馬車が止まった近くの岩壁から、澄んだ水がわきだしていました。岩の裂け目からほとばしって、短い弧を描き、下の水槽へ注ぎ込んでいます。絶え間ない水音が響いています。
そこは、低い山のはずれの切り通しでした。街道をはさんで岩壁の反対側は下り坂になっていて、十メートル以上も下の場所を川が流れています。泉で手を洗った魔法使いたちが、川の見える場所に腰を下ろして、食事を始めていました。空気は冷たいのですが、風はなく、日だまりは心地よい暖かさです。
ポポロは革製の水筒を水槽に沈めて水をくみました。大理石の水槽には透き通った水がなみなみとたまり、斜めに差し込んできた日の光が、水槽の底で明るい影を揺らしています。メールが黙ってそれを見守り、ルルは鼻をひくひくさせながらあたりの散策を始めました。水槽からあふれた水が流れ込む小川に沿って、道をずっと下っていきます。
すると、メールが突然話しかけました。
「ごめんね、ポポロ」
ポポロは驚いてメールを振り向きました。何を急に謝られたのかわかりません。すると、メールがためらいがちに続けました。
「あたいがゼンをとっちゃって、さ。ポポロだって、ゼンのことが好きだったのに――」
ポポロはたちまち真っ赤になりました。すぐには返事ができなくて、メールを見上げてしまいます。長身の少女は顔を赤らめて、すまなそうな目をしていました。
「ホントはさっきデセラール山に行ったときに言おうと思ったんだよ。だけど、ルルやポチが一緒にいたからさ……。ポポロだって、ゼンのことが好きだったんだよね。それはわかってたんだ。だけど――だけどさ――」
メールは口ごもってうつむきました。
「変だよねぇ……。あいつときたら、ちっとも優しくないし、口は悪いし短気だし、全然かっこよくなんてないのにさ……。だけど、あたいはやっぱりあいつが好きなんだ。ずっと振り向いてほしいと思ってた。ポポロもあいつを好きだったのはわかってたんだけど……どうしても譲れなかったんだよ」
気が強くて、いつも全然素直なことが言えなかったメールが、今は驚くほどありのままに本心を話していました。また顔を上げて、泣き出しそうな顔で笑って見せます。友達のポポロにすまないと思う気持ちと、退くことができない強い想いが、青い瞳の中で入り交じっていました。
ポポロは黙ってそれを見上げていましたが、やがて、静かにほほえみ返しました。
「あたしに謝る必要なんかないわよ……。あたしはただ、ゼンに片思いしていただけだもん。ゼンが本当に好きだったのはメールよ。それは、ずうっと前からわかっていたの」
メールは曖昧な顔をしました。ゼンをずっと見つめ続けてきた彼女は、ゼンがポポロにも好意を持っていたことを知っています。決してポポロの片思いなどではなかったのです。でも、その事実は、ゼンがメールを選んでくれた今でも、やっぱりポポロには言えませんでした――。
すると、ポポロが話し続けました。
「ゼンが闇の毒で死にかけたときに、あたしも狭間の世界へ降りていったでしょう? ゼンをナイトメアから助けるために。あの時にね、ゼンはずっとメールを呼び続けていたのよ。考えてるのも、メールのことばかりだったわ。ゼンはね、メールにまた会いたくて、黄泉の門の前から帰ってきたのよ」
メールは何も言えなくなりました。その顔がみるみる赤く染まっていきます。
そんなメールにポポロはさらに言い続けました。
「ゼンはメールが大好きなんだわ。だから、今のメールたちは本当に幸せそう。あたしは、メールたちが幸せでいてくれると嬉しいの。あたしも確かにゼンが好きだったけど――ゼンとメールの二人のことは、もっと大好きなんだもの」
「ポポロ……」
とメールはつぶやいて、目の前の少女を見つめました。泣き虫のはずの彼女が、今は泣きもせずに笑顔を浮かべていました。透き通った優しいほほえみです。
メールは思わず両手を広げて、小柄なポポロの体をぎゅっと抱きしめてしまいました。
「あんたったら――あんたったら――」
嬉しいような、すまないような、ありがたいような、ひどく複雑な想いに一度に襲われて、泣き笑いしながら、ますます強く抱きしめてしまいます。
「やだ、メールったら。苦しいわよ」
ポポロが恥ずかしそうに笑いながらメールの腕の中でもがきます。
その瞬間、メールの胸の中に熱い想いがあふれました。この優しい友人にも幸せになってほしい、と願う強い気持ちです。
メールは少女の肩をつかんで、宝石のような瞳をのぞき込みました。
「ポポロ、フルートにしなよ」
え? と目を丸くするポポロへ、熱心に言います。
「あんたもフルートも、本当に優しいもんね。あんたたちって、すごくお似合いだよ。ポポロはフルートと一緒になりな。フルートだって、絶対にポポロを嫌いじゃないんだから」
とたんにポポロは表情を変えました。ゼンを好きだったのにごめんね、と先にメールに謝られたときよりも、もっと赤い顔になって、あわてて頭を振ります。
「だ――だめよ。そんなの――だめだわ」
「どうして? ポポロはフルートのことだって好きだったんだろ? それとも、今はもう好きじゃなくなってるのかい?」
こういうことを遠慮もなく聞けるのがメールです。
ポポロはまた激しく頭を振りました。
「それは……。でも――だめなの――だめなのよ」
小さな少女は、何度も、だめということばを繰り返していました。あっという間にその瞳が涙でうるみ始めます。どうしてさ、と重ねて尋ねるメールには何も答えようとはしませんでした。
離れた道の上でそのやりとりを聞いていたルルは、やれやれと溜息をつきました。
「ホントにポポロったら意気地がないんだから」
とつぶやいてしまいます。犬は耳がよいので、遠くにいてもメールとポポロの会話はすっかり聞こえていたのでした。
まあ、失恋したばかりのポポロにフルートを強く勧めるメールもメールなのですが、ポポロだってもう少し前向きに考えてもいいと思うのです。ポポロは優しいフルートにも惹かれていて、ゼンとフルートのどちらにも心を決めかねていたのですから。
そうでなきゃフルートが思い切って告白すればいいのよ、とルルは考え続けました。ここでフルートが積極的に出れば、ポポロもためらいなんか捨てて、本格的にフルートを好きになっていくんだから。
フルートだって、ずっとポポロを想っていたのです。今がその気持ちを伝える絶好のチャンスなのですが――
「きっとやらないんでしょうねぇ、フルートは」
とルルは溜息まじりにまたつぶやきました。
優しい優しいフルートです。優しすぎて、相手の気持ちを思いやりすぎて、ポポロに対して何も行動を起こさないのだろうと予想がつきます。お互いに好きな気持ちを隠しながら、離れた場所で、そっと相手を見つめ続けるのです。
「ああもう――! 本当にじれったいんだから!」
ルルは思わず声を上げると、石畳の道を前足でかきむしってしまいました。
初冬の空から淡い日の光が降っていました。さっと冷たい風が吹き抜けて、霜枯れした道ばたの草を揺らしていきます。
ロムドはこれから厳しい冬に閉ざされます。皆が待ち望む暖かな春は、まだ遠い先のことなのでした。