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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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12.知らせ

 「あーあ、やれやれ!」

 大広間から廊下に出たとたん、ゼンが声を上げました。夜の空気を吸うように、うーんと大きく腕を伸ばします。

 そこには勇者の子どもたちと、オリバン、ピラン、ユギルがいました。それ以外に大広間から出てくる者はありません。

 広間では王とゴーリス、リーンズ宰相が壇上で今後について話し合いを続け、四大魔法使いが、そのそばに控えて王たちを守り続けていました。時刻は夜の十一時をとおに過ぎていますが、貴族や貴婦人たちは、まだ誰一人その場を動こうとしません。王の叱責にすっかり恐れ入って、王より先に退出する勇気が出なかったのです。

 占い師のミントンだけが、王の命令で大広間から引っ立てられていきました。今回の騒動をあおった張本人として、後ほど改めて処罰が下されるのです。

「ったく、俺たちと貴族ってのは本当に相性が悪いよなぁ。よっぽど殴り飛ばしてやろうかと思ったぞ」

 とゼンがぼやいたので、フルートが本気でたしなめました。

「やめろよ。そんなことしたら死者が出るじゃないか」

 ユギルが子どもたちに向かって頭を下げました。

「本当に皆様方には不愉快な想いをさせてしまいました。ですが、陛下はハルマスを良い方向へ持って行こうとなさっておいでです。ちょうど良い機会になったと考えることもできましょう」

 フルートはうなずき返しました。そう言ってもらえると、彼らがハルマスに対して感じている罪悪感も少しは薄らぐような気がします――。

 

 オリバンが太い腕を組んで大広間の扉を振り返りました。

「しかし、父上があんなにお怒りになるとは予想もしなかったぞ。危なく本当に貴族全員が国外退去になるところだった」

「あれ。じゃ、やっぱり王は本気で怒ってたんだ」

 とメールが目を丸くしました。あまりに普段のロムド王らしからぬ態度だったので、興奮して騒ぐ貴族たちを抑え込むために、わざと大爆発してみせたのかと思っていたのです。

 すると、ユギルが穏やかに言いました。

「あの場面で陛下が貴族たちをどなりつけられたのは、本心からでございますよ。陛下は本当にお怒りになっていました。それでもなお貴族たちが謝罪せずに皆様方の責任を追及していれば、陛下は有無を言わさず貴族たちを全員国外退去させたことでしょう。それがわかっていたから、リーンズ宰相も本気で取りなしておられたのです」

 オリバンもうなずきました。

「私はあれほど怒った父上を見るのは初めてだったが、今から四十数年前、父上が王宮の旧体制派を城から追い出して宮廷を一新したときには、やはりそれはすさまじい怒り方をしたと聞いている。旧体制派は貴族中心の施政を行っていて、国民をほとんど顧みていなかったからな。どれほど謝罪して父上に忠誠を誓っても父上は許さず、それこそ全員に国外退去か辺境への蟄居(ちっきょ)を命じられた。今回は、その二の舞になるところだったのだ」

「陛下は、国で誰を一番大切にするべきかをよくご存じです。むろん、貴族たちも国民の一人として陛下から大切にされているのですが、特権階級に長く安穏としていたために、それが感じられないのです。陛下はいつでも、庶民も貴族も分け隔てなく、国民の幸せを願われているのですのですが」

 子どもたちは思わず顔を見合わせました。そんなロムド王が自分たちを守りかばってくれたのだ、と思うと、なんだか改めて胸がいっぱいになります。

 

 すると、ノームのピランがおもしろがるように口を開きました。

「医療の町ハルマスとは、ロムド王も大胆な計画を持っていたものだな。これでまた、ロムドは中央大陸の中で一歩先を行くことになるぞ。他の国々がこぞって後を追いかけるだろうよ」

 一同は思わずその場面を想像しました。デセラール山がそびえ、リーリス湖が青く輝く美しいハルマス。けれども、そこの通りに建ち並ぶのは、貴族たちの別荘ではなく、医者の卵たちがさらなる研修を積むための建物です。通りを歩いていくのも、美しく着飾った貴族や貴婦人たちではなく、病気や怪我を治したくて医者を訪ねる人たちです。きっと、患者が闘病するための施設も作られるでしょう。

 ロムドの国をはじめとする中央大陸には、まだ病院という概念はありません。治療を求める人々は、個人の医者や魔法医のもとを訪ねます。ロムド王がハルマスに抱いている構想は、大陸初の大学病院の建設でした。ピランが言うとおり、画期的な大計画だったのです。

「まったく、私はいくつになっても父上には到底かないそうにないな」

 と皇太子が苦笑いをしました。以前のように父王に反発する気持ちはもうありませんが、父の名君ぶりを見るたびに、その偉大さに改めて圧倒されてしまうのです。

 すると、メールが肩をすくめて言いました。

「気にすることないさ、オリバン。ロムド王はロムド王、あんたはあんただもん。あんたは自分にしかできないやり方でロムドを引っ張っていけばいいんだ。ロムド王よりあんたのほうがうまくできることだって絶対にあるよ」

 世界の海の半分を統べる王の娘だけに、メールのことばには説得力があります。

 オリバンは、ふむ、とつぶやくと、こっそりと隣のゼンにささやきました。

「やはり彼女は良いな。ゼンに渡しておくのが惜しくなってきたぞ。彼女に未来のロムド王妃になるつもりがないかどうか、聞いてみても良いか?」

 オリバンの表情は大真面目で、冗談か本気か判断がつきません。ゼンは顔を真っ赤にすると、どなるようにささやき返しました。

「馬鹿言え、そんなの承知できるわけねえだろうが! 殺されたいか!」

 すぐそばで聞いていたフルートとポチが、思わず吹き出してしまいます。

 そして――そんなフルートを、ポポロがそっと見つめていました。

 少女は自分の左手を右手で握っていました。大広間の壇上で貴族たちから責められたとき、フルートは、泣き出してしまったポポロの手を握ってくれたのです。ことばは何もなくても、フルートの手のぬくもりはポポロの手を通じて心まで届き、今にも逃げ出しそうになっていた彼女を支えてくれました。いつだって、フルートは仲間たち全員に細やかに気を配り、必要なときに必ず助けの手をさしのべてくれるのです。恥ずかしがり屋のポポロが恥ずかしがることもないくらい、そっと、さりげなく……。

 さっきはありがとう、とフルートに礼を言いたいとポポロは思いました。とっても嬉しかったわ、と。けれども、ポポロにはどうしてもその一言を言う勇気が出ませんでした。どんなに小さな声でも、言えば必ず聞こえる距離にフルートがいるのに、やっぱり声が出せないのです。

 フルートが握ってくれた手を抱いて涙ぐんでいる少女に、足下のルルがいらいらしていました。じれったさに、また絨毯に爪を立ててしまっています……。

 

 そこへ、城の通路の向こうから一人の家臣がやってきました。ひどくあわてた様子をしていて、大広間の入り口の前に立つユギルとオリバンを見ると、全速力で駆け寄ってきます。

「ここにおいででしたか、殿下、ユギル殿――! 陛下はどちらにおいででしょうか!?」

「父上はまだ大広間だ。何があった?」

 と皇太子は尋ねました。何かが起きたと察して厳しい顔つきになっています。それは……と家臣がピランやフルートたちを見ながら言いよどむと、強く命じます。

「ここにいる者たちならば心配はいらん。何が起こった。早く言え!」

 オリバンはまだ十九ですが、見上げるような姿には、相手に有無を言わせない、王者独特の迫力と風格があります。家臣はたちまち身をすくませ、青ざめながら答えました。

「は、はい、実は――王女様が城内のどこにも見あたらないのです――」

「メーレーンが? いつからだ」

 とオリバンが顔色を変えます。

「二時間ほど前に、お休みになるためにベッドに入られたのは侍女たちが見ております。ところが、寝ているご様子を確かめに行ったときには、ベッドの中に王女様のお姿がなかったのです。隣の部屋には侍女たちが詰めておりましたが、誰も王女様が抜け出したのには気がつかなかったと申します」

 家臣は冷や汗を流しながら報告していました。オリバンの顔つきが、これ以上ないと言うほど険しくなっていたからです。

 ゼンがあきれたように肩をすくめました。

「なんだ、ロムドじゃ王様だけでなく、王女様まで夜遊びするのかよ? 城の窓から抜け出していったんじゃねえのか?」

 ロムド王が若い頃、毎晩城を抜け出して城下町に遊びに出ていたことを、ゼンは知っているのです。

 ところが、ユギルが皇太子に負けないほど真剣な顔で答えました。

「いいえ、メーレーン様は決してそのような真似はなさいません。しかも、王女様が行かれるのは、城内のごく限られた場所ばかりなのです。そこを探しても見つからないとなると、これは――」

 オリバンがうなるような声で断言しました。

「メーレーンを誘拐されたのだ。何者のしわざだ?」

 問われて、ユギルが悲痛な表情になりました。

「わかりません。わたくしは――占いの力を失っております――」

 居合わせた者たちは、いっせいにはっとしました。

 ハルマスでの戦いの影響で、ユギルだけでなく、城中の占者たちが何も占えなくなっています。敵はその隙を突いて城に侵入し、寝室からメーレーン王女を連れ去っていったのでした。

 オリバンは肩で大きく一度息をすると、家臣に命じました。

「大広間に行って父上に知らせろ。だが、中には貴族たちも大勢控えている。くれぐれも彼らには悟られるな。私はメーレーンの部屋に行ってみる」

 言うなり、大股に歩き出します。銀髪の占者がそれを追いかけ、ノームの老人が小走りにそれについていきます。

 フルートたちは顔を見合わせました。ハルマスに関するいざこざが解決したと思ったら、今度は王女の誘拐。一難去ってまた一難とは、まさしくこのことです。少年と少女と犬たちはうなずき合うと、すぐに皇太子たちの後を追いかけていきました。

 

 夜に包まれたロムド城のあちこちで、まだ眠らない人々が動き回っていました。大広間では王と重臣と貴族たちが、城内では失踪した王女を捜す人々が、そして、王女の部屋に向かう通路を皇太子や勇者の子どもたちが――。

 城の中庭に建つ寺院で、深夜零時を知らせる鐘が、厳かに打ち鳴らされました。

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