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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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23.宿場町

 クイムは、ロムドの西の街道沿いにある大きな町でした。町の中心を川が流れ、立派な構えの宿が何件も軒を並べています。王都ディーラからの貴族もよく利用する、格式高い宿場町です。

 町には夕暮れが訪れていました。空が暗い灰色におおわれたと思うと、あっという間にあたりが夜の色に変わっていきます。宿々の門口にかがり火がたかれて、明るい光を通りに投げかけます。

 すると、一軒の宿の前に立派な馬車が止まりました。ロビーのカウンターから外を眺めていた宿の主人は飛び上がると、外へ駆け出しながら女将(おかみ)やボーイたちを大声で呼びました。馬車の扉に、ロムド王室を表す紋章が刻まれていたからです。

 宿の主人や従業員たちは、急いで入り口に並びました。今日、王室から客があるという話は聞いていませんでしたが、国王さえ泊まったことのある由緒ある宿だけに、あわてた様子など少しも見せずに、整然と出迎えます。

 すると、馬車の扉が開いて人が降りてきました。

 その姿を見たとたん、落ち着き払っていた宿の者たちは、いっせいにぎょっとしました。異様な姿をした人物だったのです。赤と黄と緑の派手な服を着て、鈴付きの青い帽子をかぶっています。背はひょろひょろと高く、白く塗った顔には色鮮やかな模様を描き込んでいます。道化です。

 道化は宿の主人に一礼してから、普通の声で言いました。

「城の侍女たちです。今夜一晩の宿をお願いします」

 よく見れば、笑ったように化粧した顔の中で、道化は真面目な表情をしています。主人はすぐに深く頭を下げました。

「ようこそおいでくださいました。すぐにお部屋を準備いたします。どうぞ中でお休みください」

 女将が女中たちを部屋の準備に走らせ、ボーイたちが客人を出迎えに馬車に駆け寄っていきます。

 道化が一度閉じた馬車の扉をボーイが開けると、中から侍女たちが降りてきました。背の高い美しい娘と、小柄でかわいらしい顔だちをした娘です。城の侍女は美しさも格別だ、とボーイたちは心の中で感心しました。

 すると、それに続いてもう一人、娘が降りてきました。薄青いドレスを着て、長い金髪を結い上げています。とたんに、ボーイたちは立ちすくんで何も言えなくなってしまいました。娘は信じられないほど美しくて上品な姿をしていたのです。娘が降り立った場所だけが、光に包まれているように見えます。ボーイだけでなく、宿の主人も女将も、思わずぼうっと娘に見とれてしまいます。

 すると、薄青いドレスの娘が口を開きました。

「ザカラスをご訪問中のメーレーン様のもとへ行く途中です。今宵はお世話になります」

 宿の主人は、はっとしました。王女の名前を聞いて、いっそう丁寧な調子で頭を下げます。

「メーレーン様の……。承知いたしました。皆様方のおいでを心より歓迎いたします。今夜は当宿にてごゆっくりお休みくださいませ」

 

 すると、突然馬車の方で騒ぎが起きました。最後に馬車から降りてきた下男の少年が、ボーイたち相手にどなっていました。

「さわるな! 荷物に手を出すんじゃねえ!」

 下男の少年は小柄で、自分の背丈ほどもある大きなリュックサックを背負っていました。ボーイたちがそれを背中からおろしてやろうとしたとたん、少年からどなりつけられたのです。

 女将があわてて言いました。

「お客様、お荷物はこちらで部屋までお運びいたしますので……」

 けれども、下男の少年はがんとして荷物を手放そうとしません。道化が苦笑いするように言いました。

「失礼しました。あの者は山育ちで、あまり頭がよろしくないのです。力だけは強いので、あの者の好きにさせてやってください」

 とたんに、下男の少年は怒ったような顔になりました。道化に向かって何かをどなろうとします。すると、今度は馬車の中から二匹の犬たちが飛び出してきました。ワンワン吠えながら少年に飛びつき、上着やズボンの裾をじゃれるようにかんで引っ張ります。

 さらに驚いている宿の者たちに、道化は言いました。

「メーレーン様がかわいがられている犬たちです。我々はあの犬たちと王女様のお荷物を運んでいるのです。どうか、あの者と犬たちを一緒の部屋にしてください。あの少年は犬の世話係でもありますので」

 少年が白い子犬をつかまえて何か話しかけていました。子犬がそれに応えるように頭を寄せています。宿の者たちは納得しました。

「それでは、皆様方、どうぞこちらへ。部屋が整いますまでロビーでお休みください」

 と主人は先に立って一行を宿の中へと案内しました。

 

 城からの一行が通されたのは、特別なロビーでした。個室の形になっていて、他の泊まり客や従業員たちから邪魔されない離れた場所にあります。立派な椅子とテーブルが並び、有名な画家の絵画や彫刻も飾られています。賓客の際に使われる場所なのです。

 女中が一同に飲み物と軽い食べ物を運んできて、深く一礼をして出て行きました。ロビーと通路を隔てる扉が閉まります。

 そのすぐ近くに立っていた子犬が、外の気配に耳を澄まして、やがて人のことばで言いました。

「ワン、もういいですよ。そばに誰もいなくなりました」

 とたんに口を開いたのはルルでした。荷物を背負っていたゼンを叱りつけます。

「まったくもう。あんなところで喧嘩を始めてどうするつもりだったのよ、ゼン!? 旅に出たとたんに、私たちの正体がばれちゃうところだったじゃないの!」

 彼らは街道を西へ半日ほど馬車で進んで、日暮れにこのクイムの宿場町にたどり着いたのでした。

「だぁってよぉ」

 とゼンは不満そうな顔になって、道化のトウガリをにらみつけました。

「俺の頭が良くないってのはなんだよ! 人を力しか能がない馬鹿みたいに言いやがって!」

「ホントのことじゃないのさ」

 とメールが腕組みして言いました。ことばづかいもしぐさも、全然侍女らしくありません。むっとした顔になったゼンに、たたみかけるように言います。

「とにかく、注意しなよ。ここはまだロムドだけどさ、どこにザカラス側の人間が隠れていて、こっちの様子を見ているかわかんないんだよ――」

 すると、長椅子に座っていたフルートも言いました。

 

「メールの言うとおりだ。ぼくたちはきっともう見張られてる。絶対に油断しちゃだめなんだよ」

 姿は美しい娘そのものなのに、話すことばは少年に戻っています。

 ちぇっ、わかったよ、とゼンは憮然として答えました。

 

 仲間たちが静かになると、フルートは道化を見ました。トウガリはひょろひょろの体を椅子に沈めて、むっつりと黙り込んでいます。さっき、宿の主人相手には普通に話していましたが、ここではそれよりさらに無愛想な感じです。

「これからどうしますか?」

 とフルートはトウガリに尋ねました。王女救出のための作戦会議を開かなくてはならないのでは、と考えたのです。

 けれども、トウガリは短くこう言っただけでした。

「どうもしない。泊まるだけだ」

 それっきり、また黙り込んでしまいます。ゼンが眉をひそめて、うさんくさそうな顔になりました。

「城での様子とずいぶん違うじゃねえか。二重人格かよ、おまえ?」

 ゼンはゼンで相当失礼なことを言っているのですが、トウガリは怒ることさえしませんでした。椅子の中でほおづえをついたまま、面白くもなさそうにゼンを見て答えました。

「あれは営業用だ。こんなところでまでやっていられるか」

 メールが肩をすくめました。

「あっきれた。あんた、ホントはオリバンも顔負けなくらい無愛想なんじゃないのさ」

 やっぱり、トウガリは何も返事をしません。

 とりつく島がなくて、フルートはしかたなく、また仲間たちに話しかけました。

「今夜は三つの部屋に別れて泊まるよ。さっき、宿のご主人と話したんだ。ポチとルルとゼンが一緒、メールとポポロとぼくが一緒、トウガリさんは一人部屋だ」

「あ、なんだ、フルートは女部屋かよ!」

 とゼンが声を上げました。ルルも憤慨した口調になります。

「私をポポロから離すつもり!? どうしてよ!」

「しかたないよ。さっきトウガリさんが、ゼンを犬の世話係だって言ったんだから。ぼくだって、この格好なんだから、ゼンと一緒の部屋になるわけにはいかないじゃないか」

 ドレスを着たフルートは、本当にどこから見ても若い女性にしか見えません。そりゃそうだけどよぉ……とゼンはぼやき、フルートを引き寄せると、声を潜めてささやきました。

「夜中に手を出すのがポポロなら許す。でも、メールに手を出したら、おまえでも承知しねえからな」

「ゼン!」

 フルートは思わず真っ赤になって拳を握りました――。

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