「メーレーンに頼まれて、城の外に出る手助けをした――?」
とオリバンは侍女のスリナのことばを繰り返しました。びっくりした顔をしています。
なぁんだ、とゼンが肩をすくめました。
「結局やっぱり王女様の夜遊びだったんじゃねえか。あの不良王様の娘らしいぜ。人騒がせだな、まったく」
ところが、すぐにフルートが厳しい口調で言いました。
「納得するなよ、ゼン。王女様の姿は魔法の壁で見えなくなってるんだぞ。ものすごく怪しいじゃないか」
「いったいどういうことです?」
と侍女長がスリナに厳しく尋ねました。侍女は顔をおおったまま泣き続けていました。
「王女様が――城の外を見てみたい、とおっしゃったんです――。面白そうだから、ぜひ見てみたい、と。それで私は王女様が着替えるお手伝いをして、王女様が寝ていることにして――」
すると、そこへ銀髪の占い師が鋭く口をはさんできました。
「メーレーン様が本当にそうおっしゃったのですか? 城の外を見てみたい、と? 本当ですか?」
侍女は泣き顔をあげました。不思議そうにユギルを見ます。
「本当……? あ、え、いいえ、違いました。本当は、王女様ではなくて、私の叔父に言われたんです。メーレーン様はいつもお城の中にばかりいて、外の世界を知らなくてかわいそうだ。お城の外に連れ出してあげたら、きっと大喜びなさるだろう、って……」
「叔父とは誰だ!?」
と今度はオリバンが尋ねました。怖いほど迫力のある声です。けれども、侍女は不思議そうな表情のままでした。どうしてそんなことを聞かれるのだろう、というように答えます。
「ディーラに住む、私の叔父のピッコです。ピッコおじさんは奇術師で、人をあっと驚かせるようなことが得意なんです。メーレーン様を城の外に連れ出して、王女様を驚かせてさしあげようって――」
とたんに、侍女長が大声を上げました。
「しっかりなさい、スリナ! あなたの故郷はヒラスの町です! ディーラにそんな叔父がいるなんて話は、一度も聞いたことがありませんよ!」
え? と侍女は目を丸くしました。本当に不思議そうに考え込み、やがて、首をひねりました。
「それじゃあ……あれは誰だったのかしら? 叔父さんではなかったの……? 私、城下町で誰と話していたのかしら……?」
なんだか夢を見て、その夢の話をしているような口ぶりです。フルートは眉をひそめました。
「あなたが城下町に行ったのはいつ?」
けれども、侍女は答えません。代わりに、仲間の侍女たちが言いました。
「に、日中ですわ。今日――いいえ、昨日の午後です。メーレーン様の犬たちのおやつを買いに、肉屋までおつかいに行ったんです」
「私たち、毎日交代で行くんですけど、昨日はスリナの番だったんです」
「昨日の午後……」
フルートは厳しい顔のまま、侍女のスリナをまた見ました。娘はまだ夢を見ているような顔をしています。あれは誰、あれは誰なの、とつぶやきながら、ふらふらと部屋の中を歩いていきます。
「心縛りの術だ」
とオリバンがうなるように言い、けげんそうなゼンの表情を見て続けました。
「人の心を思いのままに操る術のことだ。それにかかった者は、無条件で術師の命令に従うようになる。術師と別れてしばらくしてから、その命令を実行し始めることもあるのだ」
「じゃ、そのピッコおじさんって人が――」
とメールは侍女のスリナを見つめました。本当に、侍女は夢の中を歩いているようでした。焦点の定まらない目で、開け放してある窓を眺めています。窓の外には暗い夜が広がっています。
その時、突然ユギルが叫びました。
「いけない! 彼女をお止めください!」
人々は、はっと侍女を見直しました。侍女は窓のすぐ手前まで近づいていました。もう行き止まりです。それなのに、彼女は少しも歩みをゆるめようとしないのです。
「止めろ、ゼン!」
フルートが叫びながら扉の前から駆け出しました。ゼンも即座に走り出し、窓に近寄る娘を引き止めようとします。
ところが、その手が届く前に、娘が突然窓枠に膝をかけてよじ登りました。窓の外の夜に向かって大きく身を乗り出し、次の瞬間、そこから姿を消していきます――。
「こんちくしょう!!」
ゼンはわめきました。スリナに飛びついたのに一瞬遅くて、その腕の中からドレスの裾がすり抜けていってしまったのです。窓のはるか下の方から、どすん、と物の落ちる重い音が聞こえてきます。
「ポチ!」
とフルートは叫び、風の犬に変身した子犬に乗って窓から飛び出していきました。部屋の中の人々は立ちすくんでしまっています。
すると、ものの一分とたたないうちに、またフルートとポチが戻ってきました。部屋の中に降り立ったフルートは手に金に輝く石のペンダントを握り、うつむいたまま悔しそうに唇をかんでいました。子犬の姿に戻ったポチが人々に言います。
「ワン、だめでした……。首の骨を折って即死してて、金の石でも助けられなかったんです。ここは四階でしたから……」
ユギルが青ざめながら言いました。
「これも心縛りの術です。気づかれたら自ら命を絶つように命じられていたのです」
人々は、本当に声も出せずに立ちつくしていました。突然仲間に目の前で死なれた侍女たちは、顔色を失ってがたがたとふるえています。侍女長が大あわてで人を呼んで、窓の下へ行かせます。
すると、オリバンがうめくように言いました。
「メーレーンはどこにいるのだ……? 妹を連れ出したのは、いったい何者なのだ!?」
誰もそれに答えることはできません。
そこへようやく、大広間にいた人々が到着しました。ロムド王とゴーリス、リーンズ宰相、それに四人の魔法使いたちです。
人々から一部始終を聞かされると、深緑の衣を着た魔法使いの老人が言いました。
「確かに、この部屋には魔法の痕跡があるぞ。外からここへ誰かが魔法の扉を開いたんじゃ。だが、扉がどこに通じていたのかは、隠されてしまって見ることができんな」
「ただ、闇のもののような邪悪な気配は漂っておりません」
といったのは白の魔法使いの女神官です。フルートもそれにうなずきました。
「王女様をさらったのは闇の敵ではないと思います。それならば闇の気配が残るから、金の石が反応するはずなんです」
聖なる金の石は、フルートの鎧の胸当ての上で静かに輝いているだけです。
「どうしましょう、父上!?」
とオリバンが尋ねました。どなるような声になっています。
ロムド王は少しの間考え込んでから、おもむろに答えました。
「焦るな、オリバン……。犯人はメーレーンがロムド国の王女だから連れ去ったのだ。そう手荒に扱うことはないだろう。少なくとも、即座に殺すような真似はせんはずだ」
王があからさまに「殺す」ということばを口にしたので、人々はまた、ぎょっとしました。
ゴーリスが低い声でそれに答えました。
「いずれ近いうちに犯人から犯行声明があるでしょう。そうやって交渉を始めるのが、誘拐の常套(じょうとう)です」
「今、ディーラ中の占者は何も占えなくなっている。犯人が名乗り出てくるまで待つしかないであろうな」
王の声は冷静に聞こえますが、その顔には深い憂慮の色がありました。真剣そのものの表情です。
リーンズ宰相が、同じくらい心配そうな顔で言いました。
「陛下に叛意を抱く貴族のしわざでございましょうか? 先ほどの大広間での陛下の決定に不服を抱くものが、腹いせに王女を誘拐したのでは――」
「いいえ、違うと思います」
と言ったのはフルートでした。
「亡くなったスリナという侍女は、日中に城を出たときに術をかけられたようです。ぼくたちがハルマスからディーラに到着する前のことです。もちろん、誰も陛下の決定なんか知りません。それと、もう一つ――。こんな計画を立てるからには、犯人はユギルさんの占いの力が一時的に失われていることを知っていたんです。犯人が何者かはわかりません。でも、かなりの力の持ち主なのは間違いないと思います。少なくとも、非常に目のいい占者と、強力な心縛りの術者と、優秀な魔法使いを抱えているんです。いくら四大魔法使いの方たちが現場を離れていても、代わりに城を守っていた魔法使いの方たちが普通より劣っているはずはありません。そこを破って城に侵入してこられるんだから、やっぱり敵の方が力があった、っていうことなんです」
きっぱりとそんなことを話すフルートを、仲間の子どもたちは半ばあきれて眺めてしまいました。自分たちのリーダーの頭の良さを、改めて感じてしまいます。
ロムド王がうなずきました。
「勇者殿の言うとおりだな。それだけの者たちを動かし、城からメーレーンを連れ去ったのだから、おそらく国家レベルの力を持っている……。我がロムド国に敵対する他国のしわざである可能性が非常に高い」
人々はまた立ちすくみました。容易ならない事態に陥っているのだと再確認してしまいます。
ロムド王は家臣たちに次々と命令を下し始めました。
「リーンズ、ワルラ将軍を呼べ。メーレーンはおそらく馬車でディーラから連れ去られたのだろう。怪しい馬車を見たものがないかどうか捜索させよ。ゴーラントス卿は、城下町へ人をやり、侍女に術をかけた術師について調べるのだ。侍女長も他の者たちも、この件についてはいっさい口外無用だ。――メーレーンは、急に具合が悪くなって部屋を抜け出し、外の空気を吸っていた。中庭にいたところを見つけられたが、まだ具合が悪くて床に伏せっている。どうやらうつる病のようであるので、王妃のメノアにも誰にも会わせることはできない。王女の部屋には必要最低限の人間だけが出入りし、他はいっさい近づくことも許さん――ということにする。良いな、皆のもの。しかと心せよ」
すると、侍女長がうつむきながら言いました。
「陛下の仰せの通りに……。亡くなったスリナについては、姫様を捜して一生懸命になるあまり、誤って部屋の窓から落ちたことにいたします。スリナの家族に知らせるにしても、真相を伝えるよりはずっとよろしいことでございましょう」
言いながら、侍女長はそっと目をしばたたかせました。事件に巻き込まれ、自分でも気がつかないうちに犯罪の片棒を担がされて殺された、哀れな部下の死を悼みます。
宰相とゴーリスが王の命令を遂行するために部屋を出て行きました。王は皇太子やユギルと話を始め、そこに四人の魔法使いと子どもたちも加わります。侍女長は二人の侍女を落ち着かせ、今回の一件について改めて言い聞かせています。
そんな人々を、ノームの老人は少し離れたところから見守っていました。わずか六十センチほどしかない小さな体で偉そうに腕を組み、顔をしかめて頭を振ります。
「やれやれ。これだから人間という奴はのぅ……。だが、城を守る一番の護具が壊れている隙を狙われたというのは、実に面白くないな。どれ、とっとと護具を修理してやるとするか」
そう独り言を言うと、あっという間に姿を消してしまいます。ピランは、余計な詮索を避けるために隠れ身の術を使い、護具が運ばれている城の鍛冶場へと向かったのでした――。