フルートたちは驚いて道化のトウガリを見つめ続けていました。道化、ということばは知っていましたが、本物を見たのは初めてだったのです。
道化は、宮廷や貴族の屋敷に雇われて、滑稽な芸や即興の弁舌で主君や人々を楽しませるのが仕事です。派手な衣装を着て、普通ではあり得ないような化粧することもあります。才のある道化になると、滑稽な話で人々を笑わせながら、主君のすることや国の政治を鋭く皮肉ることさえあります。それが許される立場にあるのが、道化と呼ばれる人々でした。
その一方で、普通の町や村を回って歩く旅芸人もいて、その中でも滑稽な芸を見せる人々を道化と呼ぶことがあります。宮廷の道化を真似たものなので、やはり派手で奇妙な格好をすることが多いのですが、山や海、天空の国には、さすがに道化はやってきません。田舎町に住むフルートも、これまで旅の道化を見る機会はありませんでした。その奇抜な姿に、ただただ驚いてしまいます。
すると、トウガリは赤と黄と緑の衣装を着けたひょろひょろの体を折り曲げ、鈴付きの青い帽子を鳴らして、子どもたちに深々とお辞儀をしました。笑っているように化粧した顔で言います。
「これはこれは。こちらが金の石の勇者の皆様方でございますね。お噂はかねがねうかがっておりましたが、こうして拝見すると、噂などあてにならないものだということがよくわかります。勇者がこれほどお美しい方々だとは誰も語ってはおりませんでした。勇者の皆様方が侍女や従者に変装していくとはうかがっておりましたが、少々お美しすぎるくらいでございますね。まるで皆様方ご自身が王族か貴族であられるように見えますよ。とはいえ、王女様のおつきの侍女はその職に就くのに容姿も問われますから、これくらいお美しくてもなんとか説明はつくとは存じますが。それで、金の石の勇者殿はどちらにおいででございましょうか? これから従者としておいでになられるのですか?」
本当に、ものすごい量のことばを、とぎれることもなく一気に語ります。とても早口ですが、不思議なくらい聞き取りやすく、それだけにことばが押し寄せてくるようで、子どもたちは思わず圧倒されてしまいました。何も答えることができません。
すると、ロムド王が言いました。
「金の石の勇者はそこにおられる。その薄青いドレスの令嬢がそうだ」
ひゃぁぁ! と道化のトウガリは素っ頓狂な声を上げました。あわてたように、ドレス姿のフルートの前でひざまづいて見せます。
「これはこれは、とんだ失礼をばいたしました。てっきり本物の女性なのだと思いこんでしまいました。これはまったくお美しい。これで男性とは大変もったいないようにも存じますね。宮廷の貴婦人方がこぞって髪結い師や美容師を呼び、練体師に体をもませて少しでも元より美しく見えるようになろうと血のにじむような努力をなさっているというのに、勇者殿は男でありながらそのように美しい容姿をお持ちだとは。いえいえ、これは人々に語ってはなりませんね。貴婦人の皆様方から嫉妬されて、勇者殿が呪い殺されてしまうかもしれません。旅先で殿方から誘惑されることにも気をつけなくてはなりませんな」
フルートは思わず、むっとしました。トウガリは相変わらず、ものすごい早口でまくしててきますが、その中に揶揄(やゆ)の針が混じっていたことに気がついたのです。ドレスの裾を後ろに払い、わざとしゃんと頭をもたげて見せます。
「敵に正体を見破られてはいけないからです。これくらい徹底して女装すれば、なかなか見破られないだろうと思いますが」
毅然と言い返すフルートに、トウガリが、にやりとしました。
「これはこれは、勇者殿は美しいだけでなく、なかなかお勇ましい。さすがは勇者であられますな。確かにそのお姿ならばなかなか正体はばれますまい。その男気をもうちょっとお隠しになれれば……ね。美しいとほめられて気分を悪くする女性は、世の中にはおりませんゆえ」
また、ちくり、と皮肉の針を混ぜてきます。フルートはまた相手を見つめてしまいました。からかっているように聞こえますが、その実、フルートに注意を促してきたのだと気がついたのです。美しさをからかわれても言い返したりするな、男だとばれるから、と言ってきたのです。
フルートは、もの柔らかな女性の顔つきに戻って答えました。
「わかりました。気をつけます」
「勇者殿は大変素直でもあられる。けっこうけっこう、素直な女性は殿方から好まれます」
とトウガリが言いました。おもしろがるように、にやにやと笑い続けています。
すると、子どもたちに国王が言いました。
「トウガリは王妃付きの道化なのだ。王妃がザカラスから嫁いできたときに、王妃と一緒にこのロムドへやってきた。ザカラスのことには大変詳しいから道案内として最高であるし、メーレーンも生まれたときからトウガリにはなじんでいるから、そなたたちを見たときに不審な顔はしないであろう」
「ザカラス王もわたくしめの顔はご存じでございます。わたくしがまいれば、きっとお連れする侍女の皆様方のことも信用してくれると存じます」
とトウガリが丁寧に答えます。なるほど、そういうことならば同行者として適任なのか、と子どもたちは納得しました。
「よろしくお願いいたします」
とフルートはトウガリに向かって膝をかがめました。メールとポポロもロムド風のお辞儀をし、ゼンは黙って頭を下げ、二匹の犬たちは尻尾を振ります。道化はまた大げさなほどの身振りで、一行にお辞儀を返しました。
「わたくしたちが皆様をお見送りできるのは、この場所までです」
と銀髪の占者が口を開きました。
「あなた方は王女のもとへ送り出される一行ではありますが、陛下であっても、それを見送ることはかないません。ここにいるような城の要人たちが、そろって侍女を見送ってしまっては怪しまれるからです。リーンズ宰相とレイーヌ侍女長と皇太子殿下が城の前までお見送りします」
「オリバンはいいんだ」
とメールが驚くと、皇太子はむっつりと答えました。
「妹のところへ行く使いの者を兄が見送って何が悪い」
「殿下がメーレーン様をかわいがられているのは、城内でも有名な話でございますので」
とユギルが言い添えました。たちまち、ひゅう、とゼンがからかうように口笛を鳴らし、怒った皇太子に、なんだ!? とどなられます。
「私も見送りには出ませんよ」
とラヴィア夫人がフルートに言いました。
「礼儀作法の先生が侍女たちを見送るわけにはいきませんからね。私が教えたことを、決して忘れないように。どこにいても、自分は侍女であると自分自身に念じてふるまうように。よいですね?」
「はい、先生。本当にありがとうございました」
とフルートがもう一度深くお辞儀をします。しとやかなそのしぐさに、小柄な老婆は丸い眼鏡の奥で一瞬目を細めました。老いた顔に、旅立っていこうとする生徒をいつくしむような表情がひらめきます。
けれども、ラヴィア夫人はすぐに彼らに背を向けました。部屋の出口へと歩き出します。
「さすがに少し疲れました。あとは休ませてもらいますよ……。あなた方の幸運を祈ります」
杖をつきながら歩いていく後ろ姿はとても小さく、進んでいく足取りもどこかおぼつかなく見えます。ユギルはそれに向かって、胸に手を当てて深く頭を下げました。目上の者に最大限の敬意を払う時の会釈です。すぐに、部屋中の人々がそれにならい、全員から見送られながら、ラヴィア夫人は退場していきました。
「では陛下、皆様方、わたくしめたち一同は出発するといたします。旅路が旅路ですので途中ロムド城へ便りをすることもかなわなくなるやもしれませんが、平にご容赦のほどをお願いいたします――」
トウガリが旅立ちの口上を述べ、勇者の子どもたちはまた一礼しました。想いを込めて見送ってくれる大人たちに、笑顔を返します。
「それでは、行ってまいります」
「王女様は必ず助け出してくるからな」
とフルートとゼンが言い、二人の少女と二匹の犬がそれにうなずきます。そして、一行は謁見の間から外に出ました――。
フルートたちは城の通路を急いで歩いていきました。先を行く宰相と侍女長とオリバンは、城の裏口へ向かっていくようです。謁見の間を出たとたん、オリバンはもう子どもたちに話しかけてこなくなっていました。フルート以外の三人は侍女や下男の格好をしています。城の使用人と皇太子が話をするのは不自然なのです。
通路ですれ違う貴族や召使いたちが立ち止まって皇太子たちにお辞儀をしました。けれども、その後についていく子どもたちには目もくれません。彼らが普段とあまりに違う格好をしているので、誰もそれが勇者の一行だとは気がつかないのでした。
薄青いドレスの裾を持って歩いていくフルートに、メールが並びました。感心したように言います。
「ホントに歩き方まで様になってるよね。あたいなんか、今でもまだ時々ドレスの裾を踏みそうになるのにさ」
「猛特訓したもの」
とフルートが笑いました。その女性的な笑顔に、反対側を歩いていたゼンが背中のリュックサックを揺すります。
「ああ、気色わりぃ! なんか虫酸(むしず)が走って背中がかゆくなってくるぞ」
後をついてくるポポロも複雑な表情をしています。
足下では、ルルとポチが声を潜めて話し合っていました。
「あたしたち犬まであざむいたんだもの、本当にものすごいわよね。フルートって、もしかしてそっちの方面に才能があるのかしら?」
「ワン、そっちの方面ってどっちの方面です? こんなに強い香水さえ使われなかったら、ぼくは気がつけたんだけどなぁ」
フルートの弟を自負している子犬は、貴婦人の正体を見破れなかったことを悔しがっていました。
すると、そんな子どもたちの後ろから、突然トウガリが言いました。
「言動に気をつけろ。おまえらの巻き添えなんて、俺はまっぴらだからな」
謁見の間でのおどけた弁舌が嘘のような、ぶっきらぼうな声でした。子どもたちがびっくりしていると、トウガリは子どもたちを追い越して、そのまま先を行く皇太子たちに追いつきました。また、流れるような口上を始めます。
「殿下、姫様のもとにご自分でおいでになれないのが残念なのは承知でございますが、もうちょっとこう、にこやかになされませんか。いつもそんな苦虫をかみつぶしたようなお顔をされていては、殿下に密かに想い寄せるご婦人がいても近寄りようがございませんよ。ほら殿下、笑って笑って。笑えば幸運の女神もほほえむと申すではございませんか。女神が笑えば、縁結びのいたずらな神もつられて舞い降りましょう。こう、大きくにーっこりと……」
と皇太子に向かって、滑稽なしぐさで笑う真似をして見せます。
ゼンは思い切り顔をしかめると、声を低めてわめきました。
「なんだよ、あいつ!? 俺たちとオリバンたちとじゃ、えらく態度が違うじゃねえか!」
「なんか感じ悪いわねぇ」
とルルも鼻先にしわを寄せてつぶやきます。
フルートは何も言いませんでした。ひょろひょろと痩せて背が高いトウガリを見つめ続けます。白塗りの上に派手な模様を描き込んだ道化の顔は、素顔も本当の表情も、まったく読むことができませんでした――。