 フルートは急に不安になってきました。金の石の精霊が夢の中で言ったことばを思い出してしまいます。複数の敵意を持った目が君たちを見つめてつめている、油断するな――と精霊は言ったのです。

 ポポロ! とフルートは心で叫び、大あわてで部屋の外へ出て行きました。

 

 宿の入り口の前のカウンターでは、宿の主人がもう起きて仕事を始めていました。フルートを見て声をかけてきます。

「おはようございます、お客様。昨夜はよくお休みになれましたか?」

「あ――は、はい、おかげさまで。あの、連れの者がここを通らなか――通りませんでしたでしょうか――?」

 あまりあわてていて、危なく女ことばで話すのを忘れるところでした。

 宿の主人はにこやかにうなずきました。

「あの赤い髪のお嬢様ですね? さきほど、散歩のために出て行かれました」

 フルートはすぐに宿の外に出ると、目の前の通りを見回しました。十二月初めの空気は凍るように冷たく、赤い石畳の通りの上で白い霜が光っています。

「川の方へ行かれたようです」

 と主人が追いかけてきて、宿の左わきの遊歩道を指さしました。フルートは、ありがとう、と言うと、すぐに言われた方へ向かいました。小さな森を抜けると、やがて、水の音が聞こえてきて、小さな赤い橋とその上に立つ小柄な侍女の姿が見えてきました。ポポロです。橋の上から、下を流れる川を見つめています。

 フルートは、ほっとすると、小走りになっていた足をゆるめて橋に近づいていきました。ポポロが気がついて振り向きました。

「フルート」

 と言ってから、あわてた顔になります。

「オリビア、だったわね。ごめんなさい、つい癖で……」

「ここには誰もいないから大丈夫だよ」

 とフルートはわざと男ことばのほうで話しながらポポロに並びました。橋の下をのぞきながら尋ねます。

「何を見てたの?」

「あそこの……小さな滝」

 とポポロは顔を赤らめながら下の川を指さしました。岩の多い急な流れで、途中に小さな滝がいくつかできていました。その中でも大きな滝の淵を示して、ポポロは続けました。

「落ち葉が一枚浮いてるの、見える……? あれがね、滝の流れにつかまっちゃってて、川の方に出て行けないでいるのよ。あそこから抜け出せるのかしら、って思って、ずっと見ていたの……」

 確かに、滝が落ちた下にできた淵に、赤い木の葉が一枚浮いていました。冬の川は暗い灰色に光り、淵に落ちた水が白いしぶきを上げ、鈍い銀色の筋を描いて流れています。その上に浮かぶ木の葉の赤が、目に鮮やかに映ります。木の葉は水の流れに乗って淵の中を回り続けていました。淵の外へ出て行くと、水はまた勢いよく川下へ流れ出すのに、木の葉はいつまでたっても淵の中から出ていくことができません。ただ堂々巡りを繰り返すばかりです。

「本当だ」

 とフルートは言うと、ポポロと一緒に落ち葉を眺め続けました。二人とも、それ以上は何も言いませんでした。ただ並んで、黙って川面を見つめ続けます。くるくると堂々巡りを続ける木の葉は、まるで何かの象徴のようです――。

 

 やがて、フルートは川面から隣のポポロへ目を移しました。紺色の侍女の服を着た少女は、赤い髪をたらしていました。まだ化粧をしていない顔は、頬がバラ色で本当にかわいらしく見えます。

 その視線に気がついて目を上げたポポロへ、フルートはほほえんで見せました。

「その格好、よく似合うね。すごくかわいいよ」

 いつもなら照れてしまうようなことばが、すんなりと口から出ました。他に誰もいない静かな川辺が言わせたのかもしれません。ポポロは、ぱっと真っ赤になると、両手を頬に当てて首を振りました。

「そんな、あたし……あたしは……」

 焦って後ずさり、美しいドレス姿のフルートを見上げながら言います。

「あたしなんかより、フルートの方がずっと綺麗よ……。本当に、神話に出てくる光の女神か、どこかの王女様みたい。フルートに比べたら、あたしなんて全然……」

 フルートは、はっきりと苦笑しました。若い娘にしか見えない姿と顔を隠すように、ポポロに背中を向けてしまいます。あっ、とポポロは気がつきました。今度は青くなりながら言います。

「ご――ごめんなさい、フルート! あたしったら――」

 宝石のような瞳が、もう涙ぐみ始めています。

 フルートは、苦笑いの声のまま、ううん、と答えました。

「いいよ。ぼくが女に見えちゃうのは本当のことだもの」

 けれども、フルートはポポロに背中を向けたままです。その姿が本当に傷ついているように見えて、ポポロはますますあわてました。なんと言っていいのかわからなくなって、大きな目の中が涙でいっぱいになってしまいます。

 ところが、あともう少しで本当に泣き出してしまいそうになったとき、急にフルートがまた振り向いて言いました。

「さあ、そろそろ宿に戻ろうか。メールやゼンたちも目を覚ます頃だと思うよ。ぼくは夕飯を食べそこねたからね、もう腹ぺこだよ」

 明るすぎるくらい明るい声でした。ポポロは、なんだか胸が詰まるような気がして、なおさら何も言えなくなってしまいました。フルートが青いドレスの裾を持って、先に立って歩き出します。その後ろ姿は、本当にしとやかな女性にしか見えません――。

 

 二人が宿に戻ると、入り口のところに道化のトウガリが立っていました。昨日と同じように色とりどりの服を着て、顔に派手な化粧をしています。宿を立つ客が驚くたびに、滑稽なしぐさで挨拶をして見せていましたが、フルートとポポロを見つけると、いっそう大げさにお辞儀をしました。

「これはこれは、お嬢様方、朝の散歩は楽しゅうござましたか。ですが我々は先を急ぐ旅。身支度を調えて朝食にいたしましょう。オリビア様も今日は侍女の服に着替えなくちゃなりませんね。いつもよそゆきを着ておられたら、いざよそに行くときに困ってしまうでしょうから。さあさあ急いで……」

 トウガリに促されて、ポポロとフルートはあわてて部屋に戻ろうとしました。宿の横では、もう王室の馬車が出発の準備を整えています。確かに急がなくてはなりませんでした。

 ところが、そんなフルートを後ろから急にトウガリが引き止めました。おどけたしぐさで体をかがめ、わざとらしく片手をかざして、内緒話の格好をして見せます。そうして、トウガリはフルートにささやきました。

「これからはポポロと二人きりになるな。橋の上のあんたは、男そのものだったぞ」

 フルートは目を見張りました。なんと返事をしていいのかわからなくなります。

 すると、トウガリは踊るような足取りでフルートの先に立って宿に入っていきました。

「内緒内緒、内緒の話。誰にも言っちゃいけないのが内緒の鉄則。ばれないように、ばらさないように、お気をつけくださいませ、お嬢様方」

 と歌うように言います。

 フルートは立ちつくしました。思わず顔を赤らめながら、トウガリは、どこから自分たちを見ていたんだろう、と考えます。橋から見える川辺に人の姿はありませんでした。宿と川の間には森があったので、宿の窓から自分たちを見ることもできなかったはずです。戦士としてのフルートの五感は、あたりに人の気配を感じ取っていなかったのに……。

 踊るように部屋へ戻っていくトウガリの後ろ姿を、フルートは見つめ続けました。

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