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第7巻「黄泉の門の戦い」

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100.説得

 「さあ行こう、メール」

 とアルバが言ってメールの肩に手をかけました。海の王子は背が高くて細身ですが、トーガから伸びた腕は意外なほど筋肉質でたくましく見えます。

 メールは素直にうなずきました。ほほえむような顔のまま、仲間たちを振り返ります。

「急な話でごめんね、みんな。でも、ホントに父上たちを怒らせると、ものすごいことになっちゃうんだ。海王や海の王妃も、普段は穏やかだけど怒ると怖いからね。被害が出る前に止めなくちゃ。後で正式に結婚式の招待状を送るからね。みんなきっと出席しとくれよ――」

 話しながら、メールは遠くへ視線を向けていました。ゼンが走っていくのが見えます。それをフルートが追っています。メールは目を細めました。瞳の奥に、遠ざかる少年の後ろ姿を焼き付けようとします――。

 

 すると、いきなり誰かがぎゅっとメールに抱きついてきました。びっくりして我に返ったメールの目の前に、ポポロがいました。メールの細い体にしがみつき、緑の宝石のような瞳でじっと見上げてきます。

「だめよ、メール」

 とポポロは言いました。普段、あれほど引っ込み思案なのに、驚くくらいはっきりした口調です。

「行っちゃだめ。行ったら、メールは後悔するわ。絶対に一生後悔する。だから、行っちゃだめよ」

 メールは思わずまたうろたえました。ポポロにとって、メールは同じ少年を巡る恋敵です。メールが海へ戻ってアルバと結婚すれば、その少年はポポロを選ぶかもしれないのに――それなのに、彼女は本気でメールを止めていました。宝石の瞳は真剣そのものです。

 すると、犬の姿に戻ったルルも、足下に来て話しかけてきました。

「ポポロの言う通りよ、メール。ジュリアさんが言っていたでしょう? 自分に嘘はつけないんだ、って。一生自分をだまして生きるのは、一生待ち続けるよりもつらいのかもしれないのよ。そんな生き方をするつもり? メール」

 メールはまた何も言えなくなりました。なんだか、胸に迫ってくるものがあります。見ないように、考えないようにしていた何かが、次第にふくれて姿を現そうとしていました。あわてて目をそらします。

 すると、アルバがポポロとルルを見下ろしながら、不思議そうに言いました。

「君たちは何の話をしているのかな? メールは海の王女で、間もなくぼくの后になる人だ。海のすることには、天空の民の貴族だって口を出すことはできないんだよ」

 アルバは勇者の一向に会うのは初めてです。ですが、今までメールがさんざん仲間たちの話を聞かせていたので、どの子どもが誰なのか、どういう人物なのか、彼には一目でわかったのでした。

 ポポロは必死の表情で言い続けました。

「天空の民だから口をはさんでいるんじゃないわ。メールの友達だから言っているのよ。だってメールは――メールが本当に好きな人は――」

「ポポロ!」

 メールが鋭くさえぎりました。怖いくらいの顔で首を振って見せます。ポポロは思わず声が出なくなってしまいました。

 すると、メールは一瞬で表情を変えて、優しくほほえみかけてきました。

「ありがと、ポポロ。でもね、もういいんだよ。ゼンは助かって黄泉の門の前から帰ってきた。あたいはそれでもう充分なんだよ」

「メール!!」

 ポポロとルルは同時に叫びました。ポポロの瞳に涙があふれてきます。

 その時、アルバがふと気がついたように言いました。

「指輪は、メール? 海の指輪が見あたらないね」

 メールは、はっとすると、婚約指輪がなくなっている左手の指を握りしめました――。

 

 ゼンは走り続けました。メールとその婚約者がいる場所とは正反対の庭の端までたどりつくと、そこで立ち止まります。目の前はもう焼けた地面が広がる荒野で、身を隠すものは何もありません。庭のはずれに立つ細い木の陰に飛び込むと、木の幹と梢でメールたちの姿を視界から消します。

 そこへフルートが追いついてきました。

「ゼン!」

 と呼びかけながら前に回ってきます。ゼンは顔をそむけました。

「何やってるのさ、ゼン! あのまま放っておくつもりかい? 早く行けよ!」

 フルートに言われても、ゼンはかたくなに目をそらすだけです。口の中で何かをつぶやきます。

「え、何さ?」

 フルートが聞き返すと、ゼンは不機嫌そのものの表情になって言いました。

「理想通りなんだよ」

 フルートは目を丸くしました。意味がわかりません。

 すると、ゼンは吐き出すように続けました。

「あいつの理想通りなんだよ! あのアルバってヤツ! 自分より背が高い男が理想なんだ、って前に言ってたんだ! あいつ、強くて優しいヤツが好きだしな。本当に、完璧にあいつの理想通りなんだよ――!」

 フルートは呆気にとられてしまいました。普段、ふてぶてしいくらい自分に自信を持っているゼンのことばとは、とても思えません。本気で言ってるのかい? と思わず聞き返すと、ゼンはどなり続けました。

「あいつは自分から海に帰るって言ったんだ! あいつは海の民だ! そして、俺はドワーフだ! いくら人間の血が入っていたって、背が高くなんてなれるわけがない。あいつが海の民として生きるって言ってんなら、俺にはそれを止めることなんかできないじゃねえか!」

「ゼン――」

 フルートは思わず友人を見つめてしまいました。背の高さを気にしているようでいて、実は別のことを言っているのだとわかったのです。種族の違い。身分の違い。そんなものをまったく気にしなかったゼンだったのに、どこからどこまでメールにふさわしいアルバを見て、嫌でも現実に気づかされてしまったのです。

 ゼンは怒ったように目を伏せ続けています。

「俺はドワーフだよ。北の峰から絶対に離れられねえ。北の峰は俺の生きる場所だからな。同じように、あいつは海の王女だ。将来は西の大海の女王になる。あいつだって海は捨てられないはずなんだよ。――俺たちには、それぞれ役目がある。メールの役目は女王になることだ。前にそう言ったのはおまえだぞ、フルート」

 フルートは思わず何も言えなくなりました。そうです。この戦いが始まる夜、確かにフルートはゼンにそう言いました。言いましたが、でも……

 

 フルートはゼンを見つめ続けました。そっと問いかけます。

「そうやって海の女王になって……メールは幸せになれると思うかい?」

 ゼンが、どきりとしたように顔を上げました。それへたたみかけるように、フルートは続けます。

「メールが勇者の一向になるより海の女王になることを選ぶなら、それもいいかも、って確かに言ったよ。だけど、それはメールが幸せになれるなら、って話だ。闇の毒に君が倒れてからどれくらいメールが悲しんだか、君は知ってる? ぼくはメールに女王になってもらいたいわけじゃない。メールに幸せになってもらいたいんだよ。いつでも心から笑っていてほしいんだ」

 ゼンは唇をかみました。木に寄りかかったまま、とまどうように、また目をそらします。ゼン! とフルートが呼びかけても、動こうとしません――。

 

 すると、木立の後ろから急に低い声が話しかけてきました。

「私は見過ごすわけにはいかないな。どう見ても、メールはあの婚約者と結婚したいようには思えん。意に沿わない結婚をするなど、メールらしくないことだ」

 オリバンでした。いぶし銀の鎧姿で木立の後ろから現れ、二人の少年を見下ろします。ゼンはオリバンからも目をそらしました。

 オリバンは太い腕を組みました。まったく動こうとしないゼンに、ふむ、とつぶやきます。

「ゼンはそういうつもりか。では、私がやらせてもらうことにするかな。一応遠慮していたのだが」

「やらせてもらうって……何を?」

 とフルートが尋ねます。

「決闘だ。あのアルバという海の王子とな。聞けば、誰より強い男がメールの結婚相手になれるという話ではないか。あのアルバと戦って勝てば、メールはアルバと結婚せずにすむだろう」

 少年たちは驚きました。ゼンが思わず声を上げます。

「オリバン、おまえ言ってる意味がわかってんのか!? あいつと決闘するってのは、メールの結婚相手に名乗りを上げるってことなんだぞ!?」

「いけないか? 私はまだ独り身だ。メールを妻に迎えても別に問題はない」

 ゼンはぽかんとしました。オリバンの大真面目な顔を見つめてしまいます。

「おい……あんなはねっかえりの鬼姫を未来のロムド王妃にしようってのか? 絶対無理だぞ」

「おてんばでも、彼女はかわいい。私は気に入っているぞ」

 オリバンはどこまでも平然としています。

 ゼンは思わず絶句しました。その顔が、みるみる赤く染まっていきます。腹を立てたのです。

 いつの間にか握りしめていた拳を震わせて、ゼンはわめきました。

「ったく、どいつもこいつも――いいかげんにしやがれ!! 女王だの后だのって、あいつがそんなもんになるもんか! あいつは勇者なんだよ! 一緒にデビルドラゴンを倒す、俺たちの仲間なんだ!!」

 そう言うなり、木陰から飛び出し、またメールたちのいる方へと駆け戻っていきます。

 

 フルートは、やれやれ、と肩をすくめると、皇太子に笑いかけました。

「アルバと決闘するだなんて、よく思いつきましたね、オリバン。すごい機転だ」

 ところが、オリバンは生真面目な顔のまま答えました。

「機転ではない。本気で言っただけだ」

 フルートは目を丸くしてしまいました。思わず何も言えなくなります。

 オリバンは太い腕を組んだまま、駆けていくゼンの後ろ姿を見送りました。憮然としてつぶやきます。

「せっかく譲ったのだ。絶対に勝てよ、ゼン」

 すっかり平和に戻ったように見えるハルマスに、最後の波乱が訪れていました――。

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