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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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第5章 稽古

17.作戦

 ドレスを着て侍女になりなさい、とユギルに言われて、フルートは思わずあっけにとられました。目を見張ったまま、銀髪の青年を見返してしまいます。そんな少年は、確かに少女と言ってもおかしくないほど優しい顔立ちをしています――。

 

 とたんに、大爆笑が起きました。部屋中にいた人々がいっせいに笑い出したのです。

「そっ、それいいよ! 最高だぁ、ユギルさん!」

 とメールが大笑いして言えば、ゼンも笑い転げながら言いました。

「ホントにこいつは女顔だもんな! きっと、絶対にばれねえぞ!」

 ルルとポチも口々に言います。

「確かに、それが一番似合う変装よねぇ」

「ワン、フルートは男の格好していても時々女に間違われるくらいだから、きっと大丈夫ですよ」

 犬たちは、くくく、と咽の奥で笑うような声を立てています。

 ポポロでさえ、声を上げて笑っていました。

 フルートは傷ついたような表情になりました。うらめしげに占者を見ます。

「ユギルさん、おもしろがってないですか?」

「とんでもございません。わたくしは真剣に申し上げております」

 と青年は答えました。整った顔は少しも表情を崩していないので、すましているようにさえ見えます。

 すると、ゴーリスが話しかけてきました。

「フルートの気持ちはわからんではないが、作戦としては上出来だぞ。確かに、フルートなら女装してもばれにくいだろうし、なんと言っても、侍女ならば王女のすぐそばまで行ける。従者ではそういうわけにはいかないからな。王女を助けられるチャンスが格段に増えるだろう」

 けれども、そんなふうに話しながら、ゴーリスも笑いをかみ殺していました。フルートはにらみ返しました。

「ゴーリスまでおもしろがってる」

 それに答えたのは国王でした。

「いやいや、おもしろがるなどとんでもない、勇者殿。本当にやってもらえるのであれば、これほどすばらしい作戦はない。勇者殿ほど女装が似合いそうな者は、ロムド広しといえどめったに――」

 父上、とオリバンがさえぎり、いや失礼、と国王が答えます。やっぱり国王も面白そうに笑っていたのです。

 

 半べそ顔になったフルートの前にオリバンが立ちました。いつもの大真面目な調子で話しかけてきます。

「嫌ならば断っていいのだぞ、フルート。どんなに女のような顔をしていても、おまえは確かに男なのだからな。むろん、メーレーンを助け出してほしいのは山々だが、だからといって、おまえに己の誇りを捨ててくれ、とまでは頼めない。私が自らザカラスに向かえばいいだけのことだ」

 フルートは何も言えなくなりました。

 ゼンが苦笑いになって、隣のメールにささやきました。

「ったく。オリバンも罪だよな。あんな言い方されて、あいつが断れるわけねえだろうが」

「オリバンは本気で言ってるんだよ。でも、それが周りの人間を従わせちゃうのさ。ホント、生まれながらの王様なんだよねぇ」

 とメールもささやき返します。

 二人が話していたとおり、フルートは溜息をついてからこう答えました。

「オリバンを行かせるなんてこと、できませんよ。ぼくが行きます。女装しますよ」

 言って唇をかんでしまいます。その姿が珍しいくらい腹を立てているように見えて、人々は思わず笑いを引っ込めました。

 ポポロは心配そうにフルートを見つめていました。女装の話を聞いてつい笑ってしまいましたが、フルートが昔、女の子のような顔を近所の悪童たちにからかわれて、いじめられていたことを思い出したのです。今どんな気持ちでいるんだろう、と思うと、今度はいてもたってもいられない想いがしてきます。けれども、ポポロは何も言えませんでした。ただ気持ちだけが堂々巡りをしてしまいます……。

 すると、ロムド王が表情を改め、重々しいほどの声で言いました。

「感謝するぞ、勇者殿。我々は本当に、勇者殿に男の誇りを捨ててくれと頼んでいる。しかも、これは闇との戦いでさえない――。だが、ザカラスがジタン山脈を手に入れてしまえば、間違いなくこの中央大陸はザカラスの軍事力に蹂躙されることになる。それは許すわけにはいかぬのだ。ロムドの王として曲げて頼む。どうかメーレーンを救い出してくれ」

 フルートは王とは目を合わせようとしませんでしたが、それでもこう答えました。

「陛下は、ハルマス壊滅に怒り狂った貴族たちから、ぼくらを助けてくださいました。だから、今度はぼくたちが陛下をお助けする番です。そのためなら、何だって――」

 フルートの声がとぎれました。うつむいてしまった顔は、怒ったように真っ赤に染まっていました。

 国王はうなずきました。

「本当に感謝する。さっそく準備を整えさせよう。レイーヌ侍女長をここへ」

 リーンズ宰相が一礼して、すぐに部屋を出て行きます。

 

 すると、ワルラ将軍が腕組みしながら口を開きました。全員が大笑いしていた中、オリバンと老将軍だけはずっと難しい顔でフルートを見ていたのです。

「確かに、格好だけなら勇者殿は完璧に侍女に化けるでしょう。ですが、勇者殿は剣士の訓練を受けてこられた方だ。見た目はいくら女の姿になっても、身のこなしまでは変えられませんぞ。ことばづかいだって、どう聞いたって男だ。そういう男勝りな女性も世の中にいないわけではないが、侍女ということにするには無理があるでしょう。勇者殿が男なのは、見る者が見れば必ずわかってしまう。短い時間なら相手をあざむけても、ザカラス城ではきっとぼろが出ますぞ」

「ですから、勇者殿には稽古をしていただきます」

 とユギルが答えました。

「稽古?」

 と部屋の中の者たちがいっせいに聞き返します。

「左様です。侍女としておかしくないふるまいを身につけるための稽古です。メーレーン様に侍女を送るにしても、人選をして準備をする期間というものを設けなければ、かえって先方に怪しまれます。三日ほどの時間があれば、先方も納得するでしょうし、その間に勇者殿が稽古する時間もできます」

「ラヴィア夫人か」

 と国王がうなずき、不思議そうな顔をする子どもたちに答えました。

「わしが子どもの頃に礼儀作法を習った女性だ。もう高齢だが、宮中での作法を教えることにかけては、今でも右に出る者はおらぬぞ」

「わたくしの礼儀作法の先生でもございました。わたくしが城に来て間もない頃、大変お世話になったのです」

 とユギルも言います。ふーん、とゼンが感心しました。

「ユギルさんの先生っていうんなら、そりゃ確かに腕が良さそうだなぁ」

 ユギルはいつも丁寧すぎるほど丁寧なことばづかいで話し、誰に対してもとても礼儀正しくふるまいます。けれども、そんな彼が南方諸国の貧民街で育ち、不良少年たちのリーダーまでしてきたような人物だということを、ゼンたちは知っていました。ユギルをここまで立派な宮廷の人間に育てた先生ならば、という気がします。

 ユギルがフルートに向かって言いました。

「勇者殿の正体を決して悟られてはならないのです。そのためには、完璧に女になりきらなければなりません。ラヴィア夫人の下で、侍女の礼儀作法をお学びください、勇者殿」

「もうなんでもいいですよ」

 とフルートは答えました。ふてくされた声でした。

 

 そこへリーンズ宰相につれられて侍女長がやってきました。国王とユギルから一通りの計画を聞かされると、すぐにうなずきます。

「承知いたしました。皆様方が着る侍女の服を準備いたしましょう。メール様は背がお高いし、ポポロ様は逆にお小さい。勇者殿に至っては、男と気づかれないようにあちこちドレスを修正しなくてはならないでしょう。少しお時間をいただきとうございます」

 すると、ユギルが答えました。

「三日ほどの猶予がございます。この間に、勇者殿にはラヴィア夫人の下で侍女の身のこなしを学んでいただきます」

「ああ、それはようございます。ラヴィア夫人ならば確実です。……メール様とポポロ様にも、侍女のふるまい方を覚えていただく必要がございますね。失礼ながら、特にメール様はとても宮廷に仕える人間には見えませんから」

「あ――あたいにも礼儀作法の稽古をしろって言うのかい!?」

 とメールが仰天して声を上げました。ポポロも驚いています。

 ゼンがまた笑い出しました。

「そりゃいいな! 確かにおまえも稽古が必要だぞ、メール! だいたい、侍女が『あたい』なんて言ってちゃダメじゃねえか」

 とたんに、侍女長はゼンを振り向いて言いました。

「ゼン殿もですよ。城の従者は、そのような不作法なことばづかいはいたしません。城の人間らしく見えるように、皆様方全員がお稽古をする必要がありますね。メール様たちやゼン殿には、こちらで稽古の先生をお探しいたします」

 げっ、とゼンが声を上げました。

「俺までやらされるのか? マジかよ!」

「しっかり稽古しろよ。僕たちばかりにやらせておいて、君が何もなしってのは許せないからな」

 とフルートが言ったので、ゼンは顔をしかめました。

「おまえなぁ、こんなところでかたきを取るなよ。おまえに女装しろって言ったのは俺じゃねえぞ」

 ふん、とフルートはそっぽを向きました。

 

 ところが、フルートが国王やゴーリスたちと話を始めると、ユギルがゼンに近寄ってきて言いました。

「ゼン殿に折り入って頼みたいことがあるのでございますが……」

 占者の声は静かで、他の者たちには聞こえません。ゼンは目を丸くしました。

「折り入って頼みたいこと? なんだよ」

 しっ、とユギルはささやき返し、いっそう声を低めて続けました。

「特に勇者殿にはお聞かせしたくない話です。ゼン殿にとっては危険になるかもしれないことなのですが」

 問いかけるようにゼンを見つめる占者を、ゼンは驚いて見ていましたが、やがて、にやりと笑い返しました。

「そういう話なら、ぜひ聞かせてもらいたいな。なんだよ」

「では、こちらへ――」

 ユギルは静かにゼンを隣室へと連れ出して行きました。

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