魔女はフルートが間近から撃ち出した炎の弾をかわしました。炎が奥のテーブルを直撃し、並ぶグラスをなぎ倒してはじけます。とっさに自分も魔法を撃ち返そうとしますが、もう次の炎の弾が襲いかかってきました。魔法を使う暇がありません。
飛んでくる炎をかわし続けていると、突然、金の鎧の少年がまた切りかかってきました。魔女が自分の剣で受け止めると、ギン、と鋭い音がして、魔女の手がしびれました。ためらいのない太刀筋は、驚くほど強く、激しかったのです。
離れた場所から観戦していたランジュールが、驚いた顔をしていました。
「あーららら。金の石の勇者くんが本気で怒ってるよ。これは怖いねぇ。普段穏やかな人ほど、怒ると怖かったりするんだよねぇ」
魔女はフルートの剣の勢いにたじたじとなっていました。青い瞳を燃え上がらせて切りつけてくる少年に、金切り声で尋ねます。
「なんだって言うの!? あたくしがタウルを殺したから、そんなに怒っているわけ!? 坊やには関係のないことでしょうが!」
けれども、フルートは何も答えません。ただ剣に強い怒りを込めて、力一杯にまた切りかかっていきます。ガギン、と魔女が必死でそれを返します。
ランジュールがのんびりと言いました。
「そんなこと言ったってダメなのさぁ、魔女のお姐さん。その勇者くんはね、とことん正義の味方なんだよ。例え敵でも、やられそうになってると、本気で助けようとしちゃうんだからさぁ」
「馬鹿げているわ!」
と魔女は叫びました。敵は敵、討ち破るもの。味方も自分にとっては利用するだけのものだと思っている魔女です。フルートが感じている怒りを理解することはできません。
その剣にまた炎の剣が振り下ろされました。鋭い一撃にこめられた力は、とても少年のものではありませんでした。魔女の手が完全にしびれて、剣を取り落としてしまいます。
フルートは魔女の前で剣を振りかざしました。魔女は思わず自分をかばうように両手を前に突き出しました。目をつぶり、顔をそむけてしまいます。それへフルートは剣を振り下ろそうとしました。
「フルート!」
ゼンとポチは声を上げました。他の者たちも、思わずはっとします。魔女は立ちすくんでいます。ついにフルートが人を切り殺すのです――。
その時、ふっと剣が動きを止めました。勇者の少年が、今まさに魔女に振り下ろそうとした格好のまま、魔女をじっと見つめていました。その優しい顔は、激しい痛みをこらえるように、大きく歪んでいます。
すると、魔女の差し上げた両手が、突然フルートに向けられました。真っ黒な光の弾が手のひらから飛び出して、フルートの胸を直撃します。フルートははじき飛ばされ、床の上に倒れました。炎の剣が手から離れます。
魔女が、ふん、と笑いました。魔王の魔弾ほど強力ではありませんが、魔女も自分自身で闇魔法の弾を撃ち出すことができます。剣の前でおびえているふりをしながら、その両手に魔法を集めて、フルートへ撃ち出したのでした。次の魔法が集まるや、今度はフルートの顔にたたき込もうとします。仲間たちが助けに駆けつける間もありません。
「フルート!!」
少年たちは叫びました――。
すると、突然、観戦していたランジュールの隣で、大蜘蛛がピイ! と変な声を上げました。ランジュールが驚いて振り返ります。
「どうしたのさ、アーラちゃん?」
大蜘蛛は、まるで何かに引っぱられるように、床を右へ左へ滑っていました。八本の足をすぼめて、何かにしがみつくような格好をしています。目にはほとんど見えませんが、自分が出した蜘蛛の糸に乗っていたのです。今、その糸が大揺れに揺れていました。
「なに? どうしちゃったのさ、アーラちゃん!?」
焦るランジュールの前を、何か、大きななものが通り過ぎていきました。目には見えません。気配だけの存在です。
魔女がフルートの顔目がけて、魔法の弾を撃ち出しました。フルートは避けられません。
ところが、その目の前三十センチほどのところで、突然魔法が破裂しました。見えない何かにさえぎられたのです。フルートに魔法は届きません。
驚いている魔女とフルートの間で、何かが姿を現し始めました。広い背中、太い腕と足の、見上げるような大男です。その体は半分以上透きとおっていて、全身黒い短い毛でおおわれていました。最後に現れた頭には、大きな雄牛の角があります――。
「タウル!!」
と魔女は叫びました。驚きに目をいっぱいに見張って、ぽかんと口を開けてしまいます。さっき、黄泉の門に飲み込まれたはずの牛男が、また魂だけの姿で魔女の前に現れたのでした。
タウルはまだ胸から血を流し続けていました。腕も足も血まみれです。それでも、にやぁと笑って、目の前の魔女を見下ろしました。
「迎えに来たぞ、レィミ。おまえは俺の花嫁だ。おまえを連れて行くぞ」
魔女はますます目を見張りました。顔色を変え、牛男の前からじりじりと後ずさります。
その様子に、ランジュールがまたあきれ顔になりました。
「驚いたねぇ。あの牛くん、黄泉の門をこじ開けて出てきたんだよ。アーラちゃんがここまで張っていた糸をよじ上ってきたんだ。それにしても、すっごいスピードだねぇ」
タウルは両手を魔女に伸ばして近寄っていました。
「さあ来い、レィミ。もうじき迎えが来るぞ。俺と一緒に行こう。さっそく俺とおまえの結婚式だ」
魔女はいっそう後ずさりながら、金切り声を上げました。
「あっちへお行き、タウル! 誰があんたと行くですって!? さっさと死者の国へ行っておしまい! あんたみたいな馬鹿と結婚だなんて、誰が――」
けれども、牛男は魔女のことばなど何も聞いていませんでした。笑いながら血にまみれた手を伸ばし、魔女の美しい体を抱き取ろうとします。
「お放し!」
魔女が立てつづけに魔法の弾を撃ち出しました。幽霊の体をまともに貫きます。けれども、牛男はびくともしません。笑い顔のまま、魔女をつかまえていきます。
と金の石の精霊が少年たちに言いました。フルートもゼンもポチも、何も言うことができません。ただただ、魔女と牛男を見守ってしまいます。
牛男が魔女をつかまえました。金切り声を上げて暴れる美女を腕の中に抱きしめ、満足そうに笑います。
「行こう、レィミ。おまえは俺のものだ。死ぬまでずっと、死んでからもずっと、この世が消えてなくなっても、おまえは俺とずっと一緒だからな」
ひょっとしたらそれは、タウルが必死で考えてきた、一世一代の名台詞だったのかもしれません。嫌がる魔女をしっかり抱きしめると、吠えるように言いました。
「さあ、帰るぞ!!」
ばん、と突然また黒い門が開きました。
一度消えた黄泉の門が、また部屋の真ん中に姿を現していました。ごうっと激しい風がまた巻き起こります。
タウルは今度は風に逆らいませんでした。魔女を腕に抱いたまま、自分から門へ向かって歩いていきます。牛によく似たその顔は、とても幸せそうな表情を浮かべていました。
「し――死ぬもんですか――!!」
魔女は金切り声を上げ続けました。優美な曲線を描く体は、牛男にがっちりつかまれていて、逃げ出しようがありません。自由になる手を伸ばして、闇雲に何かをつかもうとします。
そのすぐ近くにフルートが立ちすくんでいました。魔女は、金の籠手に包まれたフルートの腕をつかみました。
「は、放せ!」
フルートは声を上げました。あわてて魔女の手を振り切ろうとしますが、女はものすごい力でしがみついていて、絶対に放そうとしません。風の中、タウルが歩き続けます。フルートまでが、魔女に引っ張られて黄泉の門へと引きずられてしまいます。
「馬鹿野郎!」
ゼンは真っ青になりました。駆けつけて魔女をフルートから引きはがそうとしますが、なにしろゼンは魂です。生身の彼らにはどうすることもできません。そうする間にも、フルートはどんどん黄泉の門へと連れ去られます。
魔女がすさまじい顔で笑いました。
「放すもんですか。あたくしは生きるのよ。生きて、この世界の女王になってやるんだから。みんなを一人残らず打ちのめして、あたくしの魔力と美貌の前にひれ伏させてやる――!」
その顔は、タウルを刺し殺したときの返り血に点々と赤く染まっていました。美しい顔、美しい姿の残酷な魔女です。この世への執念でフルートにしがみついています。
タウルが黄泉の門をくぐりました。抱きかかえられたレィミ・ノワールも一緒です。その手を振り切れなくて、フルートまでが門の中に引きずり込まれていきます。風がごうごうと吹き続けます。
その時、雪のように白い髪の少年が突然駆け出しました。
フルートをつかむ魔女の手に飛びつくと、ものも言わずに、その手首にがっぷりと歯を立てます。
魔女は仰天しました。引き離そうとすることもなく、いきなりかみつかれるというのは、完全に想定外でした。悲鳴を上げて思わず手を放してしまいます。
タウルは魔女を抱いたまま、門の奥へと入っていきました。そのすぐ後ろで、音を立てて門が閉まります。ガシャーンと鉄格子がぶつかり合う音が響いたと思うと、黄泉の門はまた、彼らの前から消えてしまいました。魔女の最後の金切り声も、細く遠く消えていきます。
風がやみました。
何もかも吹き飛ばされ、めちゃくちゃになった部屋には、床に座りこんだフルートとポチ、魂の姿のゼンと金の石の精霊、そして離れた場所から眺めていたランジュールと大蜘蛛だけが残っていました――。