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第7巻「黄泉の門の戦い」

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第24章 帰還

95.目覚め

 魔女は去りました。幽霊になったタウルに抱かれて黄泉の門をくぐり、死者の国へ行ったのです。黄泉の門ももう彼らの前から消えていました。ただ、死者の国からの風でめちゃくちゃになった部屋が広がっているだけです。

 フルートは床の上に座りこんでいました。もう少しでレィミ・ノワールに道連れにされて、死者の国へ連れて行かれるところでした。さすがにすぐには立ち上がれません。

 すると、ふいにゼンもその場にへたりこみました。こちらは半ば透き通った魂だけの姿です。

 同じ幽霊の姿のランジュールが口を開きました。

「思いがけない結末、ってヤツだよねぇ。まさか魔女があんな終わり方をするなんて、思ってもいなかったなぁ」

「俺はいいことばを知ってるぞ」

 とゼンがうなるように答えました。

「自業自得、ってやつだ。身から出たサビ、因果応報、なんでもいい。とにかく、あいつが自分で招いた結末だ。しっかり自分で引き受けろってんだ。ざまあみろ――!!」

 拳を振り回して、黄泉の門が消えていった場所に叫びます。

 すると、フルートが自分の膝にもたれながら、友人に向かって笑いかけました。

「終わったね……ゼン」

 ゼンも親友を見ました。にやり、と笑い返します。

「ああ、終わった。これでやっと全部終わったぜ」

 ほっとした空気が一同の間を流れていきました。

 

 すると、ふいにポチが、ああっ、と悲鳴のような声を上げました。フルートたちが驚いて見ると、ポチの体が淡い光に包まれて溶けていくところでした。細い手足も、抜けるように色白の顔も雪のような髪も、何もかもが光に包まれ、そのまま消えていきます。

 光が消えた後には、ただ脱ぎ捨てられた服と黒いマントだけがありました。少年の姿はありません。と、その真ん中から、小さな生き物が頭を出しました。水面に顔を出した人のように、ぷふう、と大きな息をして、ぶるぶるっと頭を振ります。雪のように白い毛並みの子犬でした。

「ポチ!!」

 とフルートとゼンは歓声を上げました。ポチが服の中から飛び出してきます。ピンと立った耳、四本の足、激しく打ち振られる尾――すっかり犬の姿に戻ったポチは、ワンワン、と嬉しそうに吠えました。

 それを見てランジュールが言いました。

「魔女が死んだから魔法が解けたんだねぇ。でも、もったいなかったんじゃないの? キミ、人間の姿でいた方が綺麗でかわいかったよ。あの格好で帰ったら、きっとすごい人気になったのにさぁ」

「ワン、冗談じゃありません!」

 とポチは憤然と答えました。

「ぼくは犬です! この格好でいるのが一番好きなんです!」

 と四本の足を踏ん張って、精一杯犬らしいポーズを取ります。

 フルートが笑い出しました。

「ポチは、ずっとポチだったよ。どんな格好をしていたってそうさ。同じだよ」

 それを聞いて、ゼンもうなずきました。

「だよなぁ。人間だったら、あの場面で魔女の手にかみつくなんて、とっさには思いつかねえもんな。魔女のヤツ、度肝を抜かれて手を放したんだぞ」

「ワン、だとしたら、それこそ自業自得です。ぼくを人間の姿にしたのは魔女なんだから」

「違いねえ」

 ゼンも声を上げて笑い出しました。ポチも笑うような表情になると、ワンワン、と声高く吠えました。もう人間のように声を上げて笑うことも、涙を流すこともできません。けれども、ポチはそれでとても幸せそうでした。

 

 その時、今度はゼンの体が光を放ち始めました。淡い光に包まれて、次第に姿が薄くなっていきます。

 おっ、とゼンが声を上げました。

「どうやら俺もとうとう戻れるらしいぞ。先に行ってるからな。今度こそ、ハルマスで会おうぜ」

「うん。ハルマスでまた」

 とフルートは笑顔で答えました。ここはシェンラン山脈の頂上です。ゼンの肉体があるハルマスは、はるか西の彼方なのでした。

 すると、金の石の精霊が隣に進み出てきました。その小さな姿も淡い金の光に包まれ始めていました。

「それじゃ、ぼくも行くからね、フルート。帰り道に気をつけてくるんだよ」

「うん。ゼンを助けてくれて本当にどうもありがとう」

 とフルートが丁寧に礼を言います。精霊の少年は、やれやれ、という表情で肩をすくめました。相変わらず、自分より仲間のことばかり考えている勇者です。

 二人の少年の姿が、フルートたちの目の前で光に包まれていきました。光が薄れて消えた後には、もう何も残っていませんでした――。

 

 

 太陽が東の空高い場所に上りつつありました。青空から光が暖かく降りそそいできます。

 その日差しを浴びて、ゼンがゆっくりと顔色を取り戻していました。まだベッドに横たわったまま眠り続けていますが、もう死人のようには見えません。胸が刻一刻と大きく上下するようになっています。呼吸も強まっているのです。

 戦いを終えた人々が、それを見守っていました。メール、ポポロ、ルル、そして、彼らを助け守り続けてくれた大勢の大人たちです。ほとんど全員が負傷していましたが、自力で立っていられない者はいませんでした。一人、骨折したゴーリスが、足に添え木をしてベッドの脇の椅子に座っているだけです。

「もう大丈夫、ゼン殿は間もなく目をお覚ましになります。占いの結果ではありませんが、もう間違いはありません」

 とユギルが穏やかな声で少女たちに言いました。メールはそれを聞いて、ほっとベッドの脇に座りこみました。ルルは尻尾を振ります。ポポロだけが、すまなそうに涙ぐみながら言いました。

「ごめんなさい、ごめんなさい……あたしのせいで、占えなくしてしまって……」

 魔女の黒い魔法を撃退するためにポポロが放った光の魔法は、光の護具に強化されてすさまじい輝きに変わり、占い師たちの心の目まで焼いてしまったのです。ユギルだけでなく、赤の魔法使いまでが、何も占えなくなっていました。

 すると、ユギルが穏やかな声のままで言いました。

「ご心配には及びません、ポポロ様。これは一時的なものです。今はまだ心の目がくらんでいて何も見えませんが、時間さえたてば、また徐々に占いの力は戻ってまいります。赤の魔法使い殿も同じです。それは、ポポロ様が魔法をお使いになる前からわかっておりました」

「ウダ、ナイ」

 と黒い肌に猫の瞳の小男もうなずきます。その通りだから心配ない、と言っているようでした。

 すると、オリバンの隣に立っていたピランがユギルに尋ねてきました。

「わしが実は無事でいたのも、おまえさんにはわかっとったのかね?」

 魔女の魔法の直撃を食らって消滅したように見えたノームの老人でしたが、戦闘が終わると、ひょっこり中庭に姿を現したのでした。ユギルはほほえみ返しました。

「もちろんです。鍛冶屋の長殿が素早く地面にお隠れになったのも、しっかり見えておりました。ただ、魔女は長殿を倒したつもりでいましたので、何も言わずにおりました。気づかれては大変でしたので」

「まあなぁ。わしらはノームだから地面に潜るのはお手のものだが、さすがに魔弾の集中攻撃や黒い魔法を食らったら、ちょっと助かりようがなかったからな」

 とピランは言って、地面につくほど長い顎ひげをしごきました。

 

 その時、メールとは反対側のベッドの脇に座っていたジュリアが声を上げました。

「ゼンが動いたわ。目を覚まします――」

 人々はいっせいにベッドをのぞき込みました。

 すると、ゼンが本当に身動きをしました。今までぴくりとも動かなかった腕が上がって、顔に降りそそぐ日差しをさえぎります。腕が落とす影の中で目が開きました。茶色い明るい瞳が、のぞき込む人々を見渡します。ジュリア、ゴーリス、ピラン、オリバン、ユギル、四人の魔法使いたち――と顔を順に見ていって、ベッドの反対側にいた少女たちへ目を移します。涙ぐんでいるポポロ、ベッドに前脚をかけて伸び上がっているルル、そして、ベッドの脇に座りこんだままでいるメール……。

 ゼンが上げていた腕を下ろしました。今にも泣き出しそうにうるむ青い瞳を見て、いきなりこう言います。

「泣くな、馬鹿! 鬼姫に涙は似合わねえぞ!」

 メールは思わず泣き笑いしそうになりました。懸命に、ゼンが嫌いな涙をこらえながら言い返します。

「馬鹿とは何さ! ホントにご挨拶だね! 久しぶりで目を覚ましたんだから、もう少し気のきいたこと言いなよ!」

 ゼンは、目を丸くしてちょっと考える顔になると、なるほど、とつぶやきました。自分を見つめる全員を見ながら、にやりと笑って言います。

「ただいま。――ああ、腹へったぁ!」

「たくもう! それのどこが気のきいた台詞なのさ!?」

 とメールはゼンのベッドをたたくと、とうとう笑い出してしまいました。笑って笑って声を上げて笑い続け……いつか、その声は泣き声に変わっていました。ゼンが横たわるベッドに拳を打ちつけたまま、顔を伏せて泣き続けます。

 ゼンは黙ってそれを見ていましたが、やがて、手を伸ばしました。嗚咽に合わせて震える背中に、そっと触れます。メールはびくりとすると、怒ったような声を上げました。

「な、泣いているんじゃないからね! 笑ってるんだから! 笑いすぎて、涙が出てきちゃったんだよ!」

 ああ、とゼンは答えました。優しい声でした。メールの背中に回した手に力をこめて、こう言います。

「戻ったぜ」

 メールは泣きながら、何度もうなずき返しました――。

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