守りの花が咲き乱れる中庭で、フルートとゼンは抱き合っていました。いつしか涙はまた笑顔に変わっています。
見守る人々の中から、メールが話しかけました。
「ねえ、フルート、アリアンとグーリーに送られてきたんだろ? アリアンたちは一緒に来なかったのかい?」
魔女が去ったために、今まで深い闇に包まれていた東の様子が、また見通せるようになっていました。ポポロは、フルートとポチがグーリーの背に乗って帰ってくる様子を魔法使いの目で見て、全員にそれを知らせていたのでした。
ようやくゼンを放したフルートが、穏やかに答えました。
「うん。彼らは闇のものたちだから、金の石がある場所には来ることができないんだよ。みんなに、くれぐれもよろしく、って言ってた」
言いながら、フルートはアリアンとグーリーを思い浮かべました。長い黒髪に赤い瞳の闇の少女、黒い翼と体の闇のグリフィン。彼らにとって、聖なる金の石の光は猛毒と同じなので、この場に一緒にいるわけにはいきません。ですが、それでも彼らはやっぱりフルートたちの仲間でした。遠い北の大地で消えていった小さなロキが、この世に残していってくれたつながりです。
すると、ゼンが自分の首の鎖を引っ張りました。
「それこそ、これをおまえに返さねえとな」
と服の内側から金の石を取り出します。闇の毒に倒れている間、ずっとゼンの首にあって、命を守り続けてくれたペンダントでした。
フルートはいっそう笑顔になりました。
「金の石の精霊は?」
「ここに戻ってから少しの間は俺の前に姿を見せてたけどな、みんながあまりひどい怪我をしてるんで金の石に治させようとしたら、働かせすぎだ、って怒ってひっこんじまった。まあ、ちゃんと怪我は治してくれたけどよ」
それを聞いて、フルートは本当に笑ってしまいました。金の石の精霊は人に見られたがりません。怒ったふりをしながら、人前から姿を消していったのでしょう。
ゼンがペンダントをフルートに渡しながら言いました。
「そら、フルートだぞ、金の石。これで安心しただろうが。――ホントに心配してたぞ、こいつ。おまえから離れているんで、気が気じゃないみたいだった」
すると、ペンダントの先で金の石が一瞬明滅しました。「そんなことあるか!」と金の石が言い返してきたように見えて、少年たちは思わず吹き出してしまいました。フルートが、しっかりとペンダントを受け取ります。手のひらにおさまった金の石は、何故か、ほのかに暖かく感じられました。
「ありがとう、金の石。本当にありがとう……」
何度礼を言っても、感謝の気持ちは尽きません。フルートが鎖を首にかけると、金の石は鎧の上で穏やかに光り始めました。
すると、ゴーリスがフルートに話しかけてきました。
「ちょうど朝飯を食っていたところだ。おまえたちも一緒に食べるといい」
大貴族だというのに、ゴーリスは本当に気さくな話し方をします。フルートとポチは歓声を上げました。帰りを急いでいたので、ずっと食事もせずに来たのです。考えてみれば、もう丸一日以上まともに飲み食いしていませんでした。
「そりゃダメだ、フルート。まずは食えだぞ。俺なんて、目を覚ましてから食べるのに忙しくてよ」
と言うゼンに、メールが口をはさみます。
「あんたのは食べ過ぎ。いいかげんにしておかないと、ホントにお腹こわすよ」
「ちぇ。俺の胃袋がそんなにヤワだと思うか」
軽口をたたき合うゼンとメールの足下では、二匹の犬たちが話していました。
「ねえちょっと、ポチ、さっき気になることを言ってたんじゃない? 人間にされちゃったって、どういうこと? あなたの姿は一時期ユギルさんの占盤からも消えてたのよ。いったい何があったのよ」
「ワン、え、ええと……」
とポチが口ごもります。自分が人間の姿にされていたことは、あまり知られたくないのです。特に、ルルには――。
賑やかに話し合う子どもたちを中心に、人々はまた食卓に戻っていこうとしました。朝の風が庭の中を吹き渡っていきます。
その時、一人みんなの後からついてきていたポポロが、ぎょっとしたように振り返りました。東の方角です。朝の太陽の下で、リーリス湖が青く輝いていました。
「誰か湖から来るわ……! 知らない人よ!」
「湖から?」
人々の間をいっせいに緊張が走りました。ハルマスは今、魔女の黒い魔法で焼け野原になっています。そこに人が姿を現すこと自体、ただごとではありませんでした。
人々の前に飛び出してきたのは皇太子のオリバンでした。激戦にも壊れずに残った聖なる剣を構えます。そこにフルートも並びました。こちらは炎の剣を構えています。ゼンも背負っていたエルフの弓を下ろして矢をつがえます。
「へへ……なんか久しぶりだぞ、この手応え」
こんな場面なのに、ゼンは弓弦を引き絞って嬉しそうにつぶやきました。
フルートが緊張しながら言いました。
「ぼくはたくさんの闇の怪物に狙われてきました……。シェンラン山脈で全部倒してきたつもりだったけど、まだ生き残って追いかけてきた奴がいたのかもしれません」
その後ろでは、メールがもう両手を高く上げて、花に呼びかけようとしていました。ポチとルルも風の犬に変身します。四人の魔法使いたちも、手にしていた杖を掲げます。
その様子に、ピランが言いました。
「フルメンバーだのう。たとえ魔王でも、これに勝つのは難しいと思うぞ」
なんだか面白がっているような声です。
すると、ポポロが指さしました。
「来たわ! あれよ――!」
朝日を後ろから浴びながら、彼らに向かってゆっくり近づいてくる人影がありました。背の高い男です。その姿が次第にはっきりしてきます。
と、メールがふいに両手を下ろしました。ぽかん、と男を眺め、やがて声を上げました。
「アルバ!」
フルートたちは一瞬誰のことかわからなくて驚き、すぐに、メールの婚約者の名前なのだと思い出しました。ゼンが顔色を変えます。
メールは走り出しました。守りの花が咲く中庭のはずれまで行ったとき、ちょうど、やってきた人物と出会いました。青いトーガに身を包んだ穏やかそうな青年で、青い髪とひげをしています。
「やあ、メール。君の帰りがあまり遅いから迎えに来たよ。」
と話しかける声も、見た目に劣らず穏やかです。メールはうろたえました。
「あ……あたい……」
「二日で帰る約束だったのに、もう五日目だからね。君がいないから、結婚式の準備が進まなくて、城中みんながイライラしているよ。友達と会えて嬉しいのはわかるんだけど、そろそろ帰ってきてくれないかな」
メールは思わず振り返りました。すぐ近くまでフルートやポポロや犬たちが駆けつけてきて、驚いたように海の王子を見ていました。ゼンは――
ゼンは、さっきの所に立ったまま、青ざめた顔でこちらを見ていました。遠い場所です。
メールはうろたえたまま、また婚約者に目を戻しました。思わずしどろもどろで弁解します。
「も……戻れなかったんだよ……。ゼ、ゼンが、死にかけてたから……」
「ゼンが?」
アルバは深い青い目を遠くに立っている少年に向けました。とたんに、ゼンは後ずさりました。メールとの距離がさらに開きます。
それを少しの間眺めてから、青年はまた穏やかにほほえみました。
「今はもう元気そうだね」
メールは何も言えなくなりました。もう一度振り返り、人々がじっと自分を見ているのに気がついて、あわててまた前に向き直ります。
そんなメールにアルバは優しく話しかけました。
「もう彼は大丈夫なんだろう? 城へ帰ろう。結婚式までは、あと三ヶ月しかないよ。毎日準備と予定がぎっしりだ。早く帰らないと、父上も母上も、君の父上も大爆発してしまう。海の王たちが一度に怒り出したら、それこそ世界中の海が大嵐になるよ」
冗談めかした口調の陰に、ちらりと本当に心配するような響きがのぞきました。海の王族は気性が激しい上に、海に直接影響を及ぼすほどの魔力を持っているのです。
メールは目を伏せました。少しの間そのままじっと足下の花を見つめ、やがて、また顔を上げます。その表情は静かな決心を浮かべていました。
「うん、わかった。帰ろう、アルバ」
仲間の子どもたちは驚いて立ちすくみました。メールを止めようと思ったのですが、彼女があまり落ちついた表情をしているので、声が出なくなってしまいます。すると、メールが静かに続けました。
「そんな大嵐、呼ぶわけにはいかないよ。ものすごい被害が出ちゃう。早く帰って、父上たちをなだめなくちゃ」
ほほえみさえ浮かべてアルバを見上げます。
とたんに、ゼンが背中を向けて走り出しました。その場を離れていきます。
「ゼン!」
とフルートは後を追いました。他の者たちも思わずそちらを見ます。
けれども、メールはもう振り返りませんでした。婚約者を見上げてほほえむ少女は、悲しいくらい美しい海の王族の顔をしていました――。