謁見の間に入ってきた美しい貴婦人の正体がフルートだと知って、人々が仰天していると、扉が開いて、もう一人の女性が入ってきました。こちらは杖をついた、とても小柄な老婆です。部屋の中を見回してから、フルートを見上げます。
「うまく行きましたね。身近な人々まであざむくことができれば完璧です。本当によくがんばりました」
フルートは淡い水色のドレスの裾をつまんで、しとやかにお辞儀を返しました。
「先生のご指導のおかげでございます。本当に、どなたも全然私をお疑いになりませんでしたわ」
しぐさだけでなく、ことばづかいまで完全に女性になりきっています。部屋の人々は、幽霊でも見るような顔になって、そんなフルートを見つめてしまいました。
「いやはや、ラヴィア夫人」
と国王が老婆に声をかけました。
「あなたの実力を疑っていたわけではないが、それにしても驚かされたぞ。すっかり女性だと思いこんでしまった」
ラヴィア夫人は、ちょっと笑いました。
「勇者殿の努力のたまものです。三日間、寝る間も惜しんで稽古に励んでくれましたから。こんなに熱心な生徒は久しぶりでした」
老婦人の小さな姿は疲れているように見えましたが、それでも、満足そうな表情をしていました。フルートは、ちょっと膝をかがめてまたお辞儀をすると、あっけにとられて自分を見つめ続けている皇太子に言いました。
「名前をお借りしました、オリバン。知っている人に近い名前の方が、呼ばれたときにすぐ反応ができるものですから」
フルートは、さっきオリビアと名乗ったのです。オリバンは思わず声を上げました。
「私の名をもじっていたのか! 気がつかなかったぞ! ――次はもう絶対にだまされんからな!」
「こんなこと、二度はできませんよ」
とフルートはほほえみ返しました。優しく柔らかな笑顔は、本当にうら若い女性にしか見えません。それも、とびきりの美女です。オリバンは自分でも気がつかないうちに顔を赤らめてしまいました。
すると、ゴーリスが苦笑いしながらフルートに話しかけました。
「ジュリアが城にいなくて残念だな。おまえの化けっぷりをぜひ見せてやりたかったぞ」
フルートは、ちょっと肩をすくめ返しました。そんなしぐさでさえ、もの柔らかで女性的です。
「ゴーリスさえ気がつかなかったんですから、自信を持っていいですよね? ゴーリスに女呼ばわりされたときには、もう少しで爆笑しそうになりましたわ」
「話し方も完璧か。よくまあ、そこまでなりきったもんだ。確かに、これはちょっとやそっとではばれないぞ」
と剣の師匠がいっそう苦笑します。
ところが、驚く人々の中で、レイーヌ侍女長だけは少しもあわてることなく、フルートのドレス姿を眺めていました。
「サイズはぴったりでしたね。よくお似合いですわ」
「お気づきだったのですか」
とリーンズ宰相が驚くと、侍女長はうなずきました。
「これは、勇者殿のために特別にあつらえたドレスですから。外から見てはわかりませんが、女性らしく見せるために、あちこちに小さなクッションを縫いつけてあります。勇者様ご自身にも、体型を補正するための胴着を着ていただいています」
「窮屈です。動きにくいですし」
とフルートが苦笑を返します。それもやっぱり女性の笑顔です。
「勇者殿にはもちろん、普通の侍女の制服もあつらえてあります。ただ、侍女も私服で人前に出ることがあるかもしれませんので、念のために制服以外の服も準備いたしました。メール様やポポロ様の私服も準備してございます」
「さすがは侍女長。気配りがよろしいですな」
と宰相が素直に賞賛します。
ワルラ将軍は、さっきからフルートを見てうなずきっぱなしでした。ずっとこの作戦に懐疑的だった将軍も、フルートの女装ぶりを見て、やっと納得したのです。
「どうやらやれそうですな」
と銀髪の占い師にもうなずいてみせます。ユギルは色違いの瞳を細めてフルートを見ていました。
「勇者殿は最大限の努力をしてくださいました。未来を占うことは今の私にはかないませんが、勇者殿が今できる限りのことをなさったのは間違いございません」
そんなユギルへ、フルートは、にこりと笑い返しました。もうなんのためらいも迷いもない笑顔でした。
すると、そんなフルートの前にゼンが立ちました。ゼンはさっきから一言も口をきかずに、ただじっとドレス姿のフルートを眺め続けていたのです。フルートは首をかしげてゼンを見返しました。小さな一つ一つのしぐさまで、本当に女らしく見えています。
とたんに、ゼンの右手が動きました。堅く握った拳が、下からフルートの顎を狙って飛んできます。
フルートはとっさに反応しました。手袋をはめた両手で拳を受け止め、それでは止めきれなくて、のけぞってかわします。
「いきなり何するんだ、ゼン!?」
と思わず少年の声と口調で叫ぶと、たちまち目の前のゼンが肩の力を抜きました。
「よし。やっぱりフルートだ」
と拳を引きます。フルートは顔をしかめました。
「またかい? いいかげんにしろよ。ぼくだったら」
「そう言うけどなぁ、おまえ、なりきりすぎだぞ。気味が悪いくらいだ。もうちょっと恥ずかしがるとか、照れるとか……そういうのはねえのかよ。んとに、生まれつき女だったみたいな顔しやがって」
「そんなもの見せたらばれるじゃないか! こっちだって必死でやってるんだからな! それに文句をつけるな!」
ゼンと言い合いになってしまったフルートは、貴婦人からいつもの少年の表情に戻っていました。そんな様子を見て、メールとポポロと犬たちが、ほっとした顔になります。やっぱりフルートだったんだ、と全員が思ったのです。
とたんに、ラヴィア夫人が杖でドン、と床を音高く突きました。
「オリビア! どんなときにも素顔を見せてはなりません!」
フルートは、はっとすると、たちまちまた女性の顔に戻って深くお辞儀をしました。
「申し訳ありません、先生」
「おい、婆ちゃん! 俺たちといるときくらい、こいつにいつも通りにしゃべらせろよ。全然別人みたいで、落ちつかねえよ!」
とゼンが言いました。口では文句を言っていますが、泣き出しそうなくらい情けない顔になっています。
けれども、ラヴィア夫人はきっぱりと言いました。
「なりません。あなた方は敵地のまっただ中へ乗り込んでいくのです。どこに敵の目や耳があるかわからないのです。男であることを少しでも気取られたら、あなた方全員は命をなくしますよ」
それに重ねるように、ユギルも言いました。
「ラヴィア夫人のおっしゃるとおりです。あなたがたは、メノア王妃様が、ザカラスへ遊びに行かれたメーレーン様のために送り出した侍女ということになっております。ですが、敵も皆様方の正体には疑心暗鬼でかかることでしょう。王女様を奪い返しに行くのだと悟られてはなりません。まして、侍女の中に男が混じっているなどと気づかれてはなりません」
「気づかれません、絶対に」
とフルートは答えました。深く深くお辞儀をすると、青い瞳をあげて王たちを見上げます。
「私たちは、なれないザカラスで困っているかもしれないメーレーン様のために、ロムド城からメーレーン様のもとへつかわされる侍女たちです。王女様の遊び相手の犬たちや、身の回りの品々もお持ちします。その使命をまっとうして――必ず、王女様を助け出してまいります」
その時、薄青いドレスを身にまとった美しい貴婦人は、紛れもない勇者の顔をしていました。どれほどドレスが似合っていても、髪を結い上げ、化粧をした顔が女性そのもののように見えていても、強い光を瞳に宿したその顔は、男以外の何ものにも見えません。
思わず苦笑した大人たちの中で、ラヴィア夫人が言いました。
「その顔も、この場限りですよ。一歩城から外に出たら、あなたはもうオリビアです。いつでもどこでも、それを忘れないように」
「わかりました、先生」
とフルートはまた深く頭を下げました。
すると、ロムド国王が言いました。
「そなたたちには、もう一人同行者を準備してある」
「同行者?」
とフルートは顔を上げました。他の子どもたちも予想外のことに驚きます。そんな子どもたちを見て、王が笑いました。
「そなたたちだけでザカラスに乗り込むつもりでいたのだな。まったく剛胆な勇者たちだ。だが、そういうわけにもいかぬ。王女の下へ、侍女と下男だけが旅をしていくなどということは、まず考えられぬことなのだ」
「でも、私たちと同行して、その方が危険になりませんか?」
とフルートが心配しました。口調は女性のようでも、言っていることはいつもと変わりません。
「その者はそなたたちの正体も目的も知っている。承知の上で、自ら志願してくれたのだ。身分も、メーレーンを訪ねるのに不自然でない人物だ」
王の合図を受けて、リーンズ宰相がもう一人の人物を謁見の間に招き入れました。
その姿を見たとたん、フルートたちはびっくりしてしまいました。とても背の高い男の人です。歳はいくつくらいなのか、ちょっと見当がつきません。赤と黄と緑にくっきりと色分けされた服を着て、二股の角のようになった先に鈴をつけた青い帽子をかぶり、先のとがった靴をはいています。顔は真っ白に塗りたくられ、そこに赤や青で鮮やかな模様が描かれています。口の周りは、まるで笑っているように、大きく赤く塗られています。
派手な身なりの男は、おどけたしぐさで一同にお辞儀をすると、甲高い声で言いました。
「どうもどうも、皆様方。そろそろ雪もちらつこうかというお寒い日々ではございますが、偉大なる賢王と名高き国王陛下にはますますご健勝のこととお喜び申し上げております。このたびは、不肖わたくしめにご命令をくださいまして心より感激しております。わたくしめトウガリ、力至らぬ身ではございますが勇者殿の皆様方と一緒になって、メーレーン王女様のもとへまいりますことをお誓い申し上げます……」
立て板に水とはこのことか、と思うような勢いで、ぺらぺらと話します。
その異様な格好と弁舌にあっけにとられている子どもたちに、王が言いました。
「道化のトウガリだ。この者が、そなたたちと一緒にザカラスまで参るぞ――」