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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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3.出発

 やがて、ゴーリスが一同に城へ戻ることを告げ、大人たちは引き上げの準備を始めました。馬車にのせるために武器や護具をまとめていきます。食卓は、落ちついた色のドレスの貴婦人が片付けます。ゴーリスの奥方のジュリアです。皇太子と占者が、体裁を気にすることもなくそれを手伝います。

 フルートとゼンは、そこから少し離れた場所にいました。

 皆からメールのことを冷やかされたゼンは、まだ赤い顔をしていました。怒ったような口調で弁解します。

「わかってんだよ。十五で婚約なんてのが早すぎるのは。だけど、約束しておかなかったら、あいつ短気起こして、本当に結婚しちまうかもしれねえんだもんな……」

 フルートは穏やかにうなずきました。親友をからかうようなことは一言も言いません。

 それを見て、ゼンもようやくいつもの顔色に戻りました。ちょっと照れたように笑ってから、こんなことを言い出します。

「今度はおまえの番だぞ、フルート。ポポロはおまえに任せたからな。がんばれよ」

 とたんに、フルートは真顔になりました。とまどったように目をそらしてしまいます。

 フルートは緑の宝石のような瞳のポポロが大好きでした。初めて会ったときから、ずっと想い続けてきたのです。けれども、親友のゼンも、やっぱりポポロを好きでした。ゼンはポポロとメールの二人の少女に心を惹かれて、ずっと、どちらとも決められずにいたのです。勇者の一行といっても、心は普通の少年少女と少しも変わらないところがたくさんあります。そこにゼンを想うメールも加わって、仲間内での複雑な四角関係が、もう一年以上も続いていたのでした。

 迷い続けた自分の気持ちに決着をつけて、ゼンは今は晴々とした顔をしていました。ためらう様子を見せる親友を肘で小突きます。

「今さら何を遠慮してやがる。もうなんの気兼ねもいらねえんだから、おまえもポポロに告白しちまえよ」

 すると、フルートは苦笑いでゼンを見ました。

「今はできないよ……。だって、ポポロは失恋したばかりなんだから」

 ゼンは目を丸くしました。

「失恋? いったい誰に」

 とたんにフルートは吹き出してしまいました。わけのわからない顔をしている親友の肩にもたれて、声をたてて笑います。

「ほんとに君は鈍いよな。――ポポロは君に失恋したんだよ、ゼン」

 

 は? とゼンはますます目を丸くしました。言われている意味がわかるにつれて、その顔がまた赤く染まっていきます。焦ったように、フルートにつかみかかってしまいます。

「ちょ、ちょっと待てよ――なんだそれ!? そんなの――全然知らなかったぞ!」

「本当に全然気がついてなかったの?」

 とフルートは聞き返しました。笑いながら友人を見る目は、その奥に優しい悲しさを秘めていました。

「ポポロはずっと、君のことを好きだったんだよ。たぶん、メールと同じくらいにね。ただ、ポポロはあの通り引っ込み思案だから、全然そんなことは口に出さなかったけどさ」

 ゼンは思わず髪をかきむしりました。赤い顔のまま言い続けます。

「ああ、確かに、デビルドラゴンたちにはそんなふうに言われたさ。でも、そんなもん、ただの誘惑だと思ってたから――。おい、マジかよ。本当にポポロは俺を――」

「本当だったらどうするの? メールからやっぱりポポロに乗り替える?」

 とフルートが聞き返しました。相変わらず笑顔ですが、はっとするほど鋭い響きがあります。いつもとても優しいくせに、意外な時に意外なほどはっきりとものを言うのがフルートです。

 ゼンは一瞬ことばに詰まり、すぐに苦い顔で答えました。

「抜かせ。できるかよ、そんなこと。メールに殺されちまわぁ」

 フルートはまた声を上げて笑いました。ゼンの肩を抱きます。

「君はほんとにいいヤツだよな、ゼン」

 ゼンは複雑な顔をしましたが、やがて溜息をひとつつくと、親友の肩を抱き返しました。

「それなら、なおさらだ。ポポロに告白してやれよ。ポポロだって、絶対におまえを嫌いじゃないぞ」

 フルートはまた穏やかな表情に戻りました。

「うん……そのうちにね……」

 そう言って遠くを眺めた顔は、淡く優しい微笑を揺らしていました。

 

 荷物をすっかり馬車に積み込むと、後にはただ、白い砂を敷き詰めた地面と、石の階段と高台だけが残りました。高台の上に、食卓代わりにしていたベッドがぽつんと残されています。闇の毒に倒れたゼンは、三日三晩その上で眠り続けたのです。

 感慨深い表情でそれを眺めていたジュリアに、夫のゴーリスが声をかけました。

「さあ、もう馬車に乗れ。ディーラに戻るぞ」

 あら、とジュリアは少しあわてました。

「女の子たちがまだ戻ってませんわ。ポチも。なのに、もう出発するんですの?」

「ああ。できるだけ早く戻れという陛下のご命令だからな。女の子たちなら心配ない。すぐに馬車に追いついてくるだろう。……これでやっとミーナの顔が見られるぞ」

 ゴーリスは妻を安心させるように、わざと娘の名前を口にしました。生後半年あまりになる二人の娘は、乳母と一緒にディーラの屋敷で待っているのです。

 ジュリアは思わず顔をほころばせると、そうですわね、と言って、馬車に乗り込んでいきました。

 フルートとゼンは、ゴーリスに言われて別の馬車に乗りました。メールたちが戻ったらそちらに乗り込めるように、他には誰も乗りません。

 ノームのピランは四人の魔法使いたちと一緒に、もう一台の馬車に乗り込んでいました。その馬車には壊れた魔法の護具も一緒に積み込んであります。鍛冶屋の長は護具から絶対に離れたくなかったのです。

 

 ジュリアが乗り込んだ馬車の前で、皇太子のオリバンがゴーリスに話しかけました。

「父上の迎えはいやに早かった。ディーラで何か起きているのかもしれんな」

「私もそれを案じていました、殿下」

 とゴーリスが考え込むように答えると、ユギルが焼け野原の景色を示して言いました。

「このハルマスには貴族たちの別荘がたくさん建っておりました。それがこの有り様です。とてもこのままではすまないことでしょう」

「それは占いの結果か?」

 と皇太子が聞き返すと、銀髪の占者は苦笑を返しました。

「いいえ。わたくしの心の目は、ポポロ様の光の魔法にくらんだままで、まだ少しも占うことができません。ただ、占うまでもなく予想が立つこともございます。ここに別荘を構えていた貴族の多くは、体面や家柄や財産を特に重んじる者たちでした。絶対に彼らが黙っているはずはないのです」

 やれやれ、と皇太子は溜息をつきました。

「父上やリーンズが頭を痛めている様子が目に浮かぶようだな。城に戻れば戻ったで、もう一波乱あるということか」

「王都には、一年前に宮廷を二分しての騒ぎが起きたときに、金の石の勇者殿に対立する立場を取っていた者が、まだ大勢くすぶっております。勇者殿と殿下が友人になり、陛下も殿下をご自分の跡継ぎとして正式にお認めになったので、ひとまず騒ぎは収まりましたが、それでも世界的に有名になっていく勇者殿を見て、いつか王座を奪うのではないかと危惧の念を抱く者は少なくないのです。勇者殿が活躍すること自体、快く思っていない者たちも大勢おります。このハルマスの有り様は、そんな不満分子に絶好の口実を与えてしまいます」

 ユギルの話に、オリバンは太い腕を組み、フルートが乗り込んだ馬車を見ました。

「相変わらずあいつには受難がついて回るな……。あいつはただ、闇を倒そうと必死になっているだけなのにな」

「真実は、見る目のないものには見えず、曇った目の者にもまた正しい姿では見えません。だからこそ、我々がお守りしなければならないのです。陛下も、それをお考えなのでしょう」

 占いができなくなっていても、占い師の声は厳かです。オリバンとゴーリスはすぐにうなずきました。

 

「よし、大至急城へ戻るぞ」

 とオリバンが馬車に乗り込みました。ユギルとゴーリスがすぐさまそれに続き、御者がぴしりと鞭を鳴らします。黒く焼けこげた大地に車輪がきしみ始めます。

 ロムドの王都ディーラへ。また新しい舞台の幕開けへ。三台の馬車は次々と走り出しました――。

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