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第8巻「薔薇色の姫君の戦い」

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2.馬車

 青空の下の食卓で、黒ずくめの服を着た、たくましい体つきの中年の男が、皆のグラスにワインをつぎ足していました。ゴーリスです。本名はアルバート・ゴーラントスと言って、身分ある大貴族なのですが、鋭い目つきといい隙のない身のこなしといい、貴族というより剣士という方が断然ふさわしく思えます。実際、ロムド城では一、二を争う剣豪で、金の石の勇者のフルートに戦い方を教えた剣の師匠でもありました。

 そのゴーリスが、ふとワイングラスから顔をあげました。目を細めるようにしてじっと地平線を眺め、やがて、静かに言います。

「ユギル殿、殿下」

 食卓に向かって座っていた二人の青年がすぐさま立ち上がって、ゴーリスの隣に来ました。長い輝く銀髪に灰色の長衣を着た痩せた青年と、それよりもう少し年若い大柄な青年です。

 銀髪の青年は浅黒い肌に、右が青、左が金の色違いの瞳をしていました。大柄な青年はけむるような暗灰色の髪をしていて、くすんだ銀色の鎧で身を包んでいます。二人ともとても整った顔立ちをしていますが、雰囲気はそれぞれ違っていました。銀髪の青年にはエルフと見まごうばかりの美しさが、大柄な青年には黙っていても威圧されるような堂々とした迫力があります。ロムド国一の占者ユギルと、ロムドの皇太子のオリバンでした。

 二人の青年はゴーリスが見ている方を一緒に眺めました。すぐにユギルが言います。

「意外に早く参りましたね」

 オリバンもうなずきます。

「間違いない。父上がよこした馬車だ」

 地平線のすぐ手前に、三台の馬車の影が小さく見えていました。一面の焼け野原をあてどもなく走っているように見えます。

「ハルマスがこんな様子だから、こちらを見つけられずにいるのだろうな」

 とゴーリスが言うと、それを聞きつけて、青い長衣を着た大男が立ち上がりました。ロムド城を守る四大魔法使いの一人の、青の魔法使いです。

「どれ、ここに呼びましょう。私にお任せを」

 と太いこぶだらけの杖を高くかざします。色違いの衣に身を包んだ三人の魔法使いたちがそれを見守ります。黒い肌に猫のような金の瞳の赤の魔法使い、胸に神の象徴を下げた中年女性の白の魔法使い、年老いた顔の中で意外なほど強い眼光を放っている深緑の魔法使いです。

 こぶだらけの杖から青い光が空を駆け上っていきました。青空の真ん中で破裂して、まぶしく輝きます。それに気がついた馬車が、向きを変えてこちらへ走り出します。

 

「もうお迎えが来たのかね。城のお使いが様子を見に来たのは昨日の午後だったから、どんなに早くても今日の昼過ぎだろうと思っとったのに」

 と言ったのは、身の丈わずか六十センチほどの老人でした。隣国エスタ王に仕えるノームの鍛冶屋の長のピランです。体こそ小さいのですが、魔法の道具や防具を作り出す名人で、魔王相手の攻防戦では光の護具を強化してその腕前を発揮しました。フルートの金の鎧を作り、ゼンの青い胸当てを強化したのもこの老人です。

 その声を子どもたちも聞きつけました。

「お、なんだ、ロムド王が迎えをよこしたのか? まぁた城に行かなくちゃいけねえのかよ」

 とゼンが顔をしかめます。ロムド王は寛大な人物なので好きなのですが、城にいる鼻持ちならない貴族たちが大嫌いだったのです。

 すると、フルートが穏やかにたしなめました。

「行かなくちゃいけないさ。陛下には本当にお世話になったんだから。ここにいるオリバンやユギルさんだって、四人の魔法使いの皆さんだって、陛下が君を助けるためにここによこしてくださったんだよ」

「光の護具を貸してくれたのもロムド王じゃぞ。あれはロムド城を守るための重要な道具だったんじゃ」

 とノームのピランが口をはさみます。ポチが首をかしげました。

「ワン、光の護具って、あれですか? 壊れちゃってるみたいだけど」

 彼らのいる場所の近くに、先端に丸い玉のついた四本の棒のようなものがまとめて置かれていました。ほとんどが途中で折れたり曲がったりしています。

 ポポロがうなずきました。

「無事なのは一本だけよ……。それであたしの光の魔法を増幅して、魔王の黒い魔法を防ぐことができたの」

「我々をよく守ってくれた護具だったな。だが、父上はともかく、城の重臣たちは皆、真っ青になるだろう。城の守りの要(かなめ)があんなになってしまったのだからな」

 と皇太子のオリバンが難しい顔をして腕組みします。

 すると、ピランは楽しそうに笑い出しました。

「なんの。あんな素晴らしい道具を壊れたままになぞしておくもんかね。直してやるともよ。それも、以前より丈夫なくらいにな。わしが強化した分の能力も、そのままそっくり再現してみせるぞ。ロムド城の護具は中央大陸一強固な守りになるわい」

「よいのか、エスタ国の鍛冶屋の長殿。自分が仕えてもいない、よその国の守りにそんなに肩入れをして。自分の国に戻ったときに、王からとがめられるのではないか?」

 ロムドの皇太子は生真面目な人柄です。ピランが護具を修理すると言ってくれるのはありがたくても、思わずそう聞き返さずにはいられませんでした。

 すると、ピランは今度は鼻で笑いました。

「わしはノームじゃぞ。縁あってエスタ王に仕えてはおるが、エスタ王の命令に服従しているわけじゃあない。王に頼まれて、王たちの道具を鍛えてやっているだけだ。わしはいつだって、わしが鍛えたいものを鍛え、作りたいものを作っとるんだ。わしが何を作ろうが何を直そうが、誰にも口出しはさせんぞ」

 自分の仕事に絶対の自信とプライドを持った名工らしいことばでした。

 

 三台の馬車が到着しました。ゴーリスとオリバンとユギルが、出迎えに行って話を始めます。

 どうやら間もなくロムド城へ行くことになりそうだと察して、少年たちはあわてて朝食の続きを始めました。彼らは、体は小さくともれっきとした戦士です。戦士は決して食事をおろそかにしないのでした。

 そんな少年たちと馬車を交互に見ていたメールが、ふいに、あ、と声を上げて周囲を見回しました。そこはゴーリスの別荘の中庭があった場所で、戦いが起きるまでは、たくさんの木々が梢を広げ、小道や東屋(あずまや)が整備された美しい庭園でした。今は何もかも消え去って、ただ東屋の跡を示す高台と、庭のはずれを示す数本の木が細々と残っているだけです。代わりに、一面にユリに似た白い花が咲き乱れていました。守りの花と呼ばれる聖なる花で、魔王や闇の怪物との決戦では、花使いのメールの強力な武器になってくれたのです。

「この子たちをデセラール山に帰してやらなくちゃ。あたいたちのために本当によく戦ってくれたんだもの、元咲いていた場所に戻してやって、休ませてやらなくちゃね。――ルル、あたいと一緒に来てくれるかい? 行きは花鳥を作って乗っていけるから、帰りにあたいを乗せてほしいんだ」

「ええ、いいわよ。あなたと一緒に花を連れに行ったから、花が咲いていた場所もわかるし」

 とルルが即座に答えます。その首のまわりでは、風の犬に変身できる魔法の首輪が光っています。

 

 すると、大きなチーズの塊をほおばっていたゼンが、急いでそれを飲み下しながら言いました。

「おまえらだけで大丈夫かよ。一緒についっていってやろうか?」

 と、もう席から立ち上がっています。

 メールは思わず笑い出しました。

「なに言ってんのさ、ゼン。ただ山に花を返しに行くだけだよ。魔王だってもういないんだし、どんな危険なことがあるっていうのさ」

 けれども、ゼンは本当に心配そうな表情をしています。それを見て、ルルが、あら、という顔をしました。

「なぁに、ゼン。ずいぶんメールを心配してるのね。だいたい、初めてじゃなぁい? メールに、ついていってあげようか、なんて言うの。急にどうしちゃったのよ?」

 とたんに、ゼンはうろたえ、メールもぱっと顔を赤くしました。いつもすかさず言い返してくる二人が、どちらもことばに詰まっているので、ルルはますます目を丸くしました。

「なぁになぁに。どうしちゃったの、二人とも? なんだか怪しいわねぇ」

「ば、馬鹿! 何が怪しいってんだよ!?」

 とゼンがどなり返せば、メールもむきになって言います。

「そうだよ、ルル! 変なこと言わないどくれよ! あたいたちは別になんにもないんだから――」

「あら、何かあっただろう、なんて全然言ってないわよ。なのにそんなこと言うなんて、ますます怪しいわねぇ。白状しなさい。何があったのよ?」

「なんにもねえったら!!」

 そこへ、突然ポチが口をはさんできました。鼻をひくひくさせながら言います。

「ワン、ないはずはないですよ。ゼンもメールも、さっきからずうっと、すごく幸せそうな匂いをさせてる。喧嘩してるようでも、ものすごく嬉しそうなんだもの。絶対なにかあったんだ」

 この子犬は人の感情を匂いでかぎ取ることができるのです。ゼンとメールはますます赤くなりました。おしゃべりな二人が、そろって何も言えなくなっています。

 

 それを見て、とうとうフルートが吹き出しました。

「ゼンとメールは約束したんだよ。お互いにあと三年間待つ、って」

「あ、この野郎! なんでそれを知ってんだよ! さては立ち聞きしてやがったな!?」

 ゼンがフルートにつかみかかりました。その顔は耳の先まで真っ赤です。フルートは笑いながら言いました。

「いいじゃないか。君はメールの婚約者に勝ったんだから、実際のところ、今度は君がメールの婚約者なんだ。なにもそれをごまかしている必要なんかないじゃないか」

 フルートが言っているのは、黄泉の門の戦いが解決した後に起きた、もう一つの戦いのことでした。ゼンはメールの婚約者のアルバと、メールをめぐって決闘したのです。

 メールたち海の民は十四歳で大人の仲間入りをして結婚できるようになります。メールも十四になったので、いとこに当たる東の大海の王子と婚約したのですが、本当は、メールはずっとゼンが好きだったのです。ゼンの方もメールに心惹かれていました。毒虫のワジに刺されて黄泉の門まで下ったり、魔王と死闘を繰り広げたりと、紆余曲折はありましたが、ゼンは最後にメールの婚約者を討ち破り、とうとうメールを取り戻したのです。ついさっきの出来事でした。

 けれども、ゼンたちドワーフの男は十八の歳にならなければ結婚することはできません。ゼンは間もなく十五歳です。あと三年間待て、とゼンはメールにこっそり告げていたのでした。

 きゃあ! とルルが歓声を上げ、ポチがワンワンと高く吠えました。

「やったぁ、ゼン! とうとう本当に決めたんだぁ!」

「よかったわねぇ、メール! こんな鈍感男に約束させたなんて偉いわ! メールがこんなに想い続けてるのに、ゼンったら全然気がつかないんだもの。見ていて本当にじれったかったわよ!」

 ルルのことばに、今度はメールが耳まで赤くなりました。てめえら、いい加減にしろ! とゼンがとうとう拳を握ります。照れた顔は、どこも真っ赤に染まっていました。

「きゃ、大変。ゼンが怒ったわ。行きましょ、メール。花を山に戻してあげなくちゃ」

 ルルが笑いながら風の犬に変身して、背中にメールをすくい上げました。拳を振り回すゼンから、さっと身をかわして空に飛び上がります。

 

 すると、ずっと黙ってやりとりを見ていたポポロが、ふいに手を伸ばしました。

「あたしも――。あたしも一緒に行くわ、メール、ルル!」

 ポポロは笑っていました。緑の宝石のような瞳を大きく見開いて、青空の中で日に照らされているメールを見上げています。何故だか、今にも泣き出しそうに見える笑顔でした。

 シュン、と音を立てて、子犬のポチも風の犬に変身しました。幻の竜のような白い体を、ポポロの前に長々と伸ばして言います。

「ポポロはぼくに乗って。ルルに二人も乗ったら、ルルも重いだろうから」

 と、いたわるような口調で言います。ポポロは、にこりとほほえむと、すぐにポチの背中に乗りました。空に舞い上がって、メールが乗ったルルに並びます。

 メールが空から一面の花畑に呼びかけました。

「おいで、守りの花たち! あんたたちの家に帰るよ――!」

 ざあっと土砂降りの雨のような音がわき起こり、庭中から白い花たちが飛び上がってきました。細く長い茎を絡ませ合いながらひとかたまりになり、風の犬に乗った少女たちの後について、東にそびえるデセラール山目ざして空を移動し始めます。それは、白い異国の竜の後を、白と緑の巨大な大蛇が追いかけていくように見えました。

 花が去った後の地面は、一面に白い砂におおわれていました。そこに残された人々が、空を飛んでいく少女たちを見送ります。

 フルートとゼンも、後に残って見送っていました。ゼンの顔は、まだ真っ赤なままでした――。

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