日が沈み、薄れた夕映えに代わって夜が黒いとばりであたりを包む頃、フルートたちの乗った馬車はようやく王都ディーラに到着しました。家々には灯りがともり、大通りには一定間隔でかがり火が立てられています。町の中央にあるロムド城にも、城壁に沿っていくつも大きなかがり火がたかれて、城を明るく照らし出していました。闇の中にそびえる城は神々しいほどに白く清らかです。
一行を乗せた三台の馬車は、まっすぐロムド城を目指していましたが、城門の手前まで来ると、急に次々と横道にそれていきました。
「え、城に行かないの? なんでさ!?」
とメールが声を上げました。他の子どもたちも驚きます。
すると、ゼンが窓から闇の中に目をこらして言いました。
「城門のところに人だかりができてるぞ。騒ぎが起きてるみたいだ」
ドワーフのゼンは夜でも目がよく見えます。遠目ながら、集まっている人々が、なんとなく貴族めいた上品な格好をしていることまで見取っていました。城の門を守る衛兵と押し問答になっているようです。
けれども、騒ぎはたちまち後ろに遠ざかりました。馬車は止まらずに走り続け、いくつも角を曲がって、やがて城の裏手に出ました。裏門がそびえています。そこには人だかりはなく、ただ数人の衛兵たちが門を守っているだけでした。
先頭の馬車からゴーリスの声が聞こえてきました。
「陛下に呼ばれて参上した。開門しろ」
衛兵たちはすぐさま敬礼して門を開けました。ゴーリスはロムド城の重臣です。顔を見せただけで、衛兵たちもすぐに誰とわかるのでした。
ところが、彼らが門の中へ入ろうとしたとき、近くの路地裏から数人の男たちがばらばらと飛び出してきました。いきなり馬車に駆け寄って声を上げます。
「待って――待ってくだせえ! わっしらの話を聞いてくだせえ!」
貴族のことばづかいではありません。フルートたちは思わず窓から外をのぞきました。馬車に四人の男たちが駆け寄って、車体の壁や手すりに取りすがっていました。他の男たちも、前の二台の馬車に向かって走っていきます。
御者が鞭を鳴らしてどなりました。
「こら、離れろ! 貴族の旦那様方がお乗りなんだぞ! さっさと離れんか、無礼者どもが!」
城門の衛兵も血相を変えて飛んできました。彼らは路地裏にそんな者たちが潜んでいることに気がつかなかったのです。衛兵が抜きはなった刃が、かがり火に白く光ります。
けれども、男たちは必死でした。ゴーリスたちや四人の魔法使いたちが乗る馬車にもそれぞれ取りすがり、大声を上げ続けます。
「教えてくだせえ! 旦那様方は南から来られたんじゃありませんか!? ハルマスは――わっしらのハルマスはどうなっているんでしょう――!?」
子どもたちはいっせいに、はっとしました。ハルマスからディーラに避難していた住人たちだと気がついたのです。
男たちは口々に言い続けていました。
「ハルマスが全壊したという噂を聞きました! 全壊したってのは、どういうことなんでございましょう!?」
「わっしらの家は無事なんでしょうか!?」
「船や港は――!?」
「ハルマスを襲ったのが嵐じゃなく、恐ろしい闇の怪物どもだったというのは、本当ですか――!?」
子どもたちは馬車の中で顔を見合わせてしまいました。
魔王が闇の軍勢をハルマスに差し向けたとき、占者のユギルはいち早くそれを察して、ハルマスの住民全員を王都へ避難させました。本当の理由は隠して、かつてなかったような大嵐が来ると告げたのですが、いつの間にか人々は真相に気がついていたのでした。
「ええい、この暴徒ども! 離れろ!」
「馬車から離れんとただではおかんぞ――!」
衛兵たちが男たちに切りつけようとします。
とたんに、二つの馬車から同時に声が上がりました。
「よせ!」
「やめてください!」
先頭の馬車と三番目の馬車の扉が開いて、二人の人物が飛び降りてきました。くすんだ銀色の鎧を着たオリバンと、金の鎧を着たフルートです。皇太子が直々に馬車から降りてきたので、衛兵たちは仰天して剣を引きました。
フルートはオリバンの隣へ駆けつけました。ハルマスの男たちもオリバンの前に集まってきました。
「旦那様、ご存じなんでございましょう!? ハルマスがどうなったのか、教えてくだせえ!」
と立派な風情のオリバンに向かって、必死で言い続けます。
まだ十九歳のオリバンは思わず苦笑しました。
「旦那様と呼ばれるには、ちょっと早いつもりでいるのだがな……。おまえたち、私たちが誰かわかるか?」
そう聞かれて、男たちは大柄な青年を見ました。それが自分たちの国の皇太子なのだとは、すぐには気がつけません。隣の鎧の少年の正体はなおさらわからなくて、とまどったように見比べてしまいます。
そこへ、馬車からゼンとメールが降りてきました。騒ぎになりそうな気配を察して駆けつけたのです。ポチ、ルル、ポポロも、次々と馬車から出てきます。
すると、男の中の一人が突然大声を上げました。
「坊ちゃん方――それに嬢ちゃん方――!!」
フルートたちは驚いて声の主を見ました。中年の男が、ぽかんと子どもたちを眺めていました。その顔には見覚えがあります。
「あぁ!? リーリス湖で俺たちを船に乗せてくれた船長じゃねえか!」
とゼンも声を上げました。闇の声の戦いの時のことです。
船長が、あわてたように隣の男を肘でつつきました。
「ほら、いつも話しとっただろうが! この坊ちゃん方が、例の金の石の勇者の一行だよ! ハルマスから黒い風の犬を追っ払ってくれた恩人だ――」
そのとたん、子どもたちの足下にいたルルが反射的に首をすくめました。その黒い風の犬というのは、闇に心奪われて魔王になりかかっていたルルです。人々には秘密にしている事実でした。
男たちはびっくりして、じろじろとフルートたちを眺めました。彼らは勇者の子どもたちが闇の怪物と戦ってハルマスを守ったことを知っていました。けれども、目の前にいる少年少女たちは、話で聞いていたよりもずっと小さく幼く見えて、本当に勇者の一行なのだろうか、と疑わずにはいられなかったのです。
「その節はお世話になりました」
とフルートがいつものように礼儀正しく頭を下げると、船長は驚いた顔のまま首を振りました。
「お世話になったのはわっしらのほうでさ、勇者の坊ちゃん……。坊ちゃん方は、闇からハルマスを守ってくれたんですからね。またお目にかかれるとは、思ってもおりませんでしたよ。もう一年半になりますか? 皆さん、大きくなんなすった」
フルートは何も言わずに、ただ目を少し細めました。フルートたちが闇からハルマスを守ってくれた、ということばが胸に刺さったのです。ハルマスはもうこの地上にはありません。魔王の黒い魔法で消滅してしまったのです。他の子どもたちも、何も言えなくなってしまいました――。
すると、船長と子どもたちのやりとりを聞いていたオリバンが、急に話に割り込んできました。重々しい声で言います。
「ハルマスはどうなっている、とおまえたちは言ったな。おまえたちが聞いているとおり、ハルマスは壊滅した。襲ってきたのは嵐ではなく、闇の怪物の大軍だったのだ。ハルマスには今はもう何もない。家や建物は全壊したし、おまえたちの大切にしていた船も一隻も残ってはいない。――だが」
顔色を変えて騒ぎ出した男たちへ、オリバンはたたみかけるように続けました。
「闇の敵は撃退された。そして、ハルマスに住んでいたおまえたちも、一人残らず無事でいる。最悪の事態は避けることができたのだ。おまえたちが生きてさえいれば、町はまた復興することができる。船もまた新しく作ることができる。ハルマス再建のために我々はできる限りの力を貸そう。それだけは、この私が誓って約束する」
オリバンは、図らずも父のロムド王が執務室で言ったのと同じことを口にしていました。男たちはいっそう驚いた顔になりました。いやに説得力のある話し方をする青年は何者だろう、と見つめ直します。
そこへ馬車からユギルが降りてきました。灰色の長衣のフードを外しているので、長い銀髪が夜の中に輝きます。
「殿下がハルマスの方々にお約束されたこと、確かに拝聴いたしました。城で陛下にお伝えいたしましょう」
「いや、父上には私から直々に話す。この者たちの想いをしっかりと伝えてやらなくては」
こういうことを大真面目で言うあたりがオリバンです。
殿下と呼ばれ、国王陛下を父上と言う青年を、ハルマスの男たちはあっけにとられて見つめ――やがて、突然真相に気がついて、全員が仰天しました。まるで雷にでも打たれたように飛び下がって、いっせいにひれ伏してしまいます。
「こここ……これはとんでもない、ごご、ご無礼を……」
「こ、皇太子殿下だとは、そ、その……」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
額を地面にこすりつけんばかりにして謝り続ける男たちを見て、ゼンが言いました。
「ったく。正体がわかったとたんにこれか? 皇太子ってのは偉いんだな、オリバン」
「それは冗談か? それとも、本気で言っているのか?」
と皇太子が真面目な顔で聞き返してきたので、ゼンは肩をすくめ返しました。
「ただの皮肉だよ」
ゴーリスはユギルより先に馬車を降りて後ろに控えていましたが、進み出てくると、他の男たちと並んで土下座をしている船長に話しかけました。
「俺を覚えているか?」
「も――もちろんです、ゴーラントス様」
船長にとって勇者の子どもたちを船に乗せたというのは本当に思い出に残る出来事だったので、そのときに話をしたゴーリスのこともよく覚えていたのでした。
ゴーリスは静かに続けました。
「オリバン殿下のおっしゃった通りだ。ハルマスは闇の敵の襲撃を受けて壊滅した。だが、殿下はハルマス復興に力を貸すと約束された。国王陛下もハルマスの住民をお見捨てになるような方ではない。おまえたちの不安な気持ちはわかるが、今は騒がずに待っていてほしいのだ。我々はそのために城に戻ってきたんだからな」
船長は顔を伏せたまま、何度も何度も頭を下げました。
「わかりました……そのことば、町の他の者たちにも必ず伝えましょう。わっしらは陛下が慈悲深い方なのをよく存じております。そこに皇太子殿下までがお約束くださったのであれば、皆もきっと安心します」
「よろしく頼む」
とゴーリスが言います。この黒衣の剣士は、大貴族でありながら少しも偉ぶりません。そっけないほどの口調ですが、そのことばはハルマスの住人たちの胸にしみこんでいきました。
「船長さん……」
ゴーリスの隣に立ってフルートが言いました。何か言わなくちゃいけない気がするのに、何もことばが思いつきません。
すると、船長が顔を上げました。毎日船を操ってきて日に焼けたその顔には、感激の涙が流れていました。
「結局、わっしらはまた坊ちゃん方に助けられていたんですね。ハルマスを襲う闇の敵から……。坊ちゃん方は、本当にわっしらを守る勇者であんなさる」
心からそう言う船長に、フルートだけでなく、他の子どもたちまでが思わず胸の詰まるような想いに襲われました。確かに彼らはハルマスの住人たちを守りました。けれども、ハルマスの町そのものを守りきることはできなかったのです。そして、闇の敵が、他でもない、勇者の彼らを狙って襲撃してきたのだということも、ごまかすことのできない真実なのでした。
自分たちを守ってくれた、と言われても素直にそれを受け入れられなくて、子どもたちは黙り込んでしまいました――。