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第7巻「黄泉の門の戦い」

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101.婚約者

 婚約指輪をどうしたのかと聞かれて、メールはうろたえていました。何もはめていない左手の指を、アルバの目から隠すように握りしめてしまいます。

 すると、足下から子犬の姿のポチがワン、と吠えました。

「あの、それは……ぼくたちがなくしてしまったんです……」

 おずおずとそう言います。アルバは目を見張りました。

「なくしてしまった?」

 メールがあわてて言いました。

「フルートたちに貸したんだよ! ゼンを助けるために行かなくちゃいけなかったから! 海の指輪がどうしても必要だったんだよ!」

「ワン。砂漠の中で川に流されたとき、指輪も流されて見えなくなっちゃったんです。探したんだけど見つからなくて……」

 アルバはメールを見ました。非難する目ではありませんでしたが、驚いたような顔をしていました。メールが必死で言い続けます。

「しょ、しょうがないじゃないか! 海の指輪は王家の宝だけどさ、人の命の方がもっと大事なんだよ! フルートたちを助けられたんだから、それでいいじゃないのさ!」

 

 すると、アルバはメールの手を取りました。右手で握りしめている左手を見つめ、それから、静かに言います。

「指輪を呼んでごらん、メール」

「呼ぶ?」

 メールが驚くと、アルバは続けました。

「あの指輪は魔法の指輪だ。持ち主が呼びかけると、どこにあっても持ち主の手に戻ってくるんだよ。呼んでごらん、メール」

 促されて、メールは左手を放しました。とまどいながら呼びかけてみます。

「指輪――海の指輪――」

 けれども、指に青い指輪は戻ってきませんでした。メールはもう一度、もう少し大きな声で呼んでみました。

「指輪。あたいの所へ戻っておいで」

 やっぱり指輪は現れません。メールは完全にとまどって婚約者を見上げました。

 海の王子は、まるでメールの体の向こう側まで見通そうとしているように、じっと見つめていました。思わずどぎまぎする少女に、こう言います。

「あの指輪は代々、海王が自分の婚約者に与えるんだよ。父上が母上と婚約したときにも使われた。海王の后になる約束の印なんだ。でも、メールが呼んでも指輪は戻ってこなかった」

 メールは、はっとしました。思わず一歩後ずさってしまいます。

 すると、アルバが言いました。

「指輪よ、戻れ!」

 とたんに、青年の手の中に指輪が現れました。青い美しい石を削って作った小さな指輪――海の指輪です。メールも他の子どもたちもびっくりしました。

 指輪をかざしながら、青年はひとりごとのように言い続けました。

「指輪はメールを持ち主と認めていなかった……か。これはどういうことだろうな?」

 

 その時、中庭に声が響きました。少ししゃがれた少年の声です。

「おい、アルバ! メールは行かせねえぞ! そいつは俺たちの仲間だ! これからも魔王やデビルドラゴンと戦うのに、ずっと一緒にいなくちゃならねえんだ! ――おまえと結婚なんかさせるか! 俺と勝負しろ!」

 ゼンが東屋の低い階段の上に立っていました。いつの間にか青い胸当てを身につけ、背中にはエルフの弓と矢筒、腰にはショートソードと青い丸い盾を装備しています。

 それを見て、海の王子は、なるほど、とつぶやきました。

「そういうことだったのか」

 とまたメールを見つめます。メールはすっかりうろたえてしまって、ゼンとアルバを見比べていました。何をどう言ったらいいのか、自分がどうしたらいいのか、本当にわかりません。自分でも気がつかないうちに、顔が真っ赤に染まっていきます――。

 すると、アルバが言いました。

「彼も渦王の三つの城門の試験を看破して、コロシアムまでたどりついたんだったね。それなら、ぼくと立場はまったく同じだ。彼とぼくで勝負して、勝った方が君を自分のものにすることができるわけだ」

 メールは今度は顔色を変えました。あわてて青年を引き止めます。

「ちょっと……やめなよ! 本気でゼンと戦う気? あいつは魔法なんか使えないんだよ! 戦いにならないじゃないか!」

「だが、勝負を挑んでいるのは彼だ」

 とアルバが答えました。その顔には微笑が浮かんでいました。――それまでの穏やかな表情とはうって変わった、好戦的な笑い顔でした。

「君は忘れているよ、メール。どんなに優しく見えたって、ぼくは海の民だ。自分の婚約者を他の男によこせと言われて、はいそうですか、とおとなしく渡すような男じゃないんだよ」

 メールはまた真っ赤になり、次の瞬間、真っ青になりました。アルバは海王の息子です。海王や自分の父の渦王と同じように、強大な海の魔法が使えるのです。いくらゼンが怪力で魔法の弓矢を持っていても、太刀打ちできるとは思えませんでした。ゼン、馬鹿な真似はよしな! と叫ぼうとします――。

 

 すると、青年がメールの細い顎をつかみました。顔を上向かせて、メールの唇を唇でふさいでしまいます。

 きゃ! とそれを見ていたポポロとルルが思わず悲鳴を上げました。ポチは目を丸くします。ちょうど庭のはずれから戻ってきたフルートとオリバンも、驚いて立ち止まってしまいます。

 アルバはメールから唇を離すと、真っ赤になっている少女に言いました。

「どうしてそんなに驚くの? 婚約者にキスするのが、そんなにおかしなことかい?」

「だ、だからって、こんなみんなの前で……それに、今までは……」

 メールは言いかけて、声を詰まらせました。思わず泣き出しそうになりながら、またゼンを振り向いてしまいます。

 ゼンは真っ青でした。どなることもなく、ごく低い声で言います。

「上等じゃねえか、この野郎」

 最大級に腹を立てている証拠です。背中からエルフの弓を外して矢をつがえます。アルバも黙って笑いながら片手を上げます。魔法を使う構えです。

 メールは完全に顔色を変え、ずっと彼らを見ていた大人たちに駆け寄りました。

「やめさせて! ねえ、二人を止めてよ! アルバは次の海王なんだよ! ゼンがかなうわけないじゃないか!」

「さて、それはどうかな」

 とゴーリスが答えました。腕組みしたまま動こうとしません。ユギルも静かに言いました。

「ここでお止めしても、ゼン殿も海の王子も決して止まらないでしょう。やらせてみるしかありません」

「これは面白いことになってきた。わしが強化した胸当ての力を実戦で確かめられるぞ」

 ピランは嬉しそうに手をこすり合わせています。四人の魔法使いたちも黙って見ているだけです。

 そんな、とメールはまた泣き出しそうになりました。

「だめだよ、ゼン! アルバに殺されちゃうよ!!」

 とたんにゼンが振り向いてどなりました。

「馬鹿野郎! あんまり俺を見損なうな!」

「行くぞ、ゼン――!」

 とアルバが手を上げたまま言いました。ゼンも向き直って答えます。

「おう! こっちこそ行くぜ!」

 人々が見守る中、矢が弓弦を離れ、魔法が手から打ち出されました――。

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