一行が城に到着すると、立派な身なりの初老の貴族が出迎えに飛んで来ました。リーンズ宰相です。
「皆様方、ご無事でなによりでした」
短い挨拶に想いを込めて頭を下げると、もう先に立って歩き出します。
「陛下は執務室でお待ちです。皆様方から直々にハルマスの様子をお聞きしたいと――」
「私どもは、陛下にお詫び申し上げなくてはなりません」
と言ったのは、四大魔法使いの一人の、白の魔法使いでした。白い衣を着て胸から神の象徴を下げた女神官です。一同の先頭に立って歩きながら、宰相に向かって言い続けます。
「陛下からご命令を受けながら、私どもはハルマスを守りきることができませんでした。陛下からどのようなお叱りを受けようとも、いたしかたないと思っております」
他の三人の魔法使いたちも、うなだれるように頭を下げました。四大魔法使いは、ロムド城を守る魔法使いの中でも最も力があり、国王からの信頼も厚い者たちです。城の守り、ひいては国の守りとしての自負があります。城の裏門でハルマスの住人の声を聞いて責任を感じていたのは、勇者の子どもたちだけではなかったのでした。
すると、一行の足下をちょこちょこと小走りに歩きながら、ノームのピランが口をはさんできました。
「それはおまえさんたちのせいじゃないぞ、魔法使いども。敵は魔王だったんじゃ。いくらおまえさんたちが優秀でも、魔王にかなわないのは当然じゃ。いや、むしろ、魔王相手によくあそこまで戦ったと誉められるべきだ。おまえさんたちのおかげで、そこにいるドワーフの坊主もわしらも、全員が命拾いしたんだからな」
「そのとおりでございます」
とうなずいたのは占者のユギルでした。小柄なピランとは対照的に、こちらはとても長身です。
「皆様方は、闇の軍団や魔王と本当によく戦われました。ハルマスは誰の責任でもございません。あれを消滅させたのは魔王ですが、その魔王はもう、黄泉の門をくぐって死者の国へ去ったのです。わたくしたちの中には誰一人欠けた者がおりません。それは皆様方の尽力のたまものですし――勇者の皆様方の勇気の結果でもございます」
占者の最後のことばは、後ろからついて行く子どもたちに向けられていました。城の裏門をくぐってからずっと元気をなくしていた子どもたちが、はっとしたように顔を上げました。
リーンズ宰相が一同を振り向いて穏やかにほほえみました。
「ユギル殿のおっしゃるとおりです。陛下も、皆様方をお叱りになるつもりなどありません。ただ、皆様方の無事な顔を見て、今後のハルマスのために話を聞きたいとおっしゃっておいでなのです」
それを聞いて、一同はなんとはなしに笑顔になりました。賢王と呼ばれる国王の顔を思い浮かべてしまいます。確かに、あのロムド王ならばそんなふうに言いそうでした――。
そのとき、一番後ろを歩いていたジュリアが、人の気配を感じて振り向きました。彼らが通ってきた通路から横の通路へ飛び込む人影がありました。美しいドレスの裾があわてたように横道に消えていきます。
妻と一緒にそれを振り向いていたゴーリスが言いました。
「俺たちが戻るのを待っていた奴が他にもいたようだな。ずっと見張っていたんだろう――まったくご苦労なことだ」
「なんでしょう?」
とジュリアが不安そうな顔をします。ゴーリスは肩をすくめました。
「おそらく、ハルマスに別荘を持っていた貴族の中の誰かだな。裏門に来ていたハルマスの住人と同じだ。真相を確かめて、別荘はどうしてくれるんだと言いたいんだろう。さすがに、この面子では呼び止めることもできんだろうがな」
執務室に向かって歩いているのは、城の四大魔法使いと皇太子、国王付きの占者ユギル、王の右腕とも言われるゴーリス、エスタ国からの賓客ピラン、それに宰相のリーンズと、そうそうたる顔ぶれです。いくら貴族であっても、気軽に話しかけることなどできないのでした。
皇太子のオリバンが難しい顔になって宰相に言いました。
「城の正門には貴族たちが詰めかけていたな。あれもハルマスに別荘を持っていた者たちなのだろう? 騒ぎを起こして父上を困らせているのか?」
「皆様方がもうじき城に戻られると知って、押しかけてきたようです。陛下が後ほど直々に対応するとおっしゃっておいでです」
ふん、とオリバンは鼻を鳴らしました。
「ハルマスの住人は来るのが当然だ。彼らはあそこで生活していたのだからな。だが、貴族たちがあそこに構えていたのは別荘だ。なくなっても、住む場所がなくなって路頭に迷うわけでもないというのに」
ユギルが静かにそれをたしなめました。
「殿下、彼らの前で決してそのようなことはおっしゃってはなりません。例え別荘でも財産は財産です。財産を脅かされれば、補償を求めたくなるのは人情でございます」
たちまちオリバンは不服そうな顔になりました。少年のようにむきになって言い返します。
「そんなことを言うが、ユギルこそ、あんなものに金をかけていた貴族を無駄なことをしていると思っていたのではないか? たいていの者は経済的に苦しいというのに、見栄を張り合って贅沢な別荘を建てていたのだぞ」
ユギルはそれには何も言わずに、ただ笑い返して見せました。皮肉な笑い顔は、そのとおりでございます、と暗に言っていました――。
「ワン、これが国で一番偉い人たちの会話だって言うんだから、ほんとに不思議な国ですよねぇ、このロムドは」
と皆の足下でポチがルルにささやいていました。
「だから、私たちも居心地がいいんだけどね」
とルルが答えて、くすくすと犬の顔で笑います。
ポチもつられて笑い返すと、なんとなく考えてしまいました。こんなふうに民衆に味方してくれる王族は、国民からはすごく人気があるけど、ずっと王室に使えてきた貴族たちにはさぞ面白くないんだろうな、と。
だからこそ、願い石の戦いの時には、フルートがその槍玉に挙がる形で、貴族たちから命を狙われたのです……。
その時です。城の通路に、いきなり大きな声が響き渡りました。
「お兄様! お兄様ぁ――!!」
ちょっと舌足らずな感じの女の子の声です。行く手の通路の角から一人の少女が飛び出してきます。銀色に近いプラチナブロンドの巻き毛にバラ色の頬、大きな灰色の瞳の、とてもかわいらしい顔立ちをしています。歳はフルートたちより少し下くらいでしょうか。薄紅色のドレスの裾をたくし上げて、まっすぐこちらへ走ってきます。
とたんに、今まで仏頂面だったオリバンが表情を変えました。満面の笑顔になって叫び返します。
「メーレーン!」
「お兄様、お帰りなさい!!」
駆け寄ってきた少女がオリバンの首に飛びつきました。そのまま声を上げて笑い出します。小柄で華奢な少女を、オリバンがいとおしそうに抱き返しました。
「久しぶりだな、メーレーン。元気でいたか?」
「ええ、メーレーンは元気でしたわ。でも、お兄様がずっとお仕事でお城にいなかったから、とても退屈でした。お兄様、この後はしばらくお城にいらっしゃるのでしょう?」
「たぶんな」
と答えるオリバンは、これまで勇者の子どもたちが一度も見たことがなかったような、とびきり優しい笑顔をしていました。
ゼンが目を丸くしながらフルートをつつきました。
「オリバンの妹か、あれ?」
「うん。末の王女のメーレーン様だよ」
とフルートが答えます。失礼にならないように、ささやくような声で答えています。そこへメールも加わってきました。
「へぇぇ、あれがメーレーン王女。以前オリバンが言ってたとおりだ。かわいい子なんだねぇ。――あの王女様とフルートが結婚して、フルートがロムドの王様になるんじゃないか、って心配されたわけなんだ」
とからかうように言います。たちまちフルートは顔を赤らめました。
「そんなのただの噂だし、もう一年も前に解決したことじゃないか」
と言い返します。
すると、オリバンがフルートたちに向き直りました。
「私の妹のメーレーンだ。メーレーン、ここにいるのが金の石の勇者の一行だ。どれが誰かは、ずいぶん話して聞かせたからわかるだろう?」
「ええ、ええ、メーレーンにはちゃんとわかります!」
と王女は両手を打ち合わせました。くるくるよく動く瞳で、勇者の子どもたちを一人ずつ眺めて言います。
「この鎧の方が金の石の勇者のフルート。弓矢を背負っているのがドワーフの猟師のゼン。こちらの背の高い方が海の王女のメールで、黒い服を着ているのが、天空の国の魔法使いのポポロ、そして――」
そこまで言うと、王女は、きゃっと短い歓声を上げました。足下にいた二匹の犬たちにかがみ込みます。
「あなたたちが、もの言う犬のポチとルルね。メーレーンはぜひあなたたちに会ってお話したかったのよ。お会いできて嬉しいわ、ポチ、ルル」
ロムドの王女は、人ではなく犬たちに一番嬉しそうに挨拶をしていました。自分自身のことをメーレーンと名前で言うのが、王女の口癖のようでした。
「ワン、初めまして、王女様。お目にかかれて光栄です」
とポチが丁寧に挨拶を返すと、たちまち王女はまた歓声を上げて、ポチを抱きしめてしまいました。
「すてき! すてきすてき! 本当にことばが話せるのね! すごいわ――!」
屈託のない笑顔が広がります。ただ純粋に、もの言う犬に会えたことを喜ぶ顔でした。
ゼンがまたフルートにささやきました。
「なんか……かなり変わった王女様じゃねえのか?」
「メーレーン様は大の犬好きなんだよ。以前、ポチを引き取りたいって言ったことがあったくらいだからね」
とたんに、ルルがそれを聞きつけて、ぴくっと耳を動かしました。たちまち面白くなさそうな顔になります――。
占者のユギルが話しかけました。
「メーレーン様、わたくしたちは陛下に呼ばれて参上する途中でございます。お話は尽きないことと存じますが、後ほどまたお伺いいたしますので、今はこれにて失礼させていただきます」
いつも通りの丁寧な口調ですが、その陰に優しい響きがありました。小さな妹を見守るような目をしています。
王女の方も素直にうなずいて立ち上がりました。
「ええ、いいわ。後で必ず訪ねてくださいね。お兄様も、勇者の皆様方も――。ポチ、ルル、後でまたたくさんお話ししましょうね」
そう言われて、ポチは尻尾を大きく振り返しましたが、ルルは、つんとそっぽを向いてしまいました。
メーレーン王女が立ち去ると、メールは、ふぅん、と皇太子を見上げました。
「意外。オリバンもあんな優しそうな顔をすることがあるんだ。王女様相手の時には、完璧お兄さんの顔じゃないのさ」
からかい半分で言ったのですが、皇太子の方は大真面目でそれを受けました。
「当然だ。母親は違うが、私のかわいい妹だからな。疑うことを知らない、素直なよい子だぞ」
「素直っつうか、天然っつうか、ま、かなり変わったお姫様だよな」
とゼンが遠慮もなく言います。その人が王族だろうがなんだろうが、ドワーフの少年はまったく意に介さないのです。
すると、フルートが言いました。
「でも、本当にかわいいよ。無邪気で純粋な方なんだね。オリバンの気持ちがわかる気がするな」
相手が誰であれ、フルートが女性をほめるのは珍しいことだったので、仲間たちは全員目を丸くしました。フルートは、王女が立ち去った方をまだ見たまま、ほほえみを浮かべていました。優しいまなざしをしています。
オリバンが、おもむろに腕組みをしました。
「フルート、おまえは――」
と言いかけて、ちょっと考え込み、すぐに首を振ります。
「いや、いい――。なんでもない」
は? とフルートが不思議そうな顔をしました。それを仲間の子どもたちが微妙な表情で眺めます。聞きたいことを聞くことができないときの、もどかしい空気が漂います。その中で、ポポロは今にも泣き出しそうな顔になっていました。けれども、うつむいているので、フルートは気がつきません。
ルルが鼻先でそっとポチをつつきました。
「ねえ。フルートは何を考えてあんなことを言ったの? 匂いでわからない?」
ポチは困惑した顔になりました。
「ワン、フルートはだめなんですよ……いつだって、本音を見せてくれないから、匂いでも、フルートの考えていることはわからないんです」
「まったくもう」
ルルは溜息をつきました。じれったさに、思わず城の上等な絨毯に爪を立ててしまいます。
これから起こりそうな数々の出来事――。
その予兆を黒いとばりの向こうに隠しながら、夜は静かにロムド城を包んでいきます。
近くに立つ大勢の大人たちは、何も言わずに少年少女たちを見守り続けていました。